21 謁見、そして甘美な口づけ

 布団に寝かされているようだった。

 矢車大樹やぐるまたいじゅは寝返りをうとうとしたところで体の異変と痛みに気がつく。


 足が縛られているようで自由に身動きができない。

 手は縛られていないが、少なくとも片手は折れているようだった。

 顔も胸もひどく痛む。

 ただ、傷は手当されているようだった。折れた腕も添え木らしきもので固定されている。

 

 〈ここはどこだろう?〉

 彼は顔を動かす。

 顔も手当をされたのかガーゼがあてられている。

 折れていない方の手でガーゼをなでる。

 血を吸ったガーゼがずるっと滑って外れた。


 「そろそろガーゼ交換しないといけないね」

 聞き慣れたややハスキーな声がした。

 大樹の視線の先には彼の恋人が目にうっすらと涙を浮かべ座っていた。


 「おはよ。って言っても今、夜だけどね」

 浴衣姿の絵里が舌をぺろっと出す。

 彼女がふざけるときによくやる仕草だった。


 「僕は……かっこつけたこと言って捕まってしまったわけか」

 大樹は絵里に「ごめん」と謝る。


 「謝らなきゃいけないのは大樹さんじゃなくて、私だよ。皆に謝らないといけないの」


 「君は謝る必要なんかない。何があっても僕は君のそばにいる。何があったって僕は君のことを第一に考える。どんなときでも僕は君のために最善を尽くす。だって君が一番だから」

 普段は決して言わないようなセリフが大樹の口からすらすらと出る。


 「なに? それ? 大樹さん、臭いよ」

 絵里は自分の鼻をつまむと手をふりながら笑う。泣きながら笑う。

 大樹も涙を流しながら笑った。

 涙は傷の痛みが原因ではなかった。

 

 涙を拭ったあとに聞こえてきた声は絵里の声であって絵里の声ではなかった。


 「さて、そろそろ私に話をさせてくれ。はじめまして、矢車大樹さん」

 絵里の声でありながら絵里が発したのではないと確信させる言葉に大樹はぎょっとする。

 驚愕のあまり、彼は答えることができない。


 「私は六井絵里さんと共に生きる者。私の名前は呼ぶ人によって異なってくる。カンナノカミなどと呼ばれていることもあったが、彼女は私のことを女王と呼ぶ。だから、あなたもそう呼ぶと良い」

 

 「はじめまして、女王。陛下等の敬称は省略させてもらいます。この騒ぎの首謀者ということで良いですか?」

 大樹は聞き返す。

 仕組みはまったくわからなかったが、カンナノカミというこの集落の神社に祀られている神の名を出すところから、この地に由来するものであろう。

 それが絵里の体を借りて喋っている以上、今回の騒ぎに女王とやらが関わっているのは間違いない。


 女王は絵里の姿でうなずく。

 「絵里からあなたのことはよく聞いている。彼女の言う通り、頭の回転も速そうだ。それに腕っぷしも強い。タニミの作治を退けるとは思わなかったよ」

 作治の最期を思い出す。彼がこちらを見つめていたあの目は大樹が人殺しであることを思い起こさせる。


 「まさかクマまで襲いかかってくるとは思いませんでしたよ」

 作治のことには答えずにそのあと起こったことに話をもっていく。

 大樹は自らの中にひろがっている不快な気持ちを相手に見せないように少し笑ってみせた。

 笑うと口や顔が痛む。

 大樹はすぐに顔をしかめた。

 恋人の体を用いて話す別の存在は顔をしかめる大樹を気にせず話を続ける。


 「驚いただろう。以前に捕獲したものを養育しておいたのだ。まぁ、ここらへんは私がやったというよりも、集落の者たちが私と私たちのために工夫をこらしてくれたというべきだがな」

 

 「そもそも、どうやってあれを動かすのです。クマの調教とか……サーカスの玉乗りとかくらいでしょうに」

 大樹は自分の考えを外に出すことができない。

 考えを出して、それが認められることが怖かったのだ。「妄想」と一蹴してもらえるだけの自信がなかったのだ。


 大樹を無視して、女王は話を変える。それは彼に対する提案であった。 

 「端的に言おう。あなたは私に、六井絵里に仕えないか? そうすれば彼女は長生きできる。先程言っただろう」

 女王は大樹に自分自身の種の生態について説明をおこなう。


 「鬼宿し 村のためよと 舞い狂ひ……」

 大樹はこの村に伝わるという詠み人知らずの歌をつぶやく。

 女王がうなずくなか、大樹は下の句を続ける。


 「我が身もろとも 神に捧げん、ですか……。虫を宿し、虫とともに生きる人々」

 大樹は絶望的な気分になる。

 自分の「妄想」として一蹴してもらいたかったことが、かなり正しく、また自分の予想よりも事態がはるかに悪かったからである。


 〈こいつらの繁殖力がもっと強ければ、俺たちも虫を宿すことが最初から当たり前だったなら……俺は苦しまないで済んだだろうに。こいつらの繁殖力がもっと弱ければ、俺たちが来る前に村ごと滅んでいてさえくれれば……俺は苦しまないで済んだだろうに……〉

 大樹は目元を拭う。

 

 「女王の代替わりがあなたの言う通りに行われるのならば……彼女は次の大祭で死ぬということですよね」

 女王がうなずく。


 「ただし、それはあなたが工夫をこらせばずっと先に伸ばすことができるだろう。器として絵里と比べようもないくらいに凡庸であった吾郎でさえ60手前まで生き続けることができたのだ」

 女王の言葉に大樹は直接答えなかった。

 彼は女王をぼんやりと見ながらため息をつく。


 「王は死んだ。王様万歳Le roi est mort, vive le roi、金枝篇ですか」

 大樹は苦笑する。


 「そう、絵里も同じようなことを連想したよ。まぁ、彼女はその書籍を実は読んでいないらしいがね」

 女王が笑う。


 「まぁ、あんなのはマニア向けの古典なので、私みたいなオタクが読むくらいでちょうど良いんですよ。それにしても……」

 大樹はぼうっと天井を見つめる。

 そして、絵里の姿をした女王という存在に目を戻す。


 「彼女は罪の意識にさいなまれながら日々を過ごす。そして、いつかやってくる自分の後継者に殺されるというわけですか……。ふざけてんじゃねーぞ!」

 大樹の怒声に女王は動じずに答える。


 「だから、あなたが彼女の、そして私の騎士になれば良い。あなたが彼女を守り、我らの力が増し続ける限り、彼女はあなたとともに老いていくことができよう」


 「そんなことしたって、どうなるんだ? ただの時間稼ぎでしかないだろうがっ!」

 大樹はタタミを思い切り叩いた。

 体が痛むのも気にならなかった。いや、感じなかった。


 「どこまで彼女のために時間稼ぎができるか、あなたが全てを捧げて取り組めば良いだろう。それとも他に選択肢があるのか? あなたが拒否したら、彼女は救われるのか?」

 女王の言葉に大樹は返事ができない。

 大樹は鼻をすすると、女王に願った。


 「少しだけ絵里さんと話をさせてもらえませんか?」

 女王は「よかろう」と鷹揚おうように答えた。


 喋っているわけではないが、今、目の前にいるのが絵里本人だと大樹にはわかった。

 目に涙を浮かべる彼女のもとににじりよると、大樹は彼女の手を取る。

 大樹は自分の指に彼女の手の形を覚え込ませようとするかのようになで続ける。


 「絵里さん、君は辛いんだよね。自分が皆を巻き込んでしまったことが辛いんだよね」

 大樹は絵里の目を見つめる。

 絵里がうなずく。


 「人が死んだことも自分の責任と感じてしまうんだよね?」

 再び絵里がうなずく。


 「僕はさ、今回のことで君が責任を感じることはないと思うんだ。君なら、とめられる機会があったならば絶対に食い止めようとするだろ? それなのに何も動いた形跡がない。それは君にはどうしようもなかったことなんだ」

 大樹の言葉に絵里が微笑む。


 「大樹さん、なんか女王と同じようなこと言うね」

 絵里の言葉に大樹は頭をかく。

 頭にも傷があったことに気がついたのは、頭に手をやってからだった。

 彼は痛みに顔をしかめながら続ける。


 「たとえば、僕も人をあやめてしまった。たしかにね、うなされるだろうね。でも、自分の身を守るためだった。それに君を助けるためなら何でもするって思ってるからね。だからね、後悔してないんだ」


 「もちろん、僕は知っているさ。僕がなんと言おうと責任を感じずにはいられないことを」

 絵里はタタミを見つめながら、大樹の言葉を聞き、うなずいた。

 大樹はゆっくりと息を吸う。


 「君は本当に不思議な考え方をするね。それはそれでかわいいところだけどね」

 大樹はにやりとと彼女に笑いかける。

 絵里が目に涙を浮かべながら笑みを返す。


 彼女の頬をなでる。

 〈ひんやりとした頬、この指にまとわりつく頬〉

 口づけをし、それから、もう一度彼女の頬をなでる。

 〈君は本当に愛らしい〉

 そして、その手をそのまま彼女の細い首までおろしていく。


 片手が折られていてもなんとか彼女の首をつかむことはできた。

 そのまま彼女の細い首を強引に絞める。絞め落とすのではなく殺意をもって力をこめる。

 絵里が涙を流す。

 大樹はそれを感謝のサインと受け取った。

 

 「わかってる。わかってるよ」

 恋人の頬を伝う涙に大樹の涙が混ざり合う。

 どたどたと足音がする中、大樹は恋人の首を絞め続ける。

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