第13話 コンパスの、ペン

1554年3月16日早朝 セント・ジェームス宮殿

枢密院のウィンチェスター侯爵とサセックス伯爵両名が

エリザベスの前に無言で立っている。


「ロンドン塔へ?この私がか?」

両名は神妙に頷く


「・・・」


凍り付いた沈黙がほんの数秒・・


エリザベスは恐怖したが

平然を装い


「ウッ、フォン!」


言葉を切り出す


「両名とも、よくご存知の通り、」


と姿勢を正して、


「私、エリザベスは、姉メアリー女王陛下の

この世で一番の忠実なるしもべです。


陛下のご命令です。何処へでも参りましょう。」


とはいえ、このままでは断頭台行きだ


「この1ヵ月間、この忠実なる妹は

目と鼻の先にいらっしゃる姉に

一度も面会が叶いませんでした。」


そしてエリザベスは平然と言い放つ。


「姉上に手紙をしたためます。」


侯爵と伯爵両名とも少し驚いたが、


・・ま、手紙ぐらいならば良いであろう・・

と頷いた。


エリザベスは1人書斎に篭る。


4-5時間が経過


ランチのスープも冷えたが

部屋から出てこない。


・・もしや脱走か?・・


侯爵と伯爵両名は胸騒ぎがし

ノックもせずドアを開ける


すると

・・居られましたか・・


騒々しい両名の入室を気にも止めず

ペンを握りしめ、手紙を睨みつけている

そんなエリザベスの姿に

侯爵と伯爵の両名はホッとする。


するとウィンチェスター侯爵はサセックス伯爵に目配せをし

伯爵は頷くとゆっくりと歩み寄った。


「エリザベス様、御身体に障ります。せめて一口でも」


とパンが載った皿を差出した


エリザベスは一瞥し

「要らぬわ」と答えようとしたが、

パンの下に挟まった紙切れを見つけると


皿を受け取り、パンを頬張りながら紙切れのメモを読む


”コンパスの、ペンを求む"


・・"コンパスの、ペン" だと!・・


エリザベスは、心躍る


・・これは、処刑されたトマス・ワイアットと私だけが知りうる暗号!・・


“コンパス”とはこの世であり、

“ペン”とは指し示す者、


有能な若き騎士ワイアットが

信奉するエリザベスを

“コンパスの、ペン”と表現したのだ


・・目の前の両名はワイアットと通じている・・


・・ああ、我がワイアットは、死を前に枢密院にも手を・・


しかしエリザベスは喜びを顔に出さない、

メアリー女王は侮れぬ相手

ワイアットと同じ轍を踏んではならぬのだ!


スペイン王太子フェリペとの結婚式は間近故、カトリック勢は警戒を怠らぬであろう


なので

周囲に悟られぬよう

パンを頬張りながら

エリザベスは、そそくさと書きかけの手紙の余白にペンを走らせ、


"涙流す者、神に祝福される也"


と書くやすぐに塗りつぶした。


サセックス伯爵は

しっかりとメモを読んだのか?

意味が分かったのか?

エリザベスは確認しない。

顔すら上げず、平然と消した。

・・


その日の夜遅く、ウィンチェスター侯爵とサセックス伯爵はメアリー女王を訪れた。


「なんだ、この手紙は?朕に全て読めと?」


女王は激怒した


「読み終えるのに一晩かかるではないか!

ん?何だこれは!」


女王は更に大声を上げた。


「見よ!全面真っ黒ではないか!」


女王の手から真っ黒に塗り潰された手紙を見せられた


侯爵と伯爵両名は、唖然としたが、すぐに目を伏せ 女王に悟られぬよう笑う。


・・エリザベス様は、隠語だけ消したのではなく、余白全て真っ黒に塗ったのか?笑える・・


「塗り潰しに時間をかけ、護送を断念させるとは!」


と女王は手紙を暖炉に投げ入れ


「明日早朝には、有無を言わさず、必ず、エリザベスをロンドン塔に護送せよ!良いな!」


侯爵と伯爵両名が退出すると


側に控えていたスペイン大使ルナールが女王の前に出た。


「女王陛下、恐れながら申し上げます。

本日の護送命令すらも遂行されなかったのは、ただごとではございませぬ」


大使ルナールは、先程退出した両名の

女王への嘲笑を見逃しては居ない。

声はいつもより低く震えていた


「予定通りエリザベスを処刑すれば、ロンドンはきっと乱れるでしょう」


女王への反感は高まっている。


メアリー女王は

ロンドン市民を裏切ったからだ


“外国の者との結婚をしない”

と女王は、ワイアット襲撃の前日に宣誓した


だからロンドン市民は女王に賛同し、ワイアットの乱を鎮圧できたのだ。


ワイアットはプロテスタントの若き英雄、

もしロンドン市民の加担なくば、広場に首が晒されたのは

ワイアットではなく、メアリー女王であったろう


「スペイン王太子は、7月にはもうロンドンに来られます。結婚は必ず成功させねばなりませぬ。それまでエリザベスの処刑は・・」


大使ルナールは下を向き唇を噛み

そして言葉を絞り出した


「真に残念ながら、エリザベスの明日の処刑は見送るのが賢明かと」


何と、エリザベスの幼稚に見えた時間稼ぎは無駄では無かったのだ!


さもなくば、エリザベスは母と同じく、断頭台行きだったのだから!

・・


さて、次の日の3月17日

朝から、どしゃぶりの雨であった。


メアリー女王の命令通り

ウィンチェスター侯爵とサセックス伯爵は

エリザベスを護送する。


ロンドン塔への道のりだが

エリザベス一行は陸路ではなく

テムズ川を船で向かう。


囚人は、陸に面する門からロンドン塔に入る事は許されず

テムズ川に面している裏門、

通称「謀反人の門」から入るからだ


到着するとエリザベスは船上で護衛兵に両脇を抱えられた。


「離せ!無礼者!1人で上がれるわ!」


と護衛兵を振り解き、1人で船上から河岸の階段に足を踏み入れた


エリザベスは謀反人の門の手前で振り向くと

両手を広げ、ずぶ濡れのまま大声で訴えた。


「ここに居る紳士淑女の皆様、よく見ておきなさい。


私、エリザベスが、

メアリー女王の真の忠臣である私が、


罪人としてここに降り立ちます。


皆様、どうか、証人になって下さい。


もう一度言います、

私は、チューダー家の正当血統者として、

この’謀反人の門‘から入るのです。」


すると、エリザベスの侍女6名全員が涙した。

しかし、ウィンチェスター侯爵とサセックス伯爵は両名とも涙してないようだ。


エリザベスはがっかりする

・・うむ、この両名は味方せぬのか・・


その時である

重々しい’謀反人の門‘が開くと

中から一人の女性が現れ、

エリザベスに近づき


「エリザベス様、雨に濡れます。どうか、中に入って頂けますまいか?」


すると彼女は、急にこれ見よがしに嗚咽して泣き始めたのだ


エリザベスは思わずサセックス伯爵と目が合う。サセックス伯爵は笑顔で頷く。


この嗚咽した女性の名はブリッジズ。

エリザベス監視強化の為、

メアリー女王自らが指名したロンドン塔の新たな支配管理人なのだが、


実はブリッジズの夫はワイアットの乱に参加し女王に処刑され未亡人に。


ブリッジズは夫の恨みを晴らす為、

カトリック教徒と偽り

まんまと女王に近づいたのだ


ブリッジズだけではない

メアリー女王の想像以上に反メアリー女王の輪は広がり

エリザベスに力を寄せ始めている


皆、”コンパスの、ペン“の言葉を待っていたのだ

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