第21話 Ah! Aaaah! Calais!

ドーバー海峡沿いのフランスの都市

Calais(カレー)


ここは

英仏海峡トンネルのフランスの出発地点で、

フランス大陸に位置する紛う事なきフランス領


歴史を知らずば、まさか、昔は

ここだけが英国領と

想像するのは難しい。


しかし1557年当時はカレーは

ブリテン島外にありながら、

フランス大陸での貴重な飛び地、

英国領であった。


そしてカレーは、英国の意地である。

1347年イングランド王エドワード3世が

攻め落として以来、200年間守り通した

フランス征服野望への橋頭堡。


英国にとってカレーとは、

ただの土地ではない。

精神的支柱であり魂であった。


ここに


フランソワ・ド・ロレーヌ公

通称ギーズと呼ばれる

フランスが誇る天才将軍の名を挙げよう。 


天才はそのカレーを攻囲し、

敵味方ともにあっと言わせたのだから

・・


ギーズの動きは最初っから計算ずくで、


カレー包囲の1年以上前の

1556年9月に作戦を始める。


この時、スペインの勇将パルマ公が

イタリアのローマ教皇領を攻撃


するとカトリーヌ王妃から

“パルマ公を迎え撃て”との命令に従い、

イタリアに出発するが


ギーズは一向に戦火を交えない。


スペイン軍のなすがままに任せ、

ローマ教皇パウロ4世を見殺し、

敢えて兵を温存したのだ。


その1年後の1557年8月

フランスがサン・カンタンで大敗後、


再びカトリーヌ王妃から命が下る。


「スペイン人に目に物見せよ、ギーズ!」


カトリーヌ王妃は

フランス亡国の危機に、ジタバタせず、


フランスを救える者はギーズのみと信じ、

ギーズの才能にフランスの命運を賭けたのだ。


そして冒頭のシーン。


ギーズは、王妃の命令を忠実に遂行する為、

確実に“スペイン人に目に物見せる”為、


Calais


を選んだ。


「サン・カンタンを攻撃しないのか?」


敵のフェリペ2世も

カトリーヌ王妃さえも驚く。


フランスを破った憎き将エマヌエーレ公が

要塞サン・カンタンに、

依然陣取っていたからだ。


にも関わらず、

ギーズは、イタリアから引き上げると

南から真っ直ぐ北上、


途中、サン・カンタンも無視して通り過ぎ、

更に180km北のカレーに進軍したのだ。


すると、

サン・カンタンからはパリまで、

フランス軍は不在、


パリまで僅か南西150kmがガラ空きとなる。


ギーズ公はフランスを

スペインに差し出したのか?


それとも罠?

・・


ギーズは

奇を衒ったのでは無い。

スペイン軍の状況を的確に把握していたのだ。


まず、

スペインは金欠で、

兵士に給金を払えていない。


フェリペ2世は

已む無く傭兵を解雇し、

手元の軍勢は英国兵のみ。


フランスに大勝したエマヌエーレ公も

傭兵への給金が払えず

兵士に略奪を許し、

パリ進軍の機会を失っている。


次に

カレーは確かに堅牢な要塞だが、

英国兵の殆どがフェリペ2世麾下として

フランドルに割かれたので、

要塞カレーを守る兵は手薄。


しかもカレーを叩けば、

英仏100年戦争はフランスの有終の美で飾られ、


その衝撃は、

サン・カンタンの比ではない筈だ。


1558年1月1日


ギーズ将軍は、カレーへ猛攻撃をしかけ、

少々てこずったが、1月10日に陥落してみせた


「Ah! Aaaah! Calais! 」


こうして英国は魂の地を、

年始早々失ってしまったのだ。

・・


ギーズ公は、攻撃前の準備も抜かりない。

英国に二度とカレー奪回をさせぬよう

えげつない手を打っていた。


ギーズは叩き上げの粗忽な将軍ではなく、

華麗なるフランスカペー朝の末裔。


ギーズの実姉マリーは、

英国北部に隣接する王国スコットランドの

故ジェームス5世王の正妃だ。


ギーズは実姉マリーに連絡し、

スコットランド軍に英国を攻撃させる。


すると、英国は北部防衛に兵を回し、

とてもじゃないがカレー奪回の余裕は無い。


ロンドンに緊張が走る。

メアリー英国女王はどうするのか?

・・


1558年2月 ロンドンのホワイトホール宮殿


メアリー女王は、体調悪化を訴えていた


「朕は妊娠したうようです」


と言って、私室に籠り、公の場に出てこない。


これに家臣は呆れた。


夫フェリペが英国を発ったのは7月、

懐妊が本当なら、もっと早く

兆候が出た筈じゃないか?


「あれだけ勝つからと、女王が言うから、夫君(フェリペ2世)に兵を託したのに」


「なのに、カレーを失うとは」


「外国男との結婚に、神がお怒りなのだ」


しかし、更なる恐るべき情報に


メアリー女王も、家臣達も

打ちのめされる。

・・


1558年4月


フランス王妃カトリーヌの長男

つまり、

フランス王国太子フランソワが結婚。


花嫁の名は、メアリー・スチュアート。

生意気な15歳の少女だが、

スコットランド女王だ。


フランス皇太子とスコットランド女王の結婚!


すると生まれ落ちる子はどうなるのだ?

その子は、両国の王に君臨するのか?


英国は南北に

挟まれるではないか!


王太子の母カトリーヌ王妃は容赦しない。


更なる詰めをギーズ公に命じた。


ギーズにとって、生意気な小娘は

姪っ子(姉マリーの娘)。


この小娘は

商人の娘カトリーヌ王妃を小馬鹿にするが、

叔父ギーズの言葉は素直に聞く。


結婚にあたり次のような秘密の契約書を

メアリー・スチュアートにサインさせたのだ。


“私、

スコットランド王メアリー・スチュアートは、神の御名において、

余に与えられた不可侵の権利を行使し、


余が世継ぎを残さず天に召された場合は、

スコットランド及イングランド(までも)を、フランス王室に遺贈する・・”


恐ろしい契約書だ。

天才ギーズとカトリーヌ王妃は、

メアリー・スチュアートの血統を手繰り寄せ、


例え子がなくとも

フランスヴァロア王朝が

スコットランドのみならず、

英国までも手中に収めようと画策したのだ。


しかも

スコットランド女王メアリー・スチュアートは

英国チューダー家の正当な血統者でもある。


メアリー女王の次の英国王の冠を、


不義密通で首を刎ねられた母の子

エリザベスなどより

このスコットランドの小娘が戴く事は

現実味があるのだ。

・・


英国では

メアリー女王の次に向けて慌しくなる。


エリザベスの元に、

フェリペ2世が頻繁に接触を再開・・


メアリー・スチュアートの出現で

エリザベスを廃嫡する訳にはいかない


メアリー・スチュアートが正当血統者と

認めてはならぬのだ。


メアリー女王は

相変わらずベットに臥せっている。


妊娠してない事は本人も分かって居る。


では仮病?


メアリー女王の腹痛は本当であった。


女王はベッドで蹲り、

柔らかいシルクの枕に顔を当てて叫ぶ。


「Ah! Aaaah! Calais! Calais!」

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