1-3 運命




「こんなとこあったのか」


 やがて守は、お目当ての祠にやって来た。

 事務所の裏口から庭に出て、金木犀きんもくせいの垣根で挟まれた細い道を通る。するとその先に、十畳余りの敷地が現れた。そこの中央奥にぽつんと、小さな祠が鎮座している。

 エドガーの裏庭に、こんなにもおごそかな場所があったとは、今まで全く気が付かなかった。だが四方を石造りの外壁で囲まれており、外からは見えないようになっている。気付かないのも当然と言えば当然だ。

 敷地の入り口には、祠のサイズに合わせたような、人一人がやっとくぐれる程の、小さな鳥居とりいがある。苔や汚れの無いその風貌からは、日頃からきちんと管理されていることが窺える。

 家主である環の了承を得ていた守は、遠慮なく、未知の世界への一歩を踏み出した。

「失礼しまーす」

 鳥居をくぐり敷地に入ると、ヒューッと心地良い風が守を出迎えてくれた。その風に促されるように空を見れば、外壁にふち取られた、曇ひとつない青空が広がっている。

 東京に来てから、こうしてまじまじと空を見たのは初めてかもしれない。心なしか、空気も澄んでいるように感じる。

 守は祠に手を合わせると、さっそく散策を開始した。そのついでに、昨夜の台風で飛んで来たのであろう落ち葉や小枝を拾い、ポケットに入れていたゴミ袋にまとめていく。このように普段からゴミ袋を持ち歩いているあたり、『お掃除のお兄さん』の名も伊達じゃないだろう。

 そんな矢先、視界の隅に何か光るものを感じた。

 それはどうやら鳥居の足元からである。ここへ来た時から気になってはいたのだが、そこには不自然なほどの小石が積まれているのだ。

「何だろう…」

 守は積まれた石を、いくつかどかしてみる。すると中から、赤い色をした何かが顔を覗かせた。やがてその全貌が明らかになると、それはぼう有名おもちゃ、『赤い屋根の大きなお屋敷』であった。

「…どうしてこんな所に『ゴルドニアファミリー』が?近所のちびっ子が忍び込んだとか?」

 鳥居とゴルドニア、というミスマッチ感が、何とも怪しい空気を醸し出している。だがそんな事より、もしもこれが忘れ物であるならば、どこかでちびっ子が悲しんでいるかもしれない。

 そう思った守は、何か持ち主に繋がる手がかりは無いかと、おもちゃに手を伸ばす。

「…うーん。どっからどう見ても普通のゴルドニア…、やっぱこういうのに名前とか書かないよなー…ん?でもこれ何か変だな?」

 一見、お馴染みのゴルドニア。

 だがその中に少しの違和感を覚えた守は、手中のそれをぐるっと一週回してみる。するとすぐに、その違和感の正体が明らかとなった。

 自分の記憶が正しければ、ゴルドニアは家を上から真っ二つに開いたような構造で、室内に人形やら家具やらを入れて遊ぶおもちゃだ。

 しかしこれは、全面が壁と屋根で囲まれた、完全な家の形をしている。小窓はあるがドアはなく、開きそうな隙間もない。そしてもちろん、床が空いているわけでもない。それでも中には何かが入っているようで、ある程度の重さがある。それに軽くゆすってみると、バタンと音がした。

「何これ、どーなってんの?」

 こうなってくると、中身や用途が気になってくる。そんな好奇心で、守は小さな窓を覗き込む。

 するとその途端、中からピカッと強い光が放出された。

「?!」

 そのあまりの眩しさに、守は思わずゴルドニアを顔から遠ざける。すると勢い余って、そのまま手からも放り出してしまった。

「ああああ!」

 そんな適当に決めた勇者の名前のような叫び声と共に、ガシャンと大きな音を立て、勢いよく地面に落下したゴルドニア。それと同時に、強い突風がビュッと駆け抜けていった。

「うっ」

 その風によって、守は再び視界を奪われる。

 だがすぐに持ち直し、急いでゴルドニアを拾い上げた。

「……」

 ツーと、嫌な汗がこめかみを伝う。

 これは、完全にやってしまった。

 守の手には、屋根と壁の一面が割れ、見事に真っ二つとなったゴルドニア。百歩譲って、これが本来のゴルドニアの姿だと、言い張れなくもない。だが先程の大きな音は、明らかにこれを破壊したものだった。

「あーやばい…これ治るかな!?接着剤でいける?」

 守は慌てて割れた側面を合わせてみるも、もちろん治るはずもなく…。再びパカっとふたつに離れた両手のそれに、もはや愕然と項垂うなだれた。


「大丈夫ですよ」

 

 するとその時。

 突如、頭上から声がした。

 守はその声にビクッと体を震わせる。そして恐る恐る振り返れば、そこには三つの人影が。

「……え…?」

 未だバクバクとうるさい心臓と落ち着かない頭で、守は今の状況を確認してゆく。

 目前には、いつの間にやら現れた三人の男たち。正確に言えば、青年二人と少年一人。

 ここへ通じる道は、自分も入ってきた裏庭から繋がる道の一つだけ。いくらゴルドニアに気を取られていたとはいえ、前方から人が来れば分かりそうなものだ。にもかかわらず、背後に立っていた彼らは、一体どこから入ってきたのだろうか。

 それより待って、すんごいイケメンなんだが!?

 守は冷静になろうとするも、逆光かとも思えるほどのイケメンオーラに邪魔をされ、情報の処理が間に合わない。

「こ、こんにちは…?」

 それでも何とか、良識的な言葉を発した自分を自分で誉めてあげたい。

「……どちら様…ですか?」

 しかし彼らの返事は、守の知力を更に低下させるものだった。

天狗てんぐです」

赤鬼あかおにだ!」

河童かっぱだよー」

「…え…天狗?……ん?今なんて?」

我々われわれ妖怪ようかいです」

「…………は?」

 ポカンとした。

 今ほどこの言葉が相応しい状況は無いというほど、ポカンとした。

 そして思った。

 この人たちとは、これ以上関わってはいけないと。

「妖怪…なるほどー。あはは、面白い冗談ですね…?」

 奇跡的に働いた守の危機管理能力が、一刻も早く立ち去れと指令を出してくる。守はその指令にうん、と大きく頷いた。

 彼らは確かに、人間離れした美形である。しかしだからといって、「そうか妖怪なんだ!」と納得する程、守の常識はズレてはいない。

 そうと決まれば話は簡単。守は勢いよく彼らに背を向けると、早々に立ち去る姿勢をとった。

「それでは、俺はこれで」

「待ってください。このままでは解き放たれた百鬼ひゃっき悪戯いたずらを始めますよ」

 だが、背後からかけられたイケメンその1の言葉に、守は不覚にも足を止められてしまう。

「ひゃっき…?」

「ああ、放っておくとこの国は大変な事になるぜ?」

「大変な事…とは…?」

 続くイケメンその2の後押しもあり、守の足は完全に止まる。そして守は振り返ると、あろうことか、彼らに話の続きまで促す始末。

 天狗と名乗ったその青年は、振り向いた守の顔を見て一瞬ハッとした様子をみせたが、すぐにニコリと穏やかな表情を浮かべて話を始めた。


「あれは平安、百鬼夜行ひゃっきやこうの盛んな時代にさかのぼります」


 こうして数分に及び語られた内容は、かなり突飛なものだった。

 要約するとこうだ。

「むかーし昔、絶大な力を持つ陰陽師おんみょうじが、百鬼夜行をまるっとまとめて封印した。その封印場所がこのゴルドニアだと?」

「そうです!」

「ゴルドニアでは無いけどな」

「『赤い屋根の小さなほこら』だね」

「それを俺が壊しちゃったから、封印されてた妖怪が逃げ出したと?」

「その通りです!」

「とんだアンラッキー野郎だな」

「僕たちは出られてラッキーだね」

「…で、俺が逃がしたんだから、責任持って俺がまた全部回収しなければならない…ってこと?」

「流石です!」

「やってしまったらやり返す」

「百倍返しだ!」

「うーん…」

 それでなくとも理解し難い話だが、約二名の茶々により、うまいこと処理できない。

 だいたい妖怪だの封印だのと、そんな漫画のような設定を、易々信じる者はいないだろう。これはおそらく新手の詐欺…その名も『妖怪商法ようかいしょうほう』に違いない。

 妖怪が逃げ出して悪さをするから、このつぼを買えば安心ですよ〜的なあれだ。お友達を十人紹介すると、さらに安心ですよ〜的なあれなのだ。

 いや、そもそも妖怪商法とは!?

「残念ですが!俺の実家は寺なので、そういうのはまにあってます…!」

 守はぐるぐると妙な思考を巡らせた末に、プチ個人情報を露呈しながら後ずさる。

 だがそんな守の言動に痺れを切らしたのか、イケメンその2がため息をつき、同時にイケメンその3が声を上げる。

「うんうん、大丈夫!普通みんな、最初は信じないんだよ!だけどこれを見たら信じるよ!いくよー?」

 するとその可愛らしい掛け声と共に、彼は自称天狗の背後にまわり込むと、ヒョイッと姿を消してみせた。

「……え?彼はどこへ…?」

 たった今まで、話をしていたはずの美少年が、一瞬のうちにいなくなってしまった。ただ背後に隠れただけかと思いきや、いくら覗き込んでも、その姿は見当たらない。

「しゃーねーな、俺らもやるか」

「ええ。信じてもらうには、これが一番ですからね」

 そんな守の呟きもよそに、あとの二人も、小言を残してスッと姿を消してゆく。

「はぁ?!マジでどゆこと!?」

 一体、何が起きたのだろうか。

 目の前から、イケメンが三人とも消えてしまったではないか。これには常識人代表の守も驚きだ。

 だが、こうも思った。

 そもそも彼らは急に現れたのだから、急に消えたところで、これで元通りなのではないだろうか、と。

「……」

 守は辺りを見渡し、改めて、今ここに自分しか存在しない事を確認する。目を凝らして集中しても、やはりどこにも彼らの姿はない。この場に長居して、また何かおかしなことが起きても厄介だ。散策はもう終わりにしよう。

 さっきの三人はきっと、偶然と夏の魔法とやらの力が見せた、イケメンの幻だろう。

 守は自分にそう言い聞かせ、いつもの日常を取り戻す。

「どうせなら美少女の方が良かったな…」

 ふと、口からこぼれ落ちる本音も気にせず、守はまとめたゴミ袋を持って事務所へ戻ることにした。

 元凶のゴルドニアは…申し訳ないが、もとあった場所に戻した。周囲を軽く掃除したので、なんとか許して欲しい。

「…環さんには報告しとこ…」

 守はすぐさま環に一報する。

 これで、何も問題ない。

 こうして守は鳥居をくぐり一礼すると、そそくさと祠を後にしたのだった。

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