8.老母
エルロイはちらりと、
「……心配しなくても、すぐにお前を潰してあの坊やも殺してやるよ」
目の前の女
そうだ――エルロイはその言葉を反芻する。時間を稼ぐ必要なんてない。
「……それが君の『契約』ですか?」
エルロイはゼリムに向けて言った。ゼリムは無表情にその言葉を受け止めた。エルロイは続ける。
「ダルトサイドで僕らを襲ったのは魔術に操られた人間だった……もしあなたが僕らを襲うなら、あんな面倒な魔術を使うわけがない。あれは大司教マーカスの手の者でしょう」
「それがどうした?」
「あなたが殺したのは勇者とその一行だけだ。そしてそれは、大司教マーカスと直接的には関係ない……まあ、大司教のことを知ってはいたでしょうけどね」
エルロイはゆっくりと腕をあげ、ゼリムに指を突きつける。
「君の『契約』はつまり、
教会で
なにも言わないゼリムに、エルロイは言葉を継ぐ。
「その謎というのがなにか……今、僕の相棒が明らかにしてくれています」
神官ロアム・ドーソンがなにをしたのか――なぜ大魔王ゼロスは死んだのか。すべての真相を明らかにするため、ここへやって来たのだ。
「……ラッドの邪魔はさせない」
エルロイは指先から魔法を放った。黒い魔力の奔流が束になり、曲線を描いてゼリムに襲い掛かる。
「小技はよしなァァっ!!」
ゼリムは腕を振るい、力任せに黒い弾丸を弾き飛ばし、その勢いのままにエルロイの方へと突っ込んだ。その拳に獄炎が纏い、巨大な刃と化す。
「うおおおおッ!!」
「はあああああっ!!」
ゼリムの繰り出した炎の刃に向かい、エルロイも拳を繰り出した。ゼリムの炎に比べ、その拳はずいぶんと小さく見える、が、収束した魔力はゼリムの炎刃を真っ向から受け止め、それを砕かんと炸裂し、
「ハッハッハァ!! 久しぶりだねェ、全力を出せる相手は!!」
ゼリムは6枚の翼を大きく広げた。その翼が炎に包まれ――大きく羽ばたいたかと見るや、ゼリムの繰り出した炎の刃が膨れ上がり、身の丈を大きく超える巨大な大剣と化す!!
「んぐ……ッ!?」
エルロイの繰り出した拳と、ゼリムの繰り出した炎の大剣が火花を散らした。エルロイの魔力が、押し返される――!
「消し炭になりなよッ!!」
ゼリムが魔力に力を込めて、炎の大剣が炸裂した。振り下ろされた剣は火柱となり、爆炎の奔流となって
――ズドゥン!!
エルロイが炎に包まれ、嵐の中に翻弄されるように吹き飛んだ。赤銅色の身体が、
「真実を求めるだって? それがあんたの『契約』かい……愚かしいことだ」
ゼリムは再び翼を広げ、その周りにまた魔力が収束していく。
「あの勇者ってのもそうだった。なにも考えず、英雄として祭り上げられてればいいものを……自分たちが大魔王を殺していないっていう事実に耐えられないなんて、本当にバカだ」
「……だから殺したのか?」
「勘違いしないでおくれよ……あたしは一応彼らに訊いたんだ。どうするつもりかってね」
ゼリムは鼻で笑う。
「勇者バルグリフは魔王城で真実を知った……城に残されたクィゼロスの手記によってね。あたしは彼らの元を訪れ、言った……『大魔王を殺したのはあなたたちだ。そうだね?』って。ドワーフ族の男が『真実を世に知らしめねばならない』とか言いやがるから、その場で殺して手記も焼き払った」
「…………」
「大人しくしてりゃ英雄になれたのにねェ! どうせ人間に魔王が倒せるはずないのさ! 転がり込んだ幸運を、ただ受け容れて暮らしていけばよかったんだ、畑に育つ果物みたいにさァ!!」
エルロイは立ち上がり、ゼリムに視線を向けた。
「君は、大魔王を殺した者を知っているんですね?」
「……だったらどうだっていうんだい?」
ゼリムは両腕を大きく広げた。翼に収束した魔力が、その頭上で青白い光の玉となる。
「……どうもしないさ」
エルロイは片手をあげ、指をゼリムに向けた。
「君が語らないことも……君が契約により、守る『謎』もすべて、僕の相棒が暴き出してくれる。僕に出来るのは、その手伝いだけだ」
ゼリムが笑い、両腕を大きく振りかぶる。
「……おしゃべりは終わりだ! 消し飛べェッッ!!」
青白い魔力の塊が、ゼリムの腕から放たれて弾けた――
――パァン……!
その刹那、エルロイがゼリムに向けた指先を、払う。収縮して弾け、巨大な爆発となるはずの
「なっ……なにをした……!?」
ゼリムが動揺の声をあげる。エルロイの目前に、黒く小さな歪が生まれていた。それは火花を散らしながら、空間の中に割り込むように蠢動する。
「なにをしたかって? 極大破壊魔法を消し飛ばすのはなにか……より強力な魔法だ。それが
黒い歪みの蠢動が強くなる。それはまるで、土の中から這い出すようにしてその姿を強く、顕在化させていく。空間を歪ませながら、世界に割り込む異質な黒い、それは牙――
「秩序の世界に決して混じらぬ負の力よ、我が供物を受け取るがいい!」
エルロイの詠唱に応じるようにして、黒い牙が空間のなかに弾けて巨大な口となる――!
「
――バツン!
黒い巨大な牙が、ゼリムに襲い掛かった。その身体を食い千切ってなお、とどまらぬその力は
「……
エルロイは掲げていた腕を降ろし、皮肉に口元を歪めた。
* * *
気がつけば、おれは水の中に立っていた。
立っていた、というのは正確な表現じゃない。上も、下も――右も左も、よくわからない空間だった。もっと言えば、水の中というのも例えて言えばそんな気分だったというだけだ。つまりおれは、なんだかわからない空間の中になんだかわらかない状態で存在している自分を自覚した。
まずは自分のことを規定しなければ、と思い、おれは自らをかき集めて自分の存在を決める。いつもと同じ、二本足で立ったヒトの形がいい。自分の情報をかき集めて自分の形を決めると、とりあえず安心できた。
二本の足があるのに、立つ地面がないのも変な感じだったので、今度は周囲の水をかき集めて、立つ地面を作った。もっとも、世界そのものを作るわけにはいかないので、自分の足元だけだ。
なんとか自分の居場所を確保したおれは、周りを見渡してみた。
この場所では、方向や距離の概念がないようだ。すべてのものが手元にあり、すべてのものが遠く離れている。
「光あれ」
おれは言った。おれの周りに光が生まれた。
あらゆるものが混沌とした状態で、近くに遠くに、表に裏に漂うこの世界で、確かなのは言葉だけだ。言葉によって、混沌の力に形を与えるのが魔術の基本。
「
この精霊界に規定された言葉たちを、おれは覗いてみる。膨大な数の言葉たちが、術式として形を用意され、相互に参照し合う巨大な
秩序の世界である物質界と、重なり合って存在するこの精霊界。魔術師たちはここに手を突っ込んで魔術を行使するし、
「……あなたが
――おかえりなさい、人の子よ
おれは鼻を鳴らした。造られた存在である
――何を求めてあなたはここへ来ましたか?
「クィゼロス・アングルムの
聖母は微笑み、すぐに情報がおれの手元に現れた。
--------
クィゼロス・アングルム
--------
ルーネットが持ってきた写しと同じだった。ここまでは、いい。おれは
「
おれは聖母に問いかけた。
その権限を使い、クィゼロスの
「……これか?」
案の定だ。最近、書き替えられた跡がある。
--------
クィゼロス・アングルム
--------
「
なんだ、これは。こんなことがあり得るのか。おれはそれよりもさらに前の情報を探す。数年前の履歴が見つかった。
あり得ない。
存在しない値を指定するなんて、
「……まさか、そういうことなのか?」
おれの作った合鍵の魔晶石を握りしめ、
「
おれは
「……大魔王のことを知っているか?」
魔王の城で見つけた
聖母は哀し気な顔をした。
――忘れました
忘れた?
忘れた、と今言ったのか?
知らない、ではなく、忘れた、と――
おれはさらに、
「これか……?」
ないものを探すなんていうことは不可能だ。しかし、あったという形跡をかき集めれば、そこに輪郭が生まれる。あちこちから探りを入れていくと、ある
おれは、今や確信していた。
大魔王とは――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます