21 ひと・気づき
家に帰ると、瀬名は熱心に雑誌を読んでいた。
「わうー」
「何を読んでるんだ――んん!?」
覗き込んで、愕然とする。
そこには、見開きで結婚式場の写真が載っていた。明らかに結婚情報誌だった。
「ど、どうしてそれを」
「わふふー、本屋さんで見つけたんです」
飼い犬は、無邪気な笑顔を向けてくる。
「とってもきらきらしてて、素敵で、勉強になります。瀬名、先輩との結婚式を色々いめーじしてます。どんな式にしたいか。瀬名は、お花がいっぱいの会場にしたいです。さむしんぐぶるーの青い花はもちろん、色とりどりのお花がいっぱいあったらきっと綺麗です。がーでんうえでぃんぐもステキです。ぽかぽかでお天気がいい日にやりたいです」
夢見る乙女は、うっとりと話す。
「うえでぃんぐけーきは食べられる本物がいいです。それで、おなかいっぱい食べたいです。先輩はどういう式がいいですか?」
「……あー、俺はまだあんまり考えてないな」
「わう。そうですか」
また雑誌の熟読に戻る彼女。
「お嫁さんのどれす、いっぱいあります。お色直しのどれすも。先輩はどれが好きですか? 先輩のお嫁さんになるんですから、先輩に選んでほしいです」
「えーっと、瀬名は色々似合いそうだからなぁ」
今更瀬名と結婚しないつもりはないが、ここまで結婚式の話をされると面食らってしまう。
そう思っていると、突然携帯電話が鳴った。
電話の主は――母さんだった。
「もしもし? 母さん?」
「孝太郎、こっちにあんた宛ての荷物が届いてるから、暇なときに取りに来て」
「ああ、わかったよ。明日の大学終わった後でもいいか?」
「ええ、だったら母さん家にいるから」
用件を話し終えると、母さんはそそくさと電話を切った。
* *
翌日。大学の講義を終え、俺はまっすぐ家に帰らずに実家に寄る。
相変わらず実家は時間の流れを感じさせない匂いがした。
荷物は、高校時代の友人からのものだった。
そういえば、今の住所を教えていなかったっけ。
用はこれで済んだかと思ったが、母さんは財布を開いて、中身を取り出し始める。
「孝太郎、これで瀬名ちゃんにおいしいものでも食べさせてあげるのよ。それでこっちは、瀬名ちゃんにかわいい服を買ってあげる分のお金。これは、瀬名ちゃんをどこか遊びに連れて行く分のお金」
母さんは、俺に紙幣をどんどん押し付けていく。
「あ、ありがとう……」
相当瀬名に甘いな。俺もわりと甘い方だとは思うが。
娘のような存在ができたのが、よほど嬉しいらしい。
「それで、孝太郎」
「ん?」
「あんた、瀬名ちゃんと結婚するの?」
「げほっげほっげほっ」
瀬名の話をされるのは想定していたが、こんなに直球だとは思っていなかった。
「えっと、約束したし、真面目に考えてはいるよ。でも、瀬名はあの通りまだ子どもだし、大きくなったら考えが変わる可能性も重々あり得る。だから、将来瀬名に結婚するつもりがなければしないよ」
俺の言葉を聞いて、母さんは眉をひそめる。
「……つまらない男ね」
「ええ……」
「何? そんな他人事みたいに。あんた自身はどうなの? 瀬名ちゃんと結婚したいの?」
「そう言われてもなぁ……」
仮に結婚したくても実の親の前で熱弁するわけないだろう。
「女の子の方が結婚したがってるから結婚するなんて……そんな『してあげる』みたいな姿勢じゃダメよ」
『してあげる』か。
瀬名が結婚したいと言い出さなければ、彼女と結婚することは考えていなかっただろう。相手が望んでいないことをするつもりはないから。
そういう意味では、どこまで行っても受動的だ。
仮に瀬名と恋人同士だったら結婚のことも考えたかもしれないが、彼女は飼い犬で、言動もあどけなくて、恋愛対象として見ることが申し訳なくなるほどなのだ。
瀬名は俺と結婚するために人間の姿になったらしいから、彼女がそれを望まなければ、ただかわいいペットと暮らす日々を送っただろう。
どうだろう。
瀬名の夢を抜きにしたら、俺は彼女と結婚したいのだろうか?
その気がない彼女をわざわざ説得してまで結婚したいと思うだろうか?
「そんな態度でいたら、いつか瀬名ちゃんを傷つけるかもしれないわよ?」
* *
母さんがあんなに娘を欲しがっているのに子どもが一人しかいないのは、俺が生まれながらにして病気を抱えていたからだろう。
幼少期はとても負担が掛かったはずだし、手術が無事に成功してからもわりと過保護だった。小学校高学年になった頃くらいから、少しずつ放任になってきたが、そのときにはもう子どもを作る機会を逸していたのだろう。
家に帰ると、瀬名もバイトから戻っていた。
「母さんから、瀬名においしいものを食べさせろってお金をもらったんだ。あと、服とか出かけるためのお金も。今度母さんに会ったら、お礼言っとくんだぞ」
「わう」
瀬名はこくりと頷く。素直ないい子だ。
「じゃあ早速、今度甘いものでも食べに行こうか。瀬名は何が食べたい?」
「きゃらめるが食べたいです。ぱんけーきがいいです」
「そうか、じゃあパンケーキのお店に行こう」
「わうー!」
そう言うと、目の前の女の子はうれしそうな表情を見せる。それは、この世で一番愛らしい表情だった。
瀬名は甘いものが大抵好きだが、特にキャラメルが好きなのかもしれない。砂糖と生クリームやバターをことこと煮込んで作るものだから、瀬名にぴったりな気がする。
「わうー」
画用紙にパンケーキの絵を描き始める瀬名。本当に食いしん坊だ。
もしも瀬名以外の人と結婚する未来があったら、どうなるのだろう。
経緯はなんでもいい。
たとえば、彼女にほかに好きな人ができたとか。
そうなったら俺は、多分普通にほかの人と結婚してもおかしくない。
だけど、きっとしばしば思い出すだろう。
俺のお嫁さんになることを夢見ていた女の子のことを。
この世で俺を一番愛してるのは自分だと豪語してやまない女の子を。
もふもふで、わうわうで。
家に帰ると、すぐうれしそうに駆け寄ってくる女の子を。
布団に入ると、すぐくっついてくる女の子を。
やわらかな髪の香りを。
あどけない声の響きを。
その体温を。
お散歩と甘いものが大好きで、食いしん坊で、寂しがり屋で。
世界で一番愛らしい笑顔を。
彼女と暮らした時間を。
きっと、忘れることはできない。
思わず、苦笑してしまう。
俺の方もすっかり飼いならされていたらしい。
「瀬名、おいで」
そう呼ぶと、
「わうー!」
いつものわうわうな笑顔で抱きついてくる。
そっと唇を重ねた。
瀬名はいつものように拒まずに、身を預けてくる。
ほかの人間とキスしたとしても、今と同じような気分になるのだろうか。
とてもそうは思えなかった。
顔を離すと、大きくて丸い瞳がじっとこちらに向けられている。
「先輩、瀬名とずっとずっと一緒にいてくれますか?」
俺は、その頭を撫でた。
「ああ、瀬名はずっとずっと永遠にうちの子だよ」
「わう!」
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