IV 対話、そして再会

 「私のせいだ」

 六井絵里むついえりはつぶやく。

 自分のせいで市野井も新納も三田も与田も死んだ。

 後東が自分たちの「仲間」になってしまったのも自分の責任だ。


 〈あなたの考えは本当に面白い〉

 絵里の中にいる「女王」が答える。


 女王、おそらくカンナノカミといわれていたもの、それを神と呼ぶのはどうも抵抗感があった。

 そう呼んでしまうと絵里は神の依代ということになってしまう。そのようなものにはどうしてもなりたくなかった。

 だからといって、「母」という単語もあわない。

 そうして、「女王」という呼称に落ち着いた。もっとも呼称にこだわっているのは絵里だけで相手はなんと呼ばれようと特に気にならないようであった。


 「何が面白いの?」

 絵里は口に出して問う。

 口に出さなくても女王との対話は可能だが、口に出したほうがしっくりときた。


 〈あなたが命じたわけではない。「代替わり」を命じたのは私であるし、それをしたときはあなたはただの観察者だったはずだ。その後は監禁は集落の人々が自発的におこなったこと。それ以降は私が命じたこともあるが、あなたはそれにあらがおうという意思をもっていた。ここにどのような責任が生じるのか?〉


 「そういうことじゃないっ!」

 絵里は反論したが、どういうことなのかはうまく答えられなかった。

 答えられないが頭のなかにはもやもやとした思いがあった。

 絵里が言語化できなかったことを汲み取るように女王が答える。


 〈自分がいなければ、自分が巻き込まなければ、それを仮に正しいこととしてみよう〉

 女王がここで沈黙する。

 絵里は彼女の考えていることは読み取れないが、彼女は絵里の考えていることを読み取れない。

 不公平だと思う絵里に〈それはあなたの能力の問題だからどうしようもないことだ〉と女王は答えると、そのまま続ける。


 〈あなたが大学に入ったせいで不幸になった人がいるかもしれない。あなたがインフルエンザを誰かにうつしたせいでどこかで人が死んだかもしれない〉


 「そんな私が知り得ないことまで責任持てるわけないよっ!」

 絵里はそう答えた後に女王に誘導されたことを知り、嫌な気分になる。


 〈そう、そのとおりなのだ。あなたはここで何が起こるかなど知り得なかった。だから責任を持ちようがない。責任を持ちようがないことに、今、どうして責任を感じようとしているのだ?〉

 屁理屈だと答えたかったが、うまく答えることができない。

 女王が笑う。

 実体をともなわない思念上のやりとりに笑うという表現もおかしなものだ。しかし、確かに笑ったように絵里は感じたのだ。


 〈そう笑っているのだ。あなたは知識も吾郎に比べれば豊富だし、頭の回転も速そうだ。大変、面白い〉

 

 「あなたは何なの?」


 〈私は……あなたの知識の中に存在するものではないが、一番近いものを挙げるならば寄生虫ということになるだろう〉

 そして、女王は〈しかし、寄生虫という概念はあまり好意的に捉えられるものではないから、別種の表現を考えてほしいものだ〉と付け加える。自分の呼び名については頓着しない女王であるが、「自分たち」となると多少気持ちが変わるようだ。


 〈寄生ではなく、共生する存在。それが私であり、私たち。私と私たちは宿主の体力を向上させ、寿命も伸ばす〉

 

 〈全てにおいて宿主を強くできるわけではない。たとえば、歯が抜けるのを防ぐことはできないし、髪も保っておくことはできない。若いままの姿を保つことはできないだろう。しかしながら、この集落の人間は皆驚くほどに頑健であろう?〉

 確かにその通りなのだ。

 この集落は老人ばかりであるのに皆元気だ。

 しかし、それは日頃の食生活や生活習慣のたまものだと絵里は思っていた。


 「わかった。共生なんでしょ? じゃあ、あなたが求めてきた見返りは何?」


 〈種の保存と繁栄。極めて正当な要求だろう?〉

 女王の説明は絵里から見れば極めておぞましいものであった。

 

 女王を含む彼らは、一種の社会性動物であるようだった。

 社会性動物、アリやハチのように分業体制の中で個体ごとに役割が定まっているものである。

 その中で繁殖ができる個体が女王、つまり絵里と話しているそれだった。


 〈私が子をなし育てるのはなかなか難儀なことなのだ〉

 女王は単性生殖が可能であるが、そこで生まれた子どもというか幼体は宿主を食って成長する。したがって、幼体が成長するための体が必要となる。

 そして成体となり別の体に移る。

 成体はそこで宿主と共生する。 


 「ヤドカリ……カンナノカミ……」

 ヤドカリのことを古語でカムナということがある。

 この言葉との類似や鬼を宿すという神事の説明から、カンナノカミというのはヤドカリの一種ではないかと絵里は考えたことがあった。


 「だからといって……」

 成体がつい棲家すみかとなる別の体に移るために、今の宿主を食わせる。

 寄生虫の中にはそのような目的のために宿主を操るものがいることを絵里はどこかで読んでいた。


 〈だからといって?〉

 女王は絵里の言葉を繰り返す。


 「私たちを……」

 絵里は「犠牲にしてまで」という言葉を飲み込んだ。

 言葉を発しないことに何の意味がないことは飲み込んだ後に気がついた。


 〈どうして私たちは他の生命を犠牲にして我らが種の保存と繁栄を願ってはならないのだ? お前たちもやっていることではないか? お前も他の動物を食べて生きてきたのだろう?〉


 「私は……私たちは人間だから」


 〈それはあなたの知識から言葉を借りるならば「種差別」というやつではないだろうか?〉

 しばらく前に恋人が貸してくれた本とレクチャーの記憶をもって女王は問いかける。

 それは動物の権利について書かれた倫理学の本だった。

 人も動物も苦痛を感じることができる。

 それにも関わらず、動物に苦痛を与えることに現在の我々が大きな罪悪感を感じないのは、人種差別と同じ構造を持つのかもしれない。

 ずいぶん刺激的な話であるし、にわかには受け入れ難いものであった。

 恋人にそのようなことを言ったはずだ。

 

 「確かにその通りなんだよね。僕も肉大好きだしね。ただね、僕らははほんの数十年前まで平然と人種差別と批難される行為を見逃してきたという歴史を持つわけだ。僕らが今現在、見逃している行為も後世ではありえないものとなっているのかもしれないかもね」

 絵里は恋人の言葉を思い出す。

 彼はそう言ってから、いたずらっぽく笑っていた。

 思い出にひたる絵里を女王が現実に引き戻す。


 〈あなたの恋人というのはなかなかおもしろい人物だな。若くて知能も高そうだ。ぜひとも仲間にひきいれたいものだ〉

 女王の言葉に絵里は首を横にふる。


 「彼は……私を、こんなことをした私を許さないよ」

 

 〈こんなことというのはどういうことだ?〉


 「私は人殺しだもの」


 〈殺したのは村人だし、それを指示したのは私だ。お前は何もしていない。それに彼らは苦痛を感じることなく、歓喜と恍惚感の中で死んでいった。ここに何の問題があろうか?〉


 絵里は自分が彼らにしたことを思い出して赤面する。

 

 〈どうして恥ずかしさを感じるのだ? 死にいくものから苦痛を取り去る。褒められることがあってもどうして恥を感じることがあろうか?〉

 女王とは話が通じるようで通じない。

 常にずれを感じるのだ。


 〈何をもって善とし、何をもって悪とするかは文化によって違うのだろう? 価値観とは文化によって異なるもの、あなたの知識はそう言っている〉

 だから、どうしたというのだ。

 絵里はそう思ったが、口にだすことはしなかった。

 そうでなくとも女王には通じるのだから。

 そして、彼女の言い分のほうが正しく、自分には反論するだけのことわりがないのだから。


 〈だから、わかり合おうではないか。異文化理解、異種族理解というやつだ〉


 「ならば、どうして自らを増やそうとするの? 別に積極的に子どもを増やそうとする必要はないじゃない?」

 愚問だと口に出しながら絵里は思う。

 本能だと言われたら、それで話はおしまいである。


 〈確かに本能の一言で終わってしまいそうな話だな。だが、それだけでもないようなのだ〉


 「どういうこと?」


 〈私の子どもたちは単体ではあなたがたのような知能を持ち得ない。私自身も似たようなものだ。数があって初めて自我を保ちうるのだ〉

 彼らは一定範囲内にいる集団で思考するのだという。

 絵里は教養科目で習った「分散コンピューティング」という言葉を思い出す。女王をとりまく成体たちは女王の処理能力を向上させるのだろう。


 〈なかなか良いたとえかもしれないな。そう、一定範囲内の子どもたちの数が増えれば、私はさらに賢くなることができるのだ。私はもう無知の暗闇の中に戻りたくないのだ。学問というものを志すものであるならば、私の気持ちはわかってもらえるだろう?〉


 「でも……」

 絵里の抗議を無視して女王は続ける。

 

 〈あなたという宿を借りることで、私はこの世界をもっとよく知りたいと思うようになった。好奇心、知識欲、それが今や私を突き動かす衝動となっているのだ。こういってしまうと、確かにあなたのせいだということになるだろうな〉


 やはり何もかも自分がいけなかったのではないだろうか。

 絵里は天井を向く。

 

 「私がここにこなければ……。私が調査なんてしなければ……。私が……」

 

 死んで責任が取れるわけではないが、自分が生きていてはならない。

 かといって、「同居人」のせいで絵里は自分自身を傷つけることができない。


 誰か他者の手にかかって死ぬのならば……。


 せめて、愛する男ともう一度話したい。

 いっそ、彼の手でこの苦しみを終わらせてもらいたい。

 絵里はそう思うのだった。


 〈お前の恋人がお前を殺してくれるとでも思うのかね。私はそうは思わない。いつか彼と対面することがあったら2人で賭けでもしようではないか?〉

 女王は心のなかで絵里に微笑む。

 

 ◆◆◆


 夜、後東と話をしているときのことだった。

 見張りをしていた老人が後ろから首を閉められて気絶したことに絵里は気がつく。

 おそらく他の者たちも瞬時に気がついたことだろう。


 すぐにあたりが騒がしくなる。


 ほどなくして恋人が現れる。

 泥に汚れたやつれた顔、それでも再会できて絵里は嬉しかった。

 恋人が無事で嬉しかった。


 部屋にいたカンヨコの米子が年齢からはありえないすさまじいスピードで彼に襲いかかる。

 それでも彼は冷静に米子を退けると絵里と後東に呼びかける。


 「さぁ、2人とも行こう! 今度こそ逃げ出すんだ!」

 時間がない。あいつらはなぜか気がつく。恋人はそう言う。

 確かにその通りなのだ。


 後東が恋人に向かって言う。


 「矢車さんもこちらに来ましょう。大丈夫ですよ」


 恋人の顔に驚愕が浮かんでいるのがわかった。

 

 「1人で逃げて。追わないで」

 絵里は精一杯の誠意を込めて言った。

 本当は殺してと言いたい。しかし、今は無理だろう。

 無理なことを要求して彼を危険にさらすより、彼が無事逃げてくれたほうが嬉しい。


 人々が集まってくる。


 別の手を考えるからと言いながら彼は去っていった。


 「追わないって言ったくせに」

 絵里は涙ぐんだ。


 〈やはり、良い恋人だな。是非とも話してみたいものだ〉


 追手が出る。

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