2.勇者の足跡を追え

 王都から放射線状に伸びる大道路ハイウェイは、馬車が4台ほど並走してもまだ余裕があるほど広く、そして真っすぐに伸びていた。元々は軍を動かすために整備されたのだというが、大魔王ゼロスとの戦いではあまり役には立たなかったようだ。魔獣はバラバラに、無作為に現れて町を襲うため、大軍をぶつけるわけにもいかなかったのだろう。


 おれは馬車の窓から、窪地を渡る大道路ハイウェイの大きな橋の下、広がる粗末な町を眺めていた。おれたちのような庶民が、馬車や馬の専用道路である大道路ハイウェイを使うことはまず、ない。隊商キャラバンでさえ、魔獣の現れる普通の道を護衛と共に往来するのだ。どうにも不思議な気分だった。



「ダルトサイドの町まで、3日と言ったところだ。歩けば10日はかかる」



 聖典教会から護衛として派遣された女騎士・ルーネットが言った。



「ダルトサイドは大魔王との戦いにおいて前線となった土地……勇者バルグリフが拠点としていた町だ。グスマン公爵の領内でもある」


「なるほど、いろいろな意味で危険な場所だってことですね」



 エルロイはにこやかに言った。



「ああ、その通りだ」



 ルーネットは頷く。首の辺りで切りそろえられた黒髪がぱらりと動いただけで、切れ長の目はまるで色を変えなかった。こいつもやっぱり、面白みのない聖典騎士だ。


 とはいえ、エルロイの言うことは確かにその通りだった。そもそもおれは二度も刺客に襲われている――人間と、そうでないのに一度ずつ。


 おれはバルグリフの最期を思い出した。あいつが怯えていたものとはつまり、あのバケモノ女だったのだろうか。「大魔王を殺したのは誰だ?」とおれが訊いたとき、あいつはなんと答えようとしていたのだろうか。


 馬車は窪地の橋を渡り終え、丘陵地帯へと入っていった。天気はよく、遥か遠くにそびえる高い岩山までがよく見えた。



「魔王の城もああいう岩山だ」



 女騎士ルーネットが外を見ながら言う。



「岩山? 城が?」


「山そのものが城になっているのだと言われている。これは伝承とも一致する」



 そう言ってルーネットは息を吸い、詩をそらんじ始めた。



  北のお山のその中に

  魔の心の臓、脈打ちて

  闇の扉を打ち開き

  獣の王の現れん



「……いい声だ」



 エルロイがその詩を受けて言う。



「それは聖典教会に伝わるものですか?」


「いや、これは辺境に伝わる民話だ」

 

「へえ? 聖典騎士のあなたがなぜそんなものを?」



 大げさに驚いた顔をしてみせたエルロイに、ルーネットは少し照れたような顔を覗かせ、答えた。



「父が蒐集していたものだ。私の家は学者の家系でな……まあ、私は出奔して聖典騎士団に入ったのだけど」


「なるほど、それであなたも余暇で研究を続けているというところですか?」


「そんな大層なものじゃない。ただ好きだった詩を憶えているだけよ」



 そう言ってルーネットは窓の外に顔を背けてしまった。



(聖典騎士にもいろんなやつがいるんだな)



 その時、おれは初めてそんな風に思った。


 * * *


 それにしても、ほとんど見知らぬ3人が馬車に閉じ込められ、3日間過ごすというのはほとんど拷問に近い話だ。エルロイの如才ない話廻しによってどうにか気まずい沈黙を回避しつつ――妙に世慣れたこの男、本当に上帝神族アルコンなんだろうか――半分くらいは寝て過ごしたことにより、宿では却って寝れずにぶらぶらと歩きまわる、という日々を過ごすことになる。


 2日目の夜、街道沿いの小さな宿場町で、おれは宿屋インの1階でやっている酒場で明け方までだらだらと過ごしていた。


 夜半過ぎだというのに、酒場にはまだ管を巻いている連中がかなりの数、いた。隣で飲んでいる連中の声に耳を傾けていると、やはり話題はバルグリフの死と魔王を殺した本当の勇者についてのことだった。



「魔王を殺したのが勇者バルグリフでないなら、誰がやったっていうんだ!?」



 鼻の赤い男がジョッキをテーブルに叩きつけて言う。



「バルグリフが地元の盗賊団を討伐したときの逸話を知らないのか!? 盗賊団はバルグリフの高潔さに打たれ、改心してその傘下に入り”大陸義勇軍”の礎になったというぞ」



 どうやらこの男はバルグリフに心酔しているらしい。



「だがバルグリフの階級レベルはわずか30程度だっていうじゃないか。魔王の討伐なんてできるのか? 西の剣聖サザーンなど、60を超えるというぞ?」


「ならばそのサザーンはなぜ大魔王を討伐しなかった!」



 赤い鼻の男は興奮してまくし立てた。



「大魔王を倒すのは個人の武勇じゃない! 人々の力を結集するカリスマだ! バルグリフにはそれがあったからこそ、辺境の武力を結集し、大陸義勇軍は魔獣に対抗できたんだ! サザーンは所詮、地元を守るのに精いっぱいだったんだろう?」


「だが、大陸義勇軍は今や、破壊された町に居座って貴族ぶってるというじゃないか。バルグリフはともかく、義勇軍の総大将ゲオルグは俺は好かねぇな」



 禿げ頭の男が言い返す。



「ゲオルグは勇者に嫉妬し、仲が悪かったとも言うぜ。大魔王を倒したのが勇者バルグリフなら、それを殺したのはゲオルグの仕業なんじゃないか?」



 男たちはなおも喧々諤々と議論を続けていたが、だんだんと呂律がおかしく、話も支離滅裂になっていった。



「……死んだ旧友の評判を聞くというのはどんな気分ですか?」



 不意にかけられた声に振り返ると、いつの間にかエルロイが現れ、おれの隣の椅子に座るところだった。



「人気があったようですね、勇者バルグリフは」


「外面のいい男だったからね、あいつ」


「それが行動と結果に繋がったなら、外面もまた真実でしょうか」



 エルロイはパイプを取り出し、指先から小さな火を放って火を点け、口に咥える。



「良くも悪くも、大きな動きをした者は様々な意図に絡みとられます。どうやら、バルグリフが絡んだ糸はグスマン公爵や聖典教会だけではないようだ……いや」



 エルロイはパイプを口から離した。



「もしかしたらグスマンや教会も、糸に絡みとられた側なのか……」



 エルロイはパイプの煙を吐きながら言った。おれはしばらく黙ってその煙を見つめたあと、何気なく言う。



「……上帝神族アルコンにとっても煙草ってのは美味いものなのかい?」


「ええ、もちろんですよ」



 エルロイはパイプを眺めながら答える。



「特にこのパイプというのは面白い。煙草の煙を吸込み、その作用と香りを楽しむことを最大化するというだけではなく、道具の形や色を楽しみ、なにを選び身に着けるかという選択にさえ、人間は意味を与えている。これは人間が相互の目線を意識するという”社会”の中にいるからこそ作られた”文化”だ。物質的に存在しないものを存在させる……一種の魔術ですね」



 エルロイは再び、パイプを口に咥えた。



「そもそも人間に魔法を教えたのも上帝神族アルコンだと言われていますが、人間はそれ以上の魔術を作り出した……だから僕は人間が好きなんですよ。パルゼイ家との”契約”のためだけに行動しているわけでもない」


「……それってやっぱり、上帝神族アルコンの中では変なやつなの?」


「ふふ、面白いことを聞きますね。さすがは魔術破りの鼠ラット・ザ・クラッカーだ」


「だからラットはやめろって」



 エルロイは笑った。



「どうでしょうね。なにしろ上帝神族アルコンには”普通”ってものがありませんから。でも……」



 パイプの煙を目で追いながら、エルロイは話を続ける。



「人間に憧れたり、関りを持ったりする上帝神族アルコンは多くはないが、歴史の裏で関わっている事例は無視できないと思いますよ」


「ならやっぱり、大魔王ゼロスも上帝神族アルコンだと?」


「うーん、そうは言っても、直接地上を滅ぼそうと行動するなんて考えにくいんですが……」



 エルロイはパイプの灰を落とし、席を立つ。



「それを探るため、あなたの旧友の足跡を追うんです。明日は早く出発しますよ」


「……バルグリフは別に友だちじゃないよ」


「人間のそういう感覚も、面白いですね」



 エルロイはそう言って宿泊部屋のある2階へと向かっていった。


 * * *


 ダルトサイドの街は、海沿いに造られた天然の要害だ。ほとんど断崖とさえいえるような斜面に造られた街は立体的な構造を持ち、人々は坂道や階段、時には梯子を通じて街を往来する。



「魔獣の襲撃にも耐えるこの街には、多くの難民が入り込んだ。ここから冒険者として新たに旅立った者も多い」



 街の入り口の坂を登りながら、ルーネットが言った。



「いわば大魔王の勢力圏に自然発生した橋頭保だ。勇者バルグリフが拠点にしたのも自然なことだっただろう」


「けっこう活気があるんだな」



 王都の活気とはまた違う。立体的な町は迷宮団地城ダンジョン・マンションを思わせたが、地下アングラなあの場所よりもずいぶんと明るく、活気にあふれた街だった。


 ルーネットは頷き、言う。



「私は大魔王が暴れていた時にも来たが、ここの住民はその時から力強かった」


「騒乱の時代にあっては、秩序の領域で平和を維持する者より、混沌の領域に近い者の方が活躍するものです」



 エルロイが言った。ルーネットは頷く。



「辺境に伝わる民話や詩の中にも、山間に住まう蛮人や盗賊たちが英雄的に語られるものは多い。多くは戦乱の中で語られたものだ」



 腑に落ちる話だった。おれのような屑拾いラグ・ピッカーや盗賊ギルドの連中や、迷宮団地城ダンジョン・マンションに住まう連中もそんな奴らが多い。



「この街には教会がいくつかあるが、聖典マーテルの記録によれば、バルグリフは南の外れの教会によく訪れていたようだ」



 聖典マーテルに祈りを捧げ、魔紋を通じて個人の登録情報に階級レベルを認定する宣誓式――その記録を辿れば、バルグリフの足跡を辿ることができるというわけだ。



「もうすぐ日が暮れますが……」


「まあ、とりあえず顔を出してみよう」



 おれたちはさっそく、南の教会へと向かうことにした。


 ダルトサイドの街を外れに向かって歩いていくと、石畳や階段が徐々に途切れ、土の斜面がむき出しになる場所が増えていく。おれたちは断崖を回り込むようにして斜面を下り、教会へと向かう。



「……ここか」



 海へと落ち込む断崖を脇にして、小さな石造りの教会が建っていた。ここに来るまでに他の教会も見かけたが、それと比べてもかなり古い。下手をすると古代魔法帝国期の建物かもしれない。



「どなたか、おられるか?」



 ルーネットが入り口を開け、中を覗き込むが返事はなかった。



「おかしいな、確かここにいるのはアイジーという司祭のはずだが……」



 おれたちは教会の裏手へと回り込んでみる。通用口の方からは司祭の住居になっているようで、その正面には一段上がった地面に斜面がならされ、畑が作られていた。



「……あら、お客様ですか?」



 畑の中にしゃがみ込んでいた人影が立ち上がり、言った。



「ごめんなさい、気がつかなくて……」



 そう言って人影は、畑に並ぶ背の低いブドウの木をかき分けるようにして姿を現す。


 背の高い女だった。土に汚れた司祭服の中に、日に灼けた顔が輝くように笑う。灰色の髪を後ろに束ね、背の高さに不釣り合いなあどけない顔をした女司祭だった。



「こんにちは、司祭アイジー殿」



 ルーネットがそう声をかけると、アイジーは眉を八の字にして微笑んだ。

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