11 いぬは猫?
「先輩、おかえりなさいっ」
大学から家に帰ると、例によってわうわうな女の子が寄ってくる。そして、いつものようにくんくん俺の匂いをかいでいる。
だが、反応はいつもと違っていた。瀬名は急にじとーっと冷たい目をする。
「……知らない女の匂いがします」
知らない女の匂い?
別にやましいことなんてひとつも――
「……あ」
道を歩いていたら、曲がり角からいきなり飛び出してきた女性にぶつかったことがあった。
だけど、当然すぐ身を離したし、その程度の接触すらもかぎ分けるとは。
「わう! 当たり前です! 瀬名の鼻は誤魔化せません」
瀬名はなおもじっとりとした目で見てくる。
挿絵(https://kakuyomu.jp/users/allnight_ACC/news/16817330651549299053)
「先輩、まさかウワキですか」
「い、いや! 違う違う!」
「ウワキする先輩は嫌いです……許せないです」
慌てて経緯を説明する。
浮気なんて滅相もなく、単なる事故であると。
「わう、それなら大丈夫です」
なんとか、信用してもらえたらしい。
「瀬名でまーきんぐして、上書きします」
彼女は抱きついてくると、すりすりし始める。自分の匂いをつけているらしい。
「瀬名、心配しなくたって、先輩は浮気したりしないよ」
そう言うと、瀬名はキッと睨んでくる。
「ウワキしたら噛み殺します」
「ひえっ」
その目は本気だった。
「そっ、そんな物騒なこと言っちゃダメじゃないか」
「自分にとって一番大事なものが奪われそうになっているときに、黙って見ているのは愚か者のすることです。この世は弱肉強食。瀬名は戦って勝ち取ります」
「だからって噛み殺さなくても……」
「わう。もちろん先輩にはそんなことしません。相手を噛み殺します」
うーん、思考が獣性に満ちている。
もちろん浮気はよくないが、だからといって殺すのもダメだろう。
浮気なんてするつもりは毛頭ないが、いぬにとっての浮気の基準が何であるかが曖昧な以上、全く安心できなかった。
瀬名のためにもならないしな……。
俺の背に回した腕に力を込める。
「先輩は瀬名の先輩です。絶対に誰にも渡さないです」
ちょっとやきもちを焼くくらいならかわいいが、なんというか瀬名のは洒落にならなさそうだった。
「わふふ、瀬名、先輩を独り占めしたいです。先輩も、瀬名を独り占めしたいですよね?」
わうわうな女の子は、屈託のない瞳でこちらを見つめてくる。
「誰と仲良くしようが、瀬名がうちの子だということは変わらないだろ? だから、わざわざ独り占めする必要なんてないんだよ」
実際、彼女はこの家の外で生きていけないだろうし。
「わう! 確かにそうです」
こうして、なんとか浮気疑惑を払拭することができた。
* *
その日家に帰ると、明確な違和感があった。
「ん?」
瀬名の丸い頭。そこには、白くてふわふわなたれ耳がある。
はずだ。
だが、今は三角に近い形の、立った耳があった。毛色も黒だ。
「瀬名、その耳どうしたんだ?」
「ど、どうもしません。瀬名は猫ですから」
猫?
確かに、これは猫耳だ。
でも、なんで瀬名が猫に?
奇妙に思って猫耳に触れようとするが、瀬名は慌てて拒む。
「わ――さわっちゃダメです!」
だが、一瞬だけ触れることができた。この感触は明らかに作り物だ。
見た感じも、本物よりいくぶんチープだし、ぴくりとも動かない。
いぬ耳を引っ込めて、作り物の猫耳を着けたのか……?
なんでそんなことを……。
「瀬名はいぬじゃないか」
「猫になったんです。……にゃー」
そんなバカな。
「わうって言えばいいじゃないか」
「い、言わないです。瀬名はいぬじゃないので」
どう見てもいぬじゃないか。
一体どうしたんだ?
「わーーにゃう。先輩だって、猫の瀬名の方がいいはずです」
「ど、どうしてだ?」
「……先輩、猫の方が好きでしょう?」
「え? 俺がそんなこと言ったか?」
「言ってないですけど……てれびで、いぬより猫の方が人気だってやってたんです」
なんて番組だ。
いぬも猫も、どっちもかわいくて愛らしい。それでいいじゃないか。
「瀬名は――先輩に見捨てられるのがこわいです」
黒髪の少女は、うつむく。
「先輩は、この広い世界でこの小さないぬを見つけてくれました。かわいがってくれました。先輩は特別です」
作り物の耳は、しょんぼりたれることもない。俺はやっぱり、いつものもふもふの耳の方が好きだ、と思った。
「でも……いらないいぬになったら、捨てられます。だから、いらないいぬにならないようにしないといけません。先輩が猫が好きなら、瀬名は猫になります。ずっと先輩と一緒にいるために」
猫の振りをするまで追い詰められていたのか……。どうしてもっと早く気づけなかったのだろう。
俺は、彼女をぎゅっと抱きしめた。
「あのな、俺は瀬名がいぬだから好きとか、猫だから好きとか、そういうのじゃないんだ。瀬名が瀬名だから、俺は瀬名のことが好きなんだよ」
「瀬名が……瀬名だから?」
「ああ」
俺は、うなずいた。
「瀬名のことを見捨てたりなんてしないよ。約束する。ずっと一緒だ」
「わう……」
瀬名のいぬ耳といぬしっぽがきゅぽんと現れる。そして、その衝撃で猫耳カチューシャが外れた。
白いたれ耳を、優しく撫でる。もふもふで、ぴくりと動いて、わずかにぬくもりを感じる。
「この世界には、いぬはたくさんいるし、ねこも、人間も、たくさんいる。その中で瀬名が一番大切なのは、瀬名が瀬名だからなんだ」
見た目がそっくり同じ、別のマルチーズを連れてきたところで、ここまで愛おしいとは思わないだろう。
「耳もしっぽももふもふないぬで、おさんぽと甘いものが大好きで、さびしがりやで、やきもち焼きで、おえかきが得意な瀬名だから」
だから、大好きなのだ。
彼女という存在が。
「瀬名も、先輩が先輩だから大好きです」
小さな手が、俺の背に回される。
この気持ちが伝わるように、俺はずっと抱きしめ続けた。
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