6.真実と契約

「こっちだ!」



 ルーネットは階段を駆け上がり、大聖堂の3階へと向かった。2階は先ほど、爆発のあったところ――おれが念動魔術キネティックで精霊石を叩きこんだところ――だ。周囲は騒動でてんやわんやになっている。おれたちは動揺する人々のなかをすり抜け、大司教マーカスの下へと向かった。



「……ルーネット、鍵を手に入れたら別行動にしましょう」



 エルロイがルーネットに言った。ルーネットが怪訝な顔をする。



「別行動?」


「手に入れて欲しいものがあります」



 エルロイはルーネットにその物品について告げる。ルーネットは「わかった」と言って頷いた。


 廊下の先に、大きな木の扉が現れる。



「あれだ」


「……教会の偉い人なのにずいぶんと贅沢なんだな」



 身長の倍ほどもある大きな扉には凝った浮彫レリーフが施され、金の装飾までついている。その扉に、おれたちは近づき――



「……待て」



 ルーネットがおれたちを制した。おれもエルロイも、気がついていた。扉がわずかに開いている――


 ルーネットが扉に手をかけ、開き、中へと入った。



「……マーカス猊下?」



 そこに、大司教マーカスはいた。司祭の法衣ローブに身を包み、執務机の前で――喉を斬り裂かれて血の海の中に。


 マーカスの前に立っていた神官が振り返った。その手に、短剣ダガーが握られている。



「……ッ!」



 ――ヒュンッ!



 神官が一瞬、身じろぎをしたかと思うと、瞬時に間合いを詰めながら短剣ダガーが繰り出された。それをルーネットは身をよじってかわす。その一瞬だけでわかった。こいつ、神官ではない――手練れの暗殺者アサシンだ。



「フュッ!」



 ルーネットが剣を抜き打ちに暗殺者アサシンへと斬りかかる。暗殺者アサシンはふわりとそれをかわして飛び、執務机の上に立った。


 おれは舌打ちをする。暗殺者アサシンは屋内戦闘のスペシャリストだ。これほどの遣い手と戦って打ち破り、鍵を手に入れて――なんてやっている暇はさすがにない。ルーネットは剣を構えたまま、肩越しにこちらへ言う。



「時間がない……お前たちは地下へ行け」


「鍵はどうする?」


「こじあけるなりなんなり、どうにかしろ!」



 そう言ってルーネットは踏み込み、暗殺者アサシンに剣を突き出した。刃をかわしながら間合いを詰める暗殺者アサシンの反撃が、ルーネットの頬をかすめる。



「早く行け! こいつを倒したらすぐに行く!」



 剣を引き、素早く構え直したルーネットが言った。



「私も聖典騎士だ……大司教を殺害した者を、この場で逃がすわけにはいかない!」


「わかった! 気を付けて!」



 おれはそう叫び、部屋を飛び出て廊下を地下へと走った。


 * * *


 ルーネットは背後に遠ざかる気配を感じ、安堵して目の前の暗殺者アサシンに意識を集中した。


 自分たちと同じ発想で大聖堂に侵入する者がいた――そのこと自体は驚くにはあたらない。想定外だったのは事実だが――予想の範囲内だ。



(それにしても……)



 ルーネットは背中を冷たいものが這うのを自覚していた。目の前の相手のたたずまいはどうだ。水面に立って波紋さえも起こさないであろうという静けさ――攻撃を仕掛ければ、電撃の如き反撃が交差法カウンターで襲って来る。これほどの手練れを、刺客として放つのは一体どこの者か。



 ――ゆらり



 陽炎のように、敵の姿が揺れた――瞬間、目の前の相手が消え失せる。



「……下ッ!」



 ――ガキィン!



 体勢を床ギリギリにまで低くして襲い掛かる暗殺者アサシンの一撃を、ルーネットは弾いた。動作のがまったく見えない――この男、剣士とはまったく違う理屈で身体を動かしている!


 通り過ぎたはずの短剣ダガーが、瞬時に反転して返って来る。それをルーネットは剣の柄で弾いた。


 技は、互角――いや、武器の長さでこちらが有利なだけだ。相手の方が優れている。ならば、力は?


 暗殺者アサシンがニヤリ、と笑みを浮かべて猫のように身体を丸めた。ルーネットは剣を長く持って構える。技量の差も、力の差も関係ない――どうあっても、勝たなくてはならない。



「……参る!」



 暗殺者アサシンとルーネットが、同時に床を蹴った。


 * * *


 おれたちは来た方とは別の階段から下へと降り、地下への入り口へ向かう。大聖堂の構造はルーネットから聞いて頭に入っていた。回廊を回り込み、裏手の扉からもうひとつ奥の薄暗い廊下へ。


 1階の回廊でふと中庭に目をやると、聖典騎士が王軍に押し切られ、揉み合いが大聖堂の中にまで及んでいた。



「急ぎましょう。早めに用事を終わらせないとややこしいことになる」


「そうだな」



 大司教マーカスは既に殺されていた。ともすれば、その罪をなすりつけられてしまうかもしれない。ルーネットがあの刺客に負ければ、その時は確実にそうなるだろう。



「どっちもこっちも、ギリギリだな」


「ええ、侵入ってのはそういうものでしょう?」



 大聖典マーテル・アヴィアへの侵入――神をも恐れぬ所業とはまさにこのことだな、とおれは思う。もし捕まれば、末代までにおよぶ壮絶な刑が待ち受けているだろう。



「……なんのためにこんなことしてるんだっけ?」



 廊下を足早に進みながら、おれはエルロイに言った。


 大陸でも有数の大貴族グスマンと、王国を超えて影響力を及ぼす聖典教会――それぞれにケンカを売って、それを出し抜こうというのだ。いくら破格な報酬をもらったとしても、金のためならとても釣り合わない。



「……人間というのは驚くほど短命だ。だからこそ、生きた証を残そうとするのでしょう。子を成したり、事業や作品を残すことでね」



 エルロイが言った。



「だが、上帝神族アルコンは長命であるがゆえ、自らの『命』を理由に行動することはない。そうすると、その行動理念はなにになると思います?」


「……なんだよ」


「『契約』か、『好奇心』か。そのどちらかです」



 エルロイは立ち止まり、振り返った。



「ラッド、僕はパルゼイ家との古の契約に従い、真実を見つけるために行動している。それは命よりも重い……いや」



 エルロイが首を振る。



「真実と契約が脅かされることは、命を脅かされることに等しい。だから僕は行動している。ただそれだけですよ」



 そう言ってエルロイは、階段を降りた先にある大きな鉄扉の前に立った。



「さあ、やりましょう。『真実』と『契約』のため……大魔王を殺した者が誰か、突き止めるため。そして君自身の『命の目的』のためにね」



 鉄の扉には人の頭ほどもある巨大な錠前がかかっていた。これを外すための鍵は大司教マーカスが持っている、というわけだが――



「おれ自身の目的、ね」



 おれは進み出て、その錠前に触れる。不思議と、ここで投げ出す気にはならなかった。なにもかも、気に入らないことだらけだ――それでも今のおれに、引き返すという選択はない。「命の目的」なんてわからないがどうでもいい。



「……物理のデカい錠前に、魔術鍵ウィザード・ロックの二重構造。最初の難関だな」


「物理的な方は任せてください」



 そう言ってエルロイはおれを押しのけ、錠前の前に立った。デカい錠前に人差し指をつきつけるようにして、呪文を口にする――



黒雷ブラックザップ



 ――バチン!



 小さな黒い雷撃のようなものが、エルロイの指から迸って錠前が砕け、落ちた。見ると、鋼鉄の錠がボロボロに腐食したようになっている。



「……これができるなら、最初から鍵なんていらなかったんじゃ?」


「強硬手段を取るのは飽くまで次善の策プランBです。スマートに行くならそれに越したことはない」



 そう言ってエルロイは「次は君の番だ」とその場をおれに明け渡した。


 おれは鉄扉の前に立ち、手をかざして意識を集中する。 魔法鍵ウィザード・ロック――魔力で扉を封じる呪術。「扉」は「開閉する」ことがその基本的な存在概念。それそのものに呪いをかけ、開かなくするのだ。


 魔法鍵ウィザード・ロックそのものは簡単な魔法だ。しかし、簡単に解除ができないように、如何に複雑な術式を構築するかがセキュリティの強度に直結する――つまり、物理的な鍵と同じことだ。本体を解除しようとすると他の魔力回路に触れるように術式が構築され、さらにそれを守るための防護魔法プロテクトや、触れるとこちらに魔力が逆流するトラップ――幾重にも複雑に絡み合った魔法の術式――



「……? これって……」



 おれは違和感を――いや、を覚えていた。この魔法鍵ウィザード・ロックには見覚えが――いや、これ自体は初めてだが、その術式ののようなものには見覚えがある。



「……これ、多分こうだろ? ってことは、こっちは……」



 こういうのは魔法をかけた術者の性格が如実に反映されるものだ。その考えが読めれば、複雑なパズルを紐解くのは格段にやりやすくなる。この術式を作ったやつを、おれは知っているのだろうか? いや、というよりもこれは――



「あー、わかった」



 おれの中ですべてが繋がった。ロアム・ドーソン神官の依頼で、合鍵を作った小箱の魔法鍵ウィザード・ロックだ。つまりあれは、この扉を封印する魔法鍵ウィザード・ロックで、おれが作ったのはこの扉の合鍵だったのだ。



「……開放アペルタ


 ――ガチャン



 おれがそのことを理解したと同時に、魔法鍵ウィザード・ロックは解除され扉は開いた。


 少しずつ、核心に近づいているという実感があった。そしてこの先には、さらなる真実が待ち受けているはずだ。おれはエルロイと顔を見合わせ、扉の中へと踏み込む。


 扉の先は暗い階段で、何度も回り込むように下へ、下へとくだっていた。何度か踊り場を折り返しながら、それを降り――降り立った先にある小さな扉を開ける。



「……ここまで来るとはねェ」



 開けた扉の先から、声がした。


 そこは大聖堂の敷地ほどもあるかという巨大な広間ホールで――扉の反対側の奥には祭壇があり、その間に立ちはだかるようにして、大きな人影があった。


 女のように見える。しかし、その姿は異形のもの。青銅色の肌、白と黒が逆の目、炎のように揺らめく髪、6本ある指や背中に生える6枚の翼と長い尻尾――



「バケモノ女……!」



 勇者バルグリフをおれの目の前で殺害した女上帝神族アルコンが、そこに立っていた。

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