第3怪 鬼と科学と、ハードボイルドな一日

3-1 真夏






 あれから数日。

 太陽の光を取り戻した東京にも、いよいよ本格的な夏がやってきた。

 日の出と共にぐんぐんと上がる室温に、守は迷わずエアコンを起動させる。だがこのエアコンは、築二十年のアパートに元々付いていた年季の入った代物で、お世辞にも有能とは言えなかった。そんな老体にむちを打ち、健気に生温い風を吐き出し続ける彼のために、守は今年も、強力な助っ人をお呼びしている。

「頼りにしてますよ!」

 守はそう願いを込めて、扇風機のスイッチをオンにした。更に今年は可憐な応援団として、風鈴にもお越し頂いている。これでこの夏は、耳からも清涼感を取り入れようという目論見である。


「犯人は貴方よ!化学は嘘をつかないどす!」


 そんな暑さの中、我が家の同居人たちはというと…

 てんは朝からキッチンに籠こもり、すいはこの部屋で一番涼しい扇風機の前を陣取り、ふじは再放送の刑事ドラマに釘付けとなっている。もはや実家のようにくつろぐ彼らだが、実は妖怪だと言うのだから驚きだ。


「好きですね、『科捜研かそうけん乙女おとめ』」

 テレビから聞こえた決め台詞に、守は何気なく藤に声をかける。すると藤は、まるでカブトムシを見つけた少年のような、嬉しさ全開のキラキラとした瞳を向けてくる。

「おう!」

 そしてこれまた元気いっぱいの返事をしたかと思えば、彼は溢れんばかりの笑顔でこう言った。

「何度見ても面白い!実に面白い!科学の進化は時代の進化なんだ!」

 すると藤は、占領していたローソファーに詰めて座ると、空いた部分をポンポンと叩く。

 ここに座れ、という事らしい。

 守はおとなしくそれに従うと、その流れで藤の隣でテレビを眺める。ドラマは既に山場を迎え、犯人が自供を始めている。

「今日のやつは、背中に残った指紋が決め手だったな。すげーよなぁ、ちょっと前まで『指紋認証しもんにんしょう』なんてもん無かったのに、今じゃどんな物からでもバンバン取れるからな!いいか油断するなよ?Tシャツにも指紋って残るんだぜ?ヤバい時代になったもんだ!つーか、そんな最先端の技術を持ってんのに、地道な作業にも果敢かかんに挑むのがかっこいいんだよなー!マジで尊敬するぜ乙女!」

「……ほう?」

 嬉々として感想を述べてくる藤。

 それは守が想定していた反応とはだいぶ異なるものだった。

 ツンデレ代表の彼の事だから、「集中してんだから話しかけんな!」とか、「別に好きじゃねーよ!」とか、もっとツン多めな返事が来ると思っていた。

 だからこれほどまでに『好き』を全面に押し出してくるとは、なんとも予想外だ。

「俺の中での神回は」

 しかもまだ続くようだ。

「やっぱりシーズン14、大学で同期だった天才に、乙女と仲間が努力で勝利する話だな!

 あれは珍しく最初に犯人が分かってるパターンなんだけどな、犯人が天才すぎて証拠が全然出ねーんだよ。完全犯罪ってやつだな!そんな相手でも乙女たちは科学の力を信じて、何度も何度も同じ分析を繰り返すんだ!それでついに、決定的な証拠を見つけんだよ!その時のスカッと感はマジでヤバかったぜ!

 これぞ正しく『恵まれし天才VS努力の秀才』!証拠を突き付ける時の、あの同期ならではの悪戯が、これがまたグッとくるんだよなーっ!

 つーかその時の犯人、別の話でも違う役で出てんだぜ?しかもまた犯人役!さっすが大人気の長寿番組、大胆なキャスティングするよな。

 ちなみに乙女の仲間のお茶汲み担当の捜査員も、初期の頃には違う役で出てるんだぜ?それもまた犯人役!でも大胆なキャスティングといえば、トップは何と言っても、乙女の相棒の刑事が新シリーズになる前にはベストセラー作家の……」

「ストップストップ!ええ?普通に聞いてたけどめっちゃ語るじゃん!ちょっと引くんですけど!?」

「こんぐらいで引いてんじゃねーよ。こちとら乙女が強気だった初期から全部見てんだぜ!なめんな!」

「いや舐めてはないですけど…」

 特報。

 藤の『科捜研の乙女』に対する熱量が半端ない。

 そうこうしているうちに、ドラマは既に終わっていた。そのタイミングを見計らい、立ち上がろうとする守だったが、いつの間にやら肩に回された藤の腕に妨害され、逃げるという選択肢を失っていた。

 まずい。

 このまま永遠に語り出しそうな藤の勢いに、守は迂闊うかつに声をかけてしまった事を後悔した。だが後悔している間にも、彼は真横からグイグイと圧を飛ばしてくる。もはや成す術なし、万事休すだ。

「そもそも科捜研の人が現場に行くってゆう設定からして斬新だよな!普通、現場に行くのは刑事か、百歩譲って探偵だろ?つーかよ、探偵が出てくるドラマとか漫画だと、事件現場ですぐに謎解きして、その場ですぐに犯人捕まえんだろ?あんなスピードで解決できんなら、日本の検挙率けんきょりつマジで半端ねーよな?

 第一、指紋でもDNAにしても、鑑定にはそれなりな時間がかかんだよ。だからその場で解決なんて普通は絶対無理だ!鑑定結果が出ないからな!

 …でも俺は思うんだ。乙女たちならできる!ってな!物証ぶっしょうの鑑定スピードが、とにかく異常だからな!」

 愛が深すぎる!そしてやはりまだ続くのか!

 そんなツッコミは本人に言えるはずもなく、保守的代表の守は、ただただ彼の話を受け止めていた。

 するとその時、救世主が現れる。

 タイミングよく、スマホのアラームが鳴ったのだ。

「!!」

 守は勢い良くそれに手を伸ばすと、藤に見せ付けるように時間を示す。

「ほら藤さん!バイトの時間なのでそろそろ行かなきゃです!おしまい!」

「ああ?話はまだ始まったばっかだぞ!?」

「いや、あれだけ話しておいて始まったばかりとは?!大丈夫、結構聞きましたから!」

 そう言うと守は、藤の腕からスルリと抜け出し、出発の準備を始める。

 まずは動きやすいように、眼鏡からコンタクトへと付け替える。最近の依頼は特に、妖怪がらみで走り回る事が多い。大学デビューと同時に、コンタクトデビューを果たしたのは大正解だった。

 そんな守の背後では、話を遮られた藤がムッとしながら圧を飛ばしてくる。だがすぐに、その口角はニヤリと上がりこう言った。

「しょうがねーな、一緒に行ってやる!」

「…ええーっと…?それはつまり…」

「今日は俺が、華麗に事件解決してやるぜ!」

「お、おう…」

 是非とも遠慮したい申し出である。

 このまま二人で行っては、道すがら、なんなら依頼中にもずっとうんちくを聞かされそうだ。それはできれば回避したい。できればと言うか、確実に回避したい。

 守は再び良好になった視界で部屋を見渡し、新たな同行者いけにえを求めた。

「水くん!…は無理そうだな…」

 そこでまず目に留まったのは水だった。

 しかし彼は、扇風機の緩やかな首振りにすらついてゆけず、ベタッと床に倒れ込んでいた。ご丁寧にも彼のかたわらには、水筒から溢れた水で『猛暑』というダイイングメッセージが残されている。

 画数の多いこの文字を、漢字で書くだけの気力は残っていたようだ。

 …だが待ってくれ。

 部屋で何かを溢したら、そのまま放置しないでほしい。あまつさえ、それで遊ばないでほしい。以上、家主まもるからのお願い!

「犯人は猛暑…つまり温暖化を加速させている人間だな!」

「……ごもっともです」

 そんな藤の名推理に少しばかり心を痛めつつ、守は床に溢れた水をく。そして溢れてしまった水の代わりに、新しいものも入れてあげようと思った。

 彼はこの水筒が頭のお皿なのだと言っていた。そして皿が乾くと動けなくなるのだと。その水が無くなってしまうのはよくないだろう。

 現に力なく倒れている水のため、守は水が冷蔵庫に常備しているミネラルウォーターを取りに立ち上がった。


「ここは無難にカルダモンですかね?」

 するとその時、目的地であるキッチンから、何やら真剣な呟き声が聞こえてきた。

 その声の持ち主である天は、どうやらカレー作りの真っ最中である。しかも市販のルーを使わない、本格仕様のものを。

 昨夜、『夏こそカレーだ!』というCMに、守が激しく頷いているのを天はしっかりと目撃していた。それですぐに作ろうとしてくれるのだから、彼は本当に素晴らしい天狗だ。その有能さを決してひけらかさない、天狗にならない天狗だ。

 さすがは我が家のスーパー家政夫天さん。もはや『天様』とお呼びした方が良いかもしれない。

 そんな事を考えながら、守は冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出すと、ついでに料理に夢中の彼の様子を覗き見る。爽やかにスパイスを調合する天様は、八角はっかくの実を持ちながら微笑みを浮かべていた。なんでも、彼の持っている団扇うちわと、その実の形がそっくりなのだとか。

 その平和な光景に、なんだかこちらまで微笑ましくなってくる。

 守は自ずと上がる口角をそのままに、手に持つ冷たいミネラルウォーターを水筒に注いだ。


「味の化学反応…料理は科学どす!」

 守は頭上で決めゼリフを言う彼と、キッチンに立つ彼を同時に眺める。

「…楽しそうですね」

 それが藤と天、どちらに向けられた言葉なのかは、自分でも分からなかった。

 そんな守たちのやり取りに気が付いたのか、天は手を止めてこちらを振り向く。

「すみません、少々夢中になっていました。何かご用でしたか?」

「ううん、何でもないですよ!ああそうだ、バイトに行ってきますね」

 守はもはや、生贄いけにえ探しを諦めた。

 そしてカレー作りの邪魔にならぬよう、天のいるキッチンをささっと通り抜け、玄関へと向かう。

「私もお供しましょうか?」

「いやいや、大丈夫ですよ。藤さんが一緒に行ってくれるので!」

「おう、任せろや!」

「だから天さんはカレーに専念してくださいね!」

 そう言うと天は、お言葉に甘えて、と笑顔で応える。

「ではご期待に添えるよう、美味しいカレーをご用意しておきますね」

「ありがとうございます。めっちゃ楽しみにしてます!」

 そう告げて守は靴を履き始める。だが、後ろから付いてきていたはずの藤は、途中でピタリと立ち止まった。

「…行ってくる…」

 すると藤は、何やら意味深な表情でそう呟いた。

「……藤さん?」

 急にどうしたのかと、首を傾げる守をよそに、何かを感じ取った天はハッとする。

 やがて彼も、神妙な面持ちでこう呟いた。

「…もしも無事に帰って来られたら…その時は…、食べてくださいね?」

「…おう、約束だ。…無事に帰ってこれたら……な?」

 こうして突如、縁起でもない茶番をはじめる二人。

「ちょっ、何なんですか?!」

 これはお決まりのあれだ。

 殺人鬼がいるのにわざわざ一人になるやつ然り、帰ったら恋人にプロポーズするのだ!と決めて戦地に向かうやつ然り。そいつらは大体、無事に帰ってくることはない。

 その名も…死亡フラグ。

「二人して変なフラグ立てるのやめてくださいよ!?」

 そんなフラグ、立ってたまるか。

「ふふ、すみません。行ってらっしゃい」

「おう!ほら行くぞ?」

「え?え?!」

 こうして幸先さいさき不安ながらも、科捜研マニアの兄貴分と二人、腹を括って出発するのだった。

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