7.魔王城かく語りき
西斜面に岩肌の入り組んだその陰の、そのまた陰になった奥へと踏み込んでいくと、そこに開きっぱなしの巨大な扉がある。これが魔王の城の正門というわけだ。
「あんたは大魔王ゼロスの側近かなにかだったのかい?」
おれが
〈我はここに棲む者。ゼロスはあとからここにやって来た〉
そう告げて
「そんなに警戒しなくても大丈夫だと思うよ?」
おれは剣の柄に手をかけたままのルーネットに向かい、言う。
「この魔獣に敵意はない……話のわかるおっさんだ」
「敵意のない魔獣など信じられん。警戒に越したことはない」
「まあ、任せるよ」
城、と言っても扉の中は大きな暗い洞窟といった風情だった。おれは魔法で光を灯し、その中を照らした――と、
〈お前もゼロスと同じ魔法を使うのだな〉
「え? 普通の
〈その魔法からは混沌の匂いがする〉
混沌の匂い――そもそも魔法というのは、魔力の満ちた精霊界から物質界に力を引き出して使うものだ。秩序の領域=物質界に対し、重なり合って存在する精霊界はより混沌に近い領域であり、その力を「術式」によって無理やり秩序に当てはめて、物質界に顕現させることがキモになる。
「なんか変なことしてるんですか?」
「いや、まあ……確かに
おれの師匠は
「いくつもの安全装置を経由した、誰にでも安心、安全に使える道具ってわけだ。その分、術式が過剰で効率が悪い。もっと直接的に、混沌の魔力を手元で欲しい結果に
師匠はよくそんなことを言っていたものだ。大魔王ゼロスの使う魔法がそれに近いものだ、と言われれば、なるほどそういうものなのかもしれない――そんなことを考えていると、
そうして、おれたちは天井の高い
おれは玉座に近づいてみた。その座面と足元に灰の山ができていた。
「これが、大魔王のなれの果てか……?」
バルグリフは言っていた。この場所へ辿り着いたとき、40絡みの小柄な冴えない男がただ、死んでいたと。その遺体をどうしたのかは聞いていないが、崩れ落ちてこうなったのだろうか。
おれはその灰をひと握り、袋に詰めて鞄に入れた。
〈ここだ〉
「ここ?」
扉の前で足を止めた
「……教会?」
岩肌が剥き出しの小さな部屋に、祭壇のようなものがあった。信徒が座る椅子などはないが、そのレイアウトは聖典教会の様式と同じものに見える。正面の祭壇には、一冊の本が置かれていた。
「これ、
おれはそれを手に取って確認し、ルーネットにも見せる。そう、それは聖典教会の拠点に置かれる
ルーネットが試しに、その
「……この世界での我が足跡を母なる神へと伝えます。枢機卿の命によりて勇者の足跡を追い、魔王の城へと至ったこと、その中で襲い掛かる困難に対し、騎士として務めを果たしたこと、命を落とした者を看取ったことを、聖典へと綴ります」
ルーネットのかざした手のひらの下で、
「……普通に出来た」
ルーネットが手を降ろす。おれは彼女に向かって
--------
ルーネット・カルディアント
--------
「……
「ふうん……」
ルーネットは眉間に皴を寄せる。人は活動を行うほど、身に帯びる魔力が強くなっていく。宣誓式は、それを行った者の帯びる魔力の量を
「
ルーネットが言う話を聞いて、おれは扉の外の
「これは大魔王ゼロスが持ち込んだもの?」
〈いや、ゼロスが来るより前からあった〉
するとここは、古代の教会か町かなにかだったのだろうか? おれは扉を出て、
〈ある日、ここにやってきたゼロスは扉を開き、魔の王となった〉
「扉? 扉というのはこの城の扉ということか?」
〈扉は、扉だ〉
混沌言語を編換しながらの会話だと、どうも細部まで把握しづらい。
〈ゼロスは、混沌の意思の依り代となった。我ら魔獣の混沌たる本能が刺激され、秩序に対する戦いが開始された〉
「それで、人間の街を襲って……?」
〈我ら魔獣は元来、秩序を嫌う。人間たちの整った街を嫌悪する〉
〈普通は無暗に襲ったりはせぬ。お互いの領分を侵さぬよう、遠ざけるのみだ。しかし、魔王の発する混沌の意思により、秩序を破壊することに皆、取りつかれた〉
〈戦いはとても疲れた。あの人間が来たせいで、皆おかしくなった……いなくなってくれてよかった〉
「……あの人間、というのはゼロスのことか?」
〈そうだ〉
――おれは小部屋から出て来ていたエルロイとルーネットに、
「つまり、こういうことですね? 大魔王ゼロスとは人間であり、ここに来たことで大魔王の力を得て、魔獣たちを戦いに駆り立てた、と……」
おれたちは顔を見合わせた。その横で
* * *
おれたちは魔王の城だった岩山の洞穴をくまなく調査したが、他にはなにも見つからなかった。
「人間が魔王となるためのなにかが、ここにあったんじゃないのかな」
「既に失われてしまったのでしょうか……」
おれはルーネットに向かい、言う。
「なんだっけ、あの詩……魔王の心臓が山でどうのって」
「ああ、これのことか?」
北のお山のその中に
魔の心の臓、脈打ちて
闇の扉を打ち開き
獣の王の現れん
「そうそう、それ」
おれはルーネットが諳んじた詩の語句を頭の中で確かめる。
「扉、ってのはさっきあの魔獣も言ってた……」
「
「しかも自らを依り代にして……っていうことは、『扉』ってのは魔王になった人間自身を指すのかもしれませんね」
おれは魔王城の中の魔力を探ってみる。確かに、ここは精霊界との境が不安定な場所だ。例えば、大魔王っていうのは古代魔法帝国の産物で、なにか特定の魔導器をここで起動することで力を得る、とかそういうことなのかもしれない。
「……すると、問題はその『人間』が誰か、か」
そして、それを殺したのは誰か――誰ならば殺せたのか。
おれは手にした
「一度戻ろう、王都へ」
おれたちは頷き、
「また来るときはなにか土産を持って来る。なにがいい?」
〈要らぬ。人間の持って来るものなど反吐が出るだけだ〉
「そうかい。それじゃ、達者でな」
そう告げて魔王の城をあとにすると、
* * *
ダルトサイドへと戻り、馬を返したおれたちは司祭アイジーにひと言挨拶に出向いたが、アイジーは不在にしていた。周辺で遊んでいた子どもに話を聞くと、たびたび留守にする時があるのだという。おれたちはその子どもに礼を伝えてもらうよう言伝を頼み、街道を往来する乗合馬車で王都へと向かった。
帰り道は来るよりも時間がかかった。乗合馬車は
「私はこれを持って枢機卿猊下のところへ行く」
王都に着いたルーネットは、魔王の城から持ち帰った
「これを照合すればゼロスが何者か、わかるはずだ……
「うん、頼んだ」
ルーネットは笑みを見せた。面白みのないカタブツと見えたこの女騎士も、つき合ってみればいいやつだった。酒場で酔いつぶれて泣き上戸になったりとかな。
「今後のことはそれ次第で、一度枢機卿猊下と相談しよう。明後日くらいに顔を出してくれ」
「わかった」
そう言って、おれたちは一旦別れた。
「さて、君はどうするんです?」
「……正直、疲れたな。ゆっくり寝たい」
とはいえ――何度も襲撃を受けている身の上だ。寝ぐらで寝ているところをグサリ、なんてシャレにもならない。
「ならばパルゼイ家に泊まればいい。あそこなら安全だ」
「……気が進まないな」
しかし、背に腹は代えられない。仕方なく、おれはエルロイの薦めに従ってパルゼイ家の屋敷へと向かった。
「……エルロイ! それにグリーパーさん! 無事でしたか!?」
屋敷へつくなり、出迎えたディエリー子爵令嬢が裏返った声をあげる。
「ええ、もちろんですディエリー。魔獣に喰われることもなく帰りました。調査旅行の成果はなかなかで……」
エルロイが応じるが、ディエリーの顔色は戻らず、「そういうことじゃない」とばかりに首を振った。
「王都では今、大変なことが起きているのです」
「なんだって?」
おれとエルロイは顔を見合わせた。ディエリーは真剣なまなざしで告げる。
「昨日、ガイエス・ドーソン枢機卿が何者かに襲撃され、重傷を負いました」
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