第22話 詩篇118 「戦いの詩」

1558年夏

エリザベスは

汗臭い男どもの輪の中にいた。


「ロンドン市民はレディーエリザベスを待ち望んで居ります!今こそ女王を倒す時です!」


「いや、もう少し待つのだ。ワイアットの事を忘れたのか?」


「が、しかし・・」


エリザベスは静かに微笑んでいると、

臣下の1人が叫んだ。


「我が国は、

スペイン(フェリペ2世)のものか?

フランス(メアリー・スチュアート)のものか?」


すると皆は

「Booooo!」


「そうだよなあ、さあ、始めるぞ、

皆、立ち上がってくれ、せえの・・」


議論が白熱すると男達は決まって歌い出すのだ


「国々はこぞって我を包囲するが

主の御名によって我は必ず奴らを滅ぼす・・」

・・


もうエリザベスは

3年前のワイアットの時とは違い、

コソコソと隠れず

正面切って英国女王の座を目指していた。


まず軍事拠点を

居城ハットフィールド宮ではなく

数㎞北のブロケットホール宮とする。


ここは、ロンドンから見れば

ハットフィールド宮の後方であり、


小高い丘陵とテムズ川の支流リー川が、

自然の要塞と化している。


そのリー川はハットフィールド宮と

繋がり、物資往来も便利だ。


つまり、

南(ロンドン)が

エリザベスの拠点ハットフィールド宮を

攻撃しても背後に

強力なブロケットホール宮が控えているのだ。


そのブロケットホール宮を目指し、

スコットランドを蹴散らした強者どもが

続々と集結してくる。

・・


1558年10月


フランドルに滞在のフェリペ2世は、

フランスとの和平を模索する一方、

英国統治の作戦変更に迫られていた。


“妻メアリー抜き”の統治をだ。


・・エリザベス。あの小娘を駒にするのだ・・


フェリペはうってつけの間者を呼びつけた。


「フェリア伯爵、女王の具合はどうだ?」


「恐れながら、もう、長くはございません、もって残り1年かと・・」


この伯爵はロンドン訛りの英語をマスターし、

女王の侍女と婚約し、

彼女に女王の身辺を探らせていた。


そして、ここがポイントだが、


伯爵の柔和な顔の裏に発作的な

暴力性が潜んでいる。


我を失うと獣の如く殴り蹴るのだ。


フェリペが期待するのはこの点で、

いざと言う時、


・・こいつは力づくで解決する筈・・


「何?もって1年?伯爵よ、短くならぬのか?」


「と言いますと、、、どうせよと?」


「妻は長くないのだよ。伯爵よ」


「・・・」


「今すぐ、英国に行きなさい。

行って女王に遺言書を書かせるのだ。

次期英国王は”エリザベス“とな。」


「もし、女王が拒絶したら何と?」


フェリペは立ち上がり、

額が合う程、伯爵に近付き、しばらく睨む。


フェリア伯爵は、緊張で唾を飲み込む。

するとフェリペは、踵を返し背を向けて天井を見上げた


「伯爵、貴殿は、英語が達者なのだろう?

英国人を拳で寿命を縮めるぐらいに」


伯爵は無言で飲み込んだ。

・・


数日後フェリア伯爵は、ロンドンに到着し、

先ずはホワイトホール宮殿に勤める婚約者ジェイン・ドーマーを探した。


「愛するジェイン。準備は大丈夫か?」


「会いたかったわ、フェリア!

勿論よ、心配ないわ。本日は護衛も少ないし、侍女達は引き払ってるの。ここには貴方と私しか居ないわ」


「ありがとうジェイン、では行ってくる」


「待って、大丈夫なの?女王陛下は、体調が悪いし、入室は固く禁じられているのよ」


するとフェリアは、笑顔を見せ、何も答えず、

女王の寝室に入室した。


ドーマーに不安が襲う。


・・女王と2人っきりで大丈夫かしら?・・


10分程経過し、伯爵は出てきた。

しかし、息はきれ、顔は引きつっている。


驚いてドーマーが駆け寄ると、伯爵は、


「これを、エリザベスに届けてくれ」


「これは?」


「女王から、レディーエリザベスに進呈するよう仰せつかったものだ」


箱を開けると、


「これは、陛下の母キャサリン様の形見?

何故これをエリザベス様に?

本当に陛下のご命令?」


それに伯爵の髪は乱れ、服ははだけ、

掌を不自然に自分の胸に押し当てて居る。


・・フェリアは、何をしたの?・・


ジェイン・ドーマーは、ノックもせずに女王の寝室に入る。

女王は、ベッドで横になっていたが

様子が変だ。


女王が口を開く、

「ドーマーか? 伯爵から聞いたであろう。早くそれをエリザベスに届けるのだ」


と女王は寝返りをうつ。すると、はだけた服の下に青痣のようなものが・・。


「・・・」


ジェイン・ドーマーは、部屋を出た。

・・


数日後の11月10日


伯爵はハットフィールド宮殿を訪れた。


エリザベスは若くて美しい侍女を呼び、和やかな雰囲気を演出し応対する。


エリザベスがワイングラスに手を伸ばすと、

ほっそりとした左手首に宝石が光った。


間違いない、ドーマーに託した女王の宝石だ。


・・エリザベスは理解している・・


そう確信した伯爵は仕掛けた。


「良く、お似合いです。エリザベス様」


エリザベスは宝石を見せると


「これは、姉君から頂いたものだ」


エリザベスは、ニヤリとする


伯爵はエリザベスを甘く見ていた

何しろ、伯爵はつい先日、

女王すら拳で服従させたのだ。

ましてやエリザベスはまだ22歳の小娘。


「ところで、エリザベス様、

大事なお話がございます。

我が主君、フェリペ2世陛下からの

お言付けでございます。」


「おお、伯爵殿、少し待て、人払いを・・」


「恐れながら、お気遣い御無用。英国中に知れ渡っても構わないのですから」


「何と申した伯爵殿!ははは、面白い男だのお、伯爵殿は。さてフェリペ陛下は何と?」


「エリザベス様、恐れながら、

我が主君は、エリザベス様に結婚を申し込まれておりまする」


エリザベスは柔らかい笑顔を変えない。


「続けよ、伯爵殿」


「エリザベス様、これをご覧下さい。」


と伯爵は紙を広げて見せた


「女王陛下の遺言書でございます。この箇所に、次の女王はエリザベス様と。」


遺言書は間違いなくメアリー女王の筆跡。


「“エリザベス様の廃嫡などもってのほか”と、フェリペ陛下が女王陛下を説得されたのです。」


すると、エリザベスは大声で笑う。


「はははははは、成程、そうか、では、余はフェリペのお情けで、英国女王の冠に手が届く。いやあ、実に愉快よのお、

間抜けな男との会話は!」


フェリア伯爵は、予想外の返答に気色ばんだ。


「今、何と申されたのか?エリザ・・」


エリザベスは伯爵の言葉を遮り、切り込んだ


「ところで、そちの拳は大丈夫か?伯爵殿?」


伯爵は、驚き思わず防御反応が出た。

狼狽し、掌を自分の胸に当てたのだ。


エリザベスはドスを効かせる。


「スペイン男は、女性をよく殴るのか?

女王とて関係無く?え、伯爵よ」


伯爵は度肝を抜かれた。


・・まさかドーマーが告げ口を?・・


「おい、こっちを見ろ、伯爵!


ところで、フェリペ殿下は、フランスと和平交渉に入ったそうだの、相違ないか?

我が英国のカレー奪還はどうなったのだ?

何故フェリペは戦わぬ?」


「・・・」


「聞いて居るのだ!答えよフェリア!」


伯爵は、気圧されて、何も言えない。


「余は姉君の事を良く理解して居る。この世の誰よりもだ。その信念も頑固さも。」


「・・・」


「間抜けめ、よいか、

余の敬愛する姉君は、

決して余を認めようとはせぬ。


余の母を軽蔑し、

プロテスタントをこの世から根絶やしにするのが姉君の信条だからだ。」


エリザベスは3年前、

夜中にメアリー女王に

呼び出された事を思い出す。


・・女王よ、余は姉君を許しません。しかし信じてます。女王が余を信じてくれたように・・


奇妙な姉妹愛・・

エリザベスは分かっていた。


強情な姉が後継者に自分を指名する筈はない。


遺言書はスペインに強要された。

その姉の屈辱をエリザベスは

しっかりと理解していたのだ


伯爵は、ここで隠れた本性を露わす。

尋常じゃない程顔が真っ赤に変貌すると、

女王を殴りつけた同じ拳を振り上げたのだ。


するとドアが開き、屈強な男達が入ってくる。


ロバート・ダドリー卿、ベッドフォード伯、サー・ニコラス・スロックモートン、サー・ピーターカルー、トマス・パリー・・・


いずれも、メアリー女王に反抗し、投獄され、追放された者達だ。


この瞬間、エリザベスは立ち上がり、

男どもを伴わず、

一人でゆっくりと伯爵に近付き、

額がぶつかる程に接近すると、

エリザベスは伯爵を睨みつけた。


フェリアは殴るどころではない、

目は怯え、膝はガクガク震え出す


するとエリザベスは、

突然踵を返し

伯爵に背を向けて天井を見上げると


左拳を高く挙げ、荒くれ者どもに呼びかけた。


「皆の者、こやつはフェリペの遣いの者だ!

よいか!余に続け!」


「ははあ!」


エリザベスは歌い始めた


「国々はこぞって我を包囲するが

主の御名によって我は必ず奴らを滅ぼす。


奴らは蜂のように我を包囲するが

奴らは茨のように燃え尽きる。


主の御名によって我は必ず奴らを滅ぼす。


激しく攻められ倒れそうな我を主は助け、

主は左拳を高く上げ御力を示す。


見よ!

主は我を厳しく懲らしめても死に追いやらぬ!


我は今こそ正義の城門をこじ開け祈る。


奴らに壊された宮殿の礎石が

我が礎石に変わった。


我等には奇跡だがこれが主の御業だ。


主の御名によって我は必ず奴らを滅ぼす。

A Domino factum est istud hoc・・」


詩編118。


ルターが、


フェリペ2世の父カール5世皇帝と

戦ったプロテスタントの戦士が、


好んで口ずさんだ戦いの詩。


エリザベスはフェリペ2世に背を向け、

戦いを宣言したのだ。


エリザベスが高くあげた手に

メアリー女王から継承した宝石が輝いていた。

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