2-3 河童
改めて振り返ると、怒涛の一週間だった。
朝食の後片付けをしながら、守はしみじみとそう思った。ゴタゴタしていたのは自分だけだった気もするが、そこは食器と共にササッと洗い流すこととしよう。
だが一方で、肝心の百鬼回収はというと、実はあれから何も進展していない。どうしたものかと思案していたところ、タイミング良く環からの招集があった。
「久々のバイトが入りました!」
「……俺はパス」
「私も…できれば遠慮したいですね。水、守をお願いできますか?」
「任せなさーい!」
すると何故か渋る大人たち。
それをよそに、水はヒョイっと立ち上がると、遠足の準備でもするかのように、軽いステップで
「準備できたよー!」
そんな愛らしい姿を横目に、守もささっと支度を済ませる。寝室の机上にあった百鬼絵巻も忘れずに持ち、懐中時計を首に下げた。
「水くん、これ使ってね!」
玄関先に出ると、雨が降っていることに気付いた守は、自身が中学時代から愛用している傘を水に渡した。
「俺は…あ、これでいっか」
守は、以前父がアパートを訪ねてきた際に、父が忘れていった傘を拝借することにした。もともとこの家には傘が一本しかなかったため、忘れてくれてラッキーだ。
「いってらっしゃい」
「気張ってこいよー」
玄関口で手を振る大人たちに見送られ、守と水はエドガーを目指して出発する。
「行ってきます!」
「行ってきまーす!」
夏休みが始まってからというもの、正確には彼らと出会ってからだが、かれこれ一週間、ずっと雨が続いている。梅雨の時期よりも梅雨らしい天候だ。
そんな日々の中で分かったことだが、藤と天は、どうやら雨が苦手らしい。
ほんと、ちょいちょい妖怪感を出してくる人たちだ。
「妖怪だからね!」
そんな守の心の声に対し、水はそう言って笑いかけてくる。
「妖怪…だもんね?」
相変わらず、こういうことはすぐに察知してくる。
「エドガーまで、歩くと30分くらいかかるけど大丈夫?雨だし、バス乗る?」
「ううん!僕は雨の日好きだから、歩いて行きたい!」
「そっか。じゃあのんびり行くとしますか!」
湿度は80%超え。
乾燥とは無縁の天候のためか、守の隣を歩く美少年の機嫌はすこぶる良好である。傘をクルクルと回しながら、鼻歌でも歌いそうな勢いだ。
今なら守がどんな粗相をしても、笑顔で全て水に流してくれそうである。
ならばこの好機を逃す手はない。守はものは試しと、エドガーまでの道すがら、彼に色々と質問をしてみることにした。というのも、守は百鬼回収についてはおろか、妖怪ことすら
だからせめて、この機会に
「ねぇ水くん」
「んー?」
そう思った守は、まずは純粋に気になっていたことから尋ねてみる。
「河童って、頭のお皿が乾くとダメだって言うけど、それって本当?」
こんな事、本物の河童に尋ねる日がくるとは思ってもみなかった。
一体どのような返答が来るだろうか。ドキドキやらワクワクやらで、何故か妙に緊張してくる。それをよそに、聞かれた当人は何の気なしに答えてきた。
「うん、ほんとだよ!干からびて動けなくなるかな?だからお皿の水が無くなるにつれて、
世間に弱点を知られていて困るよ、と続けた水だったが、その言葉とは裏腹にとても楽しそうに見える。
それにしても、まさか事実だったとは驚きだ。『
「きゅうりは好き?」
「好きだよ!
「そっかー。じゃあどれも旬だし、いっぱい食べようね。帰りに時間があったら買って帰ろうか?」
「わーい楽しみ!ミニトマトがいいな、黄色いやつ!」
そう言ってはしゃぐ水は、見た目の愛くるしさも相まって『可愛い』の一言に尽きる。
「あと河童といえば…、そうだ、
「好き!僕は見る専門だけど。国技なくらいだし、日本人はみんな相撲が一番好きでしょ?」
はい、可愛い!
考えが偏っているところですら、可愛らしいポイントだ。
「残念ながら、一番ではない…かな?一般的には野球とかサッカーのが人気だと思うよ」
「へぇそうなんだ?意外だね!
「はは、球遊びって。あ、そうだ球って言えば!『
「……ああ?」
はい可愛い……ん?
するとこの時、一瞬にして水の声のトーンが下がった。心なしか、周囲の気温もグッと下がった気がする。
「…す、水くん…?」
守は驚いて隣を見れば、そこには冷え切った目を向ける水の姿。
「お前は他人のケツに手を突っ込む趣味でもあんの?」
「い…いえ…」
そう問われ、守の頬には冷や汗が伝う。
おかしいな…全然水に流してくれなかった。つい先程までの、愛くるしい彼の姿はどこへやら。守は一瞬にして、彼の地雷を踏み抜いてしまったのだと痛感した。
でもお願い、ちょっとだけ待ってほしい…。
水からの突然の『お前』呼びに、心が折れそうだ。
美人は怒ると怖いと言うが、その例に漏れず、こちらの美少年もすこぶる怖い。そんな激オコな美少年を前に、小型犬のようにぷるぷると震える守。
だが守をそうさせた張本人は、その滑稽な姿に堪えきれず、やがてフフッと笑みをこぼす。
「もー、そんなに怯えないでよ?」
すると、先程までの怒りのオーラは何処へやら。口調の戻った水は、「からかってごめんね?」と謝ってきた。
その顔は確かに、いつもの天使の微笑みである。
「…怒ってない?」
「怒ってないよ!」
「ほんと?」
「ほんと!」
「絶対怒ってない?」
「絶対怒ってない!」
「本当に怒ってない?」
「しつこいと怒るよ?」
「怒ってなくてよかった!」
だが守が安堵したのも束の間。
「まぁでも……尻子玉は無いけど、人間の心臓なら取ったことある、かも?」
「そうなんだ心臓ならねー…って心臓!?」
笑顔の彼から、なんとも不穏なワードが飛び出した。そんな恐ろしい『〜かも』など、容易に存在してはならない。
「心臓を…取ったの…?」
「うん。女の人と話してるときに、何度かあるんだよね。心臓を押さえて苦しそうにするから、どうしたの?って聞くと、『ハート奪われちゃいました』って言うの。ハートって、心臓でしょ?」
「…あー」
なるほど。全く不穏な話ではなかった。
男からしてみても、水の笑顔は心臓に刺さる破壊力がある。彼ならば女性のハートの一つや二つ、奪うのも容易いことだろう。
もしかしたら尻子玉とは、そういうハート的な、目に見えないけど大切な何か、なのかもしれない。
そんな事を思いつつも、守は再び彼の地雷を踏まぬよう、尻子玉の話はぐっと胸の奥底に埋めることとした。
その後も、ご機嫌麗しい美少年との、雨の散歩を満喫する。しばらくすると、二人は信号で立ち止まった。
「……」
その待ち時間、守は何気なく隣に目をやると、自分よりも少し背の低い彼の、亜麻色の髪がサラサラと揺れている。
よく見ると、そこにはキューティクルが天使の輪を作っていた。彼は河童ではなく、天使と名乗ったほうが説得力があるかもしれない。
そんな彼の頭を見ていて、守にはとある疑問が浮かんでくる。それを懲りもせず、守は再び水に問いかける。
「ねぇ水くん、水くんのお皿ってどこにあるの?」
先程、河童は頭のお皿が乾いてはいけないのだと、
「絵とかで見る河童って、普通は頭にお皿を乗せてるイメージなんだけど、水くんは無いよね?…あ!それとも実は乗ってるけど、俺には見えてないだけ?」
すると水は、頭に皿ではなくハテナを浮かべてキョトンとしていた。だがすぐに守の質問を理解したのか、パッと明るい表情でこう言った。
「お皿ね!僕のはこれ!」
そして嬉しそうに、斜め掛けにしている鞄の中から水筒を取り出す。それをそのままジャーンと守へと見せつけてくる。
「
「うん…?水筒は分かったけどお皿は?」
「これが僕のお皿!」
「いやお皿の定義とは?!」
何ということでしょう。
彼らにとって、お皿も水筒も大差無いようだ。今思えば、水は冷蔵庫にミネラルウォーターを二本常備している。飲む用と、水筒という名のお皿用だったらしい。
「…封印されてる時とか大変だったね?ずっと水なくて」
「それは大丈夫だよ、通販するから!」
「通販?」
「うん、祠の中はWi-Fiが通ってるんだよ。『ゲッツ光』!祠の中、光ってたでしょ?」
「!!」
ここで特報。
守が目をくらませた祠の中の強い光は、ダンディな名前のWi-Fiだった模様。
ちなみに気になる祠の間取りだが、ゴルドニア全体が広い供用スペースであり、その中に入っていた百鬼絵巻が、それぞれの個室となっているそうだ。しかも各部屋には一通りの家電が備わっており、『てぃーばー』も『MOMOM』も見放題とのこと。
彼らの封印生活は、守のアパートよりも快適そうである。
「…だからみんな、普通に現世にも馴染んでるんだね。元号変わってても驚かないし」
「まぁねー。でも陛下が生前退位したことには驚いたよ!それに僕的には、『令和』って発表した時の官房長官のおじいちゃんの、あの時の笑顔が印象的だったかなー」
「分かる、いい笑顔だったね。…あの頃は色々と平和だったね」
「ねー」
そんなこんなで、守たちはようやくエドガーに到着した。
「よく来たね!歩いてきたの?」
玄関の扉を開けると、環がタオルを持って出迎えてくれた。雨はさほど強くはなかったが、それなりの距離を歩いてきたため、所々濡れてしまっている。
「ありがとうございます。水くん先に使って…ってあれ?水くん全然濡れてないじゃん!」
その言葉通り、同じように歩いてきたはずの彼は、なぜか一滴も濡れてはいなかった。そんな驚く守を見て、二人はコテンと首を傾ける。
「河童は水を
「うん、だから濡れない!」
「そんなことある!?」
守に新たな河童情報が加わった。だが同時に、環に関する謎は深まった気がする。
「常識だよねー」
「ねー」
そんな意気投合するイケメンの大きい方から、守は今日の依頼内容を聞いた。
今回の依頼は、『傘』に関するものである。
守は地図アプリで場所を調べ、さっそく依頼場所に向かおうと、持ってきた傘に手を伸ばす。
「じゃあ行こう、水くん」
「うん!行ってきまーす!」
そんな二人を、環がすかさず制止した。
「ちょっと待って。守くん、君はこっちを使って」
「え?」
そう言うと環は、真新しいビニール傘を守に渡してきた。それはどうやら買ったばかりのようで、未だにコンビニのテープが付いている。
「その傘は、君のお父様のものだよね?依頼も依頼だし、無くしてしまったら悪いからね。これなら無くなっても困らないよ」
「…確かに。それにしても、これが父のだってよく覚えてましたね?」
以前、父はエドガーにも挨拶に来た事がある。その際に、父がこの傘を使っていた事を環は覚えていたようだ。こういった、時折見せるさり気ない気配りこそ、彼をイケメンたらしめる
「僕クラスになれば、それくらい容易いことだよ」
「はは、そーゆうとこですよ」
余計な一言により評価はプラマイゼロ。
だが守は環にお礼を言うと、ありがたくビニール傘を借りることにした。
こうして改めて、依頼場所へと出発した。
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