6〈mof〉 いぬ・はたらく


 今日は、バイト初日です。

 朝から先輩はおろおろしています。


「これが防犯ブザーだ。変な人に会ったら迷わず鳴らすんだぞ。それで、こっちがテレホンカードだ。何かあったらすぐ俺の携帯に掛けてくれ。番号のメモも入れておくからな。あとは、地図と家の鍵と、緊急時用の一万円札と、ハンカチと、ティッシュと――」


 どんどん色んなものが詰め込まれていくので、瀬名の小さな鞄はぱんぱんです。


「わう……」

 先輩は心配症です。先輩の電話の番号はちゃんと覚えてるし、地図がなくてもカフェと家の場所はわかります。とはいえ、気にかけてもらえるのはすごくうれしいです。ほっとかれるより、何百倍もマシです。


「カフェまで送っていこうか?」

「大丈夫です! それに、先輩は大学があります」


「ちょっとくらい遅刻したって大丈夫だよ。瀬名の初めてのバイトの方が余程大事だ」

「わう……」

 大事だなんて、くすぐったいです。




 * *




 店長から色々教わりながら、瀬名のバイトが始まります。


 制服は、クラシカルなウエイトレスでした。落ち着いたデザインで、上品な感じです。小柄な瀬名に合わせたSSサイズの服は少し胸の辺りが苦しい気がしますが、これくらいは許容範囲でした。


 お客さんはそれほど多くはありません。しかし、馴染みの客がときどきやってきては、店長と談笑したりしています。


 いい匂いの紅茶やコーヒー、それにときどきケーキやパフェなどのデザートを運びます。どれもおいしそうで、おなかがすいてくるのが難点です。しかし、これは仕事。つまみ食いなど言語道断なのです。


 瀬名は真面目に仕事をこなします。一生懸命働けば、きっと先輩も喜んでくれるはずです。


挿絵(https://kakuyomu.jp/users/allnight_ACC/news/16817330651317547973


 お仕事だと思うと、あまり人見知りが発動しません。

 瀬名は、もう根無し草のノラではないのです。大好きな先輩のために、一生懸命頑張ります。


 店長が淹れたお茶とお菓子をお盆に乗せて、お客さんのところに運びます。

 おっとりしたおばあさんです。


「ご注文の、みるくれーぷとかぷちーのです。かぷちーのは熱くなってますので、飲むときはふーふーしてください」


「まぁまぁ、かわいいウエイトレスさんだねえ。ありがとう」

「わう……」

 先輩以外の人に「かわいい」と言われるのは、なんだかくすぐったいです。


「最近ここで働き始めたの?」

「はい。今日が初めてのばいとです」


「がんばってね」

 おばあさんは、くしゃっとした笑顔を向けてきます。

 たった六文字の言葉なのに、どうしてだか胸に残る温度がありました。




 * *




「瀬名ちゃん、もう休憩入っていいよ」

 店長の言葉に、遅めの昼食を摂ります。


 鞄から、先輩が作ってくれたお弁当を取り出します。瀬名の好きなおかずばかり詰めてあります。持たされた水筒には、瀬名の好きな甘いミルクココアが暖かいまま淹れてありました。


「…………」

 先輩のやさしさで、胸がぽかぽかしてきます。午後の仕事も頑張ろうと思う瀬名でした。


 店長がふらっと休憩室に入ってきます。

「瀬名ちゃん、お茶はバイトの子へのまかないだから、飲みたいときは言ってね」

「ありがとうございます」


「そのお弁当、かわいいね。瀬名ちゃんが作ったの?」

「いえ、先輩が作ってくれました」


「先輩って――こないだ一緒に来てた男の人?」

「はい。先輩は瀬名の飼い主です」

「えっ」

 店長の顔が引きつります。


「先輩の生活費のために瀬名はばいとするんです」

「ええ……」

 店長の顔が余計に険しくなります。


 しかし、瀬名は自分が何を言っているのかよくわかっていません。ただ、本当のことを言っただけなのです。

「そ、そうなんだ……何か辛いことがあったら言ってね。相談に乗るから」


 店長は部屋を出ていったかと思うと、また戻ってきます。その手には皿に乗ったお菓子があり、テーブルの上に置かれます。


 明らかに店長手製のいいプリンです。白いクリームが乗っています。

「これを食べて強く生きてね」

「わーい! ありがとうございます!」


 よく分かりませんがプリンを食べることができて、瀬名は幸せです。ミルクココアともよく合います。

「そんなにおいしそうに食べてもらえると、作った甲斐があるよ」

「おいしいです」


「甘いもの、よっぽど好きなんだねえ」

「はい。でも『無駄飯食らい』は先輩の迷惑になるから、我慢しないといけません」


「…………」

 店長は目頭を押さえていました。

「?」




 * *




 休憩が明けたら、夕方頃までせっせと働きます。

 カフェはゆったりとしていて、あまり慌ただしくないですが、それでも覚えることが多くて大変です。特に、横文字が多いメニューを覚えるのはむずかしいです。


 からんころんとドアのベルが鳴って、またお客さんが入ってきます。

「先輩!」

 そこには大好きな先輩の姿がありました。


「そろそろバイト終わりだろ? 迎えに来たよ」

 まさか来てくれるなんて。とってもうれしいです。


「その制服すごくかわいいな。似合ってるよ」

「…………」

 さっき先輩以外の人にかわいいと言われるのはくすぐったいと思いましたが。先輩に言われてもくすぐったい瀬名でした。


「お席へご案内します」

 今の瀬名はウエイトレスさんです。先輩をお客さんとしてしっかりもてなします。ちゃんと注文を取ります。


「瀬名ちゃん、その人が先輩?」

 先輩が頼んだメニューを報告すると、店長が問いかけてきました。

「そうです」


「…………」

 店長は、いたいけな少女を手籠めにした上に生活費を稼がせるモラハラ鬼畜男を見る目で、先輩を見ています。

 しかし、心当たりがない先輩は何のことだかわかりません。


「ああ、どうも。瀬名がお世話になってます」

「ど、どうも……」

 なんだか微妙な雰囲気で、店長はコーヒーを淹れました。


「ご注文のマンデリンコーヒーです」

 香り立つカップを、瀬名は先輩の前に置きます。


「瀬名、立派になったな……」

 先輩は涙ぐんでいます。とても大げさです。


 でも、立派だと褒められて悪い気持ちはしません。瀬名は自分のことをお利口な孝行いぬだと思っているので、先輩にもそう思ってほしいのです。




 * *




 バイトを終え着替えてから、先輩と手をつないで帰ります。


 瀬名のおなかがぺこーと鳴ります。

「わう」

 ずっとあくせくと働いていたので、もうぺこぺこです。


「今日のごはんは瀬名の好きなハンバーグだよ」

「わーい! おなかすいてたんです」

 とっても楽しみです。早く食べたいです。


「お客さんに、ばいと頑張ってねって言われました」

「そうか、優しいお客さんがいてよかったな」

「はい」


「きっと瀬名が真面目にバイトしてたからこそ、お客さんもそんな言葉を掛けてくれたんだと思うよ」

 先輩は頭を撫でてきました。しあわせです。これが一番のバイト代です。

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