第23話 Black Enamel Ring

二重スパイ。


これがジェイン・ドーマーの正体であった。


フェリペ2世が放った間者フェリア伯爵を誘惑し婚約する程までに親密になると、

巧にスペインや女王夫婦の情報を引き出し、

エリザベスに報告する。


女王危篤の報が、ドーマーから入手すると、


11月10日

伯爵の反応で、

情報が正確だと確信。


エリザベスは次の手を打つべく

寵臣2人を招集した。


「二人ともよく聞け、時が来た。神が余に微笑んだのだ。女王がいよいよ身罷られる。」


「おおお・・・」


「良いか、時間は無駄にできぬ。

これから余の言う事をしかと受け止めよ。


まずは、セシル。

例の“書”はもう仕上げたか?」


「抜かりございませぬ」


寵臣一人目はサー・ウィリアム・セシル。

エリザベスより10歳年長の33歳。


学者だが、

ヘンリー8世から現女王まで4代の王に仕え、政敵に迫害される事なく泳ぎ切った。


気に入らねば要人でも容赦無く断頭台送りにしたヘンリー8世にも、


エドワード6世を食い物にし、

ジェン・グレイ女王を擁立したジョン・ダドリー護国卿の下でも、


プロテスタントを迫害したメアリー女王にも、


重宝され、勤めを全うした優れた実務屋で、

その後もエリザベス女王を40年間支える。


エリザベスはセシルの返事に笑みを浮かべると、ニコラスに目線を向けた。


二人目はサー・ニコラス・スロックモートン。

彼はセシルと違い、ワイアットの乱に加担し、ロンドン塔送りに。

死罪は免れたが、フランスに追放される。


しかし、これがニコラスの転機となった。

フランス王室の要人に近づけたのだ。


モンモラシー大元帥や天才ギーズ公と知己を得て情報をロンドンに提供。


これが評価され、

1558年春、恩赦が出て女王の傍に仕えた。


ニコラスはエリザベスより20歳年長の43歳。

後にフランス大使及びスコットランド大使を

歴任。エリザベス女王の外交を支える。


「ニコラスよ。セシルが作成した“書”をもって、ロンドン議会に戻れ。そして、」


エリザベスは間をおいて、声を震わせ

静かに言い放った。


「”奴”を拘束せよ。よいな。」


ニコラスは小さく頷く。


”奴”とは

第15話で登場したポール枢機卿のこと。


枢機卿は、子宝に恵まれないメアリー女王に笑顔で寄り添うが、それは表の顔。


真の姿はローマ教皇の忠実で獰猛な猟犬。

プロテスタントを粛正し

英国をカトリックに戻すのが任務であり、

多くのロンドン市民を弾圧するようメアリー女王に囁いた。


エリザベスはこの枢機卿を、

聖職者の皮を被った残虐者を、

必ず断罪し、公開処刑をすると

決めていたのだ。

・・


1週間後の

1558年11月17日の朝

ついにメアリー女王が崩御した。


しかし保身第一の議員達は、哀悼の意を示さず、

その2時間後に慌しく議会を開催する。


議員は300名ほど集まったであろうか?

しかし議場で、誰も発言しない。


メアリー女王の遺言では次の王はエリザベス。


しかし・・

プロテスタントのエリザベスが女王になれば

彼らカトリックへの復讐は必至。


どうすれば・・


そこに、

エリザベスの寵臣ニコラスが声を上げた。


「敬愛なる皆様、謹んでお聞きください。

ここに、エリザベス様の宣誓書があります。この場で読み上げる事をお許し下さい。」


議員達は驚いた。


・・もう宣誓書が?・・


・・女王はつい先程召されたばかりで、女王決議もされてないのに何故?・・


議員達がざわつく中、

ニコラスは大声で読み上げる。


「・・『我が愛する姉君が

この世を去られた ‘11月17日’ より、

諸君は、姉君に対する服従から解放され、

神の祝福、自然の摂理及び法の定めにより、朕、エリザベスを、唯一の女王とし、

朕のみに服従を負うものとする』・・」


「・・・」


一同はあまりの周到さに声が出ない。


・・‘11月17日’ と言ったのか?

女王陛下はつい先刻崩御されたばかりだぞ・・


・・エリザベス様はいつ崩御を知り、いつ宣誓書を書かれたのだ?・・


黙りこくる議員にニコラスは促した


「エリザベス女王万歳!」


すると皆が口々に連呼した。


「万歳、エリザベス女王万歳!・・」


この後、ロンドン中に鐘がならされ、

教会ではテ・デウムが演奏される


セシルの書とニコラスの機転が功を奏した。

セシルが用意した宣誓書に

ニコラスが‘11月17日’とのみ記入したのだ。


現代では日付だけ空欄の契約書は常識だが、

当時はセシルの画期的なアイデアだった。

・・


メアリー女王が没し、

国会でニコラスが活躍していた同じ時刻の

11月17日早朝に

ジェーン・ドーマーから手紙が届いていた


「メアリー女王陛下は11月16日に昏睡状態に入りました。きっと1日もたないでしょう。女王陛下の最後の言葉はこうです。


”何という良い夢でしょう?天使が大勢朕の周りで歌い、安らぎを与えてくれたのです"」


ドーマーからの手紙だけではない。


メアリー女王の死から時を置かず、

枢密院からも議会からも、

早馬で続々やって来て、

エリザベス新女王への忠誠を誓う。


しかし、エリザベスは、もっと重要な報せを、待っていた。


ポール枢機卿の報せを。


次の日の

11月18日早朝

ニコラスはハットフィールド宮に到着する。


この時エリザベスは、

大きな樫の木の下で聖書に耽る。


「で、どうであった?」


エリザベスは顔を上げぬまま尋ねると、

ニコラスは黙って、金のロザリオを差出した


これは、ポール枢機卿が身に着けていたもの。


「どう言う事だ?」

「先ほど、枢機卿は天に召されました。」


「・・・」


エリザベスは

何が起こったのかは尋ねなかった。


事実は、

ニコラスがポール枢機卿を訪ね、

元気だった枢機卿が

突如死んだという事。


エリザベスはこの手で

公衆の面前で殺人鬼を裁く機を逸したが

ニコラスを追求せず飲み込んだ。


そして、ニコラスは、更に宝石箱を渡す。


「ありがとう。これが欲しかったのです」


それは、メアリー女王が大切にしていた、

フェリペ2世からの婚約指輪。


"Black Enamel Ring"


この指輪に初めてエリザベスが出会ったのは、

3年前にメアリー女王に夜中呼び出された時だ。


暗い部屋の中、女王の薬指は、

怪しく黒く輝き、

漆黒の闇に吸い込まれそうであった。


エリザベスは指輪を手に取り、暫く眺めると、

おどけながら嵌めてみる。


「あら?私の薬指には大きすぎるわ」


と言って、中指に嵌め直すと、

勢いよく中指を上に立てた。


「どう?スロックモートン?」


ニコラスは思わず笑った。

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