14 ひととぎぼ


 それは、いつも通り瀬名と散歩をしているときだった。


 新たな年を迎えてから数日経った街は、人通りが多い。

 日中を選んでも、寒さは厳しい。瀬名は相変わらず着ぶくれしまくっている。


 通りの向こうから、見覚えのある顔が歩いてきた。

 母さんだ。

「げ」


 歳は四十代半ば。茶色い髪を肩にかかるくらいの長さに伸ばしている。

 職業は、自由業兼主婦。具体的には絵本作家をしている。


 家が近所だから、こうして出くわすことは不自然ではない――むしろ自然なくらいだ。


 彼女は、俺とその横にいる女の子を見ると、にやにや寄ってくる。

「なあに、孝太郎。かわいい女の子と手なんかつないじゃって。もしかしてデート?」

 ひやかす気満々である。


「ち、違うよ。この子は、えっと……」

 よく使う「姪っ子」という説明は、母さんには通用しない。母さんが知らない俺の姪なんているわけないからだ。かといって、「友達」だなんてごまかしてしまうと、いかにもといった感じだ。


 うーん、この際好機なのかもしれない。

「母さん、あのさ――」




 * *




 場所を移して、実家の中。

 何の変哲もない建売住宅。父さんは不在だった。


 リビングのソファに腰掛けて、俺は瀬名のことを説明した。

 瀬名がいぬだということも、全て。


 もし俺に何かあったとき、今のままではこのわうわうな女の子は路頭に迷いかねない。そんなことは絶対に避けなければならない。母さんに話しておけば、いざというとき瀬名の面倒を見てくれるはずだ。


「瀬名、耳としっぽを見せて」

「わう? いいんですか?」


「ああ、この際母さんには全部説明しておきたいんだ」

「わかりました」


 きゅぽんと現れる、いぬ耳といぬしっぽ。瀬名の感情に合わせて、動く。どこからどう見てもいぬの証。

 母さんは目を丸くしている。


 俺は話した。この子は、前に家に連れてきた白い子犬だということ。それがある日いきなり人間になったため、一緒に暮らしていること。


「そう……なるほどね」

 母さんは意外とすぐ理解してくれた。まぁ、どちらかといえばメルヘン寄りの世界の住人だからな……思考が。


「こんなかわいい子が孝太郎と手をつないで歩いてるなんておかしいと思っていたけど、そういう事情なら納得だわ」

 とても失礼なことを言いながら、俺の母親はうんうんとうなずく。


「にしても、人間になるなんて、瀬名ちゃんはすごいわねえ」

「わう。先輩のお嫁さんになるには必要な手順です」

「げほっげほっげほっ」


「お嫁さん!? ちょっとどういうこと孝太郎!? あんたまさかいぬに手を――」

「どっ、どうしてそうなるんだよ!? いや、なんかその……俺と結婚したくて、人間になったらしい」


「そうです。瀬名は先輩と結婚を前提にお付き合いしてます」

 母さんは複雑そうに顔をしかめる。色々突っ込みたいところがあるらしい。


「わう? どうしたんですか? 人間は結婚するとき相手の両親にあいさつすると聞きました。先輩もそのつもりで来たんじゃないんですか?」


 ただ単に、瀬名の第二の後見人がほしかっただけだが……。

「先輩、ちゃんと責任取るって言ってくれました」


 責任という言葉を聞いて、母さんは俄然色めき立つ。

「こ、孝太郎! やっぱりこんな年端もいかない女の子に手を出したの!?」

「出してない出してない!」


「先輩とは毎晩同衾してます」

 同衾。

 同じ寝具で一緒に寝ることを指す言葉。


 そういう意味では間違っていないのだが、この文脈で言うのはだいぶまずい。

 案の定母さんは目を剥く。


「孝太郎!? この性欲魔人がっ!!」

「せ、せいよ――!? だから違うって! いや、違くはないけど……想像してるようなものじゃない!」


 自分で言うのもアレだが、俺はだいぶ忍耐力のある方だろう。

 というか、瀬名との間柄を男女のそれだと思われている状況自体が嫌だった。俺は瀬名の成長を見守る親のようなものなのだから。


 俺は説明した。

 俺にとって瀬名はもう家族のような存在で、母さんが想像しているような関係では一切ないこと。

 瀬名はいぬであるため、ちょっと語弊を招くこと。


 なんとか、なんたら魔人とかいう謂れのない誤解を解くことができた。


「でも、さすがに一つ屋根の下で暮らさせるわけには……」

 母さんは、腕組みをする。息子が、いたいけな女の子と一緒に暮らしている状況を看過できないらしい。


「ねえ、瀬名ちゃん、ここに住まない? ちょうど部屋も空いてるし――」

「わう!」

 瀬名が威嚇している。

 これは、殺気立ったいぬの姿だ。


「やです! 瀬名は先輩とずっと一緒に暮らします!」

「で、でも――」

「わう! 瀬名は先輩のいぬです! 先輩とずっと一緒にいることが瀬名の幸せなんです!」

「瀬名……」 


 俺は、なんだか見ていられなくなって、彼女の頭を撫でた。

 飼い主から引き離されること。それは、瀬名にとって一番嫌なことなのだ。


「母さん、瀬名は寂しがり屋なんだ。だから、離れ離れにさせるようなこと、しないでくれ」

「……そう」

 さすがの母さんも、並々ならぬ瀬名の様子を見て、わかってくれたらしい。


「先輩、ずっと一緒ですか?」

「ああ、当たり前だろ?」

 そう答えると、小さないぬの女の子は抱き着いてくる。


「先輩……わう」

「大丈夫、瀬名は何も心配しなくていいんだよ」

 また頭を撫でて、安心させる。


「瀬名はうちの子だ。どこにも行かせたりなんかしないよ」

「わうー、先輩、大好きです」




 * *




 とりあえず、なんとか母さんに瀬名の紹介をできたので、家に帰ってきた。

 有事の際は、母さんに瀬名の面倒を見てもらおう。ふたりが、ちゃんと仲良くできるかは、一抹の不安があったが。


 瀬名の様子を窺ってみると、バイト代で買ったスケッチブックに絵を描いている。上手い。

 さっきは殺気立っていたが、すっかり元通りらしい。


「先輩、瀬名がわうわう言うのってヘンですか?」

「ん? 誰かに何か言われたのか?」


「違います。でも、人間として暮らしていて気づきました。人間はわうわう言わないと」

「瀬名はいぬなんだからわうわう言うのは当たり前じゃないか」

「だけど、瀬名は人間です……」


「瀬名は人間だけど、いぬでもあるじゃないか。どこもヘンじゃないよ。瀬名は、いぬのいいところと人間のいいところを合わせ持った、すごい女の子なんだ」

「わう! 瀬名、特別ですか?」


「ああ。先輩は瀬名がわうわう言ってるの、好きだし」

「わふふー、照れます」


 安心したのか、お絵かきに戻っている。

 良かった。こんなことを気にして、コンプレックスにでもなったら大変だ。その必要は全くないのに。

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