3〈mof〉 いぬの集会
出かける先輩を、瀬名は見送ります。このところ毎日ずっと一緒だったので、寂しいです。
夏休み中なので大学はありませんが、今日はお盆の墓参りに行くそうです。
なんでも、先輩のお父さんとお母さんと一緒に、ご先祖さまのお墓を綺麗にしてくるらしいです。日本の伝統です。
人間は、血筋や家族をとっても大事にしています。いいことです。
お留守番の瀬名は、きゅぽん、と音を立てて、小さなマルチーズ犬の姿に戻ります。
実は、こんな隠し技を持っていたのでした。たまに、こっそりいぬになっています。
先輩の前でいぬの姿に戻らないのは、プライドのようなものです。瀬名は先輩のために人間の姿になったのですから。
家を抜け出して――もちろん戸締まりは忘れません――いぬの姿で外を歩きます。
今日はあんまり暑くなくて、いい感じです。お出かけしている先輩も、炎天下でへとへとにならずに済んでいることでしょう。
瀬名は、目的もなく家を出たわけではありません。用事があるのです。
着いたのは、近所の空き地。住宅街の中の旗竿地にあって、あまり目立たない場所です。
そこには、既に何匹ものいぬが集まっていました。
これは、飼い主のことが大好きないぬの集会です。ときどきこっそり家を抜け出して、みんなで集まるのです。集会をするのは猫ばかりではありません。人間たちが、気づいていないだけなのです。
「わおん!」
いぬたちは、飼い主とのノロケ話を次々に言っていきます。聞いているこっちまでうれしくなる話ばかりです。
やがて、瀬名の番がやってきます。
先輩に連れて行ってもらったところや、先輩にされてうれしかったことを話します。周りのいぬは、にこにこして聞いてくれました。
瀬名は、さらにのろけます。
最近料理を勉強してること。先輩に手料理を振る舞うようになったこと。
すごくお嫁さんみたいだということ。
もふもふの聞き手たちは、口々に吠えます。
「ばうばう!(らぶらぶ!)」
「ばうばう!(らぶらぶ!)」
「きゅーん……」
囃し立てられて、ちょっと恥ずかしいです。
瀬名は、自分で言うのもなんですが先輩らぶないぬです。
飼い主のお嫁さんになりたいいぬなんてそうそういませんし。
瀬名のたれ耳の先からしっぽの先まで、全てが先輩らぶで構成されていると言っても過言ではありません。
「瀬名、もっと先輩とらぶらぶになりたいです。一体どうすればいいですか?」
すぐ横にいたゴールデンレトリバーのおねえさんが、口を開きます。
「瀬名ちゃん、目当ての相手とつがいになるには、やっぱり既成事実が大事よ」
「き、きせいじじつ……」
オトナな言葉です。
「でも、先輩は瀬名と一向に生殖行為しようとはしません。瀬名、魅力がないですか?」
「そんなことないわよ! 人間はややこしい生きものだからねえ」
ゴールデンレトリバーの言葉に、周りのいぬたちもうなずきます。
「でもね、ややこしくたって結局はオス。けだものだから」
「わう? 先輩は人間ですよ?」
「それでも、男はみんなオオカミなのよ」
「わう!?」
なんと、先輩は瀬名と同じイヌ科だったのです。
「言われてみれば確かに、先輩、瀬名のしっぽをいやらしく触ってきます」
「まっ、嫁入り前のいぬのしっぽをいやらしく触るなんて、ハレンチな!」
「わうー」
恥ずかしいです。
「こないだは、『触り心地がいい』とか、『いくらでも触っていられそう』とか言われました」
「へ、変質者の台詞じゃない!」
「前に、先輩が瀬名のつむじの数を全部調べたことがあります。瀬名のつむじの数、全部知られちゃいました」
「な――飼い犬だからって、それはさすがに犯罪よ!」
「まだ若いいぬにそんなこと!」
「そんな変態がこの世にいるのか!」
周囲のいぬたちが、どよめきます。あまりのハレンチさに、さすがに驚いているようです。
「人間はむっつりだからなぁ」「シンプルに生殖行為しようとはしない分、余計に性質が悪い」などと、言葉を交わしています。
瀬名まで、穴があったら入りたくなってきました。
しかし、先輩がけだものならむしろ好都合です。瀬名は早く先輩とつがいになりたいのですから。
「その人間の趣味はきっとねじれているから、正攻法で行ってもダメかもしれないわね……」
「確かに……そのレベルの変態だと、いぬの我々には想像も及ばない……」
「わうー……」
予想以上に、事態は複雑になっているようでした。
「もうこうなっては、本人に直接好みとかを訊いてみるしかないかもしれないわ」
「ああ。その人間の好みは、その人間にしかわからないだろう」
「わう?」
そういえば、前にいぬの神さまにも、飼い主の好みを知っているのか訊かれたことがありました。
先輩とらぶらぶになるには、先輩に訊くのが一番手っ取り早い気がしてきました。
「瀬名、先輩に訊いてみます」
「うんうん、瀬名ちゃん、頑張るのよ」
「わう! ありがとうございます。頑張ります」
いぬたちからあたたかい声援を受け、今日の集会は解散になりました。
* *
家に帰って、瀬名は人間の姿になります。
日が沈む時間までお留守番して、ようやく先輩が帰ってきます。
「瀬名、ただいま」
「おかえりなさいっ」
顔を見るなり、先輩にくっつきます。
「よしよし、今日は帰るの遅くなっちゃってごめんな」
瀬名の頭を撫でながら、先輩はそう言います。
「謝ることないです。先輩、きっと急いで帰ってきてくれました」
お父さんとお母さんと晩ごはんを食べずに、帰ってきたのでしょう。瀬名が、家で待ってるからです。
先輩と晩ごはんを食べた後、ソファに並んで座ります。
今日はあんまり一緒にいられなかった分、いつもよりいっぱいくっつきます。
「あはは、今日は一段と甘えん坊だなぁ」
「わう? 甘えん坊、ダメです?」
「ダメじゃないよ。好きなだけ甘えていいんだぞ」
「わうー」
やっぱり先輩はけだものではない気がしました。くっつくと、こんなにぽかぽかするのですから。
先輩にすりすりしていると、テレビで芸能人が「好きな異性のタイプ」について話している声が聞こえてきました。
そうだ、くっつくのに夢中で忘れかけていました。先輩に訊かないといけません。ちょうどいいです。
「先輩の好きなたいぷってなんですか?」
焦がしたキャラメルみたいな髪をした人間は、ぱちくりとこちらを見つめました。
「黒髪のショートカットで、小柄でお利口さんで、甘いものとお散歩が大好きな、花の髪飾りが似合う女の子かな」
「そ、それって……! 瀬名です!」
先輩の好きなタイプは、瀬名だったのです。
「わうー、うれしいです」
先輩に抱きつくと、また頭をなでなでしてくれます。
そりゃ、瀬名にプロポーズするのですから、瀬名が好きに決まっています。
テレビの中で、若い人間の女が、「男性の手が好き」と言っています。
どうやら、人間は「好きな異性の部位」というものまであるらしいです。
手?
瀬名も、いっぱいなでなでしてくれる先輩の大きな手は好きですが、なんだかそういうのとは違う気がしました。
「先輩は、好きな異性の部位ってありますか?」
「うーん、首かな」
先輩は、手を伸ばして瀬名の首に触れます。
「わう?」
「白くて細い首が好きなんだ。ちょうど、こんな感じの」
指が、肌をそっとなぞります。首を触られると、なんだかくすぐったいです。
「先輩、瀬名の首好きですか?」
「ああ」
「わうー!」
「首は皮膚が薄いし、大きな血管とか気管があって、すごく大事なところなんだ。瀬名のかわいい声も、ここから出てるしな。脈に触れると、生きてることがダイレクトに判別できるし」
「わうー」
なんだかむずかしい話になってきました。
何はともあれ、先輩のタイプは瀬名のようです。
瀬名と先輩は、ラブラブです。
「わう?」
だったら、先輩ともっとラブラブになるためには、どうすればいいのでしょう。
でも、とりあえずぽかぽかするので、今はこれでいいことにしました。
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