エピローグ いふ・いぬかわいがりかわいがり
その日も、俺は仕事を終え家に帰る。
「ぱぱー」
「ぱぱー」
小さな女の子ふたりが、とことこ駆け寄ってくる。
「おかえりなさいー」
「おかえりなさいー」
鏡にでも写したかのように、そっくりな見た目。双子だった。
姉――桃色のリボン――の方が
「パパ、おかえりなさい」
そして、少し遅れて部屋の奥から現れた女性が、世界で一番可憐な笑顔を見せる。
艶やかな黒髪と、水色の花飾り。
左手の薬指には、銀の指輪をはめている。俺とおそろいのものだ。
挿絵(https://kakuyomu.jp/users/allnight_ACC/news/16817330652054346767)
「ただいま」
彼女は食事の支度の途中だったのか、エプロンを着けている。
「ぱぱー、だっこしてー」
「ぱぱー、あそんでー」
「こら、パパはお仕事で疲れてます。休ませてあげなきゃです」
「わうー」
「わうー」
小さな双子は不満げな顔をする。その表情は、彼女たちが生まれる前から見慣れたもので、それが面白かった。
「あはは、後でやってあげるから」
二卵性双生児なのによく似ている。瀬名のミニチュア版みたいな、かわいい子どもだ。
いぬ耳といぬしっぽまでついている。家の中にいるときだけ、きゅぽんと出てくるのだ。
双子だとわかったときは驚いたが、いぬなのに三つ子や四つ子でないだけ少ない方なのかもしれない。
結婚するとき問題になったのは、瀬名の戸籍である。しかし、その辺はいぬの神様がなんとかしてくれた。随分至れり尽くせりな神様だと思う。
「叶えた願いは『お嫁さんになること』なのだから、籍を入れられるようにするのは当然じゃ」などと言っていたが、何はともあれ。
彼女は、名実ともに鴇野瀬名となったのだ。
スーツのジャケットを脱ぐと、瀬名がネクタイを緩めてくれる。
なんとなく、ネクタイはいつも彼女が締める役割になっていた。
「瀬名、今日の弁当もおいしかったよ」
「ふふ、愛情が籠ってるので」
3LDKのマンション。
さすがにあのアパートは手狭になったので、マンションに引っ越した。
瀬名は子育ての傍ら、絵本作家をしている。俺の母さん――絵本作家をしている――が瀬名の絵を見て気に入り、その伝手で仕事を始めた。
その豊かな色彩感覚と、瀬名の描く「ぽかぽか」な世界観は、好評を博している。真名と美名も読者のひとりだ。
四脚の椅子に囲まれた食卓に、各々腰掛ける。
今日の夕食は、ぶり大根とほうれん草のおひたしだった。
旬のぶりは脂が乗っているし、大根はしっかり味が染みており、箸を通すと触れたそばから切れていく。
「骨に気をつけるんだぞ」
「わう!」
「わう!」
真名と美名は、ちまちま魚の骨を取り除いていく。
いつも家族のために手料理や手作りお菓子を振る舞ってくれる。
彼女が作るものは、繊細で格別の味だった。
「わうー」
「わうー」
食べ終えると、双子はとことこと流しに皿を持っていく。
「ふたりともいい子いい子です」
「わうー」
「わうー」
頭をなでられて、真名と美名はうれしそうにする。こういうところも瀬名そっくりだ。
* *
「ぱぱー」
「ぱぱー」
食事を終えて暇になると、ふたりして膝の上に乗ってくる。
「だっこー」
「あそんでー」
真名を抱っこしながら、美名に訊く。
「何で遊びたいんだ?」
「ぶろっく! あのね、おしろつくってるの」
「真名もブロックやるか?」
双子の姉は、腕の中でこくりとうなずいた。
作りかけの城を見て、俺は少し驚く。
「お、お城って……」
思いっきり日本の城だった。
「わうー、おおさかじょーつくるの」
「大阪城か……」
「めーじょーだよ!」
確かに大阪城は名城だが。
ブロックを組み合わせて、塀の色を巧みに表現している。
手先が器用なところは、母親似だろうか。
築城の助手となった俺は、天守閣を作る。うまく曲線を表現するのが難しい。
「ぱぱ!」
声の方向に目をやると、美名はむくれていた。
「それおおさかじょーじゃない! おおさかじょーはみどり! それにしろいの!」
「ごめん、美名、ブロックってあんまり色がないんだよ」
大阪城の天守の、薄い青緑色のブロックなんてない。
「じゃあクレヨンつかう!」
「えっ」
ブロックに彩色して、大阪城の色に近づけようというのだろう。クレヨンじゃ着色は難しそうだが。
「…………」
真名は少し離れた場所でひとりで黙々とブロックを積み重ねて、何かを作っている。
集中しているときは、ひとりで黙々とやりたがる子だ。かまって欲しいときは、自分からくっついてくる。
今は、集中させておこう。
* *
俺と瀬名が手伝って、ブロックを絵の具で塗り、どうにか美名がお気に召す色になったらしい。
大阪城は完成した。
「わふふー」
美名は満足そうな顔をしている。
「真名は何作ってたんだ?」
「さくら」
たしかに、小さな手元には薄桃色の花々をつけた木々が完成していた。
真名は、大阪城の後ろに桜を置く。
桜と大阪城という光景が出来上がった。
「わうー!」
美名は目を輝かせている。
妹が作っているものと合うものを、作っていたらしい。
「おねーちゃんありがとう! ぱぱとままも!」
* *
真名と美名が眠りに就いたことを確認して、俺と瀬名も布団の中に入る。
彼女は、相変わらずくっついてくるところは何も変わらない。普段はお母さんとしてしっかりしているが、こういうときは甘えん坊な一面が出てくる。
向かい合うと、目の前に瀬名の大きくて丸い瞳が見える。
俺の頬をなめる彼女。
「わう。先輩、疲れてる味がします」
「え? そ、そんなことまでわかるのか?」
「当然です。いつもなめてますから」
相変わらず、彼女のいぬ的超感覚は健在だった。
「先輩、お仕事で何かあったんですか?」
ふたりきりになると、彼女は俺のことを先輩と呼ぶ。そっちの方がしっくりくるらしい。
夫婦なんだから名前で呼んでくれてもいいんじゃないかと思うが、恥ずかしいという。まぁ、それが瀬名らしさなのかもしれない。それに、「先輩」は特別らしいから。
瀬名は、俺の仕事の話をうんうん聞いてくれた。
「わう。先輩はすごいです。とっても頑張り屋さんです」
「瀬名と真名と美名が家で待ってると思うと頑張れるんだ」
「先輩がもっと家でリラックスできるよう、わたしも頑張ります」
瀬名は頭を撫でてくる。
「わたし、気づきました。わたしが頭なでられるのが好きなように、真名も美名も、なでなでが好きです。瀬名だって、なでられるばかりじゃなくて、なでなですれば、みんなもっとぽかぽかです」
「あはは、ありがとう」
「先輩、ぽかぽかですか?」
「ああ、すっごくぽかぽかだよ」
お互いに頭を撫で合う。なんだか変な感じだが、悪くはない。
「わたし、先輩のお嫁さんになれてよかったです」
撫でる手を不意に止め、彼女は話し始める。
「先輩と出会えなかったら、わたし、きっとあの公園で冷たくなっていました」
鈴を転がすような声が、かすかに響く。
「それが、今はこんなにぽかぽかな毎日です」
あの日瀬名と出会わなかったら、世界は今よりずっと色褪せていただろう。
こんなにも愛おしい存在が、辛い気持ちのままいなくなってしまっていたなんて、考えすらしたくない。
「瀬名がずっとずっと欲しかったのは――きっと、家族です」
彼女の手が、俺の手に触れた。
「ずっと一緒にいてくれる、ぽかぽかな、家族」
そのなめらかな手のひらから、指先から、彼女の体温が伝わってくる。
「わたし、もうひとりでいても寂しくありません。ううん、ちょっとは寂しいですけど……でも、昔みたいに、心細くて、苦しくて、生きていけないような気持ちにはなりません。だって、わたしには家族がいるから。離れていても、ひとりじゃないから」
「瀬名……」
俺は彼女を抱きしめる。
「先輩、瀬名の家族になってくれてありがとうございます。今はとってもぽかぽかです」
「俺の方こそ、ありがとう」
そう言うと、目の前の女性は弾けるように笑った。
「真名も美名も、先輩に似てすっごくかわいいです」
「え? ふたりは瀬名そっくりじゃないか」
「わう? 先輩似ですよ? 女の子はお父さんに似るって言いますし」
見解の相違があった。うーん、あれだけ瀬名の生き写しのようなかわいい子どもなのに。
「瞳の色とか、眉の形とか、先輩に瓜二つです」
そう言われても、ぴんとこなかった。
「真名も美名も、瀬名にそっくりでかわいいよ」
「わうー」
瀬名は赤くなる。
「先輩、その――真名と美名がもう少し大きくなったら、わたし、もっと子どもがほしいです」
「全部で十人くらいがいいんだっけ?」
「わう。十人はさすがに無理です」
「あはは、そうだな」
「先輩、その……
「ああ、もちろんだよ」
「えへへ、瀬名、どんな世界でも、先輩とずっと一緒にいます」
彼女は、世界で一番愛らしい笑顔を浮かべた。
「わう……」
色々話していたら、そろそろ眠くなってきたらしい。
「先輩、おやすみのキス、してください」
「ああ、おやすみ」
そっと唇を重ねた。
彼女を抱きしめる。相変わらず小さい肩と、高めの体温。
目の前の女性は、俺の胸に顔をうずめた。
「ふふ、わたし、最初からこうすればよかった」
「瀬名?」
「わう……?」
顔を上げた瀬名は、眠そうにしている。
「あはは、なんでもないよ。おやすみ」
「わう……おやすみなさい……」
寝息を立て始めた。
どんな世界でも、か。
今とは違う世界なんて、想像すらできない。
どんな世界でも必ず瀬名と出会って、必ず好きになって、必ず一緒になるのだろうか。今と同じ姿形や性格をしているとは限らないのに。
腕の中のぬくもりと、子犬のようなあどけない寝顔。
なんだか彼女から離れられないような気分になってくる。
まぁいいか。離れる必要なんてないのだし。
小さなマルチーズを飼うと決めた日から、彼女がお嫁さんになることを夢見ていると知った日から、彼女と結婚した日から。
生涯連れ添うと決めたのだから。
それは、瀬名に必要とされたからという理由だけではない。
俺自身が、瀬名のことが大好きで、瀬名と一緒にいると幸福で、瀬名とならきっと幸せな家庭を築けて、瀬名とずっと一緒にいたいと思ったからだ。
起こさない程度に、俺はそっと彼女の頭を撫でた。
――――――――――――――――――――――――
あとがき→https://kakuyomu.jp/users/allnight_ACC/news/16817330652054355387
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