2.ダンジョン・マンションは逃げるのに向かない

 人の世界に重なる精霊の世界より、さらに奥


 混沌の闇より魔が出ずるとき、災禍の中枢に大魔王あり

 その名をゼロスという


 聖祖イズは聖典を以て、人の世に平穏をもたらし


 秩序の光より希望が出ずるとき、大魔王の闇を退けん――


 * * *


 ――これがこの大陸に伝わる、聖祖イズと大魔王の伝説。およそ1500年ほど前の出来事らしい。


 そして、以後大魔王ゼロスは何度か復活し、歴史の中に現れている。前の復活は500年前で、今回復活したのが2年ほど前。


 物語の中で語られることが現実になるのは大変なことだ。


 北の大地に出現した魔王城から、魔獣が各地へと溢れかえり、いくつもの町や国が魔王の軍勢によって滅ぼされた。


 伝説の中で魔王に立ち向かった英雄の末裔とされる王侯たちは魔獣に手を焼いた。なにしろ魔王の軍勢は名誉を示すためでも、領土を得るためでもなく、ただ破壊と殺戮だけを目的に暴れまわる。軍隊として組織だった行動もしない。国同士の戦争とはまったくルールの違う戦乱に、大陸中が巻き込まれた。


 人々が怯える一方、多くの若者が冒険者となり、魔獣との戦いに身を投じ、魔王の首を獲るため魔王城へと旅立った。


 ――そして、その魔王をついに倒したのが、戦士バルグリフとその仲間たち。バルグリフたちは王都に凱旋し、王都ではその日、盛大な凱旋パレードが行われたのが、おれがドーソンの仕事をしてから数週間後のことだった。



「救国の英雄に神の栄光あれ!」


「勇者バルグリフ、万歳!」



 街路を埋め尽くす人々が口々に快哉を叫び、娘たちは逞しい英雄の雄姿に黄色い声をあげる。騎士団の列に守られた勇者バルグリフと仲間たちが、人々に手を振りながら王城に向かい、目抜き通りを行進していった。



 ――というのが、表町でのこと。


 おれたち裏町の住民はそんなことにまったく構わず、いつもと変わらないその日暮らしの中にいた。



「意外と呆気なかったよねぇ」



 ドーソンの依頼を片づけてから、数週間が経ったある日の午後。薄暗い店の一角で、長い耳を撫でながらボルックスが言った。



「なにが?」



 おれが問い返すと、ボルックスはこちらも見ずに応じる。



「大魔王ゼロスだよ。なんかあっさり斃されたじゃない。神をも凌ぐ強大な魔力を誇る恐怖と破壊の化身、じゃなかったの?」


「神の魔力を誰も知らないからなァ」



 おれは出された茶をすすりながら、うず高く積まれたガラクタのひとつを手に取る。そこにあるのは魔力のな腕輪だの、名匠の手にな彫刻入りのプレートだの、要するに出所の怪しいものばかりだ。そんな店なのに、客には香りのよい薬草茶を振舞う。これは店主であるボルックスのこだわりらしい。



「平和になったら、この商売もあがったりなんじゃないの?」



 盗品だろうと、魔獣により滅んだ町から掘り起こされたものだろうと、構わずに取り扱う闇商店――冒険者の活躍の影に、こうした商売は必ずついて回る。妙な話だが、魔王のおかげで儲けているという者が、裏社会には少なくないのだ。


 しかしボルックスは、エルフ族に特有の長い耳を震わせて笑う。



「あたしゃ魔王が出てくる前からこの商売やってんのよ。この迷宮団地城ダンジョン・マンションなんて王都ができる前からそんな連中の巣窟なんだから」



 若く見えるが、一体こいつは何歳なのか――おれはそんなことを考えながら、開け放しの扉から見える迷宮団地城ダンジョン・マンションの様子を眺めた。


 元は、地下に広がる大迷宮だったのだという。古代魔法帝国期に造られたものと言われているが、誰がなんのためにそんなものを作ったのかはわからない。それが今は、縦に5階くらいまでが大きくぶち抜かれて吹き抜けになり、地上から底まで光が差し込んでいた。その吹き抜けの壁面に、へばりつくようにしてこうした商店や住宅が軒を連ねているのだ。空中に張り出されたロープに、干された洗濯物が細い日光に照らされているのが見える。



「魔王を倒した勇者サマが、凱旋パレードをしようが裸踊りをしようが、ここには関係ないってことよ」


「裸踊りなら見に行くんじゃないか?」


「人間の裸なんか見てもねェ」


「……あいつの裸踊りか」



 おれも一瞬、それを思い浮かべてしまい、すぐに振り払って茶をすする。



「……ほい、できたよ。中身確認して」



 そう言ってボルックスは心底嫌そうな顔で目の前の本をこっちに差し出した。


 おれは差し出された本――小聖典プエルムに手をかざし、呪文を唱えた。照会インクィリ――


 小聖典プエルムが淡い光を放ち、聖典マーテルから引き出した情報が浮かび上がる。俺の洗礼情報ステータスに紐づいた魔信通貨クレジットの金額は、金貨2枚分が入ってこれで、21,000クレジット。文無しを寸前で免れた。危ない危ない。



「この辺りじゃ魔信通貨クレジットなんか使えないところの方が多いのに」



 そう言うボルックスに、



「おれは善良な市民なの。表町にも用事があるんだ」



 ボルックスはふん、と鼻を鳴らして小聖典プエルムを閉じ、不意に声を潜めた。



「そんなことより、ラッド……善良な市民のあんたが、なんかヤバい仕事してない?」


「……なに、急に?」


「騎士団のやつらがここに来たのよ。この魔晶石を売った覚えはないかって」


「魔晶石……?」



 確かに、仕事で使う魔晶石をここで仕入れることは多い。大小さまざまな形のものが安く手に入るからだけど――



「それがなにか?」


「あたしゃ、どの魔晶石を誰に売ったか全部憶えてるからね。騎士団が持ってたあれは、何カ月か前にあんたに売ったものだったよ」


「……冗談でしょ?」


「この道50年の目を舐めないことね」



 ボルックスは得意気に胸をそらす。


 おれは頭を抱えた。確かに、いろんな仕事をやっちゃいるが――聖典騎士団に目をつけられるようなこと、しただろうか?



「しばらく身を隠した方がいいんでない?」


「……そうするわ。教えてくれてありがとう」



 おれは木箱から腰を上げ、店を出る。



「なにかあれば『ゴブリン・キック』に」



 そう言い残すと、ボルックスは黙ってひらひらと手を振った。


 * * *


 店を出ると、傾きかけた陽が立体的な街角に複雑な影を作り出していた。迷宮団地街ダンジョン・マンションに日が差し込む時間は短い。そしてその恩恵を受けるのは一部だけ。多くの家や店は、吹き抜け部分から奥に入り込んだところにある。


 吹き抜けの最下層から、さらに下にはまだ迷宮が広がっているのだというが、その入り口は発見されていない。まあ、探そうってやつがいないだけの話だろうけど。


 おれの寝ぐらは地上のすぐ近く、第一層にあった。第三層のここから上に登る道はいくつかある。近いのは迷宮の奥から大階段に向かう方だが、吹き抜け側に設えられた昇降機エレベーターか、櫓階段スケルトン・ウェイを使う方がおれは好みだった。


 吹き抜け沿いの道をぶらぶらと歩けば、串焼きを売る店の煙が流れてくる。道が途切れていったん、迷宮の中に入り、路地を抜ける。顔見知りの娼婦が仕事に出かけるところに会い、しつこく営業をかけられる。


 大階段の方から、なにかの音楽が聞こえて来ていた。魔奏士MJ畜音晶石レコーダーに入れた様々な音を並べ、音楽として再構成する「ダブ・ミュージック」と呼ばれる演奏――伝統的な楽器の音楽からは異端と見られるが、このあたりのような地下アングラでは人気があり、路上で演奏する魔奏士MJも多いのだ。



「いい夕暮れだ」



 魔術師ウィザードは物質界と重なり合う精霊界の狭間から魔力を取り出し、力ある言葉=呪文によってそれを行使する。昼と夜の狭間である夕暮れ時は、その魔力が一番濃くなる時間帯なのだ。おれは深呼吸をし、魔力が身体に満たされるのを感じる。



「……ん?」



 その時、おれの視界にこの下町に似合わないものが入って来た。きっちりとした上衣に、青い飾り帯サッシュを肩からかけた大柄な男たち――



「……陳腐な不幸だバナラック……」



 おれはその場で回れ右をする。いかにも、用事を思い出したかのように、極めて自然に――



「おい、お前!」



 おれの努力は報われなかったらしい。青い飾り帯サッシュをつけた男たち――聖典騎士たちが、ブーツを鳴らして大股で歩み寄る音が聞こえる。


 おれはすぐ近くにあった角を曲がる。中途半端に崩れた通路に、板が渡してある路地。小走りでそこを走り抜けつつ、板を蹴飛ばしておく。向こう側へ抜けるとそこも吹き抜けに面した通路だった。おれは走りだす。



「止まれ! そこのお前だ!」



 さっきとは違う方から声がかかった。くそっ、仲間がいたのか。おれは目の前に積み上げられた瓦礫の山を飛び越えた。その向こう側はさっきの串焼き屋台の内側だ。



「お、おい!?」


「ごめんよ! 今度買うから!」



 トカゲの串焼きは好きじゃないんだけど、まあ仕方ない。おれは屋台を潜り抜けて向こう側へ出、迷宮の内側に入って大階段へと向かう。


 迷宮団地城ダンジョン・マンションの目抜き通りとも言える大階段には、人々がたむろして煙草をふかしたり、荷物を運ぶ者が行き来したりとそこそこ賑わっていた。おれはその間をすり抜けながら上階へと向かう。



「おい、待て!」



 後ろから声がかかるが、やつらは上手く人の間を抜けられないらしい。人とぶつかる音が聞こえ、続いてガシャガシャという騒音が聞こえてくる。振り返ってみると、騎士のひとりが何かを運ぶ男とぶつかったらしい。うわ、あれ肥運びだぞ。


 見なかったことにして階段を登り、第二層の吹き抜け側へと走り出る。通路に置かれた樽やらなにやらの上を飛び――吹き抜けの向こう側、空中へと身を躍らせる!



「ぃよっとっと!」



 洗濯物の干してあるロープを掴みながら、おれは再び第三層へと着地。さっきいた場所とは繋がっていない道だ。ばさばさと洗濯物が落ちるのを払いのけ、再び、走り出してその先の木の扉の中へ。



「いらっしゃいま……ってちょっと!?」



 中はこの迷宮団地城ダンジョン・マンションで一番大きな酒場。と言っても、大きいのは、だ。三層を縦にぶち抜いた店内の階段を降り、下層へ、さらに、その下へ。



「ラッド! なにやってんのさ!」


「ごめん、また今度!」



 看板娘のリジーに手を振りながら、おれは店の外へと出た。最下層――吹き抜けの底面はちょっとした広場になっており、わずかな緑が息づいていた。それを回り込んだ先で迷宮の内側に入り、入り組んだ路地を駆け抜けて、奥の扉を叩く。



「誰?」


「“火トカゲにはエールを飲ますな”」


「…………」



 扉の覗き窓に告げた符号に、ため息が返って来て扉が開く。おれはその中へと身体を滑り込ませた。



「部外者が揉め事を持ち込まないでよ、“ラット”?」



 扉を閉めた女が、切れ長の目をさらに細くしておれを睨みつけた。



「部外者はないだろ、レミー? ちゃんと符号も言ったんだから」


「出入りは認めてるけどね。あんたはギルドのメンバーじゃないだろ」



 レミーは呆れながら部屋の奥へと向かう。石造りの部屋に、机がひとつと棚、それにソファ。そこに男がもうひとり、座っていた。



「それとも、我らが盗賊ギルドに入る気になったかい、ラッド?」



 男が立ち上がり、言った。細身ながら引き締まった身体つきは猫科の獣を思わせる。盗賊ギルド――闇の仕事シノギを生業とする者たちの共同体、その幹部フーヴァーだ。



「……いやあ、おれはカタギでやってくつもりだよ」


「それなら都合いい時だけ我らを頼らないことだ」



 ごもっとも。おれは部屋の隅に置かれていた木の椅子に座った。



「そう言うなよ、フーヴァー。この街の危機でもあるんだ」


「ほう? 騎士団に追っかけ回されてるのはお前だろ? 街には関係ない」


「知ってるなら話が早い」



 おれは身を乗り出した。



「聖典騎士団かなにか知らないが、やつらは国王の兵でもなんでもない。人を捕まえる権限なんてないんだ。教会の威光を笠に着て剣を振り回すヤクザ者だよ。同じヤクザ者に縄張りを荒らされて、あんたらが黙ってるのかい?」


魔術師ウィザードってのはずいぶん口が回るんだな」


「それが商売なんだ」



 フーヴァーはじっとおれを見る。短く刈り込んだ髪の下で、右の眉にある大きな傷跡が鋭い目をさらに強調していた。おれは傍で黙っているレミーとフーヴァーとを交互に見る。



「……ま、お前の言うことにも一理ある。縄張りは守らないとな」



 フーヴァーがふっと息をついて言った。



「つまり……には出て行ってもらわないとな?」



 ――と、扉が開く。振り向いてみれば、そこには青い飾り帯サッシュの騎士たちが立っていた。



「フーヴァー!? お前……ッ!」


「我々にも立場ってものがあるんだよ。悪いな」


「てめぇッ! 恨むぞこの根暗野郎!」



 フーヴァーはおれの罵倒に耳を貸すことなく背を向けた。その横でレミーがため息をついている。おれは聖典騎士団に取り囲まれ、外へ連れ出された。よりにもよって勇者の凱旋した日に、おれは聖典騎士団に連行されたわけだ。

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