2-4 番傘
「探偵事務所エドガーから来ました、御国です!」
「水です!」
中目黒駅から徒歩2分。
守と水がやってきたのは、エドガーからもほど近い、探偵の隠れ家のような、レトロな雰囲気の喫茶店。
「どうも、足元のお悪い中ご苦労様です。店主の
店の扉を開けると、カランコロンというベルの音と共に、還暦は
彼が、今回の依頼主。
清潔に整えられたロマンスグレーの髪に、白シャツの映えるモダンな茶色のベスト。そこはかとなく
「どうぞお好きな席へお座りください」
彼はその優しい風貌と同様の、穏やかな口調で店内へと促してくれる。そして守たちが席に着くと、彼は再び言葉を紡ぎ始めた。
「本日も雨ですね。店先に傘立てがあるのですが、お二人はご使用になられましたか?」
「はい、使わせてもらってます」
「さ様でございますか。…でしたら、店内に持って来られた方がよろしいかもしれません」
その申し出に、守は先程の、環から聞いた依頼内容を思い出した。
「お気遣いありがとうございます。傘のことでしたら大丈夫ですよ!上司から、おおまかな依頼内容は伺っています!」
環から聞いた話によれば、店の傘立てに入れた傘が、ここ数日の間に、何本も無くなっているとのことだ。
守は自分の知っている事柄を伝えると、店主は頷き、さらに詳しい内容を話してくれた。
「傘立てを使用しても、すべての傘が無くなるわけではないのです。一日に数本…、それも一度にではなく、朝に一本消えたかと思えば、今度は夕方にも一本…と、取られる時間帯もまちまちです。
そしてその代わりとでもいうように、穴の空いた番傘が、必ず入っているのです。その番傘は異様に古く、不気味なのでその都度ゴミに出してしまうのですが、気が付くとまた同じものが入れられている…その繰り返しです」
そこで今回、この悪戯をしている犯人を見つけてほしい、との依頼である。
「何度も同じことするなんて、迷惑な悪戯ですね。時間もバラバラとなると、ずっと見張ってなきゃならないですし……あ!あの防犯カメラには、何か手掛かりは映っていないですか?」
守は店の入り口に取り付けられていたカメラを見つけて指摘する。しかし、店主から良い返事は貰えなかった。
「ああ、あのカメラは防犯用の偽物でして、実際には撮っていないのですよ。申し訳ない…」
「いえいえ、そうなんですね」
「もし犯人が映ってるなら、わざわざ守に依頼なんてしないもんね!」
「ごもっとも…。そういえば、よくうちの事務所をご存知でしたね?」
何度も言うようだが、エドガーは普段、ろくに依頼も来ない無名の事務所だ。そんな我が事務所を、頼り先として選んでくれたのが不思議である。
「…それが、私もどうにも上手く説明できないのですがね、ふと、エドガーさんの事が頭に浮かんだのですよ。おそらく、お客様のお話かどこかで、聞き覚えがあったのでしょうね」
店主は申し訳なさそうに、そう曖昧に答えた。
思えば、以前の養鶏場のオーナーも、
「ふと、エドガーの存在が頭に浮かんだ」と。
それにより図らずも、
「ここのところ、ずっと雨続きでしょう?うちも客商売ですから、毎日のようにお客様の傘が無くなってしまい困っております。
自分の逃した妖怪が、誰かを困らせている。そうとなっては、黙って見過ごすわけにはいかない。
「もちろんです!お任せください!」
「任せてー!」
こうして守たちは、依頼解決に動き出す。二人は客に
しばらくすると、「どうぞおあがり下さい」と、店主はアイスコーヒーを淹れてくれた。
目の前に置かれた脚付きのグラスには、たっぷりと注がれた
「ありがとうございます、いただきます!」
その魅力に促され、守はさっそく口に運ぶ。
「!!」
それは想像以上の絶品だった。思わずグラスの中身を二度見してしまうほどに。普段はココア党の守だが、このコーヒーには一票の価値がある。
一方、向かいに座る美少年もグラスを傾けていた。その様はどこぞの貴族のごとく、優雅さと気品を醸し出している。するとお気に召したのか、水はパッと目を輝かせた。
そして一言。
「
「ん?」
「このコーヒーに使ってる水!日本百名水のひとつだよ!」
コーヒーを飲み、コーヒー豆の産地や種類ではなく、使っている水を言い当てる彼。さすがは水を愛する美少年だ。
「よくお分かりになられましたね?当店では、コーヒーに合う水を季節ごとに厳選し、全国から取り寄せているのですよ。今の時期は貴方のおっしゃる通り、北海道の湧水を使用しております」
店主はそう言うと、「こちらです」と棚からペットボトルを持ってきた。どうやらこれが、お取り寄せしているという噂の名水らしい。
「全国からわざわざ水を厳選しているなんて、すごいこだわりですね!美味しいわけだ!」
「お褒め頂き光栄です。よければおかわりをお持ちしますよ」
「わーい!ありがとう!」
「すみません、ありがとうございます」
店主はにこやかに、再びコーヒーを淹れに向かう。守はその姿を何気なく目で追っていると、向かいの美少年が声を上げた。
「僕の封印に、一歩前進だね!」
「ん?」
一瞬、何のことかと考えた。だがすぐに、それが
「ああ、名水百選…だっけ?名水を使ってれば、コーヒーでもいいんだね?」
「うん!美味しいからね!」
「そっか」
そして守は、もう一つ重要な情報を得た。美味しければ、現地へ行かずとも、ペットボトルのお取り寄せでオーケーだという事を。
「…ところでさ、やっぱり今回の依頼も、俺の逃した妖怪が関係してるんだよね?」
コーヒーの美味しさに意識を持っていかれていたが、守はようやく本題を切り出す。だが内容が内容なだけに、守はカウンターにいる店主をチラリと見ると、水だけに聞こえるようにこっそりと問いかけた。
「守に来る依頼は、全部そうなんじゃない?」
「…と、いいますと?」
すると水は、残りのコーヒーを飲み干してこう言った。
「百鬼のする事は、良い事も悪い事も、封印を解いてしまった者のところに全部報告がいくようになってるの!」
「ほう?」
「これもね、僕らを封印した陰陽師の『
逃げ出した百鬼が何か悪さをすれば、その噂は封印を解いた者に必ず伝わる。逆に百鬼が良い行いをして、パワースポットみたいになってもそれは同じだよ。必ずその情報は伝わるんだ。居場所が分かれば、回収しやすいでしょ?」
「あーなるほど!じゃあつまり、俺が逃がした妖怪が問題を起こしたら、場所を教えてやるから尻拭いしろよ!ってこと?」
「そうだけど…、守ってお尻の話好きだね?」
そう言って守を見つめる翡翠色の瞳は、見覚えのある冷ややかさを帯びていた。
「…!」
どうやら彼は、『お尻NG』のようだ。
それに気付いた守は、再び彼の逆鱗の触れてしまう前に、すかさず誤魔化しに転じる。
「お、お尻の話はしてないよ!?ま、まあとにかく!!エドガーに依頼が増えたのは、俺への報告ってことだったんだね?納得〜!」
「…そうだね?」
すると守の作戦は成功したのか、水の表情に温もりが戻ってくる。
「きっとこれから、百鬼からの報告がたくさん来て大変になるよ!でも守にとってはお仕事も増えるし、封印もできるしラッキーだね!マッチポンプだね!」
「いや違…うとは言い切れないけど、そこはできれば『一石二鳥だね!』って言って欲しいかな!?」
「マッチがどうかしましたかな?」
そこへ、タイミング良くコーヒーのおかわりを持ってきた店主。彼は今の会話の断片から、守たちが火を欲しているのだと勘違いをしたらしい。コーヒーを置いた後、「マッチは無かったですが…」と、今度はチャッカマンを持ってきてくれた。気遣いが
それからは店主も交えて、今回の怪異についての話をした。
最初に異変が起きたのは、一週間ほど前だという。やはり、守が妖怪を逃がした後からだ。また、無くなる傘はいずれもビニール傘らしい。被害に遭った客たちは一様に、「ビニール傘だから仕方がない」と
守も今日は、環のおかげで偶然にもビニール傘を持ってきている。狙われやすいのならば好都合だ。
そう思った守は、ふと、外に置かれた傘立てに目を向ける。
「あ!」
するとその時、守はある事に気がついた。そして大きな声と共に勢いよく立ち上がると、店の扉を開けて傘立てを確認する。
傘立てには、水が挿してきた傘。そしてもう一つ…
「な、無くなってます!俺の傘!」
守の傘が入っていた場所。そこには噂の、古い番傘が入っていた。
そんな守の声に、水と店主も駆けつけてくる。
「いつの間に…」
「番傘くんもいるね!」
すると水は、ビニール傘と入れ替わった古い番傘を、臆する事なくヒョイっと持ち上げた。
「よかったね守!これで解決だね!」
「解決…?犯人が分かったのですか?」
「これが犯人だよー!」
「…?」
そんな水の言動に、さっぱり分からないという顔をする店主。もっともな反応だ。守にもさっぱりなのだから。
だが守は、この番傘こそが妖怪であり、今回の騒動の犯人なのだろうと推測をする。
そうとなれば、守は番傘の回収を試みる。守はリュックから百鬼絵巻を持ってくると、そっと番傘へと近付けた。
「……ダメか」
しかし絵巻は光ることはなく、番傘の方にも何も変化は見られない。
「…守」
するとその時、水は守のTシャツの裾をクイクイと掴んだ。
「叶えてあげなきゃ」
その言葉によって、守は思い出した。妖怪を封印するには、彼らの願いを叶える必要があるのだと。
だがその肝心の『願い』が何か分からない。以前、回収に成功した猫又の時は、捕まえたらそれだけで封印できたのだが、今回は違うらしい。
とはいえ、この番傘が今回の騒動の原因であることは間違いない。そう思った守は、この番傘をお店から引き離すことで、依頼だけでも先に解決しようと考えた。封印については、その後に何とか頑張ってみよう。
こうして守は、思い切って店主にこんな提案を持ちかける。
「この傘、俺たちが持って帰ってもいいですか?」
「それは構いませんが…?」
店主は未だ、困惑の表情を浮かべている。そんな彼に、「犯人は妖怪だ」と説明をしても、さらに混乱させてしまうだろう。
守は頭を振り絞り、妖怪の事は伏せた上で、彼が納得できるような説得を試みる。
「…あの、すみません。今からとても無理なお願いをしてしまいますので、先に謝らせて下さい。本当にごめんなさい。
今回の件ですが、犯人が誰なのか分かりました。でも残念ながら、『この人が犯人だ!』と、米田さんに会わせる事が難しくて…。もちろん犯人には、米田さんのご依頼通り、二度とこんな事はしないようにキッチリと言い聞かせます!もう絶対に、迷惑をかけないともお約束します!
だから、お願いです。あとはこちらに任せていただいて、今回の依頼は『解決』という形にしては頂けないでしょうか?」
「……」
守の話を、店主は静かに聞いてくれた。
要領を得ない話だとは、自分でも重々承知している。だがこれより他に、守には良い方法が思いつかなかった。
そんな守に対し、店主は「うーん」と頭を悩ませる。当然だ、ツッコミどころも不平不満もたくさんあるのだろう。
だがやがて、彼はそれらの全てを飲み込み、「これ以上、お客様に迷惑がかからないのであれば…」と納得をしてくれた。
「ありがとうございます!お約束します!」
自分の力量の無さにはほとほと参るが、今回は店主の
守は彼に頭を下げて、目一杯の感謝をする。
こうして守は、その番傘と共に喫茶店を後にした。
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