16 いぬ・ばーすでい
瀬名が苦手とする冬が終わり、春がやってきた。
そろそろ瀬名を飼い始めて二年、瀬名が人間になってから一年経つ。早いものだ。
「わうー!」
彼女は今日も無邪気に抱きついてくる。
なんて愛らしい生きものなのだろう。ずっとずっとかわいがってあげたくなる。
最近の瀬名は、勉強がマイブームだ。
俺の実家で、昔使っていた教科書や教材を見つけたのが契機で、興味を持つようになった。
読み書きや計算をはじめとして、様々なことをすごい勢いで吸収している。
教科書は一度読めば内容を大体覚えるし、復習も欠かさないし、本当に勉強熱心で真面目な子である。
お古の教科書で勉強させるのが申し訳なくて、俺がドリルをプレゼントしたり、自分のバイト代で気になった本を買ったりしているようだ。
バイトに家事の練習に勉強に――あまり根を詰めすぎないといいのだが。
まぁ、しょっちゅうくっついてくるところは変わらないし、それが息抜きになっているのかもしれない。
テレビで、「実は怖い十二星座」という特集をやっていた。
十二星座にまつわる逸話や、果てにはへびつかい座まで紹介している。
それを興味津々そうに見ていた瀬名は、あどけなく疑問を口にする。
「先輩、瀬名の星座はなんですか?」
「それは….…」
俺は返答に窮した。
瀬名の、誕生日。
一体、いつなのだろう。
彼女は野良だったところを拾ったから、生まれた時期などは分からない。
そもそも、いぬの誕生日はあまり厳密に気にされるものではないし……。
「…………」
瀬名は少しさびしそうな顔をしている。
この様子だと、彼女自身も自分の誕生日を知らないのだろう。
「瀬名の誕生日は、瀬名がうちにやってきた日――四月十四日にしようか。ちょうどもうすぐだし」
「わう、いいんですか!?」
「ああ」
誕生日がないというのは不憫だし、先ほどの悲しげな表情を見ていたらなおさらだ。
「四月十四日だと……牡羊座になるな」
「瀬名、羊です?」
「あはは、そうだな」
瀬名の誕生日もしっかり祝わないとな。
「瀬名、誕生日プレゼントは何が欲しい?」
「わう? 先輩が欲しいです」
「…………」
彼女は、屈託なくまっすぐにこちらを見ている。
「あ、あのな、先輩は誕生日プレゼントにはならないんだよ。だいいち、今年先輩をあげたら来年はどうするんだ?」
「来年も先輩が欲しいです」
「…………」
「瀬名、先輩はひとりしかいないんだぞ」
そう言いながら、後ろからおなかをくすぐる。
「ひゃっ、くすぐったいですっ」
瀬名は無邪気に笑い声を上げる。その声はなんともかわいらしい。
しばらくくすぐり続けてその笑い声を楽しむが、満足したところでやめる。
「それで、ほかに欲しいものはないのか?」
「むー……そんなこと言われても瀬名には先輩以外に欲しいものなんてないです」
「甘いお菓子やお絵かきの道具なんかは?」
「欲しいといえば欲しいです」
欲しいといえば欲しいのか……。
「でも瀬名は先輩のにっこりの方がうれしいです。先輩がいつも欲しいと言っている単位の方が欲しいです」
「せ、瀬名……」
なんてけなげな子なのだろう。
「ありがとう。だけど、瀬名のにっこりが先輩のにっこりなんだよ」
「わう……」
そもそも単位はあげられるものじゃないしな。自分で勝ち取らなければならないものだ。
「先輩のにっこりは瀬名のにっこりです。そして、瀬名のにっこりは先輩のにっこりです。わう……?」
むずしそうな顔をしている。
「瀬名のにっこりは瀬名のにっこりってことだよ」
* *
そうこうしている内に、四月十四日がやってきた。
誕生日の朝は何の変哲もなく訪れ、瀬名は「これが誕生日か」とでも言いたげな、微妙な顔をしている。
「今日はケーキバイキングに行こう」
「ばいきんぐ?」
「決められた時間の中だと、食べものをいくらでも食べていいっていうお店だよ」
「わう!? ケーキ、いくらでも食べていいんですか!?」
わうわうな女の子は、俄然目を輝かせる。
「わうー、誕生日、すごいです!」
「あはは、まだ始まったばかりだぞ」
そういうわけで、駅前にあるスイーツパラダイムにやってきた。
かわいらしい内装の店内。並べられた色とりどりのケーキに、わうわうな女の子は目を丸くする。
「こ、ここは、天国……!?」
お皿に何個かケーキを乗せて席に戻ると、恐る恐る食べ始める。
「ほ、本当に何個でも食べていいんですか?」
「ああ、時間内だったらいくら食べてもいいよ」
「わう……!」
瀬名の食べっぷりはすごかった。にこにこしながらケーキを頬張っていく。
「幸せです……!」
見てるこっちまで幸せになるような、晴れやかな笑顔だ。連れてきてよかった。
瀬名が楽しそうだと、俺もうれしい。
その表情を真向かいで眺めながら、俺はパスタをつついていた。
* *
「おなかいっぱいです」
バイキングの時間が終わり、店を出る。
「また来たいです。毎日が誕生日だったらいいのに」
「来年もまた来ような」
「わう!」
その後も、本屋に行って瀬名が好きそうな本を買ったり、花屋に行って小さな花束を作ってもらったりと、瀬名が喜びそうなところに色々連れて行った。
* *
「わうー」
家に帰ると、瀬名は花束を花瓶に飾る。
瀬名をイメージして作ってもらったブーケは、様々な色の小さな花が束ねられた、春らしいかわいいものだった。一際目立つのは、ブルースターである。
「瀬名、先輩のいぬになってよかったです」
水色の小さな花の髪飾りを着けた少女は、そう声を漏らす。
「なんとなく覚えてます。瀬名の生まれた日は、とても寒い日でした」
「寒い日……」
「でも、瀬名は先輩がくれたぽかぽかな誕生日が好きです」
この世で一番大事な女の子は、微笑んだ。
「先輩に会うまで、瀬名には何もありませんでした。ただ誰かになでなでしてほしいと、それだけを考えていました。それが、瀬名のたったひとつの夢でした」
ガラスの花瓶にきゅっと桃色のリボンを結ぶ彼女。それは、ブーケを束ねていたリボンだった。
「だけど、今は違います。もちろん先輩になでなでしてほしいですが、瀬名の夢はそれだけじゃありません。今日みたいに甘いお菓子をおなかいっぱい食べたいし、色んなところにおでかけしたいし、先輩にもっとにっこりになってほしいです」
「瀬名……」
俺は、そっと彼女の頭を撫でる。
「そうだ、誕生日プレゼントを渡さなきゃな」
取り出したのは、水彩絵の具セット。瀬名の繊細な色彩感覚に、水彩はきっとぴったりだろう。
「わう……!」
目の前の女の子は、しっぽをぶんぶん振って、抱き着いてくる。
「瀬名、先輩大好きです!」
「先輩も瀬名が大好きだよ」
「わふふー、両想いです」
うれしそうにほっぺすりすり始める。もちもちな頬の感触が伝わってきた。
彼女は、不意にじっと見つめてきた。
「先輩、口と口をくっつけてもいいですか?」
「うーん……」
まぁ、今日は瀬名の誕生日だしな。
「ああ、いいよ」
「わう!」
うれしそうに口をくっつけてくる。
瀬名の情操教育的にこれはどうなんだろう。
まぁいいか。
「絵の具を使うときは、部屋や服を汚さないようにするんだぞ」
「わかりました」
瀬名は早速水彩で絵を描き始める。
この子は、一体どんな大人になるのだろう。大きくなったら、頭を撫でても「髪が乱れるから」と嫌がるようになるかもしれない。少し寂しいが、それもまた大きくなった証左だ。
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