2.貸しを返せよ

 悪事を犯した者が迷宮団地城ダンジョン・マンションの最下層である第5層に逃げ込んだら、もはや捕らえることはできないと言われている。例えば、王直属の親衛騎士がやって来たとしたら、迷宮団地城ダンジョン・マンションの住人達は表立って抵抗するようなことはしないだろう。しかし、この街の深層にある無数の店、人、彼らの暮らす共同体――そうしたものへのは、余所から来た者にはまず、見つけられない。


 だが、逆に言えば――王直属の親衛騎士が何かの悪事をやらかし、ここに逃げ込んだとしても、その入り口が見つからずに容易に捕らえられてしまう。つまり、ここはそういう場所なのだ。


 それは物理的なものでなく、まさに「人」が構成する宇宙であり、ここに暮らし、ここの人に繋がりを持たなければ足がかりさえ得られない場所。人を隠すには人の中。文字通りの地下アングラで、文字通りに深淵ディープな社会が、ここには広がっている。



「よう、ラット。しばらく顔を見せていなかったじゃないか?」



 けばけばしい色の装飾に彩られた通路入り口に、立っていた男が声をかけてくる。おれは肩をすくめた。



「こんなところに好き好んで来る用事はないからさ」


「つれないこというなよ。お前にならいいクスリを融通するぜ?」


「ま、気が向いたらね」



 おれはそう言って、遊戯窟プールに足を踏み入れる。入り口は小さいが、その中は広大だ。迷宮ダンジョンの横穴から大きく広がる広間と、その周辺の脇道、小部屋などを利用した複合遊技施設――酒場、賭場、娼館、それにクスリ屋などが一緒くたになった悪徳の城。魔奏士MJが奏でるダブ・ミュージックが爆音で鳴り響き、わざわざこのために色付きの照明魔法マジックライトを構築した魔晶石がピンク色の光で空間を染める。薬臭い煙が充満するその中を、おれはぶらぶらと歩く――こういう場所で、目的に向かって真っすぐ行くと足元を見られるんだ。


 おれは酒場のカウンターで酒を買い、それを手にしたまま広間で繰り広げられる光景をぼーっと眺めた。男に声をかける女たち、女に声をかける男たち。8割がたがそんなところで、のこり2割はなんだかわけのわからないことをしている者たちだ。見知った顔もちらほらいるが、わざわざ声をかけなければそれまで。いずれにしろ、今日は彼らに用はない。おれはそのまま、なんとなくを装ってトイレへと向かう。


 最下層に設えられたトイレは、ダンジョンのさらに下層へと糞尿を送り込むだけのものだ。なにしろ、酔っ払いがしょっちゅう吐き戻したりもするし、クスリも混じっているので畑の肥料にもなりはしない。落ちたその下でどうなってるのかは知らないが、大方魔獣の餌になっているのだろう。


 だが、今日に限っておれが向かうのはそっちじゃなかった。混乱コンフュージョンの魔法で見張りの注意を一瞬、散らしてその隙にVIP専用スペースに入り込む。そこで先ほどから動向を注視していた男の後を追い、扉の中に入る。



「……しばらくぶりだな、フーヴァー」



 VIP専用のトイレを利用するのは、この遊戯窟プールを経営する側の者たち――すなわち、第五層を牛耳る盗賊ギルドヤクザの幹部たちだ。



「……ラッドか。生きてたのか」


「おかげさまで」



 フーヴァーの隣に並びながら、おれは精一杯の笑顔を作り、笑いかける。



「聖典騎士団には丁重なもてなしをいただいたからな」


「それはなによりだ」



 フーヴァーは鼻を鳴らす。



「VIPルームへ来いよ。いいワインがある」


「そうさせてもらうよ。ここじゃ話もしづらいしな」



 そう言っておれはフーヴァーと連れ立ってトイレを出た。



「まず断っておきたいが……騎士団がお前を牢獄に入れようとかってつもりでないのは知っていた。だからあっさり引き渡すのが一番穏便だったんだよ。ギルドうちにとっても、お前にとってもな」



 フーヴァーがおれにワインを注ぎながら言った。おれは鼻を鳴らす。



「だが、そのおかげでおれは命まで狙われたんだぜ?」


「それはお前の引き受けた仕事によるものだろう。うちに貸しを作ったなどと思わないことだ」


「じゃあなにか。このワインは金を払った方がいいのかな」


「これは純粋な好意だよ。まあ飲め」



 盗賊ギルドヤクザの純粋な好意ほど信じられないものもない。おれはグラスに手をつけず、身を乗り出す。



「まあその件はいいよ。その代わり、知りたいことがいくつかあるんだ」


「対価は?」


「貸しをチャラにしてやる」


「だから、お前に貸しを作ったことなどないと言っている」



 おれはそれに構わず、尋ねる。



「ひとつめ。神官ロアム・ドーソンをおれに繋いだのは盗賊ギルドだと聞いた。すると、ドーソンは盗賊ギルドに繋がりを持っていたことになる。真面目一徹のカタブツ神官が、どうやって裏社会に接点を持ったのか?」


「…………」



 フーヴァーは黙っていた。



「答えないなら勝手に喋るよ」



 おれは断ってふたつめの疑問を口にする。



「おれが襲撃を受けたのは2回。聖典教会から依頼を受けたときと、ダルトサイドの近くで魔術に操られた農夫たちにだ」



 上帝神族アルコンのバケモノ女に襲われたのはいったん除外する。



「……どちらも、本気で命を取ろうとした襲撃ではなく、脅しを目的としたものだった。これは盗賊ギルドお前らが誰かの依頼で行ったものじゃないのか?」



 片方から依頼を受け、もう片方からの依頼でそれを妨害する。そういうことを平気でやるのが盗賊ギルドヤクザたちだ。


 なおも黙っているフーヴァーに、おれは言葉を継ぐ。



「3つめ。枢機卿を襲撃したのにも、盗賊ギルドは関わっているんじゃないか?」



 聖典教会の一派が糸を引いているのだとして――さすがに、教会の中に実行部隊がいたとは考えにくい。そしてそういう案件について助言コンサルを行い、仕事を請け負うのがまさに盗賊ギルドこいつらなのだ。



「……以上、3つの疑問を統合するに、教会と盗賊ギルドには元々繋がりがあるらしいな? それも、かなり深い」


「……なるほど。面白いな」



 フーヴァーは自分のグラスを傾け、言う。



「言いたいことが済んだらそのワインを飲めよ。そしてさっさとここから出てけ」



 肯定も否定もしない――こいつらにしてはかなり好意的な反応だ。



「や、言いたいことならもう少しあるんだ」



 おれはワインのグラスを見つめたまま、なおも言う。話はここからだ。



「……勇者バルグリフとその仲間が死んだことは、盗賊ギルドにも予想外だったんじゃないのかい?」



 フーヴァーの顔色がわずかに変わった。おれは身を乗り出す。



「盗賊ギルドとしては、勇者とその仲間パーティを殺したくはなかったはず」


「……どうしてそう思う?」


「第一に、勇者の後ろ盾であるグスマン公爵にケンカを売ることになるから。第二に、勇者の仲間である斥候スカウトリッグズは盗賊ギルドのメンバーだからだ」


「…………」



 そもそも、おれが盗賊ギルドに繋がりを持ったのもリッグズを経由してのことだったから、このことは知っていた。冒険者が盗賊ギルドと繋がりを持っていること自体は珍しくもなんともない。それにグスマン公爵については、わざわざ恨みを買う理由はないはずだ。


 おれは身を乗り出す。



「フーヴァー、勇者が殺されたその現場に、おれはいたんだ」


「……それは本当か?」


「あいつがどうやって死んだか、詳しく話そうか?」


「…………」



 フーヴァーはワイングラスを持ったまま、じっと黙っていた。おれはひと息、ついてから言う。



「ただの政争じゃない。相当にヤバい事件ヤマだ……おれは今や狙われる立場で、その分真相に近づいている。盗賊ギルドとしても、事の真相は知りたいだろう? このままじゃ教会やグスマン公爵に出し抜かれるぜ」


「ふむ……」



 フーヴァーはワイングラスを置き、ため息をついた。パルゼイ家の令嬢ディエリーが言っていたこと――「真実は歴史に取って、大きな武器となる」。それがパルゼイ子爵家の行動理念らしいが、裏社会の人間にとって正確な情報は文字通りの命綱だ。どの勢力がどんな動きをしていて、どこに喰い込むことが利益を生むか、バランス取りを間違えれば一気に取り残され、盗賊ギルドはただの盗賊になってしまう。勇者が死んだという大事件の真相は、喉から手が出る話のはずだ。



「……貸しを返せ、ではなく、盗賊ギルドからの依頼ってことでどうだ? おれのことを狙うのも止めないでいい。報酬代わりに情報をよこせ。事の真相がわかったら詳しく教える」


「なるほど、それは確かに借りを作ったかもしれんな」



 フーヴァーはおれにまたワインを薦める。おれはそれを手に取った。フーヴァーはワイングラスをくるくると回す。

 


「……これは噂話だが、聖典教会の大司教マーカスってのは、枢機卿とずいぶん仲が悪いらしいな」


「へえ……」


「ま、誰が言ったかわからないただの噂だけどな」


「そうなのか、それは大変だな」



 おれはワインに口をつけ、ひと口飲む。



「……ん、美味い」


「だろ?」



 渋みの強い酒精をぶどうの酸味が引き立てる、爽やかなのど越し。おれがその舌ざわりを堪能している様子を、フーヴァーは得意気に見ていた。こいつのワイン好きは本物なのだ。おれはもうひと口飲んでグラスを置く。



「ドーソンを俺に繋いだのは?」


「ギルっていう情報屋だ。ケチな男だよ」


「わかった。恩に着る」



 そう言っておれは立ち上がる。



「……ところで、これも噂話だが」



 VIPルームを出ようとしたところで、フーヴァーが後ろから声をかけた。



「枢機卿が重傷を負ったのは聖典教会の内紛によるものだってのは、既に国王の知るところらしいな?」


「……なんだって?」


「来週あたり、王軍が教会に介入するんじゃないかって、もっぱらの噂だ。まあ、飽くまで噂だが」


「……グスマン公爵か」



 おれは振り返ってフーヴァーを見た。フーヴァーはワインを自分のグラスに注ぎ足している。つまり、盗賊ギルドは聖典教会から裏の仕事を引き受けつつ、グスマン派とも通じてその手引きをしている、と――



「呆れた話だ」



 おれが言うと、フーヴァーはグラスを掲げ、言う。



「あんたは味のわかるやつだ。またワインをつき合えよ」


「無事にすべてが終わったらな」



 フーヴァーは「もう行け」という風に手をヒラヒラと振り、ワイングラスを煽った。

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