3.どうにも気に入らない

「ああ、あの神官のおっさんならよく憶えてるな」



 故売屋のギルはいつも遊戯窟プールの中にいる。今日もやはり、広間の一角、ボックス状の席に座り、左右に女を侍らせていた。



「なんか気持ち悪いおっさんだったな。妙にニヤニヤしてよ」


「誰か別の奴から紹介されてきたのか?」



 おれの質問にギルは首を捻った。



「それはわかんねえな。いつも仕事を受ける店で、故売屋のギルってのはあんたか、って声をかけられたんだ。ギルドの符丁も間違いなかったし……まあ誰かの顧客なのかとは思ったがね」


「そうか……」



 ――するとドーソンは、教会内で盗賊ギルドに繋がりを持った人間から、話を聞いてギルに接触したのだろうか? だとすれば、やはりドーソンは父である枢機卿を裏切り、大司教マーカスの一派に与していたのだろうか。



「で、魔法鍵ウィザード・ロックの開錠できるやつを訊かれたからあんたのことを教えたんだ。この辺ならゴブリン・キックの魔術破りの鼠ラット・ザ・クラッカーだってね」


「ああ、ありがとな」



 おれはそう言ってギルに酒を一杯奢り、その場を離れた。


 時刻は深夜に近づき、遊戯窟の中はより一層混沌としてきている。人の欲望が欲望を呼び、渦巻く悪徳の奔流に、流されず立っているのがやっと、という感じだ。この場所は嫌いじゃないが、呑み込まれたら一気に流されてしまいそうでもある。あまり長時間いたくはない――が、一方でここは安全でもあるのだ。なにしろ盗賊ギルドのお膝元なのだから、ここで人を襲おうというやつはそうはいない。


 おれは酒場のカウンターに座っている娼婦に声をかけた。



「……いくらだい?」


「あら、かわいい顔のお兄さんね」



 銀色のアイラインを引いた女が、肩に置いたおれの手に自分の手を重ねる。わずかに尖った耳と黒い肌――暗黒ダークエルフの血が混じっているらしい。



「あんたならおまけしちゃうわ。ね、座ってよ」



 おれは半暗黒ハーフ・ダークエルフの女の隣に座り、カクテルを1杯飲んだあと、立ち上がって奥の通路へと移動する。個室が並んだ通路で、ドアのひとつを開けて中に滑り込むと、女はいきなりおれに抱き着き、唇を唇で塞いできた。



「ね、クスリはいる?」


「……やめとくよ。それと」



 おれは女を引きはがし、懐から銀貨をいくつか取り出して握らせた。



「……なに?」


「金は余分に払うから、出ててもらえるか?」



 半暗黒ハーフ・ダークエルフの女は頬を歪ませ、笑った。



「失礼しちゃうわね、あたしを買うつもりじゃなかったってこと?」


「それについては謝る。とにかくひとりにして欲しいんだ」


「ふうん……」



 女はしばらくふてくされたような顔をしていたが、突如としてニカッと笑った。



「いいよ。その代わり、あとでちゃんと相手してよね。あんた、私の好みなんだ」



 そう言って女はもう一度おれに抱き着き、首筋を強く吸ってから部屋を出て行った。



「ふう……」



 商売女は好きじゃないが、まあ好みと言われて悪い気はしない――いや、今はそんな場合じゃない。おれは扉に近づいて、鍵がかかっていることを確かめる。念のため、魔法鍵ウィザード・ロックを施して鍵を強固にする。



「さて、と」



 おれは持っていた鞄から一冊の本を取り出す――魔王の城で手に入れた教典エクレシアだ。これを調べることがもうひとつ、おれのやるべきこと。そのためには、集中して作業ができる安全な場所が必要だった。なにしろ、自分の寝ぐらで魔術の構造体プログラム解析ハックするのに没頭していたら、いつ刺客に襲われるかもわからない身の上だ。


 おれは鞄からさらにいくつかの器具を取り出す。魔力に対する解像度を上げるための拡大鏡ルーペや、羅針盤のような形の計測器具、構造を写し取るための白紙魔導書ブランク・ブック、それに魔晶石をいくらか。


 そしておれは教典エクレシアを広げ、魔力構造の解析を始めた。そもそも、聖典マーテルに情報を書き込むこの教典エクレシアとはどんなものなのか? 大魔王ゼロス、またはその依り代となった人間クィゼロス・アングルムに繋がるなにかがないか――



「……いや、わかんねえなこれ」



 数十分後、おれは絶望していた。だいたい、「なにか」ってなんだ。普通の教典エクレシアを見たこともないのに、不審な点を探せってのは無理がある。気を取り直して基本的な機能の解析を行おうにも、強固な防護プロテクトによって保護されており、使い方がわからない。


 おれは四苦八苦しながら、防護プロテクトを外す足がかりを探していった。そもそもこの教典エクレシアのに込められた魔術、作りが非常に古いというか、整理されていないというか――つまり、通常使われる魔術の基本的な構成を完全に無視している。


 魔獣と話す混沌言語は、直接理解しようとすると、そもそもの感性が人間と異なるため、言語として把握することができないのだという。それと似たようなものだ。人間があとから理解したりすることを全く想定していない絡まりあった呪文スパゲティ・コード――それをひとつひとつ、紐解くようにして追っていく。


 徐々に、徐々に――全体像が見えてきて、おれはまたも舌を巻いた。魔術の基本は、精霊界から混沌の魔力を引き出し、それを秩序立てて力の方向付けを行い、物質界に顕現させる――教典エクレシアは精霊界との魔力のやり取りに情報を乗せ、精霊界側に漂う混沌の中にそれを保存する仕組みだ。まるで、大剣の刃を櫛の代わりに髪を解くような力技。この仕組みを考えたやつはかなりの変態か、人間以外の感性で生きているやつに違いない。



「うーん……」



 解析を始めてからだいたい1時間半。依然としてまったく理解できない箇所もたくさんあるが、それでもざっくりとしたところはわかった。いずれにしろ、機能の大半は大聖典マーテル・アヴィアの側にあり、教典エクレシアの側はそこにアクセスする権限付与の塊のようなものでしかないのだが――



「……気に入らないな」



 ひとつ、おかしなものを見つけておれは舌打ちをした。その他の機能から独立した権限が、呪文の奥底に紛れていたのだ。他の機能は、いくつかのカテゴリにまとめることができ、相互に依存関係を作っている。しかし、この部分だけは他の機能に依らず、完全に独立している。入り口も違うので、普通のやり方では使用することもできないだろう。直接、この機能を叩くしかやりようがない。


 その機能の用途はわからない。権限だけが教典エクレシアの中にあり、大聖典マーテル・アヴィアへアクセスすることで全貌が明らかになるようだ。



「……あとは大聖典マーテル・アヴィアに潜入でもしろって?」



 大聖堂の奥底に秘匿される、聖典マーテルの中枢・大聖典マーテル・アヴィア――国を超えて世界中の人々の洗礼情報ステータスが格納された、それは社会の礎だと言ってもいい。その在所は国王の寝所よりも強固に警護されているはずだ。その中を覗き見るなんて、煉獄ゲヘナの底へ生身で到達して帰って来るよりも難しい。



「やめだ、やめ」



 おれは教典エクレシアを放り出し、小部屋の中に設えられたベッドに寝転がった。粗末だが、2人が転げまわれるような広いベッドに大の字になるのは気持ちがいい。よく考えたら、ここしばらくゆっくり寝たことなどなかった。パルゼイ子爵家のベッドは悪くなかったが、さすがに居心地が悪かったし――



(これから、どうするか)



 おれは天井を見ながら考えた。明日になったら、ゴブリン・キックに行ってエルロイやルーネットと会う。大司教マーカスの話はルーネットから聞けるだろう。大魔王の依り代だったクィゼロス・アングルムの情報はエルロイが探っているはずだ。


 真実に近づいている実感はあった。あいつらと一緒なら、きっとやり遂げられるだろう――そこまで考えて、おれは思考を止めた。それはどうにも気に入らない考えだった。


 だいたい、大魔王を誰が殺そうがおれに関係あるか。この依頼をやり遂げたとして、いったい何になる? パルゼイ家からの報酬は破格だし、貴族家につながりもできるし、聖典教会の枢機卿に恩が売れる。なんなら盗賊ギルドのフーヴァーにも少し大きい顔ができる。ただそれだけだ。ちくしょう、いいことづくめじゃないか――まったく、気に入らない。なんでおれがそんな、世のため人のためみたいなことをしなきゃならないんだ。おれは自分の魔術の技を使い、日銭を稼いでだらだら暮らせればそれでいいってのに。



「……真実は歴史にとって、大きな武器となる、か」



 天井に向かっておれは呟き、そのまま目を閉じて眠りに落ちた。

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