第4怪 牛と狐と、念願の美少女
4-1 流行
「お帰りなさいませ、ご主人様!」
パステルな色合いのワンピースに、フリルたっぷりの白いエプロン。世にいう『メイド服』に身を包んだ少女たちが、主人という名の客人を出迎える。
そんな彼女たちの頭上には、もふもふとした、形の良い三角の耳がぴょこんと付いている。
「これが噂のけも耳メイド!」
守の目前に広がる、メルヘンな世界観。
背後には、我らが妖怪イケメン三銃士。
「あれ…?…俺って『
守がそう錯覚してしまう程、そこは異次元な空間だった。
そもそもなぜ、守たちがメイド喫茶を訪れをたのかといえば、時は少しだけ遡る。
それは、守がカレーの美味しさに涙した、まさにその日。環に頼まれ、守たちは午後からエドガーの留守番をすることになった。
エドガーは言わずもがな、アパートよりも広く、何より空調が整備されている。そして極め付けに、社長気分を味わえる豪華な革張りの椅子も備わっている。
そんな快適な場所に長居できるとあり、守たちは二つ返事で留守番を任された。
「全然お客さん来ないねー」
「ねー」
そして、のびのびと
「…留守番の意味ねーな」
「…ですねー」
だが次第に、やる事もなく暇を持て余してくる。
「お茶でも淹れましょうか」
「ぜひ!」
するとそこへ、一本の電話がかかってきた。
そんな待望の電話に、守は瞬時に受話器を取る。
「はい!こちら探偵事務所エドガーです。はい、はい…『サカモトケのミケ』が脱走…はい。分かりました。折り返しご連絡しますね」
守は依頼内容をつらつらとメモをとり、それを環のデスクへと置いておく。
一方で、大人しく電話を聞いていた三人は、待ってましたとばかりにぞろぞろと集まってくる。
「サモトラケのニケ?」
そして天の一言。
彼が聞き間違いとは珍しい。
「いえ、サカモトケのミケ、です」
「サーモンのユッケ?」
続いて藤。
どうした、食べたいのか?
「いや違くて、サカモトケのミケですって!」
「サーカス
そして水まで。
はいこれ、絶対わざとなやつ!!
「だからサカモトケのミケ!分かるよ、みんな暇なんだね!?」
こうしてそれぞれボケをかましてくる彼らに、守はご丁寧にもツッコミを返す。
「聞き間違いの
「文字数も合ってるよ?」
「はいそこ、揚げ足取らない!てか水くんに至っては文字数も怪しいからね?」
「賑やかだねー。タイポグリセミア現象?」
するとそこへ、我が事務所のトップである、環が帰還した。
「あ、環さんおかえりなさい。…今なんて?」
「うん、ただいま。『タイポグリセミア現象』の話してるなと思ったけど、違った?」
そして彼は帰宅早々、謎のワードを口にする。
「多分してないですけど、そのタイポグルコサミン現象…?って何ですか?」
「タイポグリセミア、ね?そうだなぁ…。簡単に説明すると、文章中の単語の、最初と最後の文字以外の順番が入れ替わっていても、脳が自動的に修正を加えて、正しい単語として認識してしまう…という現象だよ。
ちなみにグルコサミンは、膝とかの軟骨に良いとされてる成分ね」
環はその持ち前の頭脳で、スラスラと説明をしてくれる。
だがどうにも、守にはさっぱり伝わっていない。
「文字の順番?脳が修正?」
「うーん、実際に見た方が早いかな?」
そう言うと環は、手近な紙にさらさらと何やら文字を記してゆく。
「はいこれ、読んでみて?」
そして、出来あがった紙を守に差し出した。
守はそれを受け取ると、書かれた文章に目を通す。
そこには、美しい文字でこう書かれていた。
『こんちには みさなん おんげき ですか?
わしたは げんき です。
わりと、 しかっり よちゃめう でしょ?』
その文章を、守は声に出して読み上げた。
「こんにちは、みなさんお元気ですか?私は元気です。わりと、しっかり読めちゃうでしょ?…そりゃ読めますけど……?」
これが一体何なのかと、守はその文字を繰り返し読み込む。
やがて、あることに気が付いた。
「…これ、よく見ると順番がおかしい?」
「見せて見せて!…あ、ほんとだ!文字の順番が変なところがある!」
すると隣から覗き込んできた水も、この文章のおかしな点に気が付いたようだ。注意して見てみると、所々で、単語の文字順が入れ替わっている。
「そう、これがタイポグリセミア現象!
単語の文字数が同じで、なおかつ最初の文字と最後の文字がそのままなら、中の文字順をごちゃごちゃに入れ替えても、それっぽく読めるってこと!」
「へぇーなるほど!」
説明だけでは謎だったが、実際に体験してみると、実に分かりやすかった。
「すごい、脳が勝手に修正するってこういう事なんですね。
じゃあそう考えると、さっきの『サカモトケのミケ』を、みんながそれっぽく聞き間違えたのもしょうがな……くないよね?絶対わざとだったよね?!単語の文字順どころか、文字そのものが変わってたもんね!?てかそもそもこれって視覚的な現象なんだから、聴覚で起きたらおかしいよね!?」
守は決定的な問題点を突きつけるも、当の本人たちは素知らぬ顔を浮かべている。
「細けーこと気にすんなよ」
「細かいかな?!」
「ツッコミもながーい!」
「長いけども!」
「せっかく身につけたスルースキルです。発揮していきましょう!」
「なんか上手いこと
「そんな事より」
「はいでた『そんな事』!!」
スパッと話を切り替えられるこの言葉、大変便利なテクニックである。
そんな魔法の言葉の使用者である環が、守の言葉をぶった斬ってまで言いたかった事が、こちらである。
「これに似てるけど、探偵的には『アナグラム』の方が一般的だよね!」
それはこの通り、大抵がどうでも良い事なのである。
「探偵的にはって何ですか…。まぁ、アナグラムなら知ってますよ。文字の順番を入れ替えて、違う意味の言葉にするやつですよね?」
守がそう言うと、藤が前のめりに加わってくる。
「俺も知ってる!刑事ドラマでもよく出てくるからな!『TOKYO』と『KYOTO』みたいなやつだろ?」
「へーすごい!順番を並べ替えただけで、『東京』が『京都』になってるね!」
さすが、藤は多くの人気ドラマを見ているだけあり、トリックに使用される類のものを熟知している。それを純粋に驚いてくれる水も、実に可愛らしい。
「『いろは歌』も、日本を代表するアナグラムだと言われていますね」
すると今度は、天からも意外な例が持ち上がった。
「いろは歌って、いろはにほへと…ってやつですか?あれもアナグラムなんですか?」
「ええ。世に言う『あいうえお順』から『ん』を除いた47字を全て使い、入れ替えて作られた歌、ですからね?」
「なるほど…!」
その説明を聞くと、これも確かにアナグラムと言えるだろう。それも超大作の。
「これ考えた人、凄いですね!誰が作ったんですかね?」
「さぁ、誰でしょうね?平安時代の後期に作られたらしいのですが…」
「環さん知ってます?」
「んー、どうだったかな?小耳に挟んだ事はあると思うんだけどけど…。
博識な環が分からなければ、もうお手上げだ。
「そっかー。環さんにも知らないことってあるんですね?」
「君は僕をなんだと思ってるの?」
そう言って笑う彼は、持ち前の話の切り替えスキルで本題を切り出した。
「ま、それはさておいて。
このメモにある『サカモトケのミケ』のご依頼だけど、これはその名の通り『坂本さん
環の話では、なんと月に一回のペースで依頼が来るのだという。
逃げすぎだと思うし、逃がしすぎだと思う。それを毎回捕まえる環も、めちゃくちゃ捕まえ上手だと思う。
「だからこれは僕が探すとして、君たちにはもう一つの依頼をお願いするよ」
「もう一つの依頼?」
いつの間にか来ていたらしい、その「もう一つの依頼」というのがこちら。
秋葉原でメイド喫茶を経営をしている方からの、新店舗開拓のための、市場調査のご依頼である。
「市場調査!すごい、真っ当な探偵っぽい!」
「うん、真っ当な探偵だからね!」
メイド喫茶と聞いて思い出したが、昨今、
これは連日のニュースでも取り上げられており、常にトレンドワードの上位を占めている程だ。
その中でも今、一番人気なのが、キツネのけも耳メイドらしい。
数ある動物の中で何故キツネなのか。その理由は定かではないが、先週から急激に人気を博している。
そんな事を呑気に考えていると、背後から「けも耳メイド!」との、興味深々な声が聞こえてきた。
その声の主は、まさかの藤である。彼は中々のミーハーのようだ。
「…意外ですね?萌えとヤンキーは、生きる次元が違うと思ってました」
「あ?誰がヤンキーだよ。それに俺は、メイドに興味があるワケじゃねー」
「じゃあ、けも耳の方ですか?」
「そっちでもねーわ!」
「ほう?」
彼は単に『最先端』とか『流行』とか、そういうものに興味があるのだと熱く語った。熱すぎて、視界の
「それにこれ、妖怪が絡んでるぜ?」
ある程度語り終えたのであろう藤は、大事な情報を提示してくる。
そういう事は、語るより先に教えてほしい。
「…妖怪が?そうなんですか?」
そんな驚く守に対し、妖怪三人はイエスとばかりに頷いてみせる。
「この世の不思議はね、だいたい妖怪の
「時代を揺るがすような大発見や発明なども、妖怪が関わっている事が多いですからね」
「ちょっと何言ってるか分かんないです…」
話が漠然としすぎて、理解に苦しむ。
そんな彼らの言葉に真顔になっていると、天は簡潔に教えてくれた。
要は、人間の世界に影響を及ぼす妖怪は、守が逃がした百鬼以外にも、たくさん存在するという事だ。
だが守には、どうにも納得できない事がある。
「でも、全部がそうじゃないですよね?影響力でいえば、普通に芸能人とか、ユーチューバーとかもあるでしょ?」
「もちろん、そういう例もありますね」
「でしょ?それに発明だって、『ペニシリン』を発見したのも人間じゃないですか!日本のお医者さん!」
「ええ、人間ですね。日本人ではなく、イギリスの細菌学者ですけれど」
「ほらね!…ってあれ、そうなの?てっきり、江戸時代にタイムスリップした日本人医師だとばっかり…」
「……俺も」
その事実に、少しばかりショックを受けていると、隣で守よりも動揺している藤がいた。
「…ま、まぁそういう訳で?今回偵察に行くメイド喫茶も、『流行ってるから妖怪だ!』とは言い切れないんじゃないですか?」
そんな素朴な疑問を投げ掛けた守は、少しばかり後悔した。毎度お馴染み、残念なものを見る視線が集まってきたからだ。
「お前も学ばねーなぁ…」
「これが『ゆとり』『さとり』に続く、『つくし世代』の反応なんだね…」
「ちょっ…その目やめてくださいよ!!俺、変なこと言いました?つくし?」
ポンポンと飛び出す、感嘆符と疑問符。
そんな守に、天は小学生にも分かるように優しく、かつ丁寧にこう言った。
「いいですか、守。本来、経営のご相談であれば、それ専門の依頼先など、いくらでもあったでしょう。百歩譲って、東さんの本業として、依頼する手もあったはずです。
ですが今回、貴方のいる
「……あー」
それを聞いて、守は理解した。
自分に来る依頼は、十中八九、自分の逃した百鬼絡みだという事を。
「もー、『百歩譲って』は聞き捨てならないよ!僕のコンサルタントとしての力量を見込んだ上で、あえてのエドガーかもしれないでしょ!」
そう言うと、環は大袈裟に手を上げ、やれやれという素振りをみせる。
だが実際のところ、これが妖怪絡みだと気が付いていたからこそ、この依頼を守たちに任せたのだろう。環はそういうところ、抜かり無いのだ。
「まぁ、頑張って調べて来てね。ちょうどいいから、封印のついでに『流行の秘訣』でも聞いてきてもらおうかな?」
「任せてください!」
こうして話は、冒頭へと繋がるのである。
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