5-4 記憶



 こうして始まった、守と一反木綿のかけっこ一本勝負。

 ルールは至って簡単。

 一反木綿が街を一周する間に、守が彼を捕まえたら勝ち、というものだ。


「それではいきますよ?よーい、」

「早々に勝ちを掴みますよ!物理的にも掴んでみせますから」

「スタート!!」

「ね…って早くない!?」

 先程、一度捕まえた経験もあり、余裕をかましていた守。だがそんな冗談を言っているそばから、相手は一瞬にして飛び出していった。

「待って嘘でしょ!?」

 そして一反木綿のスピードはさることながら、それよりも、天の号令のタイミングが非常に早いと思う。

「てか、さっきよりだいぶ早くない?」

「先程までは勝負ではなく、あくまで遊びで飛んでいたのでしょうね。彼ら一反木綿の最速は、時速320Kmだと言いますから」

「いや新幹線じゃん!」

 相手のただならぬスピードに、守は急いで自転車に跨る。

「行ってきます!」

「ご武運を」

 そして彼の消えていった方向へと足を急いだ。

 この時、守の脳内には、『一対一の真剣勝負に、自転車を使ってもいいの?』と、天使と世間せけん様が囁きかけてくる。

 だが、『使ってはいけない』というルールも無かったはずだ。

 よってその意見は棄却させて頂こう。


「あ、いたいた」

 しばらく進むと、街中から河川敷に出たことで、一気に視界が開けた。そこで軽やかに飛び回る、一反木綿らしき姿を発見する。

 今回は天というナビもなく、一人で挑むことには不安もあったが、相手の姿を見つけて少しだけホッとした。

「これ、見えなかったらヤバかったな」

 その言葉通り、相手の姿が見えなければ、この勝負は話にならなかっただろう。何故かは分からないが、うっすらとでも認識できて本当に良かった。

「このままいけるかな…?」

 相手は新幹線並みの速さが出るらしい。普通に近付いたのでは、即座に逃げられてしまうだろう。ならば背後から詰め寄り、相手に気付かれぬうちに一気に捕まえるのが得策だ。

 どちらが一反木綿かれの背後なのかは定かではないが、今ならこの辺りに人通りは無い。一気に距離を詰めるチャンスである。

 そう思った守は、一か八か、目標目掛けて突進することに決めた。

「守、攻めまーす!」

 守は全速力でペダルを漕ぎまくる。

 すると作戦通り、一反木綿との距離はみるみる縮まり、あと少しで、手を伸ばせば触れられるところまでやってきた。

「よっしゃ、っえ?うわあああ!!!」

 だが、それは一瞬の出来事だった。

 守は一反木綿ばかりに気を取られ、足元を全く見ていなかったのだ。それにより、タイヤが小石に乗り上げてしまい、自転車はあらぬ方向へと軌道を変えてしまった。

「わああああ!!」

 このままでは川に一直線。

 ガタガタと突き進む、河川へと続く急な土手道。守は自転車から振り落とされぬよう、ギュッときつくハンドルを握り締める。ついでに少しでもスピードが減速すれば良いと、咄嗟にブレーキも握りしめた。

「守!!」

 するとどこからともなく、天の声が聞こえてきた。

 その声が、先ほどふざけて『蓑』を取ろうとした時とは、比較にならない程の慌てようで、守は思わず苦笑を浮かべる。

 今、彼がどんな顔をしているのか、ぜひとも見てみたかった。

 こんな時に、そんな事を考える余裕があるのだから、自分は意外にも冷静なようだ。だってきっと、これくらいの高さから川に突っ込んだところで、大事には至らないだろうから。

 守は静かに目を瞑り、いつかのように衝撃に備えた。

「………」

 しかし、またしても衝撃はやってこなかった。それどころか、重力に逆らうように、体が妙に軽く感じる。

 そして訪れた、と同じ浮遊感。

 この感覚を、俺は知っている…

「……天さんて、本当に飛べるんですね」

 守はそっと目を開け、空を見た。

 するとそこには、自転車ごと守を抱き抱える、天の姿があった。その背中には、人間には無い大きな漆黒の翼が羽ばたいている。

「俺って今、はたから見たら『E.T.』みたいかな?」

「それは分かりませんが…普通の人からは見えませんよ。羽織があるので」

「ああ、そっか」

 そして気付いた頃には、守は滑り落ちる前の土手の上に立っていた。

 その事実に、守の懐かしい記憶が蘇る。

「……天さん。ねぇ、天さん前にも…」

「おーい守くん!大丈夫かい?」

 するとその時。

 守の言葉を遮るように、対岸から大きな声がかけられた。

「あ、環さん!」

 その声の持ち主は、手をブンブンと振りながら再び声を上げる。

「河川敷を滑っていくのが見えたから、焦ったよ!でも良かった、すぐに上がれたって事は…無事なのかな?怪我はない?」

「はい、なんとか大丈夫です!」

 そう心配そうに尋ねてくる環に、守も彼に向かって手を振ると、出来るだけ明るく答えた。

 するとその時、環の足元に薄っすらとうごめく、ある物を発見した。

「あ!!」

 それは先ほど、守が取り逃した犯人である。

「環さん!!絶対に動かないで!!」

「ん?」

 守があまりにも強く発言したため、環は驚いてピタッと制止する。本当は足を退けないでくれるだけで良かったのだが、彼は律儀にも、振っていた手も下ろさずに固まっている。

「確保!」

 その甲斐あって、守は急いで対岸へと向かうと、逃げていた一反木綿を無事に捕獲することができたのだった。

「俺の勝ちだよ!いい勝負だったね?」

 そして守は好敵手ライバルと握手を交わすように、一反木綿を掴み上げる。

 それをそのまま、百鬼絵巻へと近づけた。

 すると今度は成功のようで、絵巻は穏やかな光り包まれ、一反木綿の姿が刻まれる。時計の文字盤も、『九拾参』となった。

「お疲れ様〜。この感じ、犯人はやっぱり妖怪だったんだね?」

 そんな問いかけに「はい」と頷く守。そう尋ねた環も、もうすっかり慣れた様子だった。

「それじゃあ、依頼主の方達には、僕から上手く伝えておくよ。守くんたちはこのまま解散で良いよ」

「ありがとうございます。お疲れ様でした」

 こうして守はぺこりと頭を下げると、自転車を押して環と別れる。



「……着々と、回収に成功しているようだね。果たして今回は、君に会えるかな?……ねぇ、アサヒ……」

 去り行く二人の背を見ながら、環はポツリとそう呟く。

 その声は、守にはもちろん、届くことはなかった。




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