5 いぬとの出会い・下


 顔に当たるもふもふな感触で、目を覚ます。

 白い毛玉が乗っかってきているらしい。


「わうーん」

 俺の顔に、ざらざらの肉球を押し付けてくる。


「せ、瀬名……」

 この小さな生きものは、自分のもふもふがいかに魔力を持っているかわかっていないのである。


 これじゃ、起きるほかなかった。仕方なく、俺は身体を起こす。

 最近は、すっかりマルチーズが目覚まし時計になっている。


 まだ眠気が残る頭のまま、俺は身支度をする。脳が身体に指令を出しているというより、染み付いた習い性のままに身体が勝手に動いているといった有様だったが。


 えさ入れにドッグフードを注ぐと、小さないぬは元気に頭を突っ込む。

 しっぽが左右に揺れ、丸いおしりがひょこひょこ動く。


 それがやけに愛らしく思えて、俺は自然とおしりを撫でていた。

「ばうっ!」

 瀬名は、ぎっと睨んでくる。


 そうだった、しっぽにさわられるのは妙に嫌がるのだ。

 ちょっかいを出すのはやめておこう。


「瀬名、そろそろ大学に行くから、いい子でお留守番してるんだぞ」

「わうん!」

 小さなマルチーズはひと吠えしていきなり駆け出すと、玄関の方に消えていく。


「ん?」

 どうしたんだ?


 不思議に思って玄関に行くと、真っ白な毛玉が俺の靴の上に乗っかっている。毛を逆立てて、一切動く気はないと言わんばかりだ。


 ま、まさか、靴を履けないようにして、俺を出かけさせないつもりか?


「せ、瀬名! どいてくれ!」

「ばう! ばう!」


「こら、どこでそんな技を覚えたんだ! ひっぺがすぞ!」

「きゅーん!」




 * *




 瀬名がなついてくれてるのは嬉しいが、ときどきこういう困ったことをする。まぁ、これくらいだったらかわいいものだが……。


 俺が大学を終えて家に帰り、玄関ドアを開けると、つけっぱなしにしていたエアコンの冷気と共に、もふもふの生きものが強襲してくる。しっぽをぶんぶん振りながら、足元にまとわりついてくる。


「よしよし、いい子にしてたか?」

 そう言って、抱き上げる。

「くーん」

 マルチーズは、相変わらずつぶらな瞳でこちらを見つめていた。


「瀬名、今日はトリミングに行くからな。随分毛が伸びてきたし」

「わうん!」


 このいぬは、かなり人見知りする。俺以外の人間に撫でられるのは拒むし、最悪噛みつこうとする。


「おとなしくしてるんだぞ。瀬名のためにやってくれるんだから」

 こう諭しても、伝わっているとは思えないが。




 * *




 トリミングサロンに預けてから、しばらく経った後に迎えに行く。


「おおお! 随分かわいくしてもらったな!」

「くーん」


 白いマルチーズは、毛を短くされたり軽くされたりして、随分見違えていた。

 いわゆるところのサマーカット。さっぱりとして、これで少しは夏が過ごしやすくなるだろう。


「この子、おとなしくしてましたか?」

 店員に尋ねると、

「ええ、とってもお利口さんでしたよ」

 よかった、まぁ瀬名はかしこいからな。


「ちゃんとお利口さんにしてえらいぞ」

「わうーん!」

 得意げな顔をしている。


 抱き上げると、すりすりしてくる。かなりの時間、知らない場所で知らない人にいじくり回されて、緊張していたようだ。帰ったらいっぱいねぎらおう。


 腕の中のもふもふを撫でながら、ふと棚に並んだいぬ用のアクセサリーが目に入った。

「へえ、色々あるんだな……」


 以前は動物にアクセサリーを着けるという感覚がよくわからなかったが、マルチーズを飼い始めてからは、こんなにかわいい生きものにおしゃれをさせたくなる気持ちがわかるようになってきた。


 首輪も、無骨なものではなくかわいいものを着けさせるとテンションが上がるし、たまにはアクセサリーもいいかもしれない。お利口さんにしていたご褒美、と言うほどでもないが。


「瀬名、折角だし何か買ってみるか?」

 もちろん、この毛玉が嫌がるようならやめておく。


「わん!」

 瀬名は、上機嫌にひと鳴きする。これは問題なさそうだ。


 棚には多種多様な商品が並んでいたが、真っ先に目に入ったのは水色で小さい花の飾りだった。なんとなく瀬名にはこれが似合うような気がした。


「この飾り、どうだ?」

 少し見せてみると、


「わうん! きゃん!」

 小さないぬはしっぽをぶんぶん振って、ひどく喜色満面になる。欲しいらしい。


 購入したアクセサリーを、早速頭に着けてみる。

「わうーん」

 瀬名は特に嫌がらずに、大人しくされるがままになる。


 白い毛並みに、澄んだ水色が映える。小さくて可憐な花弁も、ぴったりだ。

「すごくかわいいよ」

 そう言うと、照れたようにくーんと鳴いた。


「瀬名は本当にかわいいなぁ」

 カメラを向けると、瀬名は澄ました顔をしてちょこんとおすわりをする。なんてかしこいいぬだろう。とはいえ、いつもの気を許し切っただらけた姿も写真に収めたいのだが。


 家に帰る道中、散歩中によくすれ違うおばさんが、普段と違う瀬名に目を留める。

「まぁまぁ、おめかししてどうしたの」


「わうん!」

 いつもは人見知りな瀬名も、今日は上機嫌なのか得意げな顔で花の飾りを見せていた。




 * *




 疲れていたのか、マルチーズは帰宅すると早々に、お気に入りのブランケットの上で丸くなる。


「眠るなら、これちょっと外そうな」

 そう言って花の飾りを取ろうとすると、瀬名は頭を振って嫌がる。

「わうっ、わうっ」


「起きたらまた着けるから」

「わうんっ! きゃん!」

 どうしても嫌らしい。


「仕方がないなぁ」

 こうなったら強情だ。アクセサリーはそのままにしておくことにした。


 寝っ転がって本を読んでいると、瀬名がぽてぽてやってきて、俺の頬をなめる。

「ん? どうした? 俺をなめてもおいしくないだろ?」

「わうーん」

 すりすりと頭をこすりつけてくる。ただ単に甘えたいらしい。


「瀬名、ブラッシングしようか」

「わうん!」


 俺はスリッカーブラシを取り出して、小さないぬをひざの上に乗せる。

 マルチーズの長い毛は絡まりやすいので、とかすのが日課になっていた。


 瀬名をひっくり返して、おなかにもブラシをかけていく。

「くーん」

 本当におとなしくていい子だ。


「しっぽもちゃんと梳かさないとな」

「わう……」


 マルチーズのしっぽは、毛をカットして細長くするパターンもあるが、ふわふわの丸いしっぽがかわいいので、あまり切らないでもらったのだ。


「おっ、瀬名、こんなところにもつむじがあるんだな」

「わう?」


 なんだか面白くなってきて、俺は瀬名をひっくり返しながら、つむじを探す。

「お、こんなところにも」

「きゅー……」


 もふもふの中に、いくつもくるんとしたつむじがあった。全身をいじくり回して、あらかた見つけ出す。


「へえ、瀬名ってこんなにつむじがあるんだな」

「わう……」

 瀬名のしっぽが下がっている。ひっくり回すのはさすがによくなかったらしい。


「ごめんごめん」

 謝りながら、コームで仕上げをしていく。


 元々ふわふわの毛は、絹のようになめらかな手触りになる。

 もし天使が実在しているのなら、その翼はきっとこんな触り心地なのだろう。


 ブラッシングが終わっても、マルチーズは俺のひざの上から動こうとしない。その内、すやすやと眠り始めてしまった。


 俺は、瀬名を起こさないように、シャッター音を消してそっと写真に撮る。

 ひざの上でぺたーと丸くなっている白い毛玉が、カメラに写る。


 やっぱり、のんきにしてる姿が一番かわいい、と思った。




 * *




「瀬名、大事な話があるんだ」

 俺は床に正座をして、飼い犬と向かい合う。

 ただならぬ雰囲気を察したのか、瀬名もちょこんとおすわりをして俺を見上げる。


「瀬名、もう一緒に寝るのはやめよう」

「きゃうん!?」

 マルチーズは、ただでさえ丸い目を余計に丸くした。


「きゃうーん、きゅーん」

 悲しそうな声を出して、瀬名はすりすりと俺のひざに頭をこすりつけてくる。その不憫な姿にどうしようもなくなって、撫でてやる。


「あのな、別に瀬名のことが嫌いになったわけじゃないんだよ。ただ、瀬名は小さいだろ? 俺と一緒に寝てたら、寝返りを打った俺の下敷きになって、大けがをするかもしれない。そうなったら大変だろ?」


「わうん!」

 それでもいい、と言っているようだ。


「よくないよ。瀬名に何かあったらなんて、想像しただけでぞっとする」

 それに、夏場にこんな毛玉と一緒に寝るのは……。


 だが、俺のかわいい飼い犬は納得してくれないようだ。


「ばう! ばう!」

「う、うわ! 噛むなって!」

「わうーん!」

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