1-6 決意




 その後。

 一時間ほど懸命に駆け回り、守はようやくこの時を迎えた。

「最後の一匹だよ!」

「貴方なら出来ます!」

「行け!御国守!」

 知ってか知らずか、絶妙なタイミングでのフルネーム呼び。

「守、攻めまーす!!!」

 その力も加わり、守はたったひとりで二十一匹もの猫又を回収したのだった。

 これまで、猫又は回収する度に、ヒュンッという風が吹き抜け、百鬼絵巻が淡い光を放ってきた。この最後の一匹を回収すれば、白紙にタイトルと絵が浮かび、ついにページが完成するのだそうだ。

「よし、これで完成…」

 待ちに待った、記念すべき最初の一ページ完成の瞬間。

「……ん?」

 だが最後の猫又を回収しても、そこは白紙のままだった。

「…何も…変わらない…?」

「そんなはずは…」

 猫又は全部回収した。だが先程までと同様に、絵巻を包む光はすぐに消えてしまった。何か不備があったのだろうか。

「あー!!」

 そんなことを思っていると、河童の少年が突然声を上げた。

「お婆ちゃんが抱っこしてる!」

「ええ!?」

 彼の示す先を見れば、縁側えんがわに座るお婆さんが、何もない膝元を優しく撫でていた。おそらくそこには猫又が寝転んでいるのだろう。

「本当に見えてるんだ…」

 そんなお婆さんの姿に、思わず感心してしまう。

 だがそれも束の間。

 守は早く回収せねばと、ヘトヘトになりながらもお婆さんの元に駆け寄った。

「お婆ちゃん!その猫ください!」

「おやおや、はいどうぞ」

「ありがとうございます!」

 快く了承してくれたお婆さんに、守は感謝を述べると手を差し出す。だが姿が見えないため、どう受け取ったら良いのか迷いながらも、確かにここに存在するらしい猫又を大事に抱える。守は一応確認とばかりに、手中のそれを天狗たちに掲げてみせた。

「大丈夫、いるよ!」

「逆さだけどな?」

「頑張りましたね。さあ、準備は良いですか?」

 その問いに頷くと、はやる気持ちに急かされながら、守は猫又を絵巻へと近付けた。

 これが本当の最後の一匹。

 やがて手の中からは、猫又の感触が消えてゆく。

「……!」

 すると絵巻からは、先程までの優しい光よりも、少しだけ強い光が放たれる。そして最初のページに『猫又』というタイトルがついた。そこには可愛らしい猫又のイラストも浮かび上がる。

「できた…!」

 どうやら見事、成功したようだ。

 守は完成したページをまじまじと眺める。そして思い出したかのように、首に下げていた時計にも目を向けた。するとこちらも、文字盤の数字ががひとつ減っていた。

「ひとつだけ、なんですね…」

 二十二匹も捕まえたのだから、あわよくば二十二個分の数字が減るのではないか、と期待していた。だが人生、そう甘くは無いらしい。

 そんな守の心を読んだのか、「ひとつの妖怪につき、カウントはひとつです」と、天狗がにこやかに囁きかけてくる。

「ですよねー」

 つまり残りは九十九種、先は長そうだ。とはいえ、霊感ゼロの自分でも、こうして無事に回収できたことには心底ホッとした。

「ミッションコンプリート…!」

 守は安心と疲労から、その場にドサッとしゃがみ込む。そんな守をよそに、妖怪たちはお婆さんと団らんを始めていた。

「おやおや、まあまあ。イケメンばかりでとうとみが深いのう。まず顔面が神。わしのSAN値を削りにかかっとるわい」

「わー!ヲタ語を乱用するお婆さん初めて会ったよ!」

「ナウいヤングだな!」

「ふふ、日本語の進化は目覚しいですね」

 和やかなムードに包まれながら、謎の会話を繰り広げるお婆さんと妖怪たち。はたして話が噛み合っているのかは定かではないが、皆とても楽しそうだから良しとしよう。

「イケメンさんたちはアイドルかい?」

「アイドル…そうですね、偶像ぐうぞうという観点で言えば、アイドルと言えなくもないですね。中には崇拝の対象となっている者もいますから」

「そうかいそうかい、そりゃあ箱推はこおしせんとなぁ」

 崇拝だなんだと、穏やかじゃない会話に守は心内で突っ込みを入れる。だがそれ以上に、お婆さんから危険な質問が飛び出してきた。

「イケメンさんたちお名前は?」

「……!」

 何と答えるか不安すぎる。

 なんせ彼らには、自らを妖怪だと答えた前科があるのだから。頼むから無関係のお婆さんに変なこと言わないでくれ!

 守は思わず前のめりになりながら、「上手く誤魔化して!」と彼らに目配せをする。するとその視線を受け取った天狗は、大丈夫だとばかりにウィンクを返してきた。

 そして、爽やかな笑顔でこう答えるのだった。

「天狗です」

「赤鬼だ!」

「河童だよー」

 あまりにも素敵な笑顔でそう名乗る三人。

 だがそんな甘いマスクに惑わされることもなく、お婆さんの表情は一瞬にしてこわばった。

「…天狗に赤鬼…河童じゃと?まさか妖怪なのかい…?恐ろしや…」

 ああ、やってしまった。

 彼らは見事、守の不安を的中させてみせた。あのウィンクは何だったのだろうか。

 いくらイケメンと言えど、急に妖怪なんぞが現れたら、その真偽はともかく身構えるに決まっている。

「先程、撫でていらっしゃった猫も妖怪ですよ?」

 そんな警戒するお婆さんに、天狗はあろう事か、守に言ったものと同様の正論をぶつけた。

 おいこらバカヤロー!お婆さんをいじめちゃダメ!絶対!

 守は固まるお婆さんを見て、居ても立っても居られず、すかさず彼らのフォローに入る。

「ちょっとー!!皆さんちゃんと名乗ってくださいよー?」

 守は可能な限り、場が明るくなるようにそう言うと、お婆さんと彼らの間に割り入った。そしてそのまま、彼らに適当な名前を付けて誤魔化そうと試みる。

「彼は天狗…そう、天宮司てんぐうじさん、こっちのキラキラボーイは…合羽橋かっぱばしくん、それでこちらが赤鬼…えっと赤鬼…」

「…赤鬼?」

 守の言葉が詰まると、すかさず怪訝けげんな目を向けてくるお婆さん。

「えーと、あかおに…」

 最初の二人は簡単に思いついた。だが残りの彼は難問だ。だって赤鬼が付く名前なんてある?無理すぎない?!

 お婆さんの視線に急かされながら、守は『あかおに、苗字、一覧』と、自身の脳細胞に検索をかける。

「あかおに…あか…あかお…に…兄さん!!そう!赤尾あかおにいさんです!」

 そして見事、守はやり遂げたのだった。自分の脳細胞にセルフスタンディングオベーション!

「ちなみに俺は御国まも」

「なんだいそうかい、素敵なお名前だねぇ」

 この流れで自分も名乗ろうとしたのだが、それは笑顔を取り戻したお婆さんによって遮られた。

 あれれー、妙だなー?こんなに頑張ったのに、最後まで名前を言えないとかある?

 これもある意味、『イケメンに限る』というやつなのかもしれない。それを体感した守は、お婆さんにもモテないのかと、ちょっぴり切なかった。それでも、上手くこの場をやり過ごせたのだから良しとしよう。そう自分に言い聞かせるのだった。

「……」

 だからこの時、守は気付いていなかった。

 妖怪たちが守を見て、妙に沈黙していたことに……



 その後、猫又が封印された事で、鶏の様子もすっかり落ち着いた。依頼主の養田には、『原因は猫又でした』…とは言えなかったものの、『やはり猫が迷い込んでいた』という旨をやんわりと伝えた。

「ありがとう、助かったよ」

「お役に立ててよかったです」

 こうして見事、任務完了。

 すっかり仲良くなったお婆さんとも、また遊びに来ることを約束し、別れを告げた。

「終わったー!」

 守は環に、完了の一報を入れる。すると、まるで待ち構えていたかのように瞬時に返事が来た。

「返信早…ん?」

 メールには、『お疲れ様』という言葉の後に、P.S.と称して『こっちの二件も今日中によろしくね!』と書かれていた。

 更に続きがあるので画面を下にスクロールしていくと、先程、事務所に来ていた他の依頼の詳細が記されていた。ご丁寧に、URLで地図も添付されている。

「本文より追記のが多いな…」

 そんな小言を呟いていると、またもや狙っていたかのように、今度は電話がかかってきた。

「お疲れ様ー!ねぇ今、何か文句言ってなかった?」

 ……何故分かるのだろうか。

「分かるよー、どれだけ一緒にいると思ってるの?」

 いやそんなには…?まだ知り合って一年そこそこですよね?

「人の仲っていうはね、時間の長さじゃない、密度だよ!」

 そうですか。てか、天狗さんたち待たせちゃってるから、用事ないなら早くしてほしいな…

「ああー!今、僕以外のこと考えてたよね?怒るよ?」

 え、こわっ!普通に怖い!束縛そくばく強い系の彼女かよ!?

 …というより皆さん、お気付きだろうか?

 守は彼との通話中、一言も言葉を発していないということに…

「…要件はそれだけですか?」

 そんな環との一方的な会話に飽きた守は、ようやく言葉を返す。

「君ってば、いっつもつれないな〜。

 ま、それはさておき!次の案件のことだけど、事務所の物置に動物捕獲用のあみがあるから、それを持っていくと良いよ。動物は爪とかあるし、素手だと危ないからね?」

「ありがとうございます、了解です」

 思いのほか、重要な話だった。

 いつも最初から、要件のみをサラッと教えてくれたのなら、環への評価も少しは上がるだろう。だが、そうでないのが東 環という男なのだ。彼に対する守の認識が『ふざけたイケメン』止まりなのは、こうした普段からの積み重ねによるものである。


 守は通話を切り、次の依頼場所へ行く旨を妖怪たちに伝える。すると彼らは、それもおそらく百鬼の仕業だからと、一緒に来てくれることとなった。

「はい確保〜!」

 そこでは畑を荒らしていたたぬきの妖怪と、

「重っ…これ入ってる?入ってる!?」

 川辺で魚を掴みまくっていたかわうその妖怪を捕まえた。

 これらは確かに、素手では無理だったかもしれない。網が良い働きをしてくれた。環の指示に感謝だ。

 そしてこちらは、幸いなことに一匹ずつだった。猫又で体力を使いまくった守には、本当にありがたかった。

「回収完了」

 光に包まれ、それぞれ絵巻へと入っていくふたつの妖怪。その、あまりにもあっさりと封印されてゆく様に、守は少し気がかりな事があった。

「…話せないし、そもそも見えないから分かんないですけど、この妖怪たちは何を願ってたんですかね?もしかして俺、無理やり封印しちゃったとか…?」

 百鬼絵巻に描かれた、猫又、狸、獺を撫でながら、守はそう呟いた。

 無事に封印できたのだから問題はない。だがもしも、願いが叶わずに封印されたのだとしたら、この妖怪たちがなんだか可哀想に思えたのだ。そんな守の気持ちを察してか、天狗たちはそれぞれの感想を口にする。

「願いが何か、とまでは定かではありません。それでも絵巻に戻ったと言う事は、それが叶ったという証拠ですよ」

「僕もそう思う。みんな嬉しそうだったしね?」

「あいつら動物系の妖怪ってのは、走り回ればだいたい満足すんだよ」

「いや言い方!…でもまぁ、それなら良かったです」

 真実は分からない。

 それでも、同じ妖怪の彼らが言うのだから、きっとそうなのだろう。それにほら、改めて開いた絵巻の彼らは、いずれも可愛らしい笑顔を浮かべていた。

「というかみなさん、察してほしくない時以外でも、ちゃんと察してくれるんですね!見直しました!」

 彼らの優しさに触れ、守の心はいくらか軽くなる。だがこの気持ちに「ありがとう」と言うのもなんだか違う気がして、守はあえて茶化すようにそう言った。ついでに疲れを吹き飛ばそうと、グーっとひとつ伸びをした。

 時刻はまもなく19時を回る。夏の日は長いといえど、辺りはすっかり黄昏色たそがれいろに染まっている。

「さ、帰りますか!」

 守はそう呟くと、家路へと足を踏み出した。


 今日は、とても濃い一日だった。


 守の横に伸びる三つの影が、嫌でもその事実を突き付けてくる。

 今日分かった事は、『霊感が無い者には、妖怪の姿は見えない』ということ。彼ら天狗たちのように、『人間に化けることが出来る妖怪は、妖力が強いため誰にでも見える』ということ。

 そしてもうひとつ、分かったことがある。

「…皆さんは祠に帰らないんですか?」

 守は振り返ると、後ろからずっと付いてくる三人に尋ねた。すると彼らは顔を見合わせ、その問いが不思議だとばかりに首を傾け合っている。

「何言ってんだお前は?」

「貴方は私達の主になったのですから…」

「ずっと一緒にいるよ!」

「……はい?」

 それは、『妖怪に名前を付けると、その妖怪と主従の契約が結ばれる』…という事。

「は?いつ?いつ俺はあなたたちに名前なんて付けて……!」

 そこまで言って、守はある事を思い出した。それと同時に、ツーッと嫌な汗が頬を伝う。

「…まさか、さっき誤魔化すために呼んだあれ…?あれで名付けたことになるの!?」

 猫又の一件で、お婆さんを怖がらせまいと、彼らに適当に付けた名前。そんな守の言葉に、一同はコクリと肯定の意を見せた。

「嘘でしょ…」

 あれだけ『名前は慎重に付ける』と心に決めていた守にとって、あるまじき大失態。妖怪と知り合っただけでも手一杯なのに、更に主従の契約ともなれば、完全にキャパオーバーである。

 何かのドッキリか、はたまた夢オチか。

 そういったたぐいのお気楽な大団円を期待するも、彼らの表情が、これは嘘でも偽りでもないのだと物語っている。


「今日から貴方は我々の主人です。しかしそれ以前に、解き放たれた百鬼からこの国を守れるのは、封印を解きし者…貴方しかいません」

 正直、妖怪を視認できもしない自分に、そんな大それたことが出来るのか。

「百鬼を集め、千年もの因果に終焉しゅうえんをもたらす者」

 はっきり言って無理だろう。それでも…

「お願いできますか、御国守さん」

「……!」

 そう問われてしまえば、守の答えは決まっているのだ。

 妖怪?

 国の危機?

 百鬼夜行?!

 何でもまとめて、どんとかかってこい!


「はい喜んで!」 

 

 守のちかいが、夏の夕暮れに高らかに響く。

 するとまるで『契約成立』とばかりに、一陣の突風が吹き抜けていった。


 御国守、十代最後の夏が始まる。

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