12 脱出作戦

 「脱出作戦を考えなくてはなりません」

 こう切り出した矢車を与田剛よだたけしは冷ややかに見ていた。


 「ここはなるべく簡単かつ単純な手でいきましょう」

 矢車はにこやかに言う。


 〈そう簡単にいくわけがない〉

 だが、剛に別案があるわけでもない。だから、年長者の脱出プランというのを聞いてみることにした。


 「待っていれば、集落の誰かが私たちに食事を持ってくるでしょう。私たちの扱いを見るかぎり、ここで餓死させるつもりはないようですし」

 矢車が息継ぎをする。


 「そうでなくとも騒ぎ立てれば誰かが来る可能性は大いにあります。いざとなれば、これがありますから、中でボヤでも起こしてやりましょう。人が来ます」

 私たちが焼け死んだら困るんで、これはあくまで最終手段ですがと矢車は笑う。

 剛は少し心配になってきたが、それでも我慢して聞くことにした。


 「誰かが来れば戸が開きます。そこで私が戸を開けた人を制圧、いや制圧はできないかもな……少なくとも撹乱かくらんして時間稼ぎするから、皆さんはその間にムラザケーの敷地まで行って車で脱出します」


 「すがすがしいまでのノープランのいきあたりばったりじゃないですか?」

 剛は思わず口走ってしまう。

 矢車はにやりと笑って、「言い得て妙な表現ですね、与田くん」と応じる。

 3年の新納が舌打ちしたのが聞こえた。


 「実はね、私、結構強いんですよ」

 矢車はへらへらとしながら言う。


 「大学まで柔道部でね。大学だと高専柔道の流れ……わかりやすくいうと、ブラジリアン柔術みたいなやつやってたんですよ」

 その後、「カラテ」ができると言えば調査地で受けが狙えると先輩に言われた矢車はバカ正直に空手道場に通い始めたのだそうだ。


 「でも……それだと矢車先生はどうなるんですか?」


 「まぁ、さすがに取って食われたりはしないでしょう」」

 心配そうに尋ねる後東に対して、矢車が笑いかける。


 そこで三田がおずおずと手をあげる。

 「そういえば、私、こういうものを持ってきたんです」

 三田がノートをいれたポーチから冊子を取り出すと車座になって相談している真ん中に置いた。

 

 「ムラザケーの吾郎さんの日記なんですが、あまりにも酷くて……身の危険を感じたから、証拠にしようと思って……もちろん、人の日記を盗み見るとか持ち出すとかひどいことなんですけど……」

 確かに三田の言う通りである。

 ほめられる行為でないことも、内容も含めてだ。

 それぐらいに内容はあまりにも酷いものだった。

 三田と同じく吾郎に狙われていたことを知った後東佳波ごとうかなみも「気持ち……わるい」と言ったきり押し黙ってしまった。


 「ただ、最後のほうが変なんです」

 三田が指し示したところはたしかに奇妙だった。

 

 「なんか誰か女の子を見つけないと大祭で見限られて自分が自分でなくなってしまうみたいなことが書かれていますね」

 剛がつぶやく。


 「なぁ、ムラザケーの吾郎さん、殺されてるんじゃないか?」

 新納がぼそっと誰もがどこかで思っていただろうが口に出していなかったことを言う。


 「でも……あの記述はおかしいけど、あれだけじゃ……」

 唇を震わせる後東に新納は畳み掛けるように言う。


 「思い出したんだけどさ、吾郎さんちに軽トラありましたよね。あの人、車、軽トラしか持っていないはずでしょ? どうやってふもとの町まで行くんだよ?」

 

 「だいたいさ、ここバスすら来ないだろ。六井さんだって最初のうちは車使ってたって言ってたろ」

 長く滞在する六井は最初のうちはレンタカーの長期貸出サービスに頼っていたという。

 集落の老人たちが金がかかってかわいそうだと車を出してくれるようになった。それ以来、六井は集落を訪れる日を事前に連絡し、迎えに来てもらうようになった。

 「携帯のアンテナたたないとこだから、ちょくちょく連絡できないし、電話だと聞き違いが多いからはやめに手紙を出しておくのが一番」

 いつだか彼女は飲み会の時にそのような話をしていた。


 「誰かが乗せていってくれた……とか?」

 三田が自信なさげに言った後に自分で自分の言を否定する。

 「なわけないですよね。そもそも吾郎さんって村で一番の若手でしょ。そうでしたよね、後東さん?」

 たしかに三田の言うとおりだ。

 彼が車を出す側になることがあっても、その逆は考えにくい。


 皆の表情が陰る中、一人矢車だけがひょうひょうとしている。


 「あれ? 困りましたね。まさか取って食われたりはしないとか言いましたが、取って食われそうではないですか」

 彼はケラケラと笑った。

 

 「それでもプランBはありません。私が足止めしている間に皆さんは車まで走っていって脱出をはかる。私は、六井さんを救出して脱出する。私たちは皆、脱出しますが、それが同時刻に一緒にである必要はありません。あなた方は先に行ってください」

 どうしてそこまでこの男は六井にこだわるのだろう。

 六井を助け出そうにも、彼女は「おこもり」とやらの最中で集落の人間に取り囲まれているはずだ。

 そのようなところに単身行くというのは、ただの蛮勇でしかない。

 一度ここに居るものだけで脱出して、警察に通報したほうが良いに決まっている。

 ましてや「取って食われたりしない」と見るのならば、六井も無事なはずだ。あとで警察に救出してもらってもかまわないではないか。


 剛の視線に気づいたのか、矢車は頭をかきながら言った。

 「まぁ、ぶっちゃけちゃうとね、絵里さん、僕の彼女なんだ」

 

 新納と三田が目を丸くしていた。

 剛自身も同じような表情をしていたに違いない。

 ただ後藤だけは知っていたらしく、表情を変えることがなかった。


 〈知っていたということは、佳波さんは別に矢車とつきあおうとしているわけではないのか〉

 後東の矢車を見る視線は、愛しい男性を見つめる女性のそれと思った自分の見立ては間違っていたのだろうか。

 剛は混乱しながらもほっとした。

 そして、俄然がぜん矢車を応援する気になった。


 「だから、僕にとっては彼女が最優先なんだ。とはいえ、僕らの個人的事情に君たちを巻き込むほど僕も自分勝手じゃない」


 「でも1人じゃ危ないです……私もお手伝いを……」

 後東の申し出を「気持ちだけありがたく受け取る」と断った。


 「あなたの大事な先輩はしっかり連れ戻すから、大丈夫ですよ。それにね、デートに別の女の子連れてったら彼女に怒られてしまいます」

 熱っぽくまくし立てていた矢車の口調がもとに戻る。

 

 「車は5人乗り、六井さんを助けると定員オーバーです」

 矢車はそう言うと笑いながら、「私たちが調査するようなところでは現地の人達、定員オーバー上等なんですけど、ここじゃ道交法で捕まっちゃいますからね」とつけくわえる。

 先程の言といい、今の言といい彼なりの冗談であるようだ。面白みのある男ではないが、まがりなりにも脱出のために身を張ってくれる男だ。

 〈大目に見てやろう〉

 剛は心のなかでつぶやく。


 「向こうがいざとなったら暴力の行使もいとわない。そのように考えると怖いのが鉄砲です。この集落には猟銃が何ちょうかあるはずです。くれぐれも気をつけてください」

 誰も教授である市野井のことは気にかけなかったが、それは自業自得であろう。

 

 ほっとした剛は急に尿意をおぼえた。

 剛はぶるっと体をふるわせると、小声で矢車にたずねる。


 「トイレ……行きたいんですけど……」

 矢車は奥を指差す。


 「あっちにね、便器代わりのツボが置いてあるから」

 どういうわけか三田がうつむく。

 それで剛は三田が先程「トイレ」を使用したことを悟る。


 〈妙な音がしたのに、なんで気が付かなかったのだろう〉


 剛は矢車に礼を言うと、奥へと向かった。

 畳敷きの上にツボが置いてあった。

 ご丁寧にも「便所」と書かれた紙が貼ってある。

 かすかに臭う。


 剛がツボをもちあげてみると、たぷたぷと音がした。


 〈三田が使ったのか〉


 剛には糞尿を愛好するような趣味はない。

 もちろん、世の中にはそのようなものを愛好する者がいるとは知っている。

 全寮制の高校に通っていた頃、悪友の1人がその手の映像を悪ふざけで持ってきたことがあった。

 そのときは何も感じなかったし、むしろ隠し持ってきた悪友を皆で変質者呼ばわりして笑った側であった。


 〈なのに……〉

 生命の危機を感じて、自分の中の本能が反応したのだろうか。

 剛は自分に言い聞かせたが、それが無理筋な自己弁護であることは十分に理解していた。


 〈俺は何をやっているんだろう〉

 かすかに立ち上る臭気からこの場であったことが剛の脳内で再生される。


 〈俺は変態だ〉

 抗うことができない。

 

 〈俺は最低だ〉

 このような場面を誰かに見られたら終わりである。

 

 〈こんなことはやめるべきだ〉

 それでも手は欲望を吐き出すまでとまらなかった。

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