7.戦う者たち

「やあ、久しぶりですね、お姐さん」



 エルロイが広間ホールの中に進み出て声をかけた。



「やはり、そうでしたか……あなたは『契約』に基づいて行動していたんですね」


「……フフ、まあそういうことになるね」



 女上帝神族アルコンは前に進み出る。



「あたしの名はゼリム・D・バルグラット。古の約定に従い、秘匿されし知を守る者さ」



 ゼリムは6枚の翼を広げ、長い尾を軽く振る。その瞳が紅く輝いた。



「ここで振り返り、入って来た扉から出ていくなら、それでいい。だけどここから先に進もうってんなら、同胞とはいえ容赦はしない。わかるね?」


「そうですか、ではこちらも口上を述べさせてもらいます」



 エルロイはゼリムの前にその身体を晒すようにして進み出た。



「我が名はエルロイ・V・ルクソフィア。真問官パルゼイと結ばれし古の約定に従い、真実を求め時に刻む者」



 その時、エルロイの姿が揺らめいたような気がした。いや、気のせいではない――水面に浮かぶ像のように、その姿が揺らめき、その輪郭が崩れていく。白い肌は赤熱するような赤銅色に、揺らめく金髪はたてがみのように燃え上がり、その中から鹿のようなほむら型の鋭い角が突き出す。瞳は白と黒が逆転し、頬に刻まれた文様が全身に及んで輝きを放ち、6本の指が鋭い爪と鱗に覆われ、長い尾が伸び――そしてその右腕が大きく振るわれると共に、右肩から巨大な黒革の片翼が出現した。



「ラッド……ここは任せて、君は大聖典マーテル・アヴィアを」



 半竜の上帝神族アルコンとしての姿を露にしたエルロイが、肩越しにおれを見てそう告げた。そしてエルロイは一歩前に進み出、敵と対峙する。



「我が真実を求める道を阻むのならば……同胞とて、容赦はしない!」



 ――それが、戦いの合図だった。ゼリムの放つ炎と、エルロイの放つ黒い光が広間ホールに交錯して炸裂した。


 * * *


「はあぁっ!」



 ルーネットが繰り出した斬撃は、暗殺者アサシンがいたはずの空間を虚しく斬り裂いた。暗殺者アサシンは宙に飛んでそれをかわし、ルーネットの頭上から短剣を繰り出す。



「……むんっ!」



 ルーネットは長剣を切り返してそれを迎え撃とうとする――その直前で、間に合わないことを察する。すかさず、足の力を抜いてその場に倒れ込み、短剣の一撃をかわす。



「うおおっ!」



 床に倒れたルーネットはそのまま、近くに着地した暗殺者アサシンの足に自分の足をぶつけた。足払いなんて気の利いたものじゃない。ただ闇雲に身体をぶつけただけだ。それでも、相手を一瞬怯ませてこちらが起き上がる時間を作るには充分。ルーネットは反動を使って起き上がり、距離を取って剣を構えた。



(今のは大振り過ぎた……危ない危ない)



 技量で勝る相手をけん制するために、長剣のリーチを活かして近づけさせないように振るっていたのだが、一瞬でも無駄な隙ができれば付け込まれる。まったく、嫌な相手だ――


 ルーネットはちらりと背後を確かめた。部屋を出る扉はそちらにある。だが、壁の2面に窓もある。逃げようと思えば逃げられるだろう。ルーネットの目的はこの暗殺者アサシンを捕らえること、一方で暗殺者アサシンはルーネットに勝つ必要はなく、ただ逃げればいい。お互いの持つ選択肢の違いも、こちらの不利に働いている。



「……いや」



 そこまで考えて、ルーネットは自分の先入観に気がついた。ここまで、この敵は逃げようとはしなかった――つまりとしても、ただ逃げるよりは姿を見られた相手を排除しておきたいのだ。


 ならば――



「逃げてもよいぞ、お前の正体は見た。せいぜい、依頼主に迷惑をかけないようにすることだ」



 ルーネットから投げかけられた言葉に、暗殺者アサシンは反応しない。実のところ、ルーネットに暗殺者アサシンがどこの手の者か、見当はついていないのだが、それがハッタリであったとしても逃げづらくはなるはずだ。


 暗殺者アサシン短剣ダガーを構え直し、ルーネットに対峙する。やる気だ――逃げるよりもルーネットを殺す方が確度が高いと踏んだのだろう。それでいい、とルーネットは呟き、剣を構えた。相手の目的が絞れれば、戦いやすくなる。



「……行くぞ!」



 ルーネットは踏み込み、突きを繰り出す――大降りになり過ぎないように、且つ、中途半端で脅威にもならないような雑な一撃にはならないように。



 ――キィンッ!



 その突きは、今日一番ので繰り出された。暗殺者アサシンが隙をついて反撃も出来ず、また軽々と捌いて手数で勝ることもできない程度。


 ――掴んだ。


 続く二撃目、三撃目。暗殺者アサシンとルーネットとの間で拮抗する斬撃。実は、戦いにおいて互角の状況が成立することは珍しい。特に暗殺者アサシンは、虚を突きペースを掴むことに長けている。短剣ダガーというのはそのための武器でもあるのだ。


 しかし、一度互角の状況が成立してしまえば、あとはそれをどう崩すかの戦いだ。例えば、極度の緊張感の中で体力か、精神力のどちらかが尽きる。または、相手が女だと見て力で強引に押し切ろうとする――



「……ヒュウッ!」



 暗殺者アサシンが一歩、踏み込んだ。革の小手でルーネットの長剣の腹を叩き、間合いを詰める。力で強引に均衡を崩すつもりだ。実際、ルーネットはその圧に押し負けて間合いを明け渡した。短剣ダガーが空気を切り裂き、ルーネットに迫る――



 ――ドッ……!



 鈍い音がした。短剣ダガーがルーネットの肩に突き刺さった――と、同時にルーネットの左手が暗殺者の首元を掴んでいた。



「……うおおおおおっ!!!」



 そのまま、ルーネットは左腕に力を込め――暗殺者アサシンの身体を持ち上げた。足をバタつかせる暗殺者アサシンに、構わずルーネットは、そのまま――



「どおぉりゃあぁっ!!」



 ――ドッダァン!



 思い切り、暗殺者アサシンの身体を地面に叩きつけた。もんどり打って息を詰まらせる暗殺者アサシン、そこへ、手にしたままの長剣を振り下ろす!



「……っかは……ッ!」



 ルーネットの長剣は暗殺者アサシンの膝を貫いた。悲鳴をあげる暗殺者アサシンの顔面を、ルーネットはついでに蹴り飛ばす。それで、暗殺者アサシンは動かなくなった。



「女だと思って甘くみたな」



 ルーネットは肩に刺さった短剣ダガーを引き抜き、言った。技で拮抗したとき、相手が女だと見れば力で圧倒しに行く――それは半ば本能的なものだ。それを、突いた。


 これも女を武器にする、ということになるのだろうか――ふと、ルーネットは思う。どうも、あいつらと一緒に行動し始めてから妙なことを身につけてしまった気がする。


 廊下の方から足音がした。



「おい、何事だ!」



 神官が何人か駆け込んでくる。ルーネットはため息をついた。地下の鍵は手に入らなかったが、あいつらならなんとかするだろう。



「大司教マーカス猊下が刺客に殺害された。その男だ……まだ生きている。人を呼んでくれ」



 神官は部屋の中を見て蒼い顔になり、こくこくと頷いて部屋をまた出ていった。


 * * *


爆炎刃ブレイズ・キャリバー!」


黒流衝ダークフォース!」



 炎と、黒い光が奔流となって交錯し、轟音が広い地下の広間ホールを揺らす。壁伝いに走っていたおれは、その衝撃に吹き飛ばされ、床に転がった。



「行かせないよ!」



 エルロイと互角の魔法戦を演じた女上帝神族アルコン、ゼリムがこちらに気がつき、6枚の翼を広げてこちらに飛び迫る。その腕に、鋭い刃のような棘が光る――勇者バルグリフの首を刎ねた、あれが――



「……とあぁっ!」



 脇から飛んできた赤銅色の塊が、ゼリムに蹴りを見舞う。



「ぐぁ……ッ!?」



 その勢いにゼリムの身体は弾き飛ばされ、壁に激突した。



「行かせない、というのはこちらのセリフですね」



 おれの目の前に、着地したエルロイが黒い片翼を広げ、言った。その視線の先でゼリムが起き上がり、体勢を立て直す。



「……ふん、うざったいやつだ」


「ええ、そうでしょうね……なにしろここであなたは極大核撃ニュークリアブラストを使えないはずだ。大聖典マーテル・アヴィアを巻き込んでは元も子もないですから」


「……ケッ」



 上帝神族アルコン同士のにらみ合い――できればこんなものには生涯、お目にかかりたくはなかった。しかも目の前数歩の距離で――


 おれはちらりと、目的の大聖典マーテル・アヴィアが収められた祭壇を見る。殴り合う上帝神族アルコンたちが目の前に来てしまったので、あそこまではもう一度、逆から回り込まなくてはならない。



「……大聖典マーテル・アヴィアに辿り着いたからといって、お前ごときの手に負えるとも思わないことだ」



 ゼリムが言って、宙に浮きあがり――そして、エルロイと距離を取るようにして広間ホールの中央へと移動する。しめた、これで回り込まず行けそうだ。



「そう、それでいい」



 エルロイはゼリムの方へと向き直り、広間ホールの中央へ近づいて対峙する。



「……貴様は殺す。確実にね」



 ゼリムはそう言って呪文を唱えた。ゼリムの周囲に、光の膜がドーム状に広がっていく。それはエルロイの身体を撫でるように超え、2人の上帝神族アルコンを囲んで大きな円形の闘場を形作った。



魔絶の虚域ネガ・フィールド……これで、どんな派手な破壊魔法を使っても、この結界の外には影響しない、と」



 エルロイが言うと、ゼリムは笑う。



「そういうことだ……自分のタフさを恨むんだね! 一瞬で消し炭にして、そっちのガキもすぐに殺してやるからさァ!」



 そう言ってゼリムは6枚の翼で身体を包むように構えた。その身体の周りに強大な魔力の渦が輝き出すのが見える。



「ラッド、早く」


「……ああ、わかってる」



 これが恐らく、最後のチャンスだ――いくら外で騒ぎが起こっているからといっても、こんな派手な戦いが演じられれば、いつ人が来るかわからない。おれは祭壇に駆け寄ってそこに手を触れた。


 大聖典マーテル・アヴィア――聖典マーテルの中枢。大陸中に存在する教典エクレシア小聖典プエルムから、精霊界を経由して魔力の情報を交換し、洗礼情報ステータス魔信通貨クレジットを管理する術式構造プログラムが収められた魔導書。この国ができるよりも前、古代魔法帝国期から存在する、文明の礎。


 聖典教会における信仰と儀式の要でもあり、神に等しいものだ。それに触れようなどと、火あぶりにされても文句は言えない。



「……まさか神様に侵入ハッキングするなんてな。陳腐な不運バナラック……いや、有難い幸運レアというべきか」



 おれは大聖典マーテル・アヴィアに触れ、意識を集中する。そこに込められた魔力の構造――教典エクレシアと同じく、魔術学院アカデメイアなどの魔法とはまるで違う、複雑で古風な術式。まずはその中に入らなくてはならない。



権限認証オーソライズ……認証情報アカウント……くそっ、ダメか……ッ!」



 さすがに、正規のアクセス手段では入れそうにない。ならば――と、おれはその構造体アーキティチャを解析し、抜け穴セキュリティホールを探す。白紙魔導書ブランク・ブックを広げ、呪文コードを記述しながら編換コンパイル逆編換リバース・コンパイルを繰り返し、恐ろしく複雑で有機的な術式の中に、自らの感覚を這わせるように、ひとつひとつ、その機能を紐解いていく。



「……なんなんだ、このわけのわからないのは……ッ!」



 おれの中に、またふつふつと沸き上がるものがあった。聖典マーテルは、誰がいつ、どうやって作ったともしれない巨大なブラックボックスだ。その構造は複雑で、しかも古臭く整理されていない文法の絡まりあった呪文スパゲティ・コード――こんなものに、おれたちの暮らしは依存しているのか?


 貴族たちの痴話ケンカで食い物の値段さえも変わり、一喜一憂するような暮らし。どうにかしたいと思っても、世界への関りに最初から除外されている怒り。いつも世界に振り回されてばかりで、それでも力強く生き抜こうとする庶民や地下アングラの人間たちの、暮らしの遥か上方で、世界を取り仕切っているのが、こんな、クソみたいな呪文コードの魔導書だって?



聖典マーテル? 神? 古代の遺物? 冗談じゃねえ……どう見ても、誰かが作ったものだろうが!」



 ――人間というのは驚くほど短命だ。だからこそ、生きた証を残そうとする。


 エルロイが言ったことが頭の中を巡る。


 ――さあ、やりましょう。『真実』と『契約』のために。そして君自身の『命の目的』のためにね。



「命の目的だとか、そんなものがおれにあるとすればなぁ……」



 おれは教典エクレシアを取り出し、開いた。片手を大聖典マーテル・アヴィアに置いたまま、もう片方の手を教典エクレシアに置く。2つの魔導書の間で、精霊界を経由して情報が送信され、聖典マーテルに情報が書き込まれる時――そこに割り込めれば――



「……こんなわけのわからない世界への『怒り』だッッ!」



 精霊界へ魔力が送られるその瞬間を、おれは捉えた。

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