11 欲情、接吻、歓喜

 市野井は薄暗い部屋の中で目を覚ます。

 飲みすぎたせいなのか、それとも神楽の最中、換気が不十分な場所で火を焚き続けていたせいなのか。

 市野井が目覚めたのは頭を襲うにぶい痛みのせいであった。


 「くそっ! 誰か水を持って来い!」

 近くにいるであろう学生を使おうと薄暗い中に声をかける。

 〈本当にどいつもこいつも気が利かないやつばかりだ〉

 市野井の痛む頭の中に罵詈雑言があらわれては消えていく。


 彼の声に反応したのは一緒に撮影をおこなっていた者たちではなかった。


 「先生、お目覚めですね」

 暗がりからややハスキーな声がする。

 教え子の六井絵里の声である。


 「今、明かりをつけますね」

 衣擦きぬずれの音とともに近くに座っていたらしき人影が立ち上がる。

 蛍光灯の明かりが市野井の目をさす。

 目が慣れてくると、そこには市野井が愛してやまない教え子の姿があった。


 ただいつもと様子が違った。

 

 彼女はジーンズやTシャツといったラフな服装を好んで着ていた。

 もちろんワンピースを着ていることもあったし、重ね着が必要な季節にはロングの巻きスカート姿を披露ひろうすることもあった。

 ただ彼女の和装を拝めたのは卒業式、そして今回の神事での巫女服姿の2回だけであった。

 卒業式のときはもちろん指導教授の特権をフル活用した。一緒に写真を撮るという名目で、袴姿で微笑む彼女の姿を自身のコレクションに加えていたし、自分の妄想の中でも大いに「使用」させてもらった。

 今回の巫女服姿も映像を編集して、彼女の姿を楽しむためだけの短編を作るつもりであった。もちろん、それは市野井専用である。


 〈巫女服姿も良かったが、これはさらに良い〉

 市野井は教え子の姿を下から舐めあげるように見つめていく。


 六井絵里は寝間着として使う浴衣を着ていた。

 市野井の横に座って水を差し出す胸元はやや隙間が空いている。

 教え子が下着をつけていないことを確認した市野井の胸が劣情で高まる。

 この女の裸身を市野井は盗撮で何度も見ているはずだ。

 それにも関わらず胸元からのぞく控えめの乳房とその先にあるものは市野井の視線をとらえてやまないのだった。


 市野井は極力こっそりと見つめていたつもりであったが、その視線は隠しきれなかったのであろう。

 六井は胸元を直すと、顔を赤らめ「ごめんなさい」とつぶやいた。

 その恥じらいが市野井をさらに興奮させる。


 それでも彼はそれを外に出さないように努めた。

 「すまない」

 と小声で礼を言って、水を受け取るとそれを一気に飲み干す。

 ひんやりとした水が喉をうるおし、頭を襲う不快感と鈍い痛みを少し和らげてくれる。


 〈それにしてもこの状況は何なのだ?〉

 市野井は自分が女性から好かれないことを理解できてはいなかったが、知ってはいた。

 大学で教鞭きょうべんをとる知り合いの中には自分の教え子と結婚したという者も少なからずいたのだが、自分にはそのようなことはなかった。

 六井も自分のことを師としては尊敬してくれたが、男性として好意を持ってくれるようなことはなかった。


 それどころかあのいまいましいポスドク風情が彼女の好意をかっさらっていった。

 〈あいつに負けていることがあるとしたら身長くらいのものだろう〉

 自分のほうが社会的ステータスも高く、自分のほうが高収入で、自分の方が身分も高く安定もしている。多少の年の差があったとしても、誰もが自分を選ぶはずなのに、そうはなっていない。そのことが市野井には理解できないし、大変面白くない。


 〈ようやく彼女も気がついたのかもしれない〉

 自身が認められたという市野井の喜びは、彼が取るに足らないとバカにする男への憎悪と表裏一体とも言えるものであった。

 

 「先生、ご気分、悪いでしょう? 今、痛み止め用意しますね」


 六井絵里は市野井に背を向けると少しえづくようなそぶりを見せた。

 彼女の肩が震える。

 振り返った彼女は右手になにかを握りしめ、左手にもった手ぬぐいで口元をぬぐっていた。

 苦しかったのか、少し目元がうるんでいる。

 その潤んだ瞳がどうにも市野井を興奮させてやまない。


 〈この手で彼女に触れられるのならば、俺はどうなってもかまわない〉

 市野井はもはや相手にどのように思われようと彼が見たいところを凝視することをやめなかった。

 彼は自分の視界にはいる光景を目に焼き付けようとするだけではなく、触覚でも記憶しようとごつごつとした指を伸ばす。


 六井は市野井の手をふりはらったものの、それは邪険にというものではなかった。

 彼女は右手に握りしめたものを自身の口にいれると、市野井の顔を両手で挟み、顔を近づける。

 

 普段よりやや青白く見える整った顔立ち。

 潤んだ瞳。

 市野井の鼻孔を刺激する匂い。

 興奮で火照った頬を包むひんやりとした手。

 冷たい手は頬に宿った炎を鎮めるものであったが、同時に別の場所に劣情の炎をおこすものでもあった。


 「絵里っ!」

 市野井は浴衣の胸元に手を突っ込む。

 冷たい空気のせいかやや鳥肌のたった教え子の肌の感覚。

 六井はそれを振り払うかわりに自身の体を市野井に覆いかぶせるようにして、市野井の手の動きを封じる。

 

 六井絵里の唇が市野井の口を開き、舌がオブラートのようなものを彼の喉の中に押し込んでいった。

 オブラートは六井の接吻を受けている間に市野井の食道から胃へと流れ落ちていく。


 六井が笑う。

 今まで見たこともないような妖しいほほえみだった。


 「がっつかないでくださいね。もう一眠りしてください」

  六井は自分の胸を乱暴にまさぐろうとする市野井の手を握りしめて静かに起き上がる。

 そして、少し眼を伏せる。


 「先生、あなたはどうして私を斬り殺してくれなかったの?」

 どういうわけか、先程までの妖艶な表情が消え、彼女の両目からは涙が流れていた。


 「何を言っているんだ? 六井くん?」

 市野井は困惑する。

 姿格好は先程と変わらないし、少し姿勢を変えるだけで胸が見えるような服装もそのままであったが、市野井を誘惑するような眼や態度は不思議と消えていた。


 「だってオオゲツヒメは斬り殺されるものでしょう……」

 六井が先程と同じようにえずき、何かを吐き出す。


 それが何かを確認する前に市野井は意識を失った。


 ◆◆◆


 市野井は夢現ゆめうつつをさまよった。

 夢も現もどちらも甘美なものであった。


 夢の中で市野井は六井絵里に嬌声きょうせいをあげさせた。

 現実に戻ると潤んだ瞳をした彼女に口移しで何かを飲まされ、再び夢の中へといざなわれた。

 時間がどれくらい経ったのかはわからない。

 何日も経っているのかもしれないし、ほとんど時間が経っていないのかもしれない。


 〈俺は真の愛を見つけた。俺はとても幸せだ。この幸せが続くのならば、俺は死んでもかまわない〉

 市野井の体の中で熱い何かがうごめく。

 彼自身はそれを愛の炎が自分の中で具現化したものだと誤った解釈をするのだった。

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