13〈mof〉 ひとの一日・上


「わう」

 部屋の中がおひさまでぽかぽかになると、瀬名が目を覚ます時間です。


 先輩を起こして、朝の身支度をします。

 ネグリジェから、起きてるとき用の服に着替えました。


 瀬名の服は、全部先輩が選んで買った服です。

 人間の恰好はみんな同じに見えるので、瀬名には選びようがありません。


 先輩の選んだものならきっといいものでしょうし、先輩の好みにも合致しているはずです。

 傾向としては、ふぇみにんでがーりーだというそうです。こんさばは瀬名にはまだ早いらしいです。


 瀬名にはおしゃれはよくわかりません。でも、先輩がかわいいと褒めてくれるのはとてもうれしいです。かわいい恰好をすると先輩が喜んでくれるのなら、もっとおしゃれしたいです。


 ごはんを食べ終えると、先輩が大学に行く時間です。

 名残惜しいですが、お見送りします。


 お留守番は瀬名の仕事です。家主の不在を、しっかり預からなければなりません。

 おえかきをしたり、テレビを見たり、家にある本を読んだりして、時間を潰します。


「わう……」

 おひさまが高くなってくると、暑いです。蒸しいぬになっちゃいます。

 とはいえ、人間の姿はいぬの姿より涼しいです。


 瀬名は、扇風機のスイッチを入れました。羽がくるくると回りだして、涼しい風が吹き始めます。

「わ~~う~~~~」


 扇風機に向かって鳴くと、声がヘンな感じで面白いです。

「わふふー」


 先輩が用意してくれていたお昼ごはんを冷蔵庫から出し、あっためます。今日はオムライスでした。


 玉子もチキンライスも、あまあまです。瀬名好みの味付けです。

「わう」


 おなかがいっぱいになると、眠たくなります。

 瀬名は、ブランケットに包まり、先輩の枕に頭を乗せて、お昼寝を始めました。




 * *




 瀬名が、まだ野良犬だった頃。

 具合が悪くなり倒れていたのを、知らない人間に拾われ、動物病院に運ばれました。


 お医者さんに診てもらってすっかりよくなった瀬名は、また知らない人間に抱えられて、どこかに連れて行かれました。

 ぽかぽかなときの空みたいな色の瞳をした人間です。


 狭い部屋に入ると、人間は足を止めます。

 ここは、この男の住処なのでしょう。瀬名が暮らしていた白い家の瀬名専用の部屋よりこぢんまりしていますが。


「わう……」

 保健所に連れて行かれるかと思ってびくびくしていましたが、なんだか予想と違います。


 知らない人間の匂いがします。

 白い家ほど調度に統一感がなく、物が多いです。


「しばらく、ここで暮らすんだぞ」

 にこにこしながら話しかけてきます。いぬに話しかけるタイプの人間です。


 人間は、みんな信用できません。

 最初はにこにこしていても、いらなくなったらすぐに捨てるのです。


 この家の主は、いぬを飼う道具も揃えた様子でした。

 丸いえさ皿に何かが注がれ、瀬名の目の前に出されます。


 くんくんと匂いをかぐと、あの白い家でも出されたようなドッグフードであることがわかりました。質は随分落ちますが。


 ちょうどおなかがすいていたので、もぐもぐとごはんを食べ始めます。

 瀬名はえり好みはしません。食べるものがなくてひもじい思いをした経験だってあります。出されたものは、ちゃんと食べます。


「ネギを食べたから、具合が悪くなったんだよ。もう道に落ちてるものを食べちゃダメだぞ」

「わうん!」

 瀬名だって好きで拾い食いをしたわけではないのに、なんて失礼な言い草でしょう。


 ごはんを食べてしばらくしたら、お風呂に入れられます。

「お湯、熱くないか?」

「わいん!」

 特に熱くありません。ちょうどいいぬるさです。


 やわらかいタオルで、瀬名を拭いてくれます。べたべたした毛が、随分すっきりしました。

 毛を乾かした後は、ブラッシングまでしてくれます。


 こうして人間に世話をされるのは、久々です。やっぱり綺麗になるのは気持ちがいいです。


 人間は、毛並みを整えられた瀬名をまじまじと見ます。

「随分美人さんないぬだなぁ」


「わう……」

 なんなんでしょう、この人間は。美人だなんて初めて言われました。かわいいと言われることはありますが。


「写真を撮るからな」

「きゅ……」

 写真。昔はよく撮られました。興味が失われてからは、すっかりそんなこともなくなりましたが。


 瀬名がおすわりをすると、キャラメル色の頭の人間は、にこにこします。

「お利口さんだなぁ」


 平べったい携帯電話をこちらに向けて、ぱしゃぱしゃとシャッター音を鳴らします。

「この写真をポスターにして、街に貼るんだ。今はネットでも飼い主を探せるしな」

「わう……」


 飼い主……。

 もうあの白い家に戻るのは嫌です。保健所に連れていかれるかもしれません。だから逃げ出したのです。


 慣れない部屋の隅っこを、どうにか居場所と定めて座り込むと、人間が近づいてきます。


 いぬ用のおもちゃを見せてきます。

 白い骨の形をしていて、噛むと音が鳴るようです。


 少し気になりますが、そんなものを用意したところで瀬名は飼いならされません。

 ぷいっとそっぽを向くと、人間はそれ以上は構ってきませんでした。


 この家の主は、自分の生活を始めます。

 本を読んだり、パソコンをかたかたいじったり。気の抜けたあくびをしたり、伸びをしたり。


 昔瀬名がいた白い家では、いぬには専用の部屋が与えられていました。だから、こうやって人間と同じ部屋で過ごすというのは不思議な気分です。


 人間は、ときどきこちらを気にかけてきます。瀬名が芸を上手くできたわけでもないのに、にこにこして見ています。

 時折撫でたそうに手を伸ばしてきますが、こちらの警戒心に気付いて、途中で手を引っ込めていました。


 夜が更けると、瀬名の寝床を作ってくれました。

 ふかふかの寝床です。即席ですが、心を込めて作ってくれたことがわかります。


 匂いをかぐと、この家とその人間の匂いがしました。

 それは、なんとなく嫌な匂いではありませんでした。


 瀬名は寝床に入って、丸くなります。

 固い土やコンクリートの上よりも、とっても落ち着きます。

 いつの間にか、うとうとし始めていました。




 * *




 目を覚ますと、夜中になっていました。

 部屋の中は電気が消され、真っ暗になっています。家主も、自分の寝床に入って眠っているようでした。


 眠っている人間に、ぽてぽてと近寄っていきます。

 のんきな顔でぐーぐー寝ています。くんくん匂いをかぐと、この家と同じ匂いがしました。


 瀬名は、試しにその人間のほっぺたを舐めてみました。

「わう」


 少し甘い味がしました。それは、糖分が含まれているとか、そういった話ではありません。この人間の中身が甘ったるいので、舐めると甘い味がするのでしょう。


「きゅ……」

 なんだか悔しいですが、おいしいです。瀬名はもうちょっと舐めることにしました。


「ぐ……」

 ぺろぺろ舐められて、人間はくすぐったそうにします。

 とはいえ、もう少し瀬名のおやつになってもらうことにしましょう。

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