第12話 女王イザベルの血

1554年3月6日

ロンドンのホワイトホール宮殿内

前方の祭壇には、神父と、

そして神妙な面持ちの新郎が並んでいる


カーン カーン カーン


鐘の音が鳴ると

広間一面に正装を決めた大勢の貴族達が

ザワザワし今か今かと女王の登場を待つ。


ギー、バタン!


一瞬に広がる静寂


祭壇の真向かい正面の扉が開く


貴族達の目線は一斉に

ウェディングドレスを身にまとったメアリー女王に注がれた


女王は一歩入室すると

一呼吸立ち止まる。


すると

拍手が一斉に舞った。


女王の表情は上気しているようだ。


それもそうであろう


結婚に、人生に、絶望した17歳だった少女が


20年後の今日、英国女王として

今をときめくスペイン王国の若きプリンス

フェリペと結婚するのだから


しかし残念ながら

本日祭壇で女王を待ち構えている新郎は

プリンスではない。


新郎"役"のエグモント伯爵だ


結婚を急ぐメアリー女王と

皇帝カール5世が


スペインからすぐに出立出来ない

フェリペの代役を立て

結婚の儀をとり行う事にしたのだ


さてメアリー女王


鳴り止まぬ拍手に包まれながら前に進み

前方の祭壇に上がると

エグモント伯爵の前に立ち目を閉じた。


・・いよいよか・・


女王は左手薬指をエグモント伯爵に差出す。


すると伯爵は

「女王陛下、この指輪は我が主君、皇帝カール5世からのものです」

と耳元で囁き、指輪を見せた。


・・なんだ、、プリンスからではないのか・・


っと、女王が頭をよぎったその瞬間


ッタン!コロコロコロ・・


伯爵の手から指輪が溢れ落ちた


・・はっ!何たる不吉、私のせいで・・


しかし、新郎“役”の伯爵は、

慌てる事なく、素早くかがんで指輪を拾う


・・

エグモント伯爵


この名誉あるスペイン王国プリンスフェリペ“役”を演じるのはフランドル貴族で、スペイン人では無い。


何故皇帝はスペイン貴族を選ばなかったのか?

エグモント伯爵は大事な指輪を落としてしまう間抜け。この人選は大丈夫か?


皇帝は

スペインから遠く目の届かないフランドルに

睨みを利かす役割を英国女王に期待した。


そしてエグモント伯爵は皇帝と

幾多の戦場を共にし

スペイン人の将軍と引けを取らない

功を上げてきた英雄である。


しかし、残念ながら皇帝の選択は誤った

エグモント伯爵は不吉な男だからだ。


伯爵は、この15年後にオランダ独立戦争に身を投じ、あろうことか自身が演じたフェリペ本人に処刑される運命なのだから


この悲劇の将エグモント伯爵の名を

どうか心に留めておいて欲しい


きっと彼はこの物語に戻ってくる・・

・・

ホワイトホール宮殿に戻ろう


伯爵は新郎"役"として

何事もなかったかのように

指輪を拾い女王の小指にはめた後、

懐から手紙を差出した


「恐れながら、マリア総督からでございます」


「マリア総督から?まことか?」


メアリー女王は、予想外の手紙に

少し興奮する

・・

ネザーランド17州総督マリアは

皇帝カール5世の妹である。


マリアの生涯は波瀾万丈だ

17歳でハンガリー王ラヨシュと結婚するが

4年後にラヨシュ王は戦死する。

未亡人となったマリアは

兄の命令でネザーランド17州の総督に即位したのが26歳。

するとマリアは政治家としての才能が開花した。

その後25年間の長きに亘り、兄カール皇帝に代わり統治を成し遂げたのだ


・・

「ようこそ、我が妹よ、

カスティリア"女王イザベルの血"を分けた娘よ」


これが、為政者としてメアリー女王の先を行くマリア総督からのメッセージである


女王は胸打たれた。

・・私にも“女王イザベルの血!”が、もうとうに忘れておったわ・・


スーぅと女王の頬に一筋の光がつたう。


・・

女王イザベルとは

イベリア半島からイスラム勢力を追出した伝説の女王


そしてその娘達も

伝説の女王である母の教えを胸に

厳しい試練に遭遇しても

不屈な魂を胸に克服し羽ばたいていくが


しかし唯一羽ばたかなかった娘

それがキャサリン

メアリー女王の母だ。


キャサリンは

英国王ヘンリー8世に離縁された挙句に

庶子に落とされ


娘メアリーも侍従に格下げされた。


母キャサリンは3年後に失意のまま他界し

以来メアリーは孤独と恐怖と戦ってきたのだ


そんなメアリーが英国女王に昇り詰め

本日対等の立場でマリア総督からメッセージを

受け取る。


女王は目を閉じた


・・確かに指輪は滑り落ちた。しかしまたすぐに拾ったではないか!

私にもマリア姉様(総督)と同じく、"女王イザベルの血"が流れているんだもの

そんな事で転落するほど柔ではない・・

・・


さてその頃、スペインに居たフェリペ王太子はメアリー女王の肖像画を眺め考え込んでいた。


「英国女王メアリー、ふーん、俺よりも10歳も年上か・・」


実物よりも“盛って”描いたろうに、

肖像画の女王は老婆のようだ


フェリペは28歳とまだ若いが、

しかし女王との結婚生活に浮ついた期待はない


だからと言ってこの結婚を嫌がってもいない


フェリペのグランドヴィジョンはあくまで

息子を早くつくる事

そして英国を奪取する事

そのチャンスを逃さぬ為にむしろ結婚に乗り気だ


「女王は既に37歳

子供はできるのか?急がねばならぬ」


「その為にも、最低2年間はスペインを離れねばならない。信頼できる人物を探さねば」


適当な人物の目星はついていた。

ポルトガルに嫁いだフェリペの妹ファナ。


まだ19歳だが、夫に死別したばかり。


そして彼女もまた、

女王イザベルの血が脈打つ娘達の一人だ


ファナはフェリペの要請に応えた。

産まれたばかりの息子をポルトガルに残し

スペイン統治の覚悟を決めたのだ

・・


さて、エリザベスだが


メアリー女王との面談を拒否され

結婚の儀も呼ばれる事もなく

1ヶ月間もセント・ジェームス宮殿で

ずっと待機させられている。


そしてメアリー女王が動いたのは


結婚の儀も終わり

エグモント伯爵が

フランドルに戻った3月16日の事


女王は

ウィンチェスター侯爵とサセックス伯爵をエリザベスに派遣した。その目的とは・・


「エリザベス様、ご同行をお願いします」


「どこへだ」


「ロンドン塔でございます」


「何?」


エリザベスは青ざめた

・・まさか?・・

・・私も母と同じ運命?・・


・・

エリザベスの母アン・プーリンは

18年前不義密通の罪で死刑を宣告される


処刑台に臨む母アン・プーリン

最後の願いは、

斧ではなく、

腕の良いフランス人による剣での

打ち首であった


斧では一回で済む事はなく

何度も首めがけて振り下ろされ

罪人は断末魔の叫びを続けねばならない


母の切ない願いは聞き入れられ

立ったまま一撃で首を刎ねられ

切断された首は

“ロンドン塔”の一室で

静かに転がったという

・・


エリザベスは母と同じ運命に抗おうとし

こう言った。

「ウィンチェスター侯爵殿、サセックス伯爵殿、しばし待たれよ・・」


・・まず、時間を稼ぐのだ・・


女王イザベルの血が脈打つ娘に

ロンドン塔で処刑された罪人の娘が抗う術は


惨めだ、


惨めだが、

唯一時間を稼ぐ事だけ、、

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