16 愛の巣

 目の前で知り合いが撃たれた。撃った一味に自分たちも捕まり、監禁されている。

 どこからどう見ても極限状況の悪夢である。

 それにもかかわらず与田剛よだたけしは実のところ幸せすら感じていた。

 

 座敷牢は狭かった。

 だが、それは同じ場所に監禁されている後東佳波ごとうかなみ、いや佳波との距離が近くなることでもある。

 同じときに食事をし、並べて敷いた粗末な布団に潜り込み、彼女の寝息に耳をすます。

 剛にとって、この座敷牢は新妻にいづまとともに過ごす新居のように感じられたのだ。


 距離が近いということは彼女の一挙手一投足どころでなく、彼女の全てが微細にいたるまでわかるのである。

 剛は彼女のニオイをかぎ、彼女の放つ音を全て聞いた。

 清潔さを保つには難しい環境であったが、剛は彼女の放つニオイに興奮をおぼえることはあっても不快に感じることはなかった。


 「ごめんね、お手洗い。向こう向いててくれる」

 佳波が言う。


 「布団かぶってあっち向いています」

 剛は答えると布団を被り、ついたてと反対側を向く。

 のぞきたくてたまらないのだが、ここでのぞくと「見るなの禁忌」に抵触する。

 「見るなの禁忌」とは古今東西の伝承でよく見られるモチーフである。

 記紀神話のイザナギの黄泉の国訪問譚しかり、鶴女房しかり、旧約聖書のロトの妻しかり「見るな」と言われたことを守れない者に幸福な結末は訪れない。


 剛はそのような愚はおかさない。

 〈自分たちの幸せな生活はまだ始まったばかりだ〉

 剛は耳をすまし、鼻からゆっくりと香りをすいこむ。


 食事は質素なものであったが、腹が減らない程度には出された。

 外の光が差し込まないこの場所ではあったが、時計代わりのスマホを見る限り1日2食は出すつもりらしい。

 小さなちゃぶ台の上で佳波と2人で向い合せで食べる。


 〈昔の映画に出てきそうな風景だ〉

 

 「このタクワンおいしいですね。自家製なんですかね?」

 剛は佳波に話をふる。

 佳波は短く「そうかもね」とだけ答える。


 〈照れているのかもしれない〉

 照れて自分の気持ちを素直に出せないのは愛らしいが、かわいそうでもある。

 ならば、自分がリードしてやらないといけないと剛は張り切る。


 「佳波さんは料理とか得意? 僕は和洋中、好き嫌いないからね。今度作って欲しいな」


 「今度があればね」

 相変わらず返事はそっけない。


 〈照れ屋なんだな。佳波は〉


 「今はここから脱出することを考えないといけないんじゃない?」

 佳波の発した「脱出」という言葉を剛は2人で外に出たいという希望なのだと解釈する。


 〈新婚旅行に行きたいんだね〉 

 照れて言い出せないのだろう。

 剛は佳波を愛おしく思う。


 「佳波はどこに行きたいの?」

 問いかけると佳波は目を丸くして、剛を見る。


 〈願っていたことを見透かされちゃってびっくりって感じだな。佳波の気持ちなんてお見通しだよ〉

 剛はタクワンをばりばりとかじると、ごちそうさまと手を合わせる。


 ◆◆◆


 バケツと手ぬぐいが運ばれてくる。

 バケツには湯気の立つお湯が入っている。


 「こんなとこ閉じ込めてて申し訳ねーけどな、もう少し辛抱してな。ほれ、せめて、お湯で体きれーにしてな」


 剛は差し入れられたバケツを佳波に渡す。

 佳波の体臭は剛にとってはとても魅惑的なものだが、佳波自身は恥じるところがあるらしい。

 恥ずかしそうに言う。


 「私、先に体拭かせてもらってもいいかな? 臭いし……」

 剛はにこにことしてうなずく。


 「ごめんね。しばらくあっち向いていてくれる」

 剛はだまってうなずくとついたてと反対側を向く。


 服をぬぐ音がかすかに聞こえる。

 上を脱いで、下を脱いで、下着は上下どちらから脱ぐのだろう。


 〈そもそも、どうして僕は見ないでいるのだろう。彼女は恥じらいながら誘っているだけではないか〉

 そこまでされて何もしないのはむしろ彼女に失礼ではないか。

 ならばしっかりと誘いに乗るのが夫としての務めである。

 剛は自らが達した結論にそって行動することにした。そこに迷いはなかった。


 振り返ると、壁際を向いて体を拭く佳波のうなじが見える。

 うなじの白さに剛は自分の考えが正しかったことを悟る。妻に恥をかかせるようなことを今までしていたことが恥ずかしかったし、申し訳なかった。


 〈女性に、ましてや佳波に恥をかかせるなんてことはしてはいけない〉

 ついたてをのける。

 白い背中。


 佳波は振り返ると大きく目を見開く。


 「何してんの?」

 反射的にしゃがみこんで逃れようとする。

 その姿を見た剛は自分が床に誘われているように感じる。

 剛を制しようと佳波が呼びかける声は鋭いものであった。

 しかし、剛には甘いささやきのようにしか聞こえない。


 「触らないで! ねぇ! あっち行って!」

 佳波の目に涙が浮かぶ。


 〈嫌よ嫌よも好きのうちってか。それも嬉し泣きでばればれだよ。本当にかわいいな、佳波は〉


 「わかったよ、佳波。でも、僕らの仲じゃん。別に裸だからって恥ずかしがらないで良いんだよ」

 佳波の目が愛らしく大きく開かれる。そのように剛は見えた。彼が汲み取った相手の気持ちは「歓喜」である。


 「佳波、僕、はじめてだけど、ちゃんとやりかたわかってるから大丈夫だよ!」

 剛はジーンズを脱ごうとして、転ぶ。

 転んだ剛を後東佳波が思い切り蹴り飛ばした。

 足は剛の股間にあたり、彼は悶絶する。


 剛は悪夢のような現実を甘い夢でコーティングしていた。

 そのコーティングが痛みで剥がれおちる。


 甘い夢と悪夢が混ざりあう。

 

 「おい! なんだよ? そっちから誘っておいて何するんだよ? これまでも散々別の男とやってきたんだろ? おい! 減るもんじゃないんだからよ、死ぬかもしれないんだ。思い出ぐらい作らせてくれよ!」

 目の前にいる女性は妻だったか、恋人だったか、ただの知り合いだったか、どれが正しいかが剛にはもはやよくわからない。


 後退りする佳波の裸身を血走った目で凝視しながら、剛はのしかかる。


 「やりかたはわかっている」と見栄をはった剛であったが、そのようなものは実のところわかっていなかった。

 ただ乱暴に欲望にまかせて相手の体の上にのしかかり、まさぐろうとする。

 彼は男性としては小柄であったが、それでも後東佳波よりは体格が良かったし、力もあった。

 

 体を返して這って逃げようとする佳波に剛はおおいかぶさる。

 

 「はっ! すぐに僕のとりこにし……」

 言いかけた剛に佳波が叫ぶ。


 「いやらしい! いやらしいその目がいや!」

 佳波は剛に組み敷かれながらも、何かを剛の顔めがけて突き出す。


 剛の目が熱く燃える。

 佳波の裸身の見納めだった。

 目を熱く燃やしながらも、佳波の体に触れようとする剛のいろいろなところが熱く燃えていく。


 ◆◆◆


 「近頃の若いわけーもんは本当に物騒だな」

 

 「ババァどもが箸ちゃんとかたさねーから」


 「こいつはどうするよ? もうとこぐらいにしかなんねーぞ」


 「いいだろ、とこで。ムーンにカミサマまわすのにもう少し肉あったほうがいいしな」


 「だから、ポチって言うてるだろ」


 「どっちでもえーだろ。あの娘っ子だけじゃ足りねーわ」


 「それにしても逃げねーでいてくれたら、仲間にしてやれたのになー」


 「なんだ、兄ちゃんはああいうのが好みかね。俺はボインちゃんのが好きだけどねー」


 「おめー自分の年考えろって」


 ◆◆◆


 剛は何も見えなかった。

 頭が割れるように痛かった。

 激痛で気を失ったかと思うと、すぐに目が覚めるようだった。


 〈痛い痛い痛い〉


 悲鳴をあげようにも喉をうまく開くこともできない。

 そのような剛にややハスキーな声がかけられる。


 何も見えないが誰かが泣いているようだった。

 泣いていた人は剛の体にそっと触れる。

 ひんやりとした手。やさしい手。


 「与田くん、かわいそうに」

 

 剛は何かを口移しで飲まされる。

 それはとても甘美な体験であり、剛の苦痛を和らげてくれるものだった。

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