19〈mof〉 おめかし・いぬ


 バイトがない日、先輩が留守の間は先輩のお母さんの家に遊びに行くのが習慣になっていました。

 絵本を読んだり料理や家事を教わったり、やることはたくさんあります。


「今度先輩とお祭りに行くことになりました」

「まぁ! いいわね!」

 相変わらず、先輩のお母さんは歓迎してくれます。


「浴衣はお母さんが選んであげるわ。今度一緒に見に行きましょう」

「浴衣?」

 聞いたことがあります。確か、昔の服です。


「瀬名ちゃんにはきっと似合うわー。線が細くて、綺麗な黒髪だもの」

「浴衣を着れば、先輩、喜んでくれますか?」

「もちろんよ! 喜ばなかったら、あたしが怒るわ」




 * *




 瀬名は、落ち着いた佇まいの和風なお店に連れてこられました。

 扉は木製で引き戸。こぢんまりとした店内に、和服がいっぱい並んでいます。


 先輩のお母さんは熱心そうに見繕っていますが、瀬名には違いがよくわかりません。


「瀬名ちゃんには何の浴衣が一番似合うかしらねぇ。やっぱり紺に黄色の帯? でも、瀬名ちゃんは赤も似合いそうねぇ」


「先輩は、どんな浴衣が好きですか?」

「え? 孝太郎ならきっとなんでも好きよ」

 確かに、先輩ならなんでも褒めてくれそうです。


「試しに着てみましょうか。こっちに試着室あるから、お母さんが着せてあげるわ」


「わう? 先輩は、女の子は簡単に肌を見せちゃダメって言ってました」

「そうだけど、あたしは瀬名ちゃんのお母さんのようなものだから」


 瀬名は、先輩のお嫁さんになります。ということは、先輩のお母さんは義母なのです。

 お母さんのようなもの、というのは道理です。


 試着室で、服を脱ぎます。

「まぁ、瀬名ちゃんかわいい下着ねえ」


「わう! これは先輩が買ってくれました」

「…………」

 先輩のお母さんは、すごい顔をしました。


「瀬名は下着なんていらないと言いました。でも、先輩はつけないとダメと言うので、買ってくれたんです」

「そ、そう……」

 なんだか微妙な反応です。


「……瀬名ちゃん、孝太郎に変なことされたら、お母さんに言うのよ?」

「変なこと?」


「その、変なところ触られたりとか、変なことさせられたりとか……」

「わう?」


 先輩は瀬名のしっぽをいやらしく触ってきますが、ふぃあんせなのでおかしなことではありません。ほかの人にされたら嫌なことでも、先輩になら嫌ではないのです。少し恥ずかしいですが。


「先輩は変なことなんてしません」

「それならいいんだけど……」


 気を取り直して、瀬名は浴衣を着せられました。おなかに太い帯が巻かれます。


「わう。おなかが苦しいです」

「そうねえ、もうちょっと緩めましょうか」


 着付けを終え、姿見の前に立ちます。空色地に桜柄の浴衣に、桃色の帯。やわらかい色合いです。


「瀬名ちゃんは桜色も似合うのねえ。とってもかわいいわあ」

 先輩のお母さんはご満悦のようでした。


「この浴衣なら、髪飾りは桜のかんざしが似合うかしらね」

 そう言って、瀬名の髪飾りに手を伸ばしてきます。


「わうっ」

 瀬名はとっさにはねのけます。

 これは大事なものです。他の人にさわられたり、取られたりしたくありません。


「せ、瀬名ちゃん?」

「これは先輩がくれたものです。瀬名、外したくないです」


「そうなの……」

 髪飾りを外すことは、ひとまず諦めてくれたようでした。


「瀬名ちゃん、髪を伸ばしたりしないの? 髪綺麗だから、長いのもきっと似合うわ」

「わう? 先輩は短いのが一番好きだって言ってくれたので、瀬名、このままがいいです」


「……瀬名ちゃん、自分のしたい恰好をするのが一番なのよ? 無理して合わせる必要はないわ」

「無理してないです。瀬名のしたい恰好は、先輩に喜んでもらえる恰好です」


 瀬名には人間のおしゃれはよく分かりません。先輩の好きな恰好をして、先輩のにっこりが見られて、いっぱいなでなでしてもらえれば、それが一番です。


「…………」

 先輩のお母さんは、なおも困ったような顔をしています。


「あのね、瀬名ちゃん。たまには、自分自身がどうしたいのか考えてみるのも大事よ。孝太郎がどう思うかとか、そういうことを抜きにして」


 一体何の話をしているのでしょう。

 瀬名は先輩以外どうだっていいのに。

 先輩がいなかったら、瀬名は今頃生きてすらいないのに。


「無理して先輩の嫌いな恰好をした方がいいということですか?」

「そういうわけじゃないけど……」


 どうして先輩に喜んでもらおうと思うのがいけないことなのでしょう。先輩が喜んでくれて、瀬名も幸せならそれ以上望むことはありません。


 それなのに、どうしてやめないといけないのでしょう? 先輩のお嫁さんになりたいという夢を忘れて。


「瀬名ちゃんが孝太郎に喜んでもらいたいって思うのはいいことだけど、自分の気持ちに耳を傾けないくせがついちゃったら、いつかよくないことになると思うわ」


「わう?」

 先輩のお母さんが何を言っているのか、やっぱり瀬名にはよくわかりませんでした。


「瀬名ちゃんから見れば孝太郎は大人に見えるかもしれないけど、まだ社会に出てすらいない未熟者なのよ? やることなすこと全部正しいわけじゃない。思い悩むこともあれば、間違えることもある。そんなとき、そばにいる瀬名ちゃんが、孝太郎の言うこと全部にうんうん従っているだけじゃ、いつか行き詰まってしまうわ。きちんと自分の意見を持って支えられるお嫁さんの方が素敵よ」


「わう……」

 やっぱり、むずかしい話です。


 でも、先輩をしっかり支えるお嫁さん、というのはとっても素敵な響きです。

「瀬名、先輩を支えるいいお嫁さんになりたいです」


「瀬名ちゃん、孝太郎を見守ってやってね」

「わう!」




 * *




 結局、浴衣は桜柄のものに決まりました。ブルースターの髪飾りとも合います。


「折角だし、写真を撮りましょうか。前撮りっていうわけでもないけど」

 カメラのファインダーを向けられて、瀬名はお行儀よくします。


「瀬名ちゃん、もっとにっこりして」

「わう……」

 楽しくもないのに、にっこりなんてできないです。


「まぁ、おすまししてる瀬名ちゃんもかわいいし、これはこれでありかもしれないわね」




 * *




 浴衣の準備を済ませ、お祭り当日がやってきました。

 先輩のお母さんに着付けをしてもらって、慣れない下駄を履いて先輩のもとに向かいます。


 髪は後ろでまとめられ、空色の花飾りがかんざし代わりになっています。


 大好きな人は、神社の前の赤い提灯を背に、立っていました。

「先輩、お待たせ、です」


「瀬名! すっごくかわいいじゃないか!」

 彼は、こちらを見るなり歓呼の声を上げます。


「瀬名には和服が似合いそうだと思ってたけど、ここまでとは思わなかったよ」

「わう……」

 顔が熱いです。


「折角だし、記念に写真を撮ってもいいか?」

 携帯電話のカメラが、こちらに向けられました。


「瀬名、先輩と一緒の写真がいいです」

「あはは、わかったよ」


「わう!」

 先輩がこちらに肩を寄せてくるので、これ幸いにと先輩にくっつきます。


「せ、瀬名、そんなにくっついたら写真撮りにくいよ」

「くっつきたいです」

「あはは、しょうがないな」




 * *




 わたあめやりんご飴といった甘いものを食べたり、金魚すくいや射的で遊んだり、お祭りはとっても楽しかったです。


 後日、先輩のお母さんの家に遊びに行くとき、現像したお祭りの写真も持っていきました。

 先輩が「着付けしてもらったんだから見せておいで」と言ったからです。


「まぁ……瀬名ちゃんは、孝太郎と一緒にいるときが一番いい表情してるわね」

「わう?」


 テーブルの上に並べられた写真を見ると、確かに瀬名はとってもにっこりしています。一緒に写っている先輩もにっこりで、見ているだけで胸がぽかぽかしてきます。


「瀬名は先輩と一緒にいるときが一番幸せです」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る