§4 魔典

1.真犯人

 ダルトサイドの南の外れ、海へと落ち込む断崖に面し、立つ教会。その裏手に広がるブドウ畑に、傾き始めた太陽の作り出す長い影が複雑な模様を作り出していた。


 低木が作り出す影が格子模様を作るり、その中に立つ一人の女が、紅く染まり始めた陽を背にして振り返る。逆光になったその顔は影になり、その表情は窺いしれない。



「……逃げなかったんですね、司祭アイジーさん」



 畑の中に進み出ながら、エルロイが声をかけた。アイジーは影になった表情の中で、にっこりと微笑んだように見えた。



「どうして逃げる必要がありますか?」


「殊勝な心掛けだ」



 エルロイは金髪を揺らして応じる。おれはその少し後ろに立ち、ルーネットと顔を見合わせた。



「このようなところまで、なんの御用でいらしたのでしょう」


「わかったんですよ、全てが。大魔王がどうやって死んだのか……いや、どうやってのか」



 アイジーはなにも言わなかった。エルロイは振り返り、おれと目を合わせて言う。



魔術破りの鼠ラット・ザ・クラッカー大聖典マーテル・アヴィアの中から真実を見つけてくれました」


「ああ……」



 おれはなおも黙っているアイジーに向かい、口を開く。



「〈大魔王〉とは、おれのような魔術師ウィザード神官プリーストと同じ……洗礼によって聖典マーテルに登録される職能系ジョブだったんだ。大魔王となった男、クィゼロス・アングルムは、2年前に職能洗礼クラス・バプテスを受けて学者スカラーから大魔王に職能転誓ジョブチェンジした……」


 

 おれの話を受け、エルロイが言葉を継ぐ。



聖典マーテルの中に登録された職能系ジョブの総数はわかっていないとされています。中には一般に知られていないレアなものもある」



 こいつ自身も、そのレア職能系ジョブなんだよな――と思いながら、おれはそれを聞いていた。



「大事なことは、そういう職能系ジョブの洗礼を受けるためには、その存在を知らなければならないということだ。普通は、その職能系ジョブの先人から推薦を受ける形で洗礼を受けるものですが……中にはそうでないものもある」



 エルロイは手に持っていた教典エクレシアを示した。



「魔王の城で見つけた聖典マーテルの端末……どうやらこれは特別製らしいですね。いわば『魔典』と呼ぶべきものだ。ここには、聖典マーテルにアクセスするための特別な権限が隠されている。それを経由して職能洗礼クラス・バプテスを行うことで、大魔王という職能系ジョブを獲得し……それによって、聖典マーテルから特別な加護を得ることができる仕組みのようです」



 大魔王の力――それは精霊界から混沌の力を引き出す依り代となり、秩序の世界に混沌の影響力を高める扉と化すこと。


この世界で魔法を使う者なら誰でも、精霊界から混沌の力を引き出して行使している。だが、それは自らの体内にある魔力を依り代としているため、不安定で制限が大きい。高位の術者でもできることは限られるのだ。



「大魔王の職能系ジョブを得た者は、精霊界から無限に溢れる混沌の力を、術式を介さずに混沌のまま使役できるようだ。それはある意味で、魔術の理想形だとも言える姿。無限の魔力で魔術を行使できるに等しいが……その代償として自らも混沌に呑まれてしまう」



〈普通は無暗に人間を襲ったりはせぬが、魔王の発する混沌の意思により、秩序を破壊することに皆、取りつかれた〉


 それは魔王の城で会った怪獅子魔獣マンティコアが言っていたことだ



「……人間よりも混沌に近い存在である魔獣たちは、本能的に秩序を憎む。混沌の依り代となった大魔王は、それに近い存在となるのでしょう。さらに、その身体から無限に溢れ出す混沌の力は魔獣たちの本能を刺激し、秩序の破壊へと駆り立てる。大魔王の登場がすなわち、戦争の鐘となるんだ」



 なおも黙っているアンジーに構わず、エルロイは続ける。



「いわば大魔王とは、職能系ジョブであると同時に呪いでもあるんですね。その力を得た人間を媒介ハードウェアとして、秩序の世界に混沌の意思を顕現させる術式構造プログラム……それが」


「……聖典マーテルの中に、組み込まれていた」



 エルロイの話を受け、おれは言った。ルーネットが息を漏らす声が後ろから聞こえた。エルロイが金髪を揺らす。



「このことは、聖典教会の中でも一部の者にだけ伝えられていたらしい。おそらく、聖典マーテルを管理する大司祭の職にだけ代々、極秘事項として伝えられてきたんでしょうね」


「……だから、大魔王の謎に近づこうとした枢機卿は、大司教の一派により襲撃を受けた」



 ルーネットが言った。自分の所属する聖典教会の暗部を、どんな気持ちで見つめていることだろう。



「……大司教にとっては仕方のなかったことだとも言えます。なにしろ、1500年に渡って伝えられてきた極秘中の極秘……大陸中を混乱に陥れ、いくつもの国や街が滅んだ元凶が、教会の崇める聖典マーテルにこそあった、なんてね」



 大聖典マーテル・アヴィアが収められた広間ホールには、本来大司教しか入ることはできないらしい。つまり、この秘密を守るあの女上帝神族アルコンの存在も、共に秘匿されてきたのだろう。



「……大事なのはここからだ」



 エルロイは鋭い口調で話を継いだ。



「ラッドによれば、大魔王に関することはきれいさっぱりと聖典マーテルの中から削除されていたらしい」



 振り返っておれを見るエルロイに、おれは頷いてみせる。エルロイはアイジーに向き直って続けた。



聖典マーテルから大魔王の職能系ジョブが削除されたことで、時の大魔王だったゼロス……クィゼロス・アングルムはその力を失い、魔力を使い果たして死亡した……これが大魔王の死の真相です」



 陽は先ほどよりもさらに傾き、ブドウの木が作り出す影は長く伸びていた。アイジーは自らの影を見つめるように視線を落としていたが、それをついと上げてエルロイに言う。



「……面白い推論ですね、探偵さん。だけど……それが私になんの関係があるのでしょう?」


「いやいや、ここからがいいところなんですよ」



 エルロイはパイプを取り出し、口に咥えた。



「問題は? ということです。ここにいるラッドは凄腕の魔術破りクラッカーですが、彼でも聖典マーテルの中を覗くのが精いっぱいだった。ならば、聖典マーテルの中を覗き、その中身を改変する……そんな離れ業を成し得たのは、一体誰でしょうか?」


聖典マーテルを守る大司教ならできたのではなくて?」


「さて、どうでしょうか、ラッド?」


「……それは考えにくいな」



 エルロイに話を振られ、おれは答えた。



聖典マーテルを構成していた術式構造プログラムは、魔術学院で扱うような整理された呪文コードじゃない……魔獣の使う混沌言語のような、混沌を直接魔術として組み立てアセンブリするものだ。とっくの昔に失われた技術だよ」



 混沌言語の組み立てアセンブリはおれの師匠が得意としているが、それでさえある程度、秩序だった術式を交えて限定的な効果を発動するのみなのだ。あんな巨大な構造体アーキテクチャを生の混沌言語で扱える人間なんて、そうそういるとは思えない。



「……それに、それが可能ならもっと早くにやっていたでしょう。500年前に大魔王が現れた時には、50年に渡り戦乱が続いたと言います」



 エルロイがあとを引き取り、続ける。



「もうひとつ、聖典マーテルの秘密を守る女上帝神族アルコン、ゼリム嬢の存在もある。大魔王の秘密に近づこうとしたものはずっと、彼女が排除してきたんだ」



 そうだ。勇者バルグリフは大魔王の秘密を知ったために、あのバケモノ女・ゼリムに殺された。彼女がいる限り、大聖典マーテル・アヴィアは解析することさえ許されなかっただろう。



「……それじゃ、あなたの推理は成り立たないことになりますね?」



 アイジーが言った。エルロイはパイプから煙を吐き出し、言う。



「いいえ、たった一人……それができる人がいるんですよ。この世界にたった一人だけね」


「…………」


聖典マーテル術式構造プログラムを書き換えることができ、上帝神族アルコンゼリムがその行為を黙って見逃す者……それはつまり、ゼリムが〈契約〉を結んだ主。聖典マーテルです」



 エルロイはパイプを口から話、それをアイジーに向かって突きつけた。



「つまり、あなたのことだ。司祭アイジー……いや、上帝神族アルコンにして聖典教会の祖、聖祖イズ」

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