15 らぶ・ていすてぃんぐ
目が眩むほどの強い照明の下に、俺はいた。
辺りを見回すと、どうやらここはクイズ番組のセットの真ん中――回答者席らしい。
もしかしなくても、これは夢だ。
端の方から、シックなワンピースの衣装に身を包んだ瀬名が現れる。右手にはハンドマイク。まさにクイズ番組の司会者だ。
「わう。瀬名くいずの時間です」
「せ、瀬名クイズ……?」
「先輩には、これから瀬名にまつわるくいずを答えてもらいます。瀬名の先輩なら、当然全問正解です」
夢だから当たり前とはいえ、不条理極まりない話だった。
「第一問。瀬名が大好きなものはなんですか?」
初っ端から難しい問題は出さないようだ。甘いものだろう。
「ひんとは、人間です」
「…………」
こ、これは……。
「せ、先輩……かな」
「ぴんぽんです」
聞き慣れた正解の効果音と、どこからか鳴り響く歓声のSE。
「第二問。瀬名の飼い主は誰ですか?」
「…………」
だんだん、嫌な予感がしてくる。
「先輩……」
「そうです」
またしても、「ピンポン」とチープな効果音が鳴らされた。
「じゃあ、将来瀬名をお嫁さんにしてくれる人は?」
「え、えっと……」
「わう……即答できないんですか?」
いぬ耳の司会者は、じとーっとした目をする。
「いや、あの……せ、先輩かな」
「もちろんです。それでは、瀬名のことを一生かわいがってくれる人は?」
「せ、先輩……」
「瀬名と永遠に一緒にいてくれるのは?」
回答が全て同じ問題――クイズという名の尋問が、無限に繰り返される。
な、なんなんだ? この夢は……。
* *
今日は、朝から瀬名のご機嫌が斜めだった。
なぜなら、瀬名のやわらかな髪が、一房だけぴょこんとはねているからだ。
「わう……」
瀬名は忌々しげに鏡を睨むと、はね毛にブラシをかける。
だがくせがついた髪は頑丈で、櫛を通してもまた元のようにくるんとなる。
何度やっても同様だ。
「け、毛並みのよさが瀬名の特技なのに……」
ぷるぷる震えている。
確かに、普段はくせがない髪で、さらさらだから、こういうことは珍しい。
乾燥する季節だから、そのせいかもしれない。
「わう……瀬名がずっとはね毛でも、先輩、お嫁さんにしてくれますか?」
心配そうにこちらを見上げている。
「あはは、もちろん」
俺は、水とドライヤーを駆使して、どうにかくせ毛を元に戻した。
「わう! あんなに頑固なくせ毛だったのに!」
鏡の前で目を丸くする瀬名。
「あはは、生活の知恵だよ」
「わうー、ありがとうございます」
わうわうな女の子はすりすりしてくる。
「わふふ、瀬名は先輩にほの字です」
「ほ、ほの字……」
古い……。
「そうだ、瀬名に渡すものがあったんだった」
俺は鞄から絵本を取り出す。
『はらぺこしろいぬ』と題された一冊。絵本作家をしている母さんが、新作をくれたのだ。
「瀬名がモデルだって」
「わう……」
彼女は真っ赤になっている。
絵本の中で、小さなマルチーズが食べものをうれしそうに食べている。仕掛け絵本となっており、穴が開いていたり飛び出したりと、面白い趣向が凝らされている。
「とってもかわいいなぁ」
モデルがモデルなだけに、そのかわいさは端から保証されていたが、やわらかい絵柄で描かれる瀬名の愛くるしさは格別だった。
「わう……恥ずかしいです」
「母さんに会ったら、お礼言っとくんだぞ」
* *
大学を終えて家に帰ると、瀬名もちょうど帰ってきたところだった。
どうやら母さんのところに遊びに行ってたらしく、母さんまで一緒だった。家まで送ってくれたらしい。
「ただいまです」
「ああ、おかえり」
瀬名が母さんと仲良くするのはいいことだ。
俺じゃどうにもならないこともあるだろうし、仮にも母さんは成人に近い子どもを持っている身なのだから、色々助けになってくれるはずだ。
去り際、母さんは俺に一声かけていく。
「孝太郎、瀬名ちゃんを大切にしてあげなさいよ。しっかりお嫁さんにしてあげるのよ」
「え!?」
どういうことだか訊きたかったが、母さんはさっさと行ってしまった。
「瀬名、母さんに何を言ったんだ?」
「わう? 色々お話したので覚えてないです」
どんどん外堀が埋まってるような……いや別にいいんだけどさ……。
「瀬名、先輩にらぶたっぷりのごはんを作りたいです。なので、先輩のお母さんに料理を教わってます」
「ら、らぶ……」
「わふふー、やっぱり胃袋をつかむには『おふくろの味』ですから。今日の晩ごはんは瀬名が作ります。先輩、何が食べたいですか?」
「うーん、そうだなぁ……」
瀬名が作れそうな料理……かといって簡単すぎるものをリクエストすると、怒られそうだ。
「カレーかな」
「わう! 作ります。先輩、楽しみにしていてくださいね」
* *
出来上がったのは、ベーシックなビーフカレー。
りんごとはちみつで有名なルーを使っており、まろやかな味わいだ。
丁寧に切られた野菜や肉はよく煮込まれている。
米の炊き具合もばっちりだ。
「瀬名のカレーはおいしいなぁ」
「わふふー、瀬名は先輩のふぃあんせなので」
「げほっ、げほっ、げほっ」
「わう!? 先輩、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫……」
フィアンセ。
確かにお嫁さんにするって約束したし、瀬名は婚約者なのかもしれない。しかし、その言葉の響きがなんとも予想外だった。
カレーを口に運びながらも、動揺が抑えられない。
俺は瀬名のことが大好きだし、幸せになってほしいと思う。
瀬名にはたくさんの可能性がある。お嫁さんになる他にも、たくさんの道があるだろう。
大きくなったら、あんまり考えたくないが――他の人を好きになることだってあり得る。そうなったら、俺のもとを離れて独り立ちする選択肢だって存在するのだ。
だから、仮に瀬名が五年後俺と結婚する気を失っても、それはそれで自然の摂理だとして受け入れるつもりだった。
彼女はまだ子どもだし、人生を規定するには早すぎる。大きくなった彼女に、昔の約束を持ち出すのは無粋だろう。
もちろん、大きくなっても俺のお嫁さんになりたいと言うのなら、約束通りそうするつもりだった。これまで通り瀬名と一緒に暮らしていくのは楽しいだろう。
* *
その日、大学に行こうとすると、瀬名が弁当箱を差し出してきた。
朝からキッチンで、何かかちゃかちゃじゅうじゅうやっていると思ったら。
「わふふ、愛妻弁当です」
「愛妻……」
「お昼に食べてください。瀬名のらぶがたっぷり籠ってます」
「あ、ありがとう……」
瀬名はあまりにもあけすけに好意を伝えてくるので、いつも面食らってしまう。いい加減慣れるべきなのだろうが。
* *
昼休み、俺はラウンジで弁当箱を広げる。
二段重ねで、下の段にはふりかけがかかった米がぎゅうぎゅうに詰められている。
上の段には、玉子焼き、ブロッコリー、たこさんウインナーといったおかずが入っていた。
口に運ぶと、どれも塩加減がちょうどよくておいしい。
――瀬名のらぶがたっぷり籠ってます。
ら、らぶ……。
おいしいけど、おいしいけどなんか気恥ずかしい……。
でも、確かに瀬名が作る料理は特別な気がした。
これが、瀬名が言うところの「らぶ」の力に起因するのかは分からないが。
もふもふの白い毛玉だった生きものが、突然人間になって。
だけど中身はいぬのままで、やたら距離が近くて、人間社会のことをよく分かっていなくて。
最初の頃は苦労したものだった。
だけど、とても素直でいい子だから、教えたことはすぐに覚える。
いつも一生懸命で、純粋で。とてもなついてくれていて。
そんな女の子が、俺のために作ってくれたという料理には、どうしても感慨が生じる。
だから、彼女の料理は特別だった。
帰ったら、ちゃんとお礼を言わないとな。
* *
夜。部屋の灯りを消すと、瀬名はいつものように俺の布団の中に入って、くっついてくる。
さすがにもう慣れた。
じかに伝わってくる、じっとりとした子ども体温。
大きくて丸い一対の瞳が、こちらに向けられている。
さすがにこんな間近で目を合わせると照れるというか……。
「わう?」
「ど、どうしたんだ? そんなに見つめて」
「わう!」
目の前の、屈託のない笑顔。
「瀬名、先輩の目を見つめているの、好きです」
「そ、そうか? 大して面白みもないと思うけど」
「わふふ、先輩の目は、お天気の色です。見ているとぽかぽかします」
「瀬名の瞳も、とてもきれいだよ。透き通って、輝いてて」
「わう……」
瀬名は真っ赤になる。
照れられるとこっちまで恥ずかしくなってくる。
「もっと見ても、いいですよ?」
頬に手を伸ばしてくる彼女。
挿絵(https://kakuyomu.jp/users/allnight_ACC/news/16817330651700763582)
「瀬名は先輩のいぬです。好きなだけ見てください」
陽光に照らされた輝く水面のように、彼女の瞳の中に透明な水色がたゆたっている。
な、なんだ? 見慣れているのに、どうしてこんなにいつもと違って見えるんだろう。
瀬名はわうわうで、歳が離れた妹のような女の子であるはずなのに。
もしかしたら彼女は、俺の想像を遥かに上回っているのかもしれなかった。
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