3.聖典騎士は臨機応変が大事
「アイジー殿? いったいなにを……」
司祭服を泥だらけにして現れたアイジーを見て、ルーネットが細い眉をしかめた。アイジーはけろっとした顔で応じる。
「ブドウの木はこの時期に剪定をしっかりしてあげないといけないの。枝が多すぎると実がつきにくくなるんです。邪魔な枝を切り落とさないと必要なところに栄養が行かないのね」
「はあ……」
ルーネットの横から、エルロイが口を出す。
「キャンパール種のブドウですね。王都の修道院で栽培しているものとは違う品種だ」
「あら、お詳しいのね。ここのブドウはワインでなく、そのまま食べるためのものなの。子どもたちが喜ぶから」
アイジーはそう言って、教会の中へおれたちを招いた。
* * *
「……ええ、勇者バルグリフ様はよくこの教会へ訪れてくれました。他の教会もあるのに、わざわざこんな外れまで……」
教会の椅子のひとつに座り、アイジーが語った。高い天井の中に声が良く響く。
「他の仲間たちも一緒に?」
「いえ、他の方たちは
「それはまたどうして?」
「さあ……ただ、この辺りは街中と違い、子どもも多いんです。バルグリフ様はよく子どもたちと遊んでくれました」
「へえ……」
おれは意外な気持ちがしていた。確かに外面のいい男ではあったが、そんな一面があったとは。
「あの、失礼だけど……」
おれは口を挟む。
「勇者が魔王を倒していない、という噂、ご存知?」
「ええ、耳にはしています」
アイジーは哀し気な顔を見せる。
「今日などはそれで子どもたちがケンカを始めてしまい……彼らにとってもショックなのでしょう」
「慕われてたんだな」
「ええ、それはもう」
アイジーはにっこりと笑った。美しい笑顔だ、とおれは率直に思う。
「……その、さらに失礼なことを聞くけど」
おれは言葉を継ぐ。
「バルグリフとそれ以外の……個人的な関係は?」
「いえ? 教会によく来てくれるというだけですが……」
「あ、そう」
もしかしてバルグリフはこの司祭に片想いをしていたのだろうか。
「私もあの方にお会いできるのは嬉しかったです。とても素直な……仔犬のような方で。ふふ、勇者様にそんなこと言っちゃ悪いかしら」
――だとしても、この司祭はまるで気づいていなさそうだ。気の毒なバルグリフ。
「ところで、勇者の仲間たちというのは
エルロイが身を乗り出し、尋ねた。
その問いは、馬車の中で話していたことだ。勇者の仲間の中に誰か、別の人間が混じっていたとしたら、その人物が魔王を殺したのではないか、あるいはその人物が
アイジーは小首をかしげる。
「もうひとりいらっしゃいましたよ。確か、ザルウィンという方が……」
おれはエルロイと顔を見合わせる。
「魔王を討伐した者たちの中にない名前だ。その人はどうなったんです?」
「さあ……いつの間にかいなくなっていましたから。あ、でも……」
アイジーは目を丸くしてなにかを思い出した、という顔をした。
「そう言えばバルグリフ様が言っていました。実はザルウィンさんは、グスマン公爵の息子なんだ、って……」
おれとエルロイはもう一度、顔を見合わせた。
* * *
グスマン公爵の城はダルトサイドから馬車で半日といった距離の場所にある。さすが公爵、城とその周囲だけでちょっとした街くらいの規模がある。ただ、城に至るまでの街道沿いに広がる農村は荒れ果てていた。
「この辺りは魔獣の被害が大きかったようだ。グスマン公爵の手勢がよく抗戦し、人の被害は少なかったが……」
ルーネットが説明するのを聞きながら、おれは外を眺める。人々が家を建て直したり、田畑を整備し直したりしていた。村は惨憺たる有様ではあったが、人々の表情は明るい。
「農夫には
「……それだけじゃないさ。彼らは元々強いんだ。この世で一番ね」
農夫たちの力強さは、彼ら自身が大地と共に暮らす上での覚悟や、その暮らしをどうにかよくしようとする工夫の賜物だ。それを
「……いや、わかる。我ら騎士など彼らに及ぶべくもない」
「ふふ、僕もそれには同感です」
ルーネットとエルロイがそれぞれ、頷いた。おれは嬉しかったが、なんとなくこそばゆい気持ちになって話題を変える。
「ところで、グスマンの城に行くのはいいけど……中に入れてもらえると思う?」
「まあ、無理でしょうね」
エルロイが即答する。
「なにしろ公爵様ですから。小さな国の王様に会う方がまだ簡単でしょう」
「ザルウィンっていうドラ息子にだけでも会えればいいけど……」
しかし、それも難しそうだった。周辺の農村で人々に話を聞いたところ、グスマンの息子は城に閉じこもったままほとんど姿を現さないらしい。少し前まで遊歴に出ていて、最近帰ってきたということになっているようだ。
「なんだろうね、本当にただのドラ息子なのかな」
「こうなると是が非でも御目通りしたいところですが……」
「変装でもするか? それとも忍び込むか……」
おれとエルロイが話し合ってるのを、横でルーネットは黙って聞いている。おれはふと気になって、ルーネットに声をかけた。
「……おれたちが忍び込むかっていう話をしてることについて、聖典騎士としてはなにかないの?」
「なにか、とは?」
「いやほら、一応悪いことをしようとしているわけだし……」
「聖典騎士は衛兵ではない。すべては民に奉仕し、
ルーネットは伏せた目をあげて言った。
「枢機卿はグスマン公爵が
「へえ、意外と柔軟なんだな騎士サマってのは」
「騎士には臨機応変が求められるからな」
「なるほど」
横でエルロイが口を開く。
「それじゃ、僕たちのやることを手伝ってくれるんですね?」
「ああ、この身体が役立てるならなんでも言ってくれ」
おれはそこでピンと来る。
「……今、なんでもって言った?」
ルーネットの眉間に深い皴が刻まれた。まずいことを言った、と思ったらしい。
* * *
グスマン公爵の居城の正門は、王都の大門よりは小さいが、それでもかなりの大きさがある。騎馬の一団が悠々と出入りできる幅は、公爵の抱える兵力の大きさを物語るものだ。
おれは目に映るその光景に、素直に感嘆していた。
「グスマン公爵に取りついていただきたい。聖典騎士ルー……ルーフィという者だ」
ルーネットが言う言葉が脳裏に響く。衛兵は訝し気な目で、偽名ルーフィことルーネットを見る。
「……聖典騎士? そのような者に公爵様がお会いになるとでも? 教皇の書面でもあれば別だが……」
いかにも聖典騎士を嫌っているという風を隠そうともしない。グスマン公爵と教会の仲の悪さは公然のものだ。
(おい、どうするんだグリーパー!)
ルーネットが小声で言う。おれに向けて言ったものだろう。おれはルーネットの口を借りて、衛兵に向かい口を開く。
「こう伝えてもらえるか。勇者が魔王を倒し、その後死亡した件について、聖典教会が動いている……その実情を、内々にお伝えしたい、自分は公爵を支持する者である、と」
おれの横でエルロイがくすくすと笑う。
「ルーネット嬢にスパイを申し出させるとはね」
「いい経験になるよ、きっと」
おれとエルロイは城からかなり離れた林の中にいた。おれはルーネットにつけてもらった
「……一度やってみたかったんだよね、
媒介として身に着けた魔装具を通じ、その人物の感覚と自分の意識を
(……屈辱だ)
ルーネットが小声でおれに訴えかける。おれはルーネットにだけ聞こえるようにその声に応じる。
「騎士は臨機応変だろ?」
(……くれぐれも、変なことはするなよ)
「変なことってのはどんな?」
(うるさい!)
からかうのも可哀想になってきたのでそれくらいでやめておく。なにしろ女性の身体なので、首から下の感覚は
衛兵が戻って来た。神妙な顔でルーネットに告げる。
「公爵がお会いになる。ついて来い」
「……
衛兵についていくルーネットの視界を認識しながら、おれはエルロイに親指を立ててみせる。エルロイは相変わらずくすくすと笑っていた。
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