3-4 真相




「えええーー!?はっ!」


 絶叫しながら目を開くと、そこには心底不機嫌な顔をするおれの姿があった。自分にもそんな表情ができるのだなと、地味に感心した。

 それにしても何だろう、この優越感ゆうえつかんは。

 守はこの不思議な感覚の正体を探るため、辺りをぐるっと見渡してみる。すると守はある事に気がついた。

 それは、高身長ならではの特権…

「そうか…さてはこれが、『人権のある身長』というやつか!」

 身長168㎝(自称170㎝)の守にとって、この高さから世の中を見るのは、初めての体験だった。

「すごい!感動!」」

 そんなことを呑気に楽しんでいると、守の左手が、なぜか自分の意思に反して動き出した。

「いい加減、離してくれないか?もう逃げたりしないさ」

 そしてついに喋り出した自身の左手……に掴んでいた妖怪に目を向けた。

「あ…」

 ヤバい。

 この妖怪のこと、すっかり忘れていた。

 だって誰かと入れ替わる経験とか滅多に無いもの!普通は一生ないもの!

 守は心の中で言い訳をかますと、気を取り直し、手中の妖怪に語りかける。

「すみません…それで、あなたは?」

 今は守の手でもある藤の手から解放されたその妖怪は、ストッと着地をすると首をふるふると振る。

 そして顔を上げた彼の、キュルンとしたまんまるの瞳と目が合った。モフモフ系の妖怪でとても可愛らしい。見た目は『オコジョ』の様だ。毛色はちょうど、依頼人の佐々木の髪色と同じ、明るい茶色をしている。


「俺は鎌鼬かまいたち、風をつかさどる妖怪だ」


 そう言いながら、彼は後ろ足で上手に立ち上がると、その愛らしい小さなおててで決めポーズをとった。

「可愛かわいいイタチ…じゃない、『かまいたち』?かまいたちって確か、風が吹いて、いつのまにか肌が切れてる…みたいな妖怪ですよね?」

「ああ」

「おおーよかった、俺でも知ってる妖怪だ!」

 聞き覚えのある妖怪に安堵した守であったが、同時に疑問も浮かんでくる。

「…でも佐々木さんは、切られたなんて言ってなかったですよね?風の被害は受けていたようですけど…」

 守が尋ねると、小さな彼はたっぷりと間をとってこう言った。

「俺は、切らない」

「…ほう?」

 そして葉巻をふかすマフィアのドンのような、ドスの効いた声で呟いた。

「…切っていいのは、切られる覚悟のあるやつだけだ」

「……」

 何を言っているのだろうか。

 そして今更だが、彼はその愛らしい見た目に反して、渋い重厚感のある声質をしている。落差が半端ない。

「お前、良いこと言うじゃねーか」

 だがその謎の名言は、藤の心にはしっかりと刺さっているようだった。

「フッ、なかなか見込みのある若造わかぞうじゃないか」

「あざっす!」

 そしてあたかも当然のように分かり合う藤と鎌鼬。

「見込み無しですよ!藤さんも喜ばない!そんなことより!あなたに聞きたいことがあります!」

 そんな、今にも兄弟のさかずきでも交わしそうな二人の間に入り、守は単刀直入に切り込んでゆく。

「どうしたら封印させてくれますか?」

「そうだな…」

 このハードボイルド小動物は、アンニュイな表情を浮かべると、おもむろに空を見上げてこう言った。

「俺の存在を、知ってもらいたい」

「…というと?」

 どこを見ているのだろうか。

 守は彼の視線の行方が気になったが、グッと聞くのを踏みとどまった。迂闊に話しかけて、何度も痛い目を見てきたからだ。後々に響いてくるといけないので、守は華麗にスルーをきめた。妖怪たちと出会ってから、守のスルースキルは格段にレベルアップしている。

「昔は、俺が一度ひとたび風を操れば、『鎌鼬だ!鎌鼬が出た!』と騒がれたものだ。ゆりかごで眠る赤子から、杖をつく老人まで百発百中さ。凄いだろう?

 …だがな、今はそうはいかない。人間は何でもかんでも、科学とやらで解明しようとする。誰も、俺の存在には気付かない…」

 そう、哀愁を背景に鎌鼬は呟く。

 見た目の可愛さも相まって、何とも悲しげなその姿には心が痛む。…だが、赤ちゃんやお年寄りを狙うのはダメだろう。まぁ、それ以外も良くはないけれど。

 ちなみにだが、守のモットーは『女、子供、お年寄り、そしてメガネに優しく』である。皆もぜひ実行してほしい。

「確かに現代では、かまいたちは『突風で生じる真空による裂傷れっしょう』ですからね。ましてや貴方のように風だけでは、どう頑張ってもかまいたちには結び付かないと思いますよ?」

「だが、俺が起こした風だ!科学なんて嘘っぱちじゃないか!」

「科学は嘘をつかないどすえ!」

 すると大人しく聞いていた藤が突如割り込んできた。乙女の決め台詞をたずさえて。

「……」

 だが現状ここにいるのは、中身の入れ替わっている守と藤。

 見た目と声のギャップがありすぎる鎌鼬。

 そしてそもそも、妖怪が存在するという驚きの現実。

 こんな非科学まみれな状況で言われては、20年以上続く大人気ドラマの名台詞とて、さすがに全く説得力がない。しかも、おれの顔で言われては尚更だ。

 守はこの微妙な空気を変えようと咳払いをする。

「…そもそも、どうして彼女に付きまとっているんですか?」

 皆に知ってもらいたいのなら、多くの数を打った方が効率いいだろう。それなのに、佐々木にこだわる理由が分からない。

 それらを単刀直入に尋ねると、問われた彼は再び空を仰ぎ始めた。

「俺も、最初は誰でもよかったさ…」

 だから、どこを見ているのだろうか。

「俺はただ、彼女を守りたかったのさ。怖がらせるつもりは、微塵みじんもなかった…」

 鎌鼬がそう言うと、どこからともなく、モクモクときりのようなものが立ち込めてくる。

「え、何これ?!」

 そして守が驚く暇もなく、視界は真っ白に包まれた。



 あれは、ひどい雨の夜だった——


「…え?なんか始まったんですけど…?」

 やがて広がった霧が晴れると、一体何が起こったのだろうか、そこは夜の交差点へと景色を変えていた。

 そして始まる『かまいたち劇場』…


 俺は、雨に打たれていた。

 行く当てもなく彷徨さまよう姿は、さながら一匹鎌鼬だろう。

 孤独を相棒に、俺は進む。

 只々、真っ直ぐと。

「くっ、俺もここまでか…」

 だがその時。

 忌わしい赤い光が闇夜を照らし、俺の行手を阻んでくる。

 途端に多くの車が行き交う。まるで俺を嘲笑うかのように…

 無情にも、足を止めざるを得ない。

 絶望だった。

 何故、俺は光に従うのか。

 何故、万歩計まんぽけいの数は止まっているのか。

 何故、俺は独り身なのか…

 頭上を濡らすこのしずくは、もはや雨なのか涙なのか、区別がつかなかった…



「あのー、『一匹鎌鼬』のくだりから始まって、信号のやら万歩計やら、軽く5個はツッコミどころがあるんだけど、言わない方がいい?とりあえず濡らしたのは雨じゃないかな?頭上だしね?!」


 ……。


「あ、やっぱりこっちの会話はスルーする感じですかね?」

「黙って見ててやれ」

押忍おす


 その時だった。

 俺の存在するこの場所だけ、雨がピタリと止んだのだ。

 俺はすぐさま顔を上げた。

 …そこにいたのが、佐々木かのじょだった。

 彼女は、あの忌まわしい赤い光に負けぬほどの、真っ赤な傘をさしていた。そして、俺に雨が当たらぬよう、その場にずっと、立ち止まってくれていたのだ。

 …女神だと思った。

 彼女は指先でボタンを押すと、やがて光を青に変える。すると途端に、車はピタリと動きを止めたのだ。なんたる奇跡の神業みわざ。こうして俺は、ようやく進むことが出来たのだ。

 それを確認したかのように、彼女も再び、歩み始めた。

 一目惚れだった。

 俺は彼女の家へついて行き、恩返しの機を探ることにした。

 毎晩疲れて帰宅する彼女は、座椅子ですぐに寝てしまう節がある。そんな場所で寝てしまえば、いくら夏といえども風邪をひいてしまうかもしれない。それに、化粧はしっかり落としてから眠るべきだ。翌日の肌コンディションに響くからな。

 俺は優しく風を吹きかけ、彼女を起こした。

 翌朝、出勤時の電車にて、不審な男を目撃した。奴は満員なのをいいことに、あろうことか彼女の臀部でんぶに手を伸ばしたのだ。

 なんたる無礼者か!

 すぐさま奴の手を切り刻んでやろうかと思った。だが、相手が悪党といえど、それは俺のポリシーに反する。俺は殺意をグッと堪え、彼女に危険を伝えるに留めた。

 そして帰宅すれば、毎夜同じく座椅子に埋まる彼女。相当お疲れの様だ。家にまで持ち帰った仕事の資料をポイッと棚に起き、良い香りのする蝋燭ろうそくに火を灯す。彼女にとって、それは束の間の癒しの時間のようだ。

 だがこの時、乱雑に置かれた封筒からは、はらはらと書類が落ちてきた。向かう先には、蝋燭の炎が揺らめいている。万が一、燃え移ってしまっては一大事だ。俺はすかさず、蝋燭の炎を吹き消した。

 ついでに、部屋干しで乾かぬと嘆いていた洗濯物や、彼女の長い髪を丁寧に乾かした。これで少しでも、休息の時間が増えると良いのだが…。

 一週間余り、この様な生活が続いた。

 俺は彼女の助けになればと、その一心で風を送り続けてきたのだ。

 だから、……驚いた。

 今日、こうしてお前たちと話す彼女の言葉に。

 そしてなにより、彼女の不安に気付かなかった、俺自身の愚かさに——



 辺りには再び、真っ白な霧が立ち込める。

 それが晴れるのと同じくして、守たちは回想から抜け出すのだった。

 ツッコミどころは多かった。

 けれどこれはとても一途な、それでいてちょっとだけ不器用な妖怪かれの話だった。

「彼女を怖がらせていたのなら、それは俺の意反する…。坊主、一思いに封印してくれ」

「……え?」

 鎌鼬は男らしく守にそう言うと、まるで自首をする犯人のように、小さな両手を差し出してくる。

「…だとよ。今なら簡単に封印できるぜ?」

 そして藤は、守に決定権をゆだねた。

「……」

 一刻も早く、この妖怪かまいたちを回収して、依頼主の平穏を取り戻してあげたい。

 それが守の仕事であり、本心である。

 本人の同意も得られた今、これは絶好のチャンスだ。何の問題もない。

 けれど守には、このまま彼を封印する気にはなれなかった。

 単純に、嫌だったのだ。

 人間だろうが妖怪だろうが、誰かの悲しむ顔を見たくはない。このまま封印してしまえば、それこそ自分の理念ポリシーに反すると思ったからだ。

「……一緒に来てください」

「どうした?早く封印を…」

「自分の存在を知ってもらいたいんでしょ?」

「……いや、俺はもう…」

 シュンとうつむく、猫ほどの小さな鎌鼬。そんな彼を、守は両手で優しく抱え上げる。

「まどろっこしい言い訳は無しです!素直になってください!」

「…だが、坊主も言っていたじゃないか。現代では鎌鼬など、誰も信じないのだと。きっと彼女も信じないさ」

 彼は諦めるようにそう呟く。

 その悲しい表情が、更に守の意志を強めるとも知らずに。

「確かに妖怪だの鎌鼬だのってゆう話は、正直難しいかもしれません。でも貴方が彼女のためにしてきた事は、紛れもない真実でしょ?それだけは知ってもらいたいです!彼女を思う存在がここにいるんだって、ちゃんと伝えましょう!信じてもらえるまで何度でも!」

 このまま数多くの人に風を送り続ければ、そのうち誰かは、鎌鼬の存在に気がついてくれるかもしれない。やがて噂が噂を呼び、鎌鼬の名を世間に轟かせる日だってくるかもしれない。

 それでも彼は、たった一人。多くの者に知ってもらうよりも、彼女に知ってもらうことを選んだのだ。

 だから…!

「回収できればそれで良いだろ?どうしてそんなに願いにこだわる?」

 けれどもその時。

 守の決意に、藤が冷たく口を挟む。

 自分の顔でそう言われると、まるで自分自身に問われているかのようで、ズシッと心を射抜かれる。

 藤の言う事はもっともだ。

 守は目をつむり、改めて自身の心と向き合う。

「……分かりません」

 それが答えだった。

「正直俺だって、早く回収できるなら、それに越した事は無いと思ってます」

「だったらそうすればいいだろ」

 それでも、願わずにはいられない。

「…ダメなんですよ。一度知ってしまったら、無かったことにするなんて出来ません!俺が思う妖怪って、もっと意地悪で、自分勝手に人を脅かしてくるような、暗くて陰湿で、なんかドロドロしてて、とにかくすごい嫌な感じなんですよ!封印されて当然って感じの!…でも、全然違うじゃないですか…!」

 本物の妖怪の声を聞いて、こうして姿も見られて、思ったのだ。

「優しい妖怪もいるんだなって!人間にもいろんな人がいるんだから、そりゃ妖怪の中にだって当然、いろんな妖怪がいますよね?!」

 そう、知ってしまったから。

 百鬼絵巻に記された、猫又や狸たちの笑顔を。

 水と聞いた、番傘のお爺さんの優しい声を。

 そして今、手の中にいる不器用な彼の想いを。

 彼らと出会い、守の中での妖怪に対する認識が、確かに変わり始めている。

「人は妖怪が見えないから、何か不可解な事が起これば不安になるんです。でもその理由を知れば、同じ現象でもきっと見方が変わる!怖かった出来事が、幸せに変わる瞬間だってきっとあります!

 だから人間側の基準だけで、妖怪の存在を軽んじては絶対にダメだ!!」

 守は感情の赴くままに、想いを吐き出してゆく。その手の中で、鎌鼬はただただじっと、彼の話に耳を傾けていた。その表情がどこか困惑しているようにも見えて、守はハッと我に返る。

 その後は自然と、穏やかな口調で続けた。

「…そう、思ったんです。…思っちゃったんですよ、俺は。だからどうせ回収するなら、俺は笑顔の妖怪を回収したいです」

 これは完全に、守のエゴだ。

 そんな守が主人となったばかりに、それに付き合わされる藤たちは、きっといい迷惑だろう。だがどう思われようが、守はこの決意を譲るつもりはなかった。

 こうして守は、改めて、手中に収まる鎌鼬に語りかける。

「俺、決めました。俺は必ず、百鬼を全て回収してみせるって。でも、ただ闇雲に回収するんじゃありません!…そうだなぁ、あなたの言葉を借りるならこんな感じです。

『回収して良いのは、願いを叶える覚悟のある妖怪やつだけだ!』です!

 そしてその願いが叶ったら、まるっと回収させてもらいますんで、そこも覚悟しといてくださいね?」

 藤さんもですよ!と、不機嫌な顔の彼にも告げる。

「坊主…」

 すると鎌鼬は、守の手からスタッと降りて天を仰ぐ。彼はふぅっと短く息を吐くと、そのつぶらな瞳を守へと向け、「ありがとう」とお辞儀をした。

 やがてその愛らしい表情でニコリと微笑むと、願いを叶えてほしいと申し出るのだった。

 守は自ずと笑顔になり、それに頷く。そしてどちらともなく出された手を取り合い、握手を交わした。

「感謝するのは、願いの叶った後にしてくださいね?」

「承知した」

 迷いなど一切ない、心の底からの笑みを交わす。

「フッ、まったく…めんどくせーなー…」

 そんな守たちを置いて、藤はやれやれと愚痴をこぼしながら、気怠げに歩き出してしまった。

 だが、守には分かる。

 彼はどこか嬉しそうだった。

 その証拠にほら、今は自分よりも背の低い彼の、微かに上がる口もとが見えたから。


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