第19話 チェックメイトの先に

1557年1月 

英国女王メアリーの夫

スペイン王フェリペ2世が

妻からの手紙に目を通している。


「ふむふむ、なるほど・・」


フェリペが英国を発って一年半経過したが

まだフランドルに居た。


高齢の妻メアリー女王との世継ぎ作りに

励まねばならぬのに、戻れない。


なので妻の手紙は

ブリュッセル(現ベルギー)の宮殿で受け取った。


「その手があったか・・」


何事にも冷静沈着なフェリペ2世が

感情を表に出すのは珍しい。


さてその女王の手紙の中身だが・・


と、その前に

緊迫した欧州情勢を語らねばならぬ

・・


諸悪の根源はローマ教皇パウロ4世。


この男は、聖職者のトップでありながら

下品な野望を満たそうと

躍起になる事から始まる。


「何故だ?何故、フランスはハプスブルグを叩こうとせぬ?教皇である儂がミラノとナポリを差し出そうというのだぞ!」


そうパウロ4世は言うが・・

ミラノもナポリも教皇領ではない。

ハプスブルク家領だ。


しかも、フランスが首尾よく

ミラノとナポリを奪取しても

パウロ4世は、


少なくともナポリだけは、

フランスにくれるつもりは無い


ナポリはパウロ4世の出身地

カラーファの地であり

自身の甥にあげるつもりだからだ。


そんな教皇がフランスに怒っているのは

1556年2月のヴォーセルの条約の事。


フランス王妃カトリーヌ・ド・メディシスが

パウロ4世の浅はかな企みを看破し

スペインと和平を締結したからだ。


教皇が権力を振り翳してもフランスが動かぬのならば、他の手を打たざるを得ぬ


「そうか!フランスを牛耳って居るのは

王アンリ2世ではなく、イタリア女だな。

王妃カトリーヌ!この卑しい商売女の弱味を突けば良いのだな」


その弱味とはカトリーヌの実家メディッチ家


彼女の実家はメディッチ家本流だが

かつての栄華は見る影もなく

傍流のメディッチ家当主

コジモ1世が本家に代わって

フィレンツェを支配している。


・・王妃はフィレンツェ奪還が悲願の筈

(儂がカラーファを欲するように)・・


早速パウロ4世は行動する。


フィレンツェで燻っている

王妃の従兄ストロツィー兄弟に

接近したのだ。


すると王妃カトリーヌは態度を一変

パウロ4世の悪巧みに乗り

同盟を申し出る。


パウロ4世の目論見は的中したのだ


王妃カトリーヌにすれば

実家復権の為に、嫁ぎ先の仏軍を利用して

フィレンツェを奪還できるまたとない機会


“教皇の申し出”は夫を説き伏せる

体の良い口実だ。

・・


さて冒頭のスペイン王フェリペ2世は

この危険なフランスの動きを事前に知る


・・ヴォーセルの条約はもうすぐフランスに破られるであろう。

ならば、先手を取って今すぐここフランドルからフランスを攻撃したいが、そうはいかぬ・・


何故なら、退位した父カール5世がフランドルに居るからだ。


・・父をスペインまで安全に届けねば。

フランドルを戦場にするのはそれからだ・・


フェリペは、敢えて最高の駒をきる。

スペインきっての勇将アルバ公をイタリアに進軍させたのだ


・・カトリーヌよ。教皇と手を結んだのだろ?イタリアを放っておけまい・・


するとカトリーヌ王妃はフランス最高の将軍ギーズをイタリアに差し向けた


・・よし、カトリーヌの眼をイタリアに移し、あの恐ろしいギーズ将軍がフランドルから離れたぞ。俺の目論見通りだ・・


1556年9月

アルバ公はイタリアの教皇領を攻撃すると、その2週間後に、カール5世をフランドルから無事に脱出させスペインに向かわせた。


・・これで安心してフランスを攻撃できる・・


しかしフランス王妃カトリーヌが先に動いた

「あの勇将アルバ公が不在の今がチャンス」と


1557年1月13日

フランスはスペインに宣戦布告する

戦いの舞台は、一気にフランドルに戻った。


両国共に最高の将軍はイタリアで戦闘中。

なのでフランドル戦線は残された軍事力の

地力勝負だが


スペインは戦力的に不利だ。


フランスはフランドルに隣接し

あらゆる補充が容易であるのに、


スペイン本国へは船が必要、

加えて、フランドルの背後には

フランスの同盟国ルター派のドイツに睨まれ

逃げ場がない。


フェリペ2世の尻に火が付いた。

勝利する条件は2つ。


①イタリアのアルバ軍をフランドルに戻す

そして

②英国参戦


フェリペは

妻を説得し英国を参戦させねば

スペインの未来は無い。


フェリペ2世が妻メアリー英国女王から手紙を受け取ったのはまさにこの時だった


「愛する夫へ

エリザベスの結婚相手ですが、

サヴォアのエマヌエーレ・フィルベルト公は如何でしょうか?」


エマヌエーレ公。

彼は“名ばかりの”サヴォア公国の王である。


サヴォア公国は

イタリアのミラノの北に位置するが、

フランスに占領され、

エマヌエーレ公は自分の領土を失った。


だからサヴォア公という肩書きは

屈辱の“名ばかり”。


エマヌエーレ公は

フェリペの父カール5世の甥で

フェリペとは従兄弟と親戚同士だ。


なので幼き頃からスペイン宮廷で育ち

フェリペとは子供の頃から一緒に過ごした仲


そんなエマヌエーレ公をフェリペは

この度のカール5世退任のタイミングで、

フランドルの副総督に命じたばかり。


メアリー女王がエリザベスの夫にと推薦した

エマヌエーレ公とはそういう男だ。


フェリペ2世は、この申し出の妙に唸る。

何故なら、全員が得するからだ


①フェリペの利点

メアリー亡き後も、

英国はハプスブルグ家の属国となりうる


②エリザベスは

廃嫡されず、英国王継承者の地位が保証される


そしてこれが大事であるが、

③メアリー女王は

エリザベスとフェリペの結婚を防げる。


実はメアリー女王は

エリザベスに熱を入れている夫フェリペに

毒殺されるのでは?と恐れていたのだ


加えて、エマヌエーレ公は

血筋は申し分無い上に、権力がないので、


④英国市民にとって好都合

領土すらない弱小王が夫であれば、英国が乗っ取られるとは思わないであろう。


フェリペは、この結婚に即答で承諾した。


さあ次が肝腎要!

英国をフランドルの戦場に引きずり込むのだ!


これにはメアリー女王はこう記す。

「それと、我が英国軍をお望みなら、至急、英国に戻ってくることです。

ご自身で枢密院と議会を説得せねば英国は動きませぬ」


メアリーの賭けは勝った。フェリペ2世は1557年3月に英国に戻る約束をしたからだ。


・・やっとフェリペに会える・・


そう呟いたメアリー女王の総仕上げは、エリザベスにこの結婚を承諾させる事、


早速エリザベスをロンドンに呼び出す。


エリザベスは、この申し出に驚いたが

表情を出さず言葉一つ一つ確かめるように

次のように回答した


「誰よりも尊敬する姉君、そして偉大なる英国女王に謹んでお答え申し上げます。


私は、父ヘンリー8世の御意志により

姉君の正当な英国王継承者を

仰せつかって居ります」


「エリザベス、続けよ」


「恐れながら、英国王継承者たるもの、

他人の意志で結婚する訳には参りませぬ。」


ここまで話すとエリザベスは

一呼吸おく、そして、


「私、エリザベスは、

結婚時期も結婚相手も、

相応しい時期、

相応しい相手を、自分で選びます。」


「なんだと!エリザベス!その口の利き方は?王の命令を聞けぬというのか?」


「恐れながら申し上げます。

この結婚はスペインの脅迫です。

そうでしょう?違いませぬか?」


「・・・」


「私は

偉大なるヘンリー8世の血を継ぐ者、

いずれ独立した国家に君臨する者として、

この結婚は断じて受け入れられません」


するとメアリー女王は微笑んだ。


・・勝った!チェックメイトだ!・・


これでエリザベスを廃嫡する理由ができた。

この結婚はスペイン王である夫フェリペ2世と共同で署名した命令なのだ。


一方、エリザベスは顔面蒼白だ。


・・もうだめなのか・・


フェリペと内密なやり取りを始めていた為、

エリザベスは自身の立ち位置は

安泰だと鷹を括ったのが命取りだった


この結婚で継承権が保証される訳がない。

エマヌエーレ公は

フェリペ2世の都合の良い駒であり、

フランスとの戦争で

野垂れ死ぬのが関の山だ。


だからこの縁談を断ったのだが、

断ったところで、

女王の一存でロンドン塔行きであろう


・・チェックメイト・・


エリザベスは詰んでいた

メアリー女王に屈服したのだ

・・


しかし、運命は思わぬ方向に進む


このエマヌエーレ・フィルベルト公は

ただの捨て駒では無かったからだ・・


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