第2怪 河童と傘と、雨音の会話

2-1 同居




「おはようございます。朝食できましたよ」


 味噌汁のかんばしい香りに誘われて目を覚ます。

 アパートの小さな座卓には、今日も旅館のような朝食が並べられていた。

「守おはよー!」

「おはよ、早く顔洗ってこい」

「うん、おはようございます」

 そこで妖怪三人と人間一人。揃って手を合わせる。

「いただきます!」

 これが、守の現在のルーティンである。



 彼らと出会って早一週間。

 慣れとは恐ろしいもので、守はこれまでと変わらぬ平穏な日々を過ごしている。それどころか、起きたら朝食が出てくるという贅沢ぜいたく仕様しようにグレードアップしていた。

 まさか、初めてのルームシェアの相手が『妖怪』だとは思ってもみなかったが、案外、馴染んでしまっている自分の順応性には驚きだ。


「今日はパンにしてみましたよ」

 こちらは天狗の天宮司てんぐうじさん。

 いち教えればじゅうまで理解する有能な人…妖怪だ。わずか数日で家事を極め、我が家のナンバーワン家政夫かせいふの座を射止めた。

 中でも料理が得意なようで、いつも美味しい食事を作ってくれる。パンにもコーンフレークにも味噌汁がついてくることにはいささか疑問ではあるが、控えめに言って神だと思う。妖怪だけど。

「ボーッとしてんな、いっぱい食え!」

 そしてこちらは赤鬼の赤尾あかおさん。

 名付けた時に赤尾さんと呼んでしまったせいか、何かと兄貴面あにきづらをしてくる。

 あらゆる沸点が低く、口調は荒いが、内面は意外にも良心的だったりする。ツンデレを地で行くタイプだと思う。守は姉が二人の末っ子なため、兄ができたようで内心嬉しくもある。妖怪だけど。

「浄水器ってすごいね!水道水なのに美味しい!」

 そしてこちらの美少年は河童の合羽橋かっぱばしくん。

 彼は王子のような可憐さと、王様のような凛々しさを併せ持つ、正真正銘のキング&プリンス。彼はその微笑みだけで、人々をシンデレラガールにさせてしまう。もはや存在がマイナスイオン。

 だがその反面、彼は『みず』に目がなく、水に関して粗相をすると鬼のように怖い。河童だけど。

 天宮司お手製の朝食を堪能しながら、すでに日常となりつつあるこの非日常を、しみじみと噛み締める。

 そう…、今でこそすっかり馴染んでいる守たちだが、初日のゴタゴタはそれはもう酷いものだった。



「本当にうちに泊まるんですか?アパートですよ?1DKですよ!?」

 それは、猫又たちを封印した後のこと。

「家がある、素晴らしいですね」

「泊まるんじゃないよ?一緒に住むの!」

あるじになったんだからいさぎよ腹括はらくくれや!」

 逃してしまった百鬼を再び封印する事を誓った守は、天宮司と交渉成立の握手を交わした。

 マジックアワーとも呼ばれる幻想的な夕暮れを背景に、良い具合の風も味方につけたその姿は、自分で言うのもなんだが、とてもさまになっていたと思う。この時ばかりは「われこそが主人公だ!」という自覚も湧いたものだ。

 そこまでは良かった。

「俺の家に住むなんて聞いてないんですけど!?」

 だが、事態は急激に雲色を変えた。

 妖怪たちいわく、百鬼の回収に加え、不覚にも彼らの主人となった守は、常に彼らと行動を共にしなければならないらしい。

「…いつも一緒って言っても、それは妖怪を回収する時の話であって、それ以外は自分達の祠に帰るんですよね?」

「いえ、別居は不可です」

「いや別居って…」

 守はてっきり、彼らの住処すみかはあの祠だと思っていた。けれど彼らは当然のように、守の家に住むのだと主張する。

 これは守にとって、とんだ誤算である。


 こうして半ば押し切られる形で、守と妖怪たちはアパートに帰宅した。

 アパートに到着するや否や、最後まで渋る守を押し退け、妖怪三人組は玄関の扉を開け放つ。そしてぞろぞろと中へ入ると、部屋を見渡すなり「狭いねー」だの「片付けろよー」だのと、言いたい放題を口にした。

「だから!狭いって言ってるじゃないですか!これでも一人暮らしにしては広い方なんですからね!」

 守の借りているアパートは、最寄駅から徒歩十二分。六畳の寝室と八畳のダイニングキッチン。それからバストイレは別。

 大学までチャリ圏内として探したこのアパートは、男子大学生の一人暮らしとしては広めの間取りである。その上、世田谷の閑静な住宅街という土地柄、家賃の相場は高かった。

 ここも例に漏れず、本来ならばいいお値段がするところだが、『真横に墓地がある』という点で人気が無かった。そのため破格で借りられるのだと、当時知り合ったばかりの環に紹介してもらったのだ。さすがは由緒正しきエリートイケメン。できる男は、良い物件の情報をも持っている。

 ありがとう環さん、そして墓地に感謝。

「それでもさすがに、男が四人も寝泊まりする場所なんて無いですよ!…そもそも妖怪って寝ます?てか食べ物は?!妖怪のライフスタイルとは!?」

 動揺しすぎて、一人ジタバタと質問攻めをする守。そんな守を宥めようと、小さい子供にするように、天宮司は守の肩にポンと手を置いた。

「落ち着いてください。諸々もろもろ、問題ありませんよ。私たちは衣食に不自由はありません。そして、寝床はここで十分です」

 そう言うと彼は、寝室にある押入れをコツンとノックした。

「押入れ…?」

 布団でいいよ、という事だろうか?

 だが、いくら押入れといえど、お客さん用の布団など一組も持ち合わせてはいない。一人暮らしの押入れに、過度な期待は禁物である。

 守はどうしたものかと首を傾げていると、今度は合羽橋が勢いよく戸を開け放った。

「わー、良い感じに狭い!僕真ん中ね!」

「じゃあ俺はここだな、お前飛べるから上でいいか?」

「はい、構いません」

「え、ちょっと…?」

 話についていけない守をよそに、彼らはテキパキと事を進めてゆく。それよりも今、サラっと『飛べる』と聞こえた気がする。

「急に妖怪感出してくるじゃん…」

 そんな守の呟きも、彼らの行動力の前ではちりのように消えていった。


 そんなこんなで、都合良く三段に区切られている我が家の押入れ。その上段は天宮司、中段に合羽橋、下段が赤尾と割り振られた。

 もともと入っていた守の荷物は、それぞれの隣のスペースに容赦なくグイグイと追いやられた。

「足伸ばせるー!」

「落ち着きますね」

「まぁ、悪くないな」

 彼らは確認と称し、さっそく押入れに入ってゆく。すると気に入ったのか、狭い場所を好む動物のようにご満悦の様子である。実は彼らは妖怪ではなく、未来から来たロボットなのかもしれない。猫型ねこがたの。



 翌朝。

 守は目を覚ますと、部屋はとても静かだった。押し入れに目を向けるも、誰かがいる気配はまるでない。さては、『昨日の出来事は全て夢だったのでは?』との、淡い期待が舞い戻ってくる。

 しかしそれも束の間。

 メガネをかけると、机に置かれた百鬼絵巻と懐中時計が視界に飛び込んできた。これにより『全て夢説』は儚くも打ち砕かれる。

「…ですよねー」

 守はグッと伸びをし、気持ちを切り替える。そしてベッドから降りて寝室を出ると、キッチンに天宮司の姿を見つけた。

 やはり、これが現実のようだ。

 おはようと声をかけると、持ち前の爽やかなルックスでおはようと返された。

「早いですね。何してるんですか?」

貴方あなたに朝食をと思いまして。これからお世話になりますからね」

 そう言うと彼は、冷蔵庫から目ぼしいものを取り出してゆく。そして、ガスコンロを使うのは初めてだと言いながらも、慣れた手つきで朝食を作ってくれた。

 しばらくすると、その匂いに釣られてか、赤尾と合羽橋も押入れから出てきた。

「おはよ」

「おはよー。すごく良い匂い!何か、お腹空いた気分になるね!」

「二人ともおはようございます…ん?気分?」

 合羽橋の不思議な発言に引っ掛かっていると、赤尾がそれに応える。

妖怪おれたちにはそうゆう感覚ねーんだよ。メシは食わない時が普通だしな」

「へぇ、そうなんですね」

 彼ら妖怪には空腹という概念が無く、日常的に食事をとるという習慣は無いらしい。

「でも、食べることは出来るんですか?」

「出来るよ!お供物そなえものとかよく食べてたよね?お団子とか羊羹ようかんとか最高だよね!」

「分かる、団子はつぶあん、羊羹はこし餡な!」

「僕はみたらしがいい!羊羹は水羊羹!」

「…え、お供物食べるとか罰当たりじゃない?」

「俺らのほこらに供えられたもんは、そこにいる俺らのもんだろ?」

「そうそう!問題なし!」

「あ、そうか。あなたたち祠の住人でしたもんね」

 気を抜くとうっかり忘れそうになるが、彼らはれっきとした妖怪である。そう再認識したところで話を戻すが、どうやら妖怪も食事は出来るらしい。

 それを知った守は、これから一緒に暮らすのだから、どうせなら朝食だけでも一緒にとりたいと思った。一人で食べるよりも、誰かと一緒の方が食事も美味しく感じる。

 それを申し出たところ、合羽橋は「もちろんだよ!」と、同意した。それに続き赤尾も、「めんどくせー」などと小言を言いつつも、何やかんやで同意してくれる。そして天宮司も、「作り甲斐があります」との了承の笑顔をみせてくれた。

「ちなみにですが、私は三色団子と栗羊羹が好きです」

「はは、了解です」

 こうしてそれぞれの好みが分かったところで、さっそく共に食卓を囲む。

「いただきます!」

 小さな丸い座卓には、左に天宮司、正面には赤尾、右隣に合羽橋が座っている。

 昨日まで、こんな朝が来るとは想像もしなかった。


 不本意に始まったこの共同生活。

 だがそれも、誰かと囲む食卓の温もりがついてくるのであれば、すでに悪くないものになり始めている。

「この味噌汁うまっ!!」

 おまけにこんなに美味しい朝食付きだ。悪くない。

 それよりむしろ、ちょっと良い……かもしれない。

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