大魔王殺人事件:あるいは神魔と鼠の路地裏遊戯

輝井永澄

§1 王都の鼠と名探偵

1.勇者が凱旋した日

 だいたい、”名探偵”なんて自分で名乗るやつがまともなわけがない。エルロイ・V・ルクソフィアってのはつまり、そういう男なんだ。


 おれがあいつと初めて出会ったときの話をするには、大魔王が勇者に倒されるより少し前から話さないといけない。それがもう、気に入らないんだけど――



「“魔術破りの鼠ラット・ザ・クラッカー”ってのはあなたですか?」



 その日、おれは依頼を受けて、路地裏の酒場にいた。「ゴブリン・キック」っていうふざけた名前の大衆酒場パブ――おれみたいな、冒険者以下の屑拾い屋ラグ・ピッカーには御用達の店だ。


 目の前に座った依頼者は初老の男――物腰は穏やかだが、どことなく浮ついて軽薄な調子がある。早い時間だが酒場の中はまばらに客がいて、華やかな英雄の凱旋に湧く表町の様子を腐しながら酒を喰らっていた。



ラットじゃないよ、ラッド。ラッド・グリーパーだ」



 むっとして言い返すと、初老の男はああそう、とあいまいに頷いた。おれは心の中で舌打ちをする。まあいい、見た目で軽んじられるのには慣れてるから。まったく、自分のベビー・フェイスが憎い。


 それにしても――おれは目の前の男を眺める。粗雑ラフな格好に身を包んではいる。でも髭は整えられているし、白髪まじりの頭は短く刈り込まれ、いかつい顔に似合わない頭飾りサークレットまでつけている。どうも、こんな裏路地には似合わない感じだ。


 おれは唇を軽く湿らせてから、魔力を込めて呪文を唱える。”情報開示ステート・オープン――


 目の前の男に、重なり合うようにして情報が浮かび上がって来た。


  ----------------

  ロアム・ドーソン

  職能系クラス:神官

  階級レベル:25

  ----------------



「……断りもなく洗礼情報ステータスを覗くのは感心しませんね」



 ドーソンが顔をしかめ、言った。おれは肩をすくめる。



「礼儀を重んじてる余裕がなくてね。なにしろこの辺りじゃ、誰に寝首を掻かれるかわからないんだ」


「へえ……」


「嫌ならこんなところには来ない方がいいよ、神官さんミスター・プリースト



 ドーソンはふうん、と言って黙ってしまった。


 とはいえ、これは方便だ。実際のところ、この辺りじゃ情報開示ステイト・オープンなんてほとんど意味がない。裏社会に生きる連中の半分くらいは、聖典教会で職能洗礼クラス・バプテスを受けていないのだ。


 この世界じゃ、職能系クラスはほとんどが世襲だ。戦士ファイターの家に生まれたら戦士として洗礼を受け、それが「聖典マーテル」に記録される。情報開示ステイト・オープンの呪文は聖典マーテルからその記録を読むだけの簡単なもの。


 だが、この辺りには親に捨てられ、路上で育ったものが少なくない。中には悪漢ローグとしてわざわざ洗礼を受け、盗賊ギルドヤクザの一員となる筋金入りの者もいるが、それ以外は洗礼も受けず、職能系クラスも持たない無宿人か、洗礼は受けても表社会からドロップアウトしたヤツか、どちらかだ。


 ちなみに、おれは後者の「洗礼は受けても表社会からドロップアウトしたヤツ」の方。「魔術破り」として様々な依頼を受け、日銭を稼いで暮らしている。



「そんなことより、ブツは?」


「あ、ああ……」



 おれが急かすと、ドーソンは鞄から小箱を取り出して目の前に置く。



「これの“合鍵”をお願いしたい」


「ふうん……」



 おれはその小箱を手に取ってみる。凝った装飾が施された金属製の箱――この独特の光沢はどうやら、灰輝銀ミスリル製か。箱そのものがちょっとした値打ちだ。



(なるほど、神官プリーストでレベル25ね)



 ――おおかた、博打か女で金に困って教会のものを盗み出した、とかそんなところだろう。世間知らずの神官サマにはよくあることだ。なんのことはない、このおっさんもおれたちと大して変わらないってわけだ。



「……そういうことなら、協力してあげないとね」


「なにか言いました?」


「いや、こちらのことさ」



 おれはドーソンをあしらって意識を集中した。魔力の眼で小箱を見る――強力な魔法鍵ウィザード・ロックで蓋が封じられているのが見える。



「ひと苦労だなぁ、これ」



 かなり強力で、しかも複雑な魔法だった。一種の結界に近い。



「できないですか?」



 すこし表情を崩してドーソンが言った。おれはその顔に、ムッとして言い返す。



「できないとは言ってないよ」



 おれは小箱を置き、自分の鞄から魔晶石を取り出す。そして、片手を小箱に、片手を魔晶石にかざして、意識を集中した。


 魔法鍵ウィザード・ロック――魔力でかけられた鍵そのものは、単に蓋を開かなくするための呪術だ。しかし、その魔法を解除しようとすると他の魔力回路に触れるように術式が構築されている。さらにそれを守るための防護魔法プロテクトや、触れるとこちらに魔力が逆流するトラップ――幾重にも複雑に絡み合った魔法の術式が、本体の鍵を守っている。



「……いやでも、なんだこれ?」



 おれは思わず声をあげた。普通、こういう術式は、合言葉キーワードなどによって鍵を開けることができるようになっている。つまり、作られていて、それを探すのがこういう仕事のセオリーなのだ。しかし、この術式は違った――鍵を開けるための回路が存在しないのだ。完全に、封印するためだけの封印。それでいて、――そりゃそうだ。そもそも永遠に開かなくするつもりなら壊した方が早いんだから。



「どうしました? やはり難しいので……」


「黙ってて」



 おれはドーソンにぴしゃりと言い返す。少し言葉がきつくなっちゃったな、などと思いつつ、改めて目の前の小箱に集中。


 つまりこの小箱の魔法鍵は、対抗呪術カウンタースペルでなければ開錠できないわけで、ならばそれを用意してやればいい。おれは術式に込められた呪文コードを解析しながら、魔晶石に魔力を書き込んで対抗呪術カウンタースペルを構築していく。



「……これを……こうして……」



 幾重もの防護プロテクトを、ひとつずつ外していく。慎重に、慎重に――それにしても、恐ろしく複雑だ。あ、こっちはダメだ。迂回路バイパスを繋いで、先にこっちを――そうすると、魔力の回路がループ構造になって、こっちで膠着処理デッドロックが発生するから、その隙にこう――いいぞ、もう少し――



「……行った!」



 おれは手を降ろして目を開けた。訝し気なドーソンにニヤリと笑ってみせ、魔晶石を手に取る。それを小箱にコツン、と当て――



開放アペルタ



 魔晶石がほのかに光り、書き込まれた対抗呪術カウンタースペルが発動する。カチリ、と音がして小箱の錠前が外れた。おおっ、と声があがる。いつの間にか、ドーソンだけでなく他の客まで注目していた。



「開きました?」



 ドーソンが身を乗り出した。おれは小箱を差し出す。



「まあね。おれに頼んだのは有難い幸運レアだよ神官さん。まぁ、うちの師匠に言わせると、破壊魔法や回復魔法とかの実用呪文をただ使うよりも、魔法そのものを解析ハックする方がより高等な術が必要で……」



 ドーソンはなおざりに頷きながら、小箱ではなく魔晶石の方を手に取ってそれを確かめていた。



「なるほど、これが”魔術破り”の実力ですか」



 魔晶石を置いたドーソンは、小箱の中を開いてちらりと確認する。



「では、報酬は金貨1枚で……」


「1枚? そりゃ陳腐な不幸バナラックだな」



 おれは首を振って言う。




「聞いてたよりもはるかに大変だったんだ。金貨3枚はもらいたい」


「それは話が違います」


「話が違うのはこっちの方だって言ってんの」



 金貨3枚あれば1~2か月は遊んで暮らせる。それくらいの価値がある仕事だったと自負している。それくらい、見事な魔法鍵ウィザード・ロックだった。古代魔法帝国の遺物かなにかかもしれない。



「しかし、ものの10分で外せたじゃないですか」


だ。勘違いすんな」



 長年の修行で身に着けた技術と知識を、時間で測られちゃたまらない。



「それに、誰にでもできるものじゃないとわかってるからおれに頼んだんだろう?」


「……金貨1枚と銀貨30枚」



 ドーソンは黙って値段を上げる。こちらの言い分をわかってもらえたらしい。



「金貨の方を2枚にしろ」


「銀貨を50枚に」


「銀貨をそんなに持ち歩いてんの? 金貨2枚で勘弁してやるよ」


「……わかりました」



 そう言ってドーソンは懐から金貨を2枚、取り出して置いた。交渉成立。



「どーも。なんか飲んでいくかい? 奢るよ」



 おれは金貨を手にし、言った。もちろんこれは嫌味で言っている。



「またの機会にぜひ」



 が、ドーソンは意外にも、穏やかな笑顔を返して立ち上がり、酒場を出て行った。



「いい稼ぎだな、“ラット”! 俺らに奢ってくれよ!」


「おれを鼠と呼ぶ奴に飲ます酒はねーよ」



 そう言っておれは店主に食事を注文した。複雑な魔術のあとはいつも腹が減るんだ。



 ――ここまでなら、なんのことはない。王都の路地裏で、英雄譚とは無縁に生きる屑拾いラグ・ピッカーの日常風景だ。問題は、この仕事が原因でそのあと”名探偵”エルロイに出会うこと、厄介な事件に巻き込まれること、そしてその事件が大陸の歴史を左右するほどの巨大な戦いの渦中にあるもので、その上やっぱり英雄譚とは無縁な路地裏の物語だったっていうことだ。

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