19 カンナノカミ

 矢車大樹やぐるまたいじゅは夜闇に乗じて人の集まる神社とカンヨコの敷地を監視していた。

 日中は人目につきやすい。

 だから夜に動く。

 幸いなことに彼はそこそこに夜目がきく方だった。

 また、夜、神社でたかれるかがり火やカンヨコの敷地の明かりは闇に潜む大樹からは絶好の目印となった。


 彼は闇の中で息を潜めて光を見つめ続ける。

 今夜は獣のうなり声がしない。

 以前近くでそれを聞いたときは、襲われては位置がばれるとひっそりと退避したのだ。


 遠くに老人たちに囲まれて若い女性が2人、神社に連れて行かれるのを見た。

 片方は絵里でもう片方は後東だろう。


 老人たちは白い斎服姿である。

 またなにかしらの「神事」が繰り広げられるのだろう。

 絵里は虫迎え神事のときと同じ巫女服姿、後東は白い着物に着替えていた。

 うつむいて歩く2人の表情は距離もあってわからないが、2人とも足取りは確かなようだった。


 時間をおいていいものだろうか。

 時間をおけば、2人の身にも何かよからぬことがあるのではないか。


 大樹は自問自答する。

 正しい答えはわからない。


 大樹はそのまま飛び出したい衝動に駆られたが、なんとかして我慢する。

 ここで乱入しても2人を助け出すことはできない。

 すぐに制圧されておしまいである。


 〈そもそも残りはどこに行ったのだ?〉


 大樹は観察を続ける。

 残りのゼミ生と市野井は出てこなかった。


 〈彼らに何かしらあった……〉

 大樹は歯をくいしばる。

 くいしばっていないと叫びだしそうだった。


 起きた時にすでにいなくなっていた市野井はともかく残りの3人に関しては、彼の指示で動いたのだ。

 そして、今、いない。


 〈巻き込みたくないと思って別行動をとってもらった。でも、その実、単純に足手まといになる彼らを、俺は無意識に切り捨てたのではないだろうか〉

 彼らの姿が見えない。

 その結果は大樹の自己保身的な言い訳を封じ、自身の中の利己的な欲望を彼に見せつけるようなものであった。


 〈俺は利己的な人間だ。そんなことはわかっていることじゃないか〉

 首をふり、歯をくいしばる。

 そうしてようやくのことで耐える。


 〈今しなければならないのは、2人の居場所を確かめること〉

 大樹は汚れた顔を手で拭うと、身を潜め、自己嫌悪の気持ちに苛まれながらもそれを飼いならそうとする。


 集落の人々が神社に移動したのを見計らって、大樹はカンヨコの敷地に移動する。

 絵里の寝起きしているらしきところはすぐに見つかった。


 縁側に面した部屋、開け放したふすまの向こうに彼女の荷物とたたまれた服を目にした。

 誰もいないことを確認し、再び暗がりに戻る。

 閉じ込められていなくて良かったと思う反面、どうしてこのような誰でもアクセスができる場所に彼女を置いておくのかといぶかしむ気持ちもあった。

 

 〈絵里をエサに俺をおびき寄せて始末しようとでも思っているのか?〉

 警戒心のなさと用心深さが奇妙に同居しているかのような集落の人々、その思考原理を推し量ることができない大樹は混乱する。


 大樹が闇の中で混乱している間に神社では何かしらが終わったようだった。

 彼は息を潜めて敷地の外に出る。

 

 〈救出は人が少ない時におこなうべきだ〉

 彼は彼女を連れてすぐにでも逃げ出したいという気持ちを抑える。

 この気持は焦燥と蛮勇、彼の理性は少なくともそう判断していた。

 元いた場所まで戻ると大樹は再び息をひそめて観察をはじめる。


 神社から人々が出てくる。

 絵里と後東も出てきた。

 後東の着物はところどころ赤く染まっていた。

 ただ足取りを見る限りは、彼女が怪我をさせられたようなことではないらしい。

 絵里は相変わらずうつむき気味に歩いていたが、後東は上を向いていた。

 かがり火に照らされた彼女の顔が笑っているように見えた。

 だが、それは遠くから見たゆえの見間違いだろう。

 大樹はそのように判断する。


 闇に紛れて彼は退散する。

 おそらく誰にも気づかれていない。


 ◆◆◆


 日中、大樹は集落から少し離れた藪の中で隠れている。


 少し仮眠をとってから、彼は味のない袋ラーメンの硬い麺をかじる。

 あまりの味気なさに最初は粉末調味料をまぶして食べてみたが、塩辛くて喉が渇くのでやめた。

 飲料も食料同様に拝借してきている。

 そうはいっても水は食料以上に貴重だ。

 だから無駄に喉の渇きを促進するようなことはしたくなかった。


 〈カンナノカミか〉

 大樹はこの神社に祀られているという正体不明の神の名に思いを馳せる。

 自分の判断について考えはじめると、自己嫌悪にさいまれて耐え難くなるからである。自己嫌悪で潰れそうになるのは今でなくても良い。あとでいくらでも懺悔する時間はあるだろう。大樹はそう自分に言い聞かせている。

 

 〈正体不明の神様を中心とした怪しげな集団か。これは本当にネットやワイドショー向きの話だな〉


 絵里の卒論では、確かこの神は文献に出て来ない正体不明の神であったはずだ。

 彼女の卒論のテーマはこの神ではなく、あくまで神事のほうだったし、それ以上の手がかりもないということでこの神については深く掘り下げられていなかったし、投稿論文では脚注で少し触れられているだけであった。


 論文には思いつきを書くことはできない。だから決して記されることはなかったが、絵里はカンナという語が古語でヤドカリをあらわす語なのではないかとかつて話していた。

 

 「でも、海のない山村にヤドカリはいないよね」

 直感的な思いつきに自信はあるが、うまく説明がつながらない。そう絵里は話していた。

 

 「でも鬼を身に宿すというのは鬼に体を貸すからヤドカリみたいだなって」


 結局、彼らは何をしているのだろう。

 神事とは何なのか。

 大樹は目をつぶりながら考える。


 暗くなるまでまだ時間はある。

 もう少し仮眠をとっておくことを決めた大樹はカンナノカミを頭から追い払う。


 ◆◆◆


 翌晩、大樹は夜闇にまぎれて再び神社とその横にあるカンヨコの敷地に近づく。。

 今日は昨日と比べて暗い。

 神社のかがり火はたかれていないからだ。

 カンヨコの敷地の明かりも昨晩に比べると控えめだった。

 一方、集落の他の民家にはぽつぽつと明かりが灯っていることを大樹は確認していた。

 

 これが意味するところは明白だった。

 人々は全員でないにしても家に戻っており、カンヨコの敷地も手薄になっている。

 絵里を救い出すのに絶好の機会であった。


 〈俺もほどよく汚いから暗いところでは見えづらいだろうな〉

 大樹は泥を塗った自分の頬を撫でる。

 

 〈これだと汚いと怒られそうだ〉

 恋人に会うのに小汚いを通り越して汚いというのはどうしたものか。

 〈無事に帰ったら……〉

 冗談として披露しようと大樹は思う。


 カンヨコの敷地の入り口には1人、見張りがいた。

 老人が1人、タバコを吸いながら椅子に座っている。

 煙の向きからかすかにふく風が大樹の方から老人の方向に流れていることを大樹は把握する。


 〈においでばれやしないよな〉

 タバコを吸っているくらいだから、自分の体臭が相手に届くようなことはないだろう。

 それでも少しどきどきする。


 老人はタバコの火を地面で消すと、吸い殻を携帯用灰皿に入れる。

 そして、胸元からもう1本タバコを取り出している。

 

 風向きのおかげか、老人は大樹に背を向ける。

 彼が背中を丸めてタバコに火をつけようとしているところに、大樹は後ろから忍び寄る。そのまま頸動脈を絞める。

 老人を絞め落としたと思ったらとたんに屋敷の方が騒がしくなった。


 「おい! サワのタイチが落ちたぞ!」

 

 大樹は混乱する。

 この老人が「サワのタイチ」かどうか、大樹は知らない。

 しかし、このタイミングで屋敷の別の場所で誰かが偶然「落ちる」訳がない。

 

 〈こいつら化け物か〉


 老人を絞め落とす時に、音は出なかった。

 悲鳴があがったわけでもない。大きな物音を立ててもいない。

 今も大樹が絞め落とした老人はぐったりとしている。

 テレパシーが使えるか意識の共有でもしていない限りありえない話だ。


 大樹は混乱のあまり、何をすれば良いのかわからなくなる。

 結局、彼は強行突破することを決意する。


 幸いなことに人の数は多くないようで、彼は2人の老人を庭でなぎ倒して縁側にたどり着く。

 

 大樹は縁側に駆け上がって恋人の名を呼ぶ。

 彼の叫びに呼応したのは恋人ではなく、この家に住む老婆であった。


 「うちのだんな、投げ飛ばしたね? あんなのでも死なれたら困るでねー。年寄りは大切にしろって習わなかったかねー!」

 カンヨコの米子がナタをぬいた。

 見てくれは年寄りだったが、動きは素早かった。

 その丸まった背中と小柄な体が突進してくるのはさながら猿のようであった。


 大樹は米子に答えず壁の方に蹴り飛ばそうと試みる。

 ましらのような動きで突進してきた老婆は大樹の足をかわしてナタをふりかざす。


 なんとかナタの一撃を交わした大樹は老婆の腕をとってそのまま肘をきめて倒す。

 肘と肩を負傷した老婆はそのまま大樹に絞め落とされた。


 大樹は部屋で座っている絵里と後東に声をかける。


 「さぁ、2人とも行こう! 今度こそ逃げ出すんだ! 時間がない! あいつらはなぜか気がつくんだ!」


 「矢車さんもこちらに来ましょう。大丈夫ですよ」

 後東が信じられないようなことを言う。


 「何を言って……」

 大樹はあまりの出来事に言葉をうまく紡ぎ出すことができなかった。

 

 「1人で逃げて。追わないで」

 絵里までもがよくわからないことを言う。


 人々が集まってくる。

 今ここで2人をかばいながら逃げることは不可能だ。


 「別の手を考える。きっと助ける!」

 大樹はそれだけ伝えると闇の中に戻ろうと駆けぬけた。


 老人たちが統制の取れた動きで大樹を追う。

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