3.聖典教会が依頼すること

 白と青で構成された清浄な空間。埃ひとつ落ちていない床。そこに描かれた聖典教会のシンボル――そこは、迷宮団地城ダンジョン・マンションとはなにもかもが違う場所だ。


 無駄に天井の高い大聖堂の広間ホール、その真ん中に、椅子に縛り付けられてぽつんと座らされているおれがいた。左右に立つ大柄な聖典騎士たちは、眉さえも動かさない。おれは右側に立つ若い騎士に向かって声をかける。



「あんた、匂うよ? さっき肥運びを引っ掛けただろ?」


「…………」


「大変だよなぁ、聖典騎士団サマは。こんなきれいな大聖堂じゃ肥溜めの匂いが隠せなくてさ」


「……口をつぐめ。ここは神聖な場所だ」



 面白みのないやつ。これだから嫌いなんだ聖典騎士は。


 王都の高台に、王城と高さを競うようにしてそびえる大聖堂は聖典教会の総本山だ。大陸中に広がる聖典教会は、単なる宗教ではない。聖典の魔力に個人のステータスを記録する職能洗礼クラス・バプテスに基づいて戸籍が作られ、その戸籍から国は民から税を徴収する。その仕組みは、大陸中のどこの国でも似たようなものだ。


 国家を支配する王や貴族は「戦う者」として民を守る。

 職人や農民は「働く者」として貴族に守られ、税を納める。

 聖典教会の神官たちは「祈る者」としてその間に立つ。


 それがこの世界における三職分の基本形。もちろん、冒険者だの盗賊ギルドだのって例外はいる。


 ともあれ、聖典教会は国を越えた力を持っていて、ついでに聖典騎士団という武装勢力まで擁している。その聖典騎士団は王直属の兵士団とは独立した、独自の権力を振るっているのだ。要するに暴力集団ヤクザだ。



「……つまり、おれはあんたらが嫌いだ。主に正義ヅラしてるあたりがな。あと、国の衛兵や冒険者ギルドと仲が悪いのはなんとかしろ。どうせなら協力しあえばいいじゃないか」



 騎士たちは黙っていた。滅多にない機会にあらん限りの悪態をついてやろう、とおれがさらに考えていると、不意に正面の扉が開いた。法衣ローブを身に纏った小柄な老人が、何人かの神官を引き連れて入って来る。



「ほっほっほっ、元気そうな泥棒様だの」



 老人はニコニコと微笑みながらおれの正面に立つ。白の法衣ローブの上に、緋色の肩帯ストラ。なんてこった、それはつまり――



「……枢機卿様が泥棒様にお言葉を賜るとは光栄の至りだね」


「神はお主のような罪深き者にも慈悲をくださるからの」



 枢機卿――つまり、聖典教会のトップ・教皇を補佐する立場。小国の王などよりもよっぽど強い権力を持った人物だ。いきなりの大物登場に、おれはさすがに面食らっていた。


 枢機卿の隣に立っていた神官が進み出て、おれの目の前のテーブルになにかを置いた。それは青い光を湛えた、手のひらほどの宝石。



「この魔晶石はお前さんのものだな?」


「……魔晶石の区別なんかつかないよ」



 嘘だった。それは少し前にあのドーソンとかいう神官からの依頼を受け、小箱を開く対抗呪術カウンタースペルを仕込んだもの――1つずつ微妙に異なる魔晶石を見分けられるくらいでなきゃ、魔術破りクラッカーは務まらない。まあいずれにしろ、それは今ドーソンの持ち物であるはずだ。それがなぜここにあるのか――



「見事な術式だ。これほどの術者は魔導学院アカデメイアにもなかなかおらぬだろうて」



 こちらの返事を無視して話を進める。これだから老人は嫌だ。



「だからおれは知らないって……」


「そうかね」



 枢機卿がそう言って目で合図をすると、隣にいた神官が進み出て透明な板をテーブルの上に置く。そして、魔晶石をその板の上に乗せた。



 ――ヴンッ



 術式に魔力が通る音がする。透明な板で、魔晶石を中心に光の曲線が奔り、放射線状の模様を描き出す。



「魔力というのは人それぞれに違っていてな。それを視覚化したものを”魔紋”という」



 おれは黙っていた。そんなこと、当然知っているし、魔術師ウィザードなら自分の魔紋を偽装することくらい簡単だ。ここで魔紋を見せろと言われても、切り抜けられる――



「……君の知らないこの世界の真実を、ひとつ教えよう。聖典教会はあらゆる人間の魔紋を所持しているのだよ」



 枢機卿が言った。


 おれは舌打ちをした。職能洗礼クラス・バプテス階級レベル認定の時、その人物を特定する情報が聖典マーテルに記録される仕組み。魔信通貨クレジットなんかも結局、この魔紋によって成り立っているのだ。小箱の開錠なんていう細かい仕事で、わざわざ魔紋の偽装もする必要はないと思ってたけど――



「……いや、だからなんだって言うんだ。別にやましい仕事でもなんでもないぞ」


「ならばなぜ嘘をついた?」


「あんたらが嫌いだからだよ」


「なるほど、それは結構」



 枢機卿は周りの神官に無言でなにかを指示した。若い神官たちが頷き、おれの縄を解いた。



「……わかってるじゃないか。大体、悪事だとわかっていればあんなことに手を貸したりは……」


「ひとつ、話がある」



 やっぱり人の話を聞かない。



「お前さんにこの仕事を頼んだ神官ドーソンは死んだ」


「え……?」



 思わず裏返った声が出た。



「ドーソンは敬虔な神官であり、大聖堂で司祭も務める厳粛な男だ。それが大聖典マーテル・アヴィアの間で自ら命を絶った。この魔晶石を握りしめて、な」


「……それは気の毒に」


「ほう、お悔やみを言うくらいの社会性はあるようだ」



 枢機卿のまぜっ返しに、おれはため息をつく。



「じゃあ社会性のないことを言うけどさ、それがおれになんの関係がある?」



 ドーソンが大聖堂勤めの神官だったのは驚いたけど、そいつが裏でどんな悪事をしようが、勝手に死のうが知ったことじゃない。


 枢機卿は用意された椅子にゆったりと腰かけた。



「少し前に、ドーソンが言ったそうじゃ。『大魔王はすぐにいなくなる。心配いらない』とな。冗談を言うような男ではないのだがのう」


「はあ」


「それから間もなく、大魔王は死んだ」


「……だからどうしたってのさ。大魔王ゼロスを殺したのは勇者だろ?」


「そう、勇者バルグリフ……じゃな」


「…………!!」



 勇者バルグリフ・ベクルズとその仲間は、元々この町で冒険者をしていた連中で――おれは一時期たしかに、彼らのパーティに参加していた。でも、破壊魔法の使えないおれは役立たずとしてパーティを追い出され、それっきりなのだけど――



「聖典教会はそんなことまで調べてるのか」



 おれはため息をつく。枢機卿は笑った。



「さて、そのバルグリフ君だが……彼に魔王が倒せると、君は思うかね?」


「……どういう意味?」



 旅先で活躍するバルグリフの勇名は、たびたび王都へも流れてきていたし、おれもその話は聞いていた。魔王の軍勢に支配された町を解放し、古代魔法帝国の遺産を手にし、滅んだ国の兵を義勇軍として組織、魔王配下の上級悪鬼グレーターデーモンを打ち破り、魔獣たちを押し返し、ついには魔王城に乗り込んだ――


 

「バルグリフの階級レベルはいくつだと思う?」


「は?」


「35だ。わずかな」



 ――どうも話が見えてこない。枢機卿は言葉を継ぐ。



「その程度の戦士ファイターと仲間数人が、並みいる魔獣たちを退け、神さえも凌ぐ魔力を誇る魔王を打ち倒した……おかしいと思わないかね?」


「……どういうことだ?」


「率直に言おう。魔王を殺したのはバルグリフではない」


「…………ッ!」



 枢機卿はゆっくりと笑った。



「たった階級レベル35……聖典騎士団の団長よりも低いのだよ。魔王とはそんな程度だったのだろうかね?」


階級レベルと実力は直接関係ないだろう。おれなんかたった7だ」


「教会に足しげく通う表の者なら、ある程度の指標にはなる。その者が持つ魔力の大きさは聖典マーテルによって測られるわけだからな」


「……古代魔法帝国の強力な遺産とやらがあったんじゃないのか?」


「強力な魔導器は使役する者の力に比例する。階級レベル差を覆す絶対的な要因とはならぬものだ」



 枢機卿は枯れたような細い体を乗り出し、真剣な目つきになる。



「もし、魔王を倒すほどの力を持った者がいて……世に隠れているとすれば、それはこの世界にとって大きな脅威だ。教会としては、見過ごすわけにはいかん。ドーソンがそのことに関わっていたとすればなおさらだ」



 枢機卿は指先で魔晶石をトントンと叩く。



「君に協力を依頼したいのだよ。ドーソンにこの魔晶石を渡し、勇者の元仲間でもある君にな。魔術破りの鼠ラット・ザ・クラッカー君」


ラットじゃない。ラッドだ」



 おれは左右に立つ聖典騎士を見回した。相変わらず顔色ひとつ変えずに立ったまま。ここまで来ると大したもんだ。



「それは命令?」


「いいや、れっきとした依頼じゃよ」


「……わかった。考えとくよ」



 おれはそう言って立ち上がった。左右の聖典騎士が止めようとするのを、枢機卿が手で制する。



「……いいの、止めなくて? おれが言うのもなんだけど」


「言ったであろう。強制ではないと」


「今の話、言い触らしたりするかもよ?」


「別に構わんよ。その方がこちらには都合がいい」



 ――教会としては、勇者が偽者だという認識を公にしたいっていうわけか。聖典マーテルに魔紋が記録される話はむしろ、悪事に対しての抑止力になる。どこまでも合理的な爺さんだ。



「気が変わったらいつでも来てくれ。ガイエス・ドーソン枢機卿の名を出せば取り次いでもらえよう」


「……え?」


「ロアム・ドーソンはわしの息子じゃ」



 部屋から去ろうとして振り返ったおれに、枢機卿は顔色ひとつ変えずにそう告げた。


 * * *


 久しぶりに歩く中央街区アップタウンはどこか浮世離れしていて居心地が悪い。さっき聖典騎士に囲まれて歩いた時の方がマシだったかもしれない。勇者バルグリフのパレードはもう終わったらしく、人々は日常の姿を取り戻しつつある。


 身体にぴったりとした装束を着こんで石畳に杖を突く紳士、路面を行き来する馬車の中で優雅にドレスを揺らす令嬢たち。まるで迷宮団地城ダンジョン・マンションと地続きでないような光景だ。



「見送りなんかしなくても帰れるよ」



 傍らを歩く若い神官におれは言う。先ほど枢機卿についていた神官のひとりだ。



「枢機卿の意向ですので」



 若い神官は答えた。それにしたって、どこまでついてくる気なのか――ため息をつきながらおれは言う。



「つまり、監視ってこと?」


「いいえ、あなたの身の安全を願ってのことです」


「青びょうたんの神官が見送りに来たところで、身の安全なんて……」



 ――と、そこでおれは異様な気配に気がついた。魔力が、揺れている――?



「……魔法攻撃!?」



 魔力の方向に振り向いたその瞬間、魔法の輝きに彩られた雲が視界に広がった。まずい、麻痺の雲スタン・クラウドだ――吸い込めばその場で身体の自由を奪われ、倒れ込んでしまう!



「……魔力解析ハック!」



 おれは咄嗟に目の前に雲に手をかざした。魔法を構成する呪文コード逆編換リバース・コンパイル――この手の魔法の構造体アーキテクチャは知っている。雲を展開する魔力式ロジックを塞いでやれば――



制限コンファイン!」


 ――パァン!



 麻痺の雲スタン・クラウドが霧散して消え失せた。危なかった――一瞬でも気がつくのが遅ければ、対抗呪術カウンタースペルが間に合わないところだった。



「いったい誰が……ッ!」



 攻撃を仕掛けてきた元を探ろうとする――と、その瞬間、傍らにいた若い神官が素早くその腕を振るった。



「なるほど、魔術砕きクラッカーの技は見事なものだ……が、物理的な攻撃への警戒が穴になっていますね」



 若い神官が振り向き、その指の間に挟んだ細く鋭いものを見せた。



「吹き矢……!?」


「言ったでしょう? あなたの身の安全を願ってついてきたって」



 そう言って神官は振り向き、フードを脱ぐ。流れるような金髪と、端正な顔立ちが現れた。



「……あんた、神官じゃないな?」


「ご名答。ちょっと聖典教会に用事があって潜入していました」



 若い神官――いや、神官ではない男――はこともなげに言った。おれは、わずかに微笑みを浮かべるその顔に向かい、呪文を口にする。状態開示ステイト・オープン――


 聖典マーテルに書き込まれた洗礼情報ステータスが視界に現れた。


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  エルロイ・V・ルクソフィア

  職能系クラス:探偵

  階級レベル:53

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探偵ディテクティブ……?」



 そんな職能クラス、初めて見た――


 男は法衣ローブを脱いだ。革のベストに丈の長いパンツとブーツ、そして派手な色のスカーフが現れる。



「そう、僕は探偵。名探偵エルロイだ。よろしくお見知りおきを、ラット



 ――つまりそれが、おれと自称・名探偵エルロイの出会いだった。思い出してもやっぱり気に入らない。

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