3-5 科学




「かまいたち…ですか?」

 喫茶店へと戻った守は、まず真っ先に、長い間席を外してしまったことを佐々木に詫びた。

 そして、全てを話した。

 今まで付き纏っていた不思議な風は、すべて彼女のことを想う『鎌鼬』によるものであると。

「…お話しは、分かりました」

 それを聞き終えると、彼女は静かにそう言った。そして考え事をするように、視線を落として沈黙を始める。

 しばらくすると、パッと目を上げた彼女はこう尋ねてきた。

「…写真は、どうしてなのでしょうか?」

「写真?」

「はい。友人と撮った写真です。私だけに風が吹いたんですけど…」

 そういえば、その理由はまだ聞いていなかった気がする。

 その事について本人に確認してみれば、守の太ももに座っている彼は、少々考えた末にこう答えた。

「写真……ああ。あれは確か、彼女の周囲にだけ、空気中に煌めく粒子を集めたのだ。彼女が一番輝くように」

 それをそのまま伝えると、彼女はハッとしたように携帯を開く。

「確かに…」

 そこには、まるで光のエフェクトでもかけたかのような、髪をなびかせ一際ひときわ輝く、彼女の姿が写っていた。女神の加護そのものである。

「……」

 やがて、再び訪れた沈黙。

 彼女を納得させるには、まだ何か、決め手に欠けているようだ。

「信じてくれ、マリノさん!」

 そんな中、動いたのは藤だった。

 彼は出会った時のように彼女の手を握ると、納得してもらえるよう、真摯に訴えかける。

「……」

 それでも沈黙を貫く彼女。

 藤がこんなにも頑張ってくれているのだ。守は膝元の鎌鼬に声をかけると、意を決してそっと立ち上がる。

「信じられないのも分かります。ですが本当に、これは全て、ここにいる鎌鼬がやった事なんです!信じてください!」

「はい、信じます!あなたがそう言うのなら!」

「はい……はい?!」

 すると彼女は、先ほどまでの沈黙が嘘のように、藤の手を振り払ってまで、こちらの手を握りしめてきた。

「…ほぇー?」

 驚きすぎて、思わず変な声がもれる。

「信じます!」

 佐々木のキラキラとしたまっすぐな瞳と視線が合わさる。

 そして守は、すぐに理解した。

 自分の手を握っているはずの彼女の瞳には、困惑する藤の姿が映っていたのだから。

「あーなるほど…」

 必死すぎて忘れていたが、じ ぶ んた ちは今、中身が入れ替わっているのだった。

 ともすれば、藤(見た目は守)の手を振り払い、守(見た目は藤)の言葉を受け入れてくれたのも納得である。納得で…ある…。

 つまるところ、『イケメンの力は偉大!』という事だ。守にとってはなんとも複雑な心境ではあるが、これで解決するならば、相棒のイケメンに感謝だ。つらいけど。

 何はともあれ、彼女は信じると言ってくれた。

「…佐々木さん。それでは改めて、紹介しますね?こちらが噂の鎌鼬です!」

 そう言うと守は、鎌鼬に目配せをする。すると彼は頷き、フワッと彼女の髪をなびかせた。

「!!」

 彼女は一瞬驚きの表情を見せたが、すぐに柔らかく微笑んだ。

「いつも感じる風です。ふふ、本当にいたんですね?いつも助けてくれてありがとう…かまいたちさん!」

 その言葉に返事をするように、彼はもう一度、彼女の前髪を揺らすのだった。

 人間と妖怪。

 姿こそ見えずとも、こうして互いを思いやり、分かり合える事もあるのだと、守の心をほっこりさせる。

 するとその瞬間。

 鎌鼬も嬉しそうに微笑み、淡い光に包まれた。

「!!」

 この光には見覚えがある。百鬼絵巻に妖怪を回収する時と、同じ光だ。その光は徐々に強さを増してゆき、代わりに鎌鼬の姿はだんだんと透き通ってゆく。絵巻へと消えてゆくのだろう。

 鎌鼬は完全に消えてしまうその去り際に、守の耳元でそっと囁く。

「坊主、ありがとう」

「…うん。どういたしまして」

 こうして無事に、今回の依頼は終了した。



「さて、名残惜しい気もしますが、元に戻してください!」

 鎌鼬を回収し、佐々木と別れた守たち。

 自分たちも帰ろうと家路を進み始める。だがその前に元の姿に戻っておこうと、守は藤に声をかけた。

「あ?…無理だ」

「……はい?」

 だが彼は、守の要求をあっさりと棄却した。

 さらには、求めていたものとは異なる返事をよこしてくる。

「入れ替わりは力を使うんだよ。妖力を回復しないと無理だ」

「ええ!?そんなこと言ってなかったじゃないですか!回復ってどれくらいかかるんですか?俺の体はいつ戻ってくるんですか!!?」

 何ということでしょう。

 元に戻れないとは聞いていない。

「うっせーな。一晩寝ればそれなりに回復すっから、朝には戻れんじゃね?」

「いやいやいや!意外と早く戻れそうだからよかったものの、そういう大事な事は、入れ替わる前にちゃんと教えてくれないと!!常識ですよ!!」

「馬鹿なのか?俺は言おうとしてたっつーの。なのにお前がワカチコして勝手に流したんだろうが!!」

「失礼な!そんなことしてません!VTR判定を要求します!」

「んなもんねーよ!」

「もー!使えない藤さんですね!?それよりワカチコってなんですか!!」

「だぁーもううっせーな!?『3-3 方法』の中盤ちゅうばん見直せやアホが!!」

 こうしてグダグダと口論をしながら、二人は結局、そのままの状態でアパートに帰宅することになる。



「おかえりー!」

「お帰りなさい、カレーできてますよ!」

「ただいまです!やった楽しみ!」

「おつかれー、俺も食うわ」

「「…?」」

 やがて、ニコニコと嬉しそうに帰宅する藤と、気怠い守が帰還した。その姿に、本日のお留守番組だった天と水は首をかしげる。

 だがそんなこととはつゆ知らず、守は早々に手洗いを済ませると、念願のカレーと対面を果たした。

「いただきまーす!んーおいし…ぅぐ!?」

 そしてスプーンいっぱいにすくったそれを、勢いよくパクッと頬張った。

 その時だった。

 口の中が、燃えるように熱い。

「水!水!」

「呼んだ?」

「呼んでない!水くんじゃなくて、水を!」

 今はそんな文字遊びをしている場合ではない。守は口の中を洗い流す勢いで、水から手渡された水を一気に飲み干した。それが彼の水筒だったことには、飲み干してから気付いた。

 水筒おさらの水がなくなり、隣でパタリと倒れ込む彼には申し訳ないが、守も今はそれどころでは無い。謝罪も兼ねて、水筒は後で丁寧に洗い、たっぷりと水を入れてあげようと心に誓う。

「辛すぎる…」

 それにしてもまさか、スーパー家政夫天様が、あろうことか激辛カレーを作りあげるとは想像もしていなかった。

「おいマジかよ…」

 これには対面に座る藤も、一口食べるや否や眉根を寄せている。やはり、このカレーに問題があるらしい。

 だが、続く彼の言葉に守は耳を疑った。

「超絶うまいな!お前やるな!」

 何ということでしょう。

 藤がこの激辛カレーを絶賛しているではないか。

「藤さん…味覚大丈夫ですか?あ、もしかして激辛好き?」

 そんな守の問いに、彼は悪戯な笑みを浮かべてこう答える。

「俺は辛いものは超絶ちょうぜつ苦手だ!お前も今、身をもって体感してんだろ?」

「……え?」

 確かにこのカレーは辛いが、それが一体なんだというのか。

「俺はたこ焼きに入った紅生姜ですら辛くて食えない!どうしても入れるなら、入ってるか分からないくらい細かく刻め!ついでに俺は甘党だってことも、心に刻んでおけ!」

 そう言って美味しそうにパクパクとカレーを口に運ぶ、自分の姿をしたこの男。

 そこでようやく、守にはある恐ろしい仮説が浮かんでくる。

「嘘だ…!じゃあこれは、カレーが辛いんじゃなくて…」

「俺の舌の問題だな。安心しろ、お前の分も俺が食ってやる!」

 それがあっさりと確信に変わり、守は絶望の縁からつき落された。

「いや嘘でしょ!?誰か嘘だと言って〜!!」

 今日という今日は、藤のことを本当に鬼だと思った。だって誰よりも楽しみにしていたカレーを食べられないなんて、そんな悲しい事ってある!?

「嘘…ですよね?」

 こうして見事にカレーを平らげた守の姿をした藤と、泣き崩れる藤の姿をした守。

 こんな二人の奇天烈キテレツな状況を、天と水が定番の台詞で締めるのであった。

「まさか二人は…」

「入れ替わってる?!」



 翌日。

 結論から言えば、二人は無事に元に戻れた。

 当初、「朝には戻れる」と言っていた藤だが、訳あって戻れたのは昼過ぎだったけれど。

 何はともあれ、晴れて『二日目のカレー』を堪能することができた守は、美味しさのあまり号泣した。

 これよりも美味しいカレーは、後にも先にも、おそらく現れないことだろう。

 これは、最先端の科学をもってしても到底解明できない…

 そんな摩訶不思議な、一日のお話。

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