09 祭と直会

 〈虫迎えとかはともかくとして、神楽はちょっと変わっているとはいえまぁ神楽だな〉

 新納進にいのすすむはこのようなことを考えながら、三脚の横で頬をこする。寒気にさらされた頬が少しだけあたたかくなる。

 撮影といってもあちらこちらに激しく動くようなものではないので、カメラを動かす必要はほとんどない。ビデオカメラの画面を確認しながらちゃんと動いているかを確認できれば良い。

 楽な仕事であるが、寒い。じっとしていなければならないから余計に寒い。

 

 拝殿はいでんの土間部分の真ん中には大きな湯釜ゆがまがしつらえられて、中でぐつぐつと湯が煮えている。

 火を焚いているぐらいだから、暖かくなっても良さそうなものだ。

 実際、外よりは暖かい。ただ、時折、舞い手が手にした枝で湯を振りまくので、その飛沫しぶきを浴びてしまうとかえって身体が冷え込む。


 〈カメラのほうにはまかないぐらいの気遣いはできないもんかね〉

 進は心のなかで毒づく。

 ビデオカメラは防水仕様で少しくらい水を浴びても問題ないが、舞い手たちはそのようなことを知ってて浴びせてきてるわけではないだろう。カメラが防水仕様でなくとも関係なく湯をふりまくに違いない。


 神楽は一続きの物語を持つものであった。


 最初はおきなの面をかぶった斎服の男が1人で待っていた。

 その周囲で複数の鬼面が舞い始める。

 

 神楽は霜月神楽とか湯立神楽と言われるものであった。

 屋内で鬼の面を被った舞い手たちが反閇へんばいという独特の足踏みをしながら舞い踊る系統の神楽は長野や愛知、静岡の山間部、いわゆる三信遠と民俗学者たちが呼称してきた地域で見られる。

 ただ、被っている面は三信遠でおこなわれているものより小ぶりでどちらかというと能面をそのまま流用したようなものであること、鬼が神主と同じ斎服を来ている点などで名の知られた霜月神楽とは似て非なるものであった。


 翁面は鬼面たちに囲まれながらもひとしきり舞うと、面を翁から鬼の面に付け替える。

 それと同時に鬼面の舞い手たちは拝殿から退場していく。


 「鬼を神主がその身に取り込むのです」

 六井絵里がそのようなことを発表で言っていたことを進は思い出す。

 「書き方に気をつけなくてはいけませんが……」

 と言葉をにごしたあとに「外部からの力を取り込む、あるいは外部からの人間を生贄として村の力の更新をはかった祭祀」かもしれないとも言っていた。


 〈外部からやってきた鬼をとらえ、神に捧げる人身御供ひとみごくう、か〉


 進はゼミでの六井の発表を思い出す。

 あのときは真面目に聞いていなかったので、印象に残った部分以外はしっかりと憶えていない。

 六井は基本的に誰とでも分け隔てなく接してくれるタイプなので、進が興味をもったと言いさえすれば、整理した資料や写真をいくらでも見せてくれたであろう。

 しかし、進は言えなかった。


 〈人身御供ひとみごくう〉とかあるわけないだろ。鬼を食うから鬼食おにくい村、それが忘れられて和仁杭おにくい村? こんなベタな変え方で忘れてるとかないだろ? 音そのままなんだぜ〉


 妬みと負け惜しみから、進は六井の論をまったく信用しなかった。国立大を目指していた自分が私立文系の彼女に遅れを取るなどあってはならなかった。

 だから、今回の調査で六井の説が大幅に崩れるようなことが出てくれば良いと思いながらビデオカメラをまわしている。


 「新納先輩、おつかれさまです。そろそろ代わる時間ですから」

 カメラをまわす進の横にやってきた三田菜々子が小声で交代を告げる。


 〈三田はいい子だ〉

 進はぎこちない笑みで礼を言いながら思う。

 彼には女性との交際経験が一切なかったが、興味がないわけではなかった。

 女性の身体には興味があったし、恋愛もしてみたかった。

 ただ恋愛というのがどういうものなのか、進にはよく理解できなかった。


 彼のお気に入りのシチュエーションは、忘れられた集落で古代から伝わるという歌垣うたがきに紛れ込むというものだった。

 夜の帳降りる中、しがらみにとらわれずなされる情交。

 妄想の歌垣の中ではゼミの女子学生たちは誰もが性に奔放であった。あの六井でさえも進を求めてくるのだった。

 

 自身の欲望を吐き出し妄想から解き放たれたあとの進は決まって刹那的せつなてきではない恋愛にあこがれるのであった。

 真摯しんしに学問に打ち込む自分を受け止めてくれる人がほしい。

 自分の話を微笑みながら聞いてくれる人がほしい。

 進自身はそれを純愛だと思っていたが、他者から見れば己に都合の良い異性を求める打算とねじけた性欲の産物でしかないだろう。

 それゆえ、彼が恋愛に奥手であるのは自他にとって幸福なことであるのだが、進自身はそのことを当然知らない。


 彼は自身の幸せを知らないまま恐れるのだ。

 〈そうでなければ俺は……〉

 進は女性と縁のないまま年を取ってしまった狂人にして暴君、市野井を眺める。

 市野井を小馬鹿にすると同時に自分が同じような道をたどるのではないかと不安にも進はさいなまれている。

 

 〈帰ったら一度三田を食事に誘ってみようか。今回の調査でわかったことを色々と教えてあげれば彼女も喜んでくれるのではないだろうか〉

 彼は夢想しながら土間へと向かう。


 それにしてもこの老人たちの体力はたいしたものだ。

 太鼓と笛で神楽の伴奏をする老人は時折交代しているが、交代中何をしているかといえば、舞い手になるか、唯一の観衆である市野井ゼミ一行に酒を振る舞うかしているのである。


 「若いわけー人、こっちで暖まっていきなせー」

 土間の脇にしつらえられた畳敷きの部分から老婆が進に声をかけられる。

 市野井が横にいるので行きたくなかったが、声をかけられた以上無視もできない。

 進は軽く会釈をすると、畳の上にあがる。

 古ぼけた灯油ストーブの赤い光が冷えた身体を包んでくれる。


 老婆は「ちょっと待ってなせー」と言うと奥の部屋に入っていく。


 「しっかり撮影できているか?」

 そう問いかける市野井に進は「大丈夫です」と短く返事だけをする。


 老婆は盆を携えて戻ってきた。盆の上には湯気がたつ味噌汁の椀と握り飯の乗った皿、湯のみ茶碗が載っている。


 「寒かっただろ? これで少し暖まってな」

 老婆は進にけんちん汁と五目ごはんの握り飯を勧めてくれる。

 

 「ありがとうございます」

 ストーブのおかげで少し暖まったとはいえ、この寒さに外気の吹き込んでくる場所にいるのはきつい。

 進は礼を言って受け取る。

 けんちん汁が身体を中から温めてくれる。握り飯は暖かくはないが、しっかりと味がついていて美味かった。


 「おいしいです」

 礼を言う彼に老婆はにこにことしながらヤカンをかかげる。

 進の差し出した湯呑に湯気のたつ液体が注がれていく。

 湯気からは鼻を刺激するアルコール臭がただよう。


 「熱燗あつかんも飲んで暖まりなせー」

 進は湯のみ茶碗の中の液体を喉に流し込んでいく。

 アルコールが鼻に抜け、喉と食道を熱燗が温めていく。


 「僕、お酒はあんまり……」

 進は飲めない訳ではない。むしろ強い方であったが、酒をうまいと思ったことはない。

 

 「大丈夫でーじょうぶだ。無理しねーでえーからな」

 老婆はこのように言ってくれるが、ここにある水分はけんちん汁と酒しかなかった。

 

 〈夜通しの撮影はなかなか大変なことになるな〉

 進は覚悟を決めた。


 ◆◆◆


 外が白み始める頃、長かった神楽は終わった。

 「おこもり」の最中だという六井絵里はとうとう一度も外に出てくることはなかった。


 超人のような老人たちの顔にもさすがに疲れが見える。

 それでも彼らは動くのをやめない。

 てきぱきと直会の準備を始める。


 「大学でーがくの皆さん方も一緒に食べてくだせー」

 拝殿の奥の座敷のような場所に進たちは案内される。


 「君たちがこうして直会で席を設けて振る舞ってもらえるのは今回ぐらいのものだからな。ありがたくいただくんだぞ」

 いつものように市野井が余計な一言を吐く。


 老人の1人が「そんなことはねーですから」と市野井の言葉を否定する。

 市野井は一瞬ムッとしたような表情を浮かべたが、さすがに大人しかった。


 市野井が否定されたことに気分を良くした進はここで調査の練習も兼ねて老人たちと会話を続けることに決めた。

 〈俺だって調査ぐらいできる〉

 進は夏休みに調査の候補地をいくつか巡っていたが、人とうまく話すことができず難儀していた。

 ここの老人たちが気さくに話し相手になってくれるのは六井絵里のおかげだと思うと少し嫌な気分になるが、この際、目をつぶることにした。

 あまり真面目に聞いていなかったとは言え、六井の発表自体はゼミで何度も聞いた。

 だから、老人たちがはぐらかしてもそのことはわかりやすい。聞き取り調査の練習台としてはちょうど良い。


 「鬼というのは村にとって村にやってくる驚異であり、なおかつ村を守る力でもある。いわば両義的な存在というわけなのですか?」


 「リョーギテキ、兄ちゃん、難しい言葉使うなぁ。うん、難しいなぁ、鬼さんはまぁ……」


 「いや絵里ちゃんもな、同じ大学でーがくだわ。それも大学院生でーがくいんせーとか言うんだろ。学者先生せんせーになるような子だけど、難しいこと言ってるの聞いたことねーぞ」


 「まぁ、話してやるから兄ちゃん飲もうや」


 とても腹立たしかったが、練習台だ。進は自分にそう言い聞かせて猪口ちょこを差し出す。

 

 この村は外敵に狙われることが歴史的には多かった。

 今でこそ過疎地の集落だが、林業が盛んだったこの地はそれなりに裕福で人も多かったという。

 それゆえその富を狙う集団もやってくるのだが、それを退けたのがカンナノカミの力である。

 神は外からの敵である鬼を迎え入れ、自らのものとして取り込んだ。ときには敵でなくとも迎え入れ、取り込んできた。

 だからこそ、敵であろうと商人であろうと旅人であろうと、外からの定期的な来訪が村を栄えさせる。


 結局、六井の発表で聞いたことを確認したくらいで終わってしまう。


 〈六井は少し見てくれが良くてジジイやババアに好かれるだけだ。市野井みたいなヒヒジジイ、いやブタジジイのお気に入りでもあるしな〉

 進は心のなかで負け惜しみの言葉――本人にとっては正当な理由を出して、自分を納得させると、ぐいっと猪口の酒を飲み干した。

 少しぬるくなった酒が喉を通っていく。

 

 「兄ちゃん、飲めるなぁ。もっと飲みなせー」

 老人がニコニコして進の猪口に酒を注ぐ。

 進が酒に強いことは以前六井に褒められたことがある。

 「新納くん、お酒強いよね。祭事の調査とか飲みっぱなしになることあるから羨ましいよ」

 そのようなことを言われたことを進は思い出す。

 あのときは嬉しかった。

 そしてそれが今では妬ましい。

 ああやって人の懐に入るのが上手い彼女が心底妬ましい。


 今では村に人が来ない。

 そのようなことを嘆く老人たちを、

 「次回からは見物客がたくさん来て村興しにもなりますよ」

 と励ます。


 〈俺だっておべっか使って取り入るくらいやろうと思えばできる〉


 進は笑顔をつくって話を続ける。

 勧められた酒を飲み干す。


 徹夜の疲れ、酒、人とたくさん話したゆえに気づかれ。

 一番働いていないはずの市野井が真っ先に後ろにひっくり返って寝てしまった。

 

 「教授先生せんせーは寝てしまったか? 無理もねーことだ。俺らも起きてるだけでつれーもんな」


 「みんなも無理せんでえーからな。風邪引かないようにしてーてやるからな」

 そのような言葉の中、三田と与田も寝てしまった。

 進は直会が終わり、ムラザケーの吾郎の家に戻るまで耐えようと思ったが、無理だった。


 皆が意識を失っていく。

 それもゼミの者だけが……。

 どうして集落の者たちは眠らないのか。

 その理由を思考するだけの余裕は進にはなかった。

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