7.魔王城かく語りき

 西斜面に岩肌の入り組んだその陰の、そのまた陰になった奥へと踏み込んでいくと、そこに開きっぱなしの巨大な扉がある。これが魔王の城の正門というわけだ。



「あんたは大魔王ゼロスの側近かなにかだったのかい?」



 おれが怪獅子魔獣マンティコアにそう訊くと、唸り声と共に魔力に乗せた混沌言語が返って来る。



〈我はここに棲む者。ゼロスはあとからここにやって来た〉



 そう告げて怪獅子魔獣マンティコアは扉の中へと入っていく。おれたちはそのあとからついて行った。



「そんなに警戒しなくても大丈夫だと思うよ?」



 おれは剣の柄に手をかけたままのルーネットに向かい、言う。



「この魔獣に敵意はない……話のわかるおっさんだ」


「敵意のない魔獣など信じられん。警戒に越したことはない」


「まあ、任せるよ」



 城、と言っても扉の中は大きな暗い洞窟といった風情だった。おれは魔法で光を灯し、その中を照らした――と、怪獅子魔獣マンティコアが唸る。



〈お前もゼロスと同じ魔法を使うのだな〉


「え? 普通の照明魔法マジックライトだけど……」


〈その魔法からは混沌の匂いがする〉



 混沌の匂い――そもそも魔法というのは、魔力の満ちた精霊界から物質界に力を引き出して使うものだ。秩序の領域=物質界に対し、重なり合って存在する精霊界はより混沌に近い領域であり、その力を「術式」によって無理やり秩序に当てはめて、物質界に顕現させることがキモになる。



「なんか変なことしてるんですか?」



 怪獅子魔獣マンティコアの話を通訳して話すと、エルロイが言った。おれは首を傾げる。



「いや、まあ……確かに魔術学院アカデメイアの教科書どおりとはやり方が違うみたいだけど」



 おれの師匠は魔術学院アカデメイアの形式ばったやり方を嫌っていた。教科書どおりであれば、混沌の魔力を丁寧にパッケージし、こちらの世界に存在する光と同じものに編換コンパイルする。暴発の危険も少ない。



「いくつもの安全装置を経由した、誰にでも安心、安全に使える道具ってわけだ。その分、術式が過剰で効率が悪い。もっと直接的に、混沌の魔力を手元で欲しい結果に組み立てアセンブリした方が早いし、そういう技を使いこなしてこそ魔術師ウィザードだろ?」



 師匠はよくそんなことを言っていたものだ。大魔王ゼロスの使う魔法がそれに近いものだ、と言われれば、なるほどそういうものなのかもしれない――そんなことを考えていると、怪獅子魔獣マンティコアはすたすたと先に行ってしまった。おれたちは慌ててそのあとを追う。


 そうして、おれたちは天井の高い広間ホールに辿り着いた。その真ん中に、玉座のような岩が置かれている。これが大魔王ゼロスの玉座ってわけか――


 おれは玉座に近づいてみた。その座面と足元に灰の山ができていた。



「これが、大魔王のなれの果てか……?」



 バルグリフは言っていた。この場所へ辿り着いたとき、40絡みの小柄な冴えない男がただ、死んでいたと。その遺体をどうしたのかは聞いていないが、崩れ落ちてこうなったのだろうか。


 おれはその灰をひと握り、袋に詰めて鞄に入れた。怪獅子魔獣マンティコアはその玉座を通り過ぎ、さらに奥へと向かっている。広間ホールの反対側の端に小さな扉があった。



〈ここだ〉


「ここ?」



 扉の前で足を止めた怪獅子魔獣マンティコアに問い返す。怪獅子魔獣マンティコアはなにも言わずそこに座り込んだ。おれはエルロイとルーネットに目配せをして、その扉に手をかけた――



「……教会?」



 岩肌が剥き出しの小さな部屋に、祭壇のようなものがあった。信徒が座る椅子などはないが、そのレイアウトは聖典教会の様式と同じものに見える。正面の祭壇には、一冊の本が置かれていた。



「これ、教典エクレシアじゃないか」



 おれはそれを手に取って確認し、ルーネットにも見せる。そう、それは聖典教会の拠点に置かれる教典エクレシア――職能洗礼クラス・バプテスや宣誓式といった儀式で使われる、聖典マーテルに情報を書き込むための端末ターミナルだ。


 教典エクレシアを使えば、聖典教会の本部に秘匿される大聖典マーテル・アヴィアと通信し、記録された洗礼情報ステータスを更新することができる。魔信通貨クレジットのやり取りにつかう小聖典プエルムなどと違い、個人で手に入れられるようなものではない。


 ルーネットが試しに、その教典エクレシアに向かって宣誓式を行う。



「……この世界での我が足跡を母なる神へと伝えます。枢機卿の命によりて勇者の足跡を追い、魔王の城へと至ったこと、その中で襲い掛かる困難に対し、騎士として務めを果たしたこと、命を落とした者を看取ったことを、聖典へと綴ります」



 ルーネットのかざした手のひらの下で、教典エクレシアが光を帯び、そして消えた。



「……普通に出来た」



 ルーネットが手を降ろす。おれは彼女に向かって情報開示ステート・オープンの呪文を唱えた。


 --------

 ルーネット・カルディアント

 職能系クラス:聖騎士

 階級レベル:21

 -------- 


「……階級レベルあがってるよ。おめでとう」


「ふうん……」



 ルーネットは眉間に皴を寄せる。人は活動を行うほど、身に帯びる魔力が強くなっていく。宣誓式は、それを行った者の帯びる魔力の量を階級レベルとして聖典マーテルに記録する。つまり――これができたということは、この教典エクレシアは紛れもなく本物だということになる。



教典エクレシア大聖典マーテル・アヴィアから一部を複製したものだが、それができる権限を持つのは本部の大司祭のみだ。こんなところに転がっていていいものじゃない」



 ルーネットが言う話を聞いて、おれは扉の外の怪獅子魔獣マンティコアに尋ねる。



「これは大魔王ゼロスが持ち込んだもの?」


〈いや、ゼロスが来るより前からあった〉



 するとここは、古代の教会か町かなにかだったのだろうか? おれは扉を出て、怪獅子魔獣マンティコアと向き合った。魔獣は鼻を鳴らし、言う。



〈ある日、ここにやってきたゼロスは扉を開き、魔の王となった〉


「扉? 扉というのはこの城の扉ということか?」


〈扉は、扉だ〉



 混沌言語を編換しながらの会話だと、どうも細部まで把握しづらい。怪獅子魔獣マンティコアは続ける。



〈ゼロスは、混沌の意思の依り代となった。我ら魔獣の混沌たる本能が刺激され、秩序に対する戦いが開始された〉


「それで、人間の街を襲って……?」


〈我ら魔獣は元来、秩序を嫌う。人間たちの整った街を嫌悪する〉



 怪獅子魔獣マンティコアは続ける。



〈普通は無暗に襲ったりはせぬ。お互いの領分を侵さぬよう、遠ざけるのみだ。しかし、魔王の発する混沌の意思により、秩序を破壊することに皆、取りつかれた〉



 怪獅子魔獣マンティコアは鼻を鳴らし、その場に寝そべる。その仕草がおれには、ため息をついているように思われた。



〈戦いはとても疲れた。あの人間が来たせいで、皆おかしくなった……いなくなってくれてよかった〉


「……あの人間、というのはゼロスのことか?」


〈そうだ〉



 ――おれは小部屋から出て来ていたエルロイとルーネットに、怪獅子魔獣マンティコアの言ったことを伝えた。エルロイはほう、と息をつき、言う。



「つまり、こういうことですね? 大魔王ゼロスとは人間であり、ここに来たことで大魔王の力を得て、魔獣たちを戦いに駆り立てた、と……」



 おれたちは顔を見合わせた。その横で怪獅子魔獣マンティコアが、鼻で笑うように唸り声を発した。


 * * *


 おれたちは魔王の城だった岩山の洞穴をくまなく調査したが、他にはなにも見つからなかった。



「人間が魔王となるためのなにかが、ここにあったんじゃないのかな」


「既に失われてしまったのでしょうか……」



 怪獅子魔獣マンティコアに訊いてみてもなにも知らないという。大魔王ゼロスが現れたときも、死んだときも彼(彼女?)はここにいなかったらしい。


 おれはルーネットに向かい、言う。



「なんだっけ、あの詩……魔王の心臓が山でどうのって」


「ああ、これのことか?」


  北のお山のその中に

  魔の心の臓、脈打ちて

  闇の扉を打ち開き

  獣の王の現れん


「そうそう、それ」



 おれはルーネットが諳んじた詩の語句を頭の中で確かめる。



「扉、ってのはさっきあの魔獣も言ってた……」


魔術師ウィザードは精霊界から混沌の魔力を引き出す。それの超でっかい版が大魔王だってことなのかな」


「しかも自らを依り代にして……っていうことは、『扉』ってのは魔王になった人間自身を指すのかもしれませんね」



 おれは魔王城の中の魔力を探ってみる。確かに、ここは精霊界との境が不安定な場所だ。例えば、大魔王っていうのは古代魔法帝国の産物で、なにか特定の魔導器をここで起動することで力を得る、とかそういうことなのかもしれない。



「……すると、問題はその『人間』が誰か、か」



 そして、それを殺したのは誰か――誰ならば殺せたのか。


 おれは手にした教典エクレシアを見た。それと、先ほど採取したひと握りの灰。ここから、大魔王の「魔紋」が取れるかもしれない。それは大魔王の正体を探す重要な足がかりだ。



「一度戻ろう、王都へ」



 おれたちは頷き、怪獅子魔獣マンティコアに礼を告げた。



「また来るときはなにか土産を持って来る。なにがいい?」


〈要らぬ。人間の持って来るものなど反吐が出るだけだ〉


「そうかい。それじゃ、達者でな」



 そう告げて魔王の城をあとにすると、怪獅子魔獣マンティコアはひと声、起きな咆哮を発した。


 * * *


 ダルトサイドへと戻り、馬を返したおれたちは司祭アイジーにひと言挨拶に出向いたが、アイジーは不在にしていた。周辺で遊んでいた子どもに話を聞くと、たびたび留守にする時があるのだという。おれたちはその子どもに礼を伝えてもらうよう言伝を頼み、街道を往来する乗合馬車で王都へと向かった。


 帰り道は来るよりも時間がかかった。乗合馬車は大道路ハイウェイを使えず、その軌道上に点在する街を経由しながらゆっくりと帰る。来るときは3日だったのものを帰りはたっぷり1週間かけて、おれたちはようやく王都へと戻った。まあ、エルロイもルーネットも、来る時よりは打ち解けていたのが救いではあった。



「私はこれを持って枢機卿猊下のところへ行く」



 王都に着いたルーネットは、魔王の城から持ち帰った教典エクレシアをおれから受け取り、言った。帰りの道すがら、そこから採取した魔紋を記録した魔晶石も一緒に手にしている。



「これを照合すればゼロスが何者か、わかるはずだ……洗礼情報ステータスが記録されていれば、だが」


「うん、頼んだ」



 ルーネットは笑みを見せた。面白みのないカタブツと見えたこの女騎士も、つき合ってみればいいやつだった。酒場で酔いつぶれて泣き上戸になったりとかな。



「今後のことはそれ次第で、一度枢機卿猊下と相談しよう。明後日くらいに顔を出してくれ」


「わかった」



 そう言って、おれたちは一旦別れた。



「さて、君はどうするんです?」


「……正直、疲れたな。ゆっくり寝たい」



 とはいえ――何度も襲撃を受けている身の上だ。寝ぐらで寝ているところをグサリ、なんてシャレにもならない。



「ならばパルゼイ家に泊まればいい。あそこなら安全だ」


「……気が進まないな」



 しかし、背に腹は代えられない。仕方なく、おれはエルロイの薦めに従ってパルゼイ家の屋敷へと向かった。



「……エルロイ! それにグリーパーさん! 無事でしたか!?」



 屋敷へつくなり、出迎えたディエリー子爵令嬢が裏返った声をあげる。



「ええ、もちろんですディエリー。魔獣に喰われることもなく帰りました。調査旅行の成果はなかなかで……」



 エルロイが応じるが、ディエリーの顔色は戻らず、「そういうことじゃない」とばかりに首を振った。



「王都では今、大変なことが起きているのです」


「なんだって?」



 おれとエルロイは顔を見合わせた。ディエリーは真剣なまなざしで告げる。



「昨日、ガイエス・ドーソン枢機卿が何者かに襲撃され、重傷を負いました」

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