3.秋雨

 翌月の新月参会で、教皇は一連の事件に言及した。


 枢機卿への襲撃事件、王軍による大聖堂の包囲、謎の爆発と、その混乱の中で大司教マーカスが暗殺者の手にかかり、死んだこと。


 教皇は丁重に哀悼の意を述べ、混乱を収めた王軍に感謝の言葉を述べ、すべては神の試練であり、皆が力を合わせれば乗り越えられるであろうことを述べた。それで、この事件は終わりだった。



「……どうやら、ザルウィン・グスマン殿下と王軍が大聖堂に踏み入ったのは、大司教を狙う刺客の存在を察知したため、ということで話がついたようです」



 ディエリー・パルゼイ子爵令嬢が、紅茶のカップを手にそう告げる。



「謎の爆発もその刺客の仕業である、ということになり、王軍と教会の間でこの件は手打ちということになったと……」


「よかったですね、ラッド」


「……まあね」



 エルロイの声に、おれは答えて言った。大司教マーカスは実際に殺されたわけだし、その刺客はルーネットが捕らえたという。彼女がうまく工作してくれたのだろう。



「って言っても、あの刺客はどうせグスマン公爵が放ったんだろ?」


「その件については不問になったようですが……疑惑が燻っているだけでも十分だ。グスマン公爵は立場を失っていくでしょうね」


「すると、つまり」



 おれは頭の中で顔を思い浮かべる。



「……この件は枢機卿のひとり勝ちか」


「どうですかね。息子を殺され、王軍にも手柄を許したんだ。ひとり勝ちとも言い難いんじゃないでしょうか」


「まあ、そうか……」



 おれはため息をつき、茶をすする。


 この事件の発端は、勇者バルグリフが大魔王の城に辿り着いたこと――いや、その時点で大魔王は死んでいた。ならばそれより前に、ドーソンがアイジーと出会っていたことか。クィゼロスが聖祖イズの研究を進めるうち、大魔王の力に辿り着いたことか。そもそもは、1500年前にアイジー=聖祖イズが聖典マーテルを作り、大魔王の職能系ジョブをそこに組み込んだことが発端だ。


 勇者バルグリフは死に、その後ろ盾だったグスマンも力を失った。大魔王の力を秘匿していた大司祭マーカスも死んだ。その謎を暴こうとした枢機卿も、勝ったとは言えない。聖祖イズは消滅し、彼女と契約して聖典マーテルの秘密を守っていた上帝神族アルコンゼリムもまた、肉体を失った。盗賊ギルドはうまく立ち回ったと思うが、勝ち馬に乗るには失敗したことになる。



「……全員負け、ってところかね」



 おれはなんとなく、その結論に満足してカップを置いた。



「ひとつ、納得いってないことがあるんだけど……」



 おれが言うと、立ち上がって窓際でパイプをふかしていたエルロイがこちらを振り向いた。おれは言葉を選びながら、口に出す。



「アイジーは……聖祖イズは、なぜで大魔王を消去したんだろうな? 使うつもりのない術式構造プログラムが発動して、2年の間放っておいたのはなぜだろう?」


「それは本人が言っていたじゃないですか? そろそろ剪定の時期だからそのままにしておいたって」



 剪定、という言葉に下腹部の辺りがもぞりとする。おれはその感覚を押し殺して続けた。



「それならそれで、なぜ急に大魔王を消去することにしたんだろう。それもけっこう面倒なことをして……」


「……ルーネットが言ってましたね。勇者バルグリフの姓であるベクルズは、始まりの5人の賢者のひとりと同じだって」



 エルロイはパイプの煙を吸い込み、吐いた。



「もしかすると、バルグリフは本当に賢者の子孫で、その上その賢者と顔がそっくりだったのかもしれない。イズはその姿にかつての友人を重ね、大魔王に殺されることを阻止しようとした……」


「それは論理的な正解レクタ・ロジカなのかい?」


「いいえ、これはただの推測……というよりも、期待です」



 そう言ってエルロイは再びパイプを口にした。おれはその言葉に鼻を鳴らして答え、椅子を立ち上がった。



「それじゃ、そろそろ行くよ」



 そう声をかけると、ディエリーがにっこりと微笑んだ。



「またいつでもいらしてください。美味しいお茶を用意して待っています」


「……せっかくだけど、ごめんこうむりたいな。ここに呼ばれたら、そこの探偵にまたこき使われるだろ?」


「あら、お嫌なのですか?」



 窓際を見ると、エルロイがニヤニヤと笑いながらパイプの煙を吐いていた。まったく、本当に気に入らないやつだ。



「……用事があればゴブリン・キックへ来てくんな。報酬は交渉次第で」



 おれはそう告げて、部屋を出ようとする――その途中でふと、立ち止まった。



「……知能というのは、自分より下位の存在には共感できない」



 おれは振り向いて、エルロイを見る。



「エルロイ……期待、と言ったよな?」


「……ええ」


「前にあんた、言っただろ。上帝神族アルコンの行動する理由は〈契約〉か〈好奇心〉のどちらかだって」


「そうですね」


「ならばあんたにとっても、人間は共感できない下位の存在なのかい?」


「……人間のことは好きですよ。しかし、知的好奇心が勝っていると言われれば否定はできません」



 エルロイは金髪を揺すり、言った。



「ただ、僕はこうも思っています。君は友だちだとね」


「……ああ、そりゃありがとよ」



 おれは片手をあげて、ディエリーの部屋を出てパルゼイ家を辞した。


 * * *


 パルゼイ子爵の館から中央街アップタウンを抜け、迷宮団地城ダンジョン・マンションの方へ戻ろうと歩く。秋の空は晴れて、冷たい風が肌に心地よい日だった。露店街には襟を立てた人々が行き交い、露店の間に景気のいい商売の声、娘たちの笑い声、怒鳴り合いのケンカの怒号などが入り混じって響き合う。おれはその中をぶらぶらと歩いた。とりあえず、刺客に狙われる心配がないというのは気が楽だ。


 大魔王が聖典マーテルに組み込まれた存在だったという真実は、パルゼイ家の文献に記され、封印された。枢機卿には一応すべてを報告したが、表沙汰にする気はないと言っていた。ただ、今後の大司教の任命には枢機卿が関与することになるだろう。


 おれはふと、過去に大司教を務めた人々について、思いを馳せた。


 例えば500年前――先代の大魔王が50年もの間、暴れまわっていたときに、真実を知りながらそれをどうすることも出来ず、ただ秘匿し続けていた大司教の思いとは、どのようなものだったろう?


 露店街にぽつぽつと、路地裏への入り口が現れる。その奥に、座り込む浮浪者の姿がある。小ぎれいに見える中央街アップタウンにも、裏側への入り口はいくらでもあるのだ。


 おれは路地の方へと近づき、浮浪者に小銭を投げた。浮浪者は顔をあげ、ぺこぺことお辞儀をする。



「……知能は自分より下位の存在には共感できない、か」



 だけど――とおれは思う。大魔王の存在を知りながら秘匿し続けた大司教も、この浮浪者も――おれも、迷宮団地城ダンジョン・マンションの連中も、グスマン公の領内で魔獣の脅威と戦いながら田畑を耕す農夫たちも、それに上帝神族アルコンのゼリムだって皆、同じだ。より大きな仕組みの中で、見えざる意思に翻弄されながら、その時々で最善を尽くしているに過ぎない。その意味では聖祖イズだって、クィゼロスが大魔王になることを予想できなかったし、最後は魔力が尽きて死ぬ運命だった。もし、自分より大きな存在の引いた轍から、完全に自由な者がいるとしたら――



「……それこそ、神か」



 くだらない考えだ、とおれは舌打ちをし、路地裏に背を向けて露店街を見渡した。


 ふと、小さな露店が目に入る。腰の曲がった男が、分厚い紙入れをいくつも並べて噂話を売る店――伝聞屋ロア・ブッカーだ。


 おれはそちらへ近づき、声をかけた。



「大魔王を殺した真の英雄は、果たして誰だったのか?」



 男はおれを見上げ、ニヤリと笑った。紙入れのひとつを取り上げ、中から一枚の紙を取り出す。その横に広げた小聖典プエルムに向かって、おれは魔信通貨クレジットを支払おうとして一瞬、戸惑った――が、結局「支払い《チェック》」の呪文を唱え、おれの残高が数クレジット減る。それを確認した男は、一枚の紙切れをおれに手渡した。


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 大魔王討伐の真相!


 勇者バルグリフが魔王の城に辿り着いたとき、大魔王ゼロスは既に死んでいたのだという。

 そこで勇者が見たもの――それは、光に包まれた神の使いの姿だった。


 大魔王を打ち倒した神の使徒――それは、世界の危機に際してこの世に蘇った聖祖イズだったのだ。我らの祈りが聖典マーテルに届き、奇跡を起こしたのだろうか――

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「……たまには本当のことを書くんじゃないか」



 おれはそう呟いて紙切れを伝聞屋ロア・ブッカーに返す――と、その上にぽつりと、一粒の雫が落ちた。


 空を見上げる。よく晴れていた空はたちまちのうちに雲に覆われ、雨が降り出した。



「……陳腐な不運だバナラック



 おれは頭を雨からかばい、露店街の人混みをかき分けて走り出した。



<大魔王殺人事件・完>

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大魔王殺人事件:あるいは神魔と鼠の路地裏遊戯 輝井永澄 @terry10x12th

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