14 ザクロはじけて

 〈ザクロみたい〉

 後東佳波ごとうかなみは思う。

 大きく裂ける。裂けた部分からのぞく真っ赤な粒。


 前方で頭に散弾を受けて新納にいのが突っ伏す。

 クラクションがけたたましく鳴り響く。

 熟れたザクロがスローモーションで落ちていく。

 

 〈走馬灯って死ぬ間際に見るもんじゃないのかしら。だったら、私、死ぬのかしら〉

 佳波は赤い粒を撒き散らしていく新納だったものを見つめながら思う。


 助手席に座っていた三田は悲鳴をあげている。

 新納が頭の中からまきちらした様々なものを浴びている。

 真っ赤に染まった三田の顔、佳波は人類学の教授が授業で見せてくれたある民族のペインティングを思い出す。


 〈赤は生命力を象徴する〉

 時代遅れの学説と断りをいれながらも、儀礼で用いられる色と象徴について説明をしてくれた教授。

 〈赤は同時に犠牲の血も示す〉

 けっこう真面目に聞いていたのだなと、佳波はかつての自分に感心する。


 三田が助手席の扉をあけて逃げ出そうとしている。

 銃声がもう1回。

 当たったのか、当たらなかったのかわからない。

 しかし、バランスを崩した三田は山の斜面を転がり落ちていった。


 「後東さん! 後東さん! 逃げましょう!」

 与田が叫んでいた。

 佳波にはその声が遠くから聞こえる。


 もちろん実際には隣にいるはずだ。

 その証拠に与田は佳波の手を握るとぐっと外に引き出す。

 

 〈車で逃げようとしていたのに逃げられなかった。徒歩で逃げられるわけないじゃない〉

 佳波は手遅れだと思っていたが、手を引かれるがままに外に出た。


 「おい! とまりなせー。逃げたらどうなるかわかってるだろ?」

 銃を向けた老人、猟師兄弟の弟、タニミの作治が佳波たちに声をかける。


 反射的に走り出そうとする与田の手を佳波はぐっと握りしめる。

 そのまますがりつくようにして彼を押し留める。

 ここで走り出したら、タニミの作治は躊躇ちゅうちょなく撃ってくるに違いない。

 もう逃げられないのだ。


 「与田くん。やめよう。逃げようとしたら撃たれちゃう。死んじゃうよ」

 佳波は与田にすがりつくようにしたまま、車の運転席に与田の視線を向けさせる。

 ハンドルにしがみついている新納はアゴから上の様々な部分を惜しみなく助手席側の窓やシートにばらまいていた。


 〈この車を見たらレンタカー屋の受け付けのおじさんはどんなに目を丸くするかしら〉

 佳波はどうでもいいことに思いを馳せる。

 恐怖感はすでに麻痺していた。


 与田の方はまだ恐怖を感じるセンサーが機能しているようである。

 新納であった物を見て、ひゅーっという悲鳴ですらないかぼそい声をあげたからだ。

 その声とも息ともつかないものにあわせるようにして与田の体から力が抜ける。


 「私たち、逃げません! どうしたらいいですか?」

 佳波はタニミの作治に叫び返す。


 「そこで、万歳ばんぜーして立ってなせー。今、そっち行くからな」


 佳波は両手をあげると同時に密着していた与田を押しのける。

 先程から自分の押し付けられる与田の一部がどうにも不快だったからである。

 与田は全身から力が抜けているはずなのに一部分だけが力が入ったままであった。

 近づいたタニミの作治は、与田の下半身を見て下卑た笑みを顔に浮かべる。


 「おう! ボインちゃんのボインが自分の手にすがりついてたら、そりゃおったつよ。兄ちゃんは正常だって。俺だってな、若いわけーときはビンビンだったさー」

 多分、与田は自らを恥じて真っ赤になっているのだろう。そもそも、意図的に押し付けたわけでもないのだろう。

 佳波はそれでも与田に同情する気にならなかった。

 どうしてこの男は自分を性欲の対象としてとらえるのだろう。

 与田に比べれば作治のほうがまだましである。

 この男は下卑た冗談を言いたいだけで佳波のことを実のところなんとも思っていない。

 少しでも彼女が不審な行動を見せたら、彼は躊躇なく彼女めがけて散弾を放つだろう。

 そして、後で言うのだ。

 「あのボインちゃん、もったいなかったよな」と。


 それに比べて与田はどうだろう。

 この期に及んで、あるいはこの期に及んだからなのか、佳波をぎらぎらとした視線でなめまわす。

 それはかつて自分がつきあった男と同じではないか。


 〈気持ち悪い。本当に気持ち悪い〉

 

 佳波は自分の本心が言葉となって外に出ないようにとツバごと飲み込んだ。

 そして、うつむく与田に表面だけでも優しい言葉をかける。


 「大丈夫。気にしないでね」


 「今な、ばあさんたちが縄持ってきてるから、それで縛られなせー」

 タニミの作治はこう言ったあと、与田に向かって笑いかける。

 「あ、縛るっていってもなー、兄ちゃんの期待するようなもんじゃないからよー。興奮したらだめだからなー」


 「僕、興奮なんて……」

 与田は最後まで抗弁することができなかった。

 作治が与田の頬を張ったからである。


 「静かにしなせー。ぐちゃぐちゃとつまらんことを言うのでねー」

 

 与田はあっけにとられたあとに嗚咽をもらしそうになる。

 彼がぐすっひくっとと鼻をならしたところで、作治は与田の頬をさらに張る。


 静かになった与田と佳波はそのまま腰と手首をしばられて、来た道を戻るのであった。


 ◆◆◆


 カンヨコという屋号は神社の横に屋敷があるからだ。カミサマのヨコでカンヨコ、カンヨコの米子、世話好きで世間話が大好きな老女がニコニコしながら話してくれたのを思い出す。

 佳波たちはカンヨコの家の大きな土間に座らされている。


 土間には集落の人々がいた。

 タニミの猟師兄弟の兄、耕作は腕を包帯でつっている。

 おそらく矢車にやられたのだろう。


 〈矢車さんは無事なのかしら〉


 佳波の心の声に答えるように猟師兄弟が会話をはじめた。


 「兄ちゃん、あのでかいの、どうした?」

 たずねる弟、作治に兄、耕作は不機嫌そうに返事する。


 「あいつ、俺の腕、折って逃げてったさ。弾かすったから、あんまり動けんだろうけどな」


 彼が無事で良かったと佳波は思う。

 六井と矢車には幸せに暮らしてほしいのだ。


 「ムーン出すか? ムーン?」


 「ポチだってんだろ。それにあいつより先につかまえないとまずいのがいるだろって」


 兄弟の会話は意味不明だったが、佳波たちが聞き耳を立てていると思ったのか、2人は会話をやめる。


 「まずはそいつら閉じ込めておけ。なんせ村の大切な仲間だからな、丁重にしなせー」


 自分たちが仲間というのはどういうことだろう。

 それを考えようとした佳波を邪魔したのは作治の下卑た声であった。


 「これからなー、お二人さんにはしばらく一緒に暮らしてもらうから。夢の新婚生活とは言えねーボロ部屋だけどよー、ラブがあれば、大丈夫でーじょうぶだなー」

 今度はどこに閉じ込められるのだろう。

 カンヨコの屋敷内に監禁に適した場所があるらしい。


 「そうそう、ラブがあったってな、外から見えるところだからな。あんまりお盛んになっちゃいけねーからな」

 作治が与田に向かって笑いかける。


 「トイレとおんなじだ。入ってるときはな、入ってますって言いなせー」

 作治が腰を前後に振りながら言う。

 彼はうまいことを言ったつもりなのか、自身の放った下卑た冗談に1人笑っている。


 ひーひーと笑い続ける作治が2人を連れて行ったのは、座敷牢だった。

 

 〈今どき、こんな座敷牢が存在するのだ〉

 佳波は感心してしまう。

 平時であれば写真を撮って、相手が話したくなるまで待って聞き取りをしたい。そのような気にさせる代物であった。

 

 小さな電球で照らされているだけの部屋は薄暗かった。

 けばだちところどころ腐食した畳敷きの部屋、その端の方にはついたてが立てられている。

 おそらくついたての向こうで用を足せということなのだろう。

 長いこと使われていなかったおかげでカビ臭さはともかくとして糞尿の臭いがたちこめているなどということはなかった。


 「うんこしっこはついたての向こうにな、おまるとツボがおいてあるから、そこでしなせー」

 予想通りの言葉が作治から放たれる。 

 薄暗い中でも与田が赤くなったのは視認できた。

 

 「それとな、あとでな、バケツにお湯入れてもってきてやるからな。それと手ぬぐいで体をきれいにしなせーよ」

 

 「なにごとも我慢が大切だぜ、兄ちゃん。不法侵入せんようになー」

 作治は再び腰を前後にふりながら笑う。

 彼は「ああ、腹がいてー」などと言いながら、去っていった。


 座敷牢には佳波と与田の2人が残された。

 

 「僕、あの、変なことしませんから」


 「大丈夫、私、与田くんのこと、信用してるよ」

 そう言ってみた佳波であったが、与田の目は信用してはならない光を放っているようにも見えた。


 佳波は薄っぺらい掛け布団にくるまるようにすると与田に背を向けて、目をつぶった。

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