解・パンドラの瞳 -ロストテクノロジーの遺産-

第一話「日常」

「ああ……つまんない」


 あたしは机に頬杖をつきながらボソッと呟いた。目を細め、明後日の方向を眺めている。

 すると背後から、うんざりする声が聞こえてきた。


「駄目っすよ、先輩。せめて定時までは、ちゃんと仕事してください」

「わかってるわよ……」


 彼の名は西野にしの影虎かげとら。あたしの助手だ。

 もともと同じ大学の研究室に所属していた後輩で、その頃からあたしのことを『先輩』と呼んでいる。腐れ縁なのか、なんなのか。その後も職場で一緒になることは多かった。


 今あたしたちは、とある研究機関で国家機密レベルの研究を進めている。同プロジェクトに参加している科学者は全部で三十三名。それぞれが得意な専門分野のチームに配属され、別々の研究を進めていた。

 あたしと影虎は、ふたりだけのチームで動いている。理由は単純で、あたしひとりでも問題ない分野の研究を担当することになったから。それでも助手がいた方がいいだろうということで、今回もまた影虎があたしのもとへ配属されてきたのだ。


「──ていうか。なんで毎回毎回あんたがあたしの助手なのよ?」

「そんなの俺に言われたって知りませんよ⁉」

「……のど乾いた」

「…………コーヒー飲みます?」


 気分屋なあたしの無茶苦茶な言動に、的確に反応してくれる影虎のことは結構気に入っている。


 すると影虎が、についてあたしに尋ねてきた。

「そういえば先輩が熱心になっている例の『なんちゃらの瞳』ってやつ。あれ、どうなったんすか?」

「どうもなにも──進展なんてないわよ」

「夢中になることがあるのは良いことっすけど、あまり仕事に支障がでないようにしてくださいよ?」

「……わかってるわよ」


 そう──

 今あたしが夢中になっているのが、かつて都市伝説のひとつとして有名だった『パンドラの瞳伝説』である。


 今の仕事における研究は国家機密という重大なプロジェクトの一環であり、責任重大ではあるが別につまらないというわけではない。ただ今のあたしにとっては、それよりも『パンドラの瞳』のほうが遥かに魅力的な研究材料というだけの話だ。


 都市伝説というものは、基本的に噂やデマのたぐいが広まっただけでしかない場合が多い。だが、なかには本当の話も混じっている可能性はあるのだ。

 そして、あたしの推測では『パンドラの瞳』は実在している。



 パンドラの瞳──

 伝説によれば『赤い宝石のような輝きをした奇妙な石』とされており、おそらく有名なあの都市伝説がパンドラの瞳の伝承としては最古のものになるのだろう。

 他にもあたしが調べた限りでは、いくつかの情報の断片が世界には残されていた。

 たとえば、それらしき過去の文献や古文書、研究論文など。そういったものの中に明らかにパンドラの瞳の伝説と思われる内容が書かれていた資料もいくつか発見したのだが、結局それらにはさほど重要なことは記載されていなかった。


 しかしもっと別の場所にあったのだ。

 本当に貴重な情報が記された媒体というものは────。


 ときには映画として。ときには漫画として。ときには小説として。

 フィクションという名の皮をかぶり、それぞれの時代を生き抜いてきた作品たちの中に隠された真実の記録。

 それはまるで暗号のように何の変哲もない作品になりすまして、平然と我々の身近に潜んでいたのだ。

 その中でも特にあたしが注目したのは、宮田寿々みやたすずの小説作品『魔性ましょう花束はなたば』。


 あたしは、ボロボロになった『魔性の花束』の文庫本を手にしてほくそ笑む。

「ふふ。この本を手に入れるために、ずいぶんと苦労したわ」



 すると入り口の自動ドアが開き、突然プロジェクトの責任者が研究室に入ってきた。

 文庫小説を手にニヤついているあたしを見て、鼻をヒクヒクさせている。


「おい、弓削ゆげ! さぼってないで仕事しろ!」

「……げ⁉ ハゲ島!」

「誰がハゲ島だ! 上司に向かってナメた口利いてるとクビにするぞ、おまえ!」


 あたしとハゲ島、もとい原島教授はらしまきょうじゅの醜い口論は、次第にエスカレートしていく。


 あたしが強気なのは、別にクビになっても構わないからである。

 なぜならあたしはすでに名の知れた科学者であり、あたしの才能や知識を欲しがっている研究機関など山ほどあるからだ。フリーランスでやっていく実力も自身もあるのに、こんなアホな上司に頭を下げてご機嫌を伺うなど、そんな面倒な行為をすること自体に必要性を感じられないのだ。


 あたしが教授に噛みついていると、影虎が口をはさんできた。

「あの……教授。さっき先輩が持っていた本なんですけど。あれ、俺が先輩に読んで欲しくて渡したんすよ、さっき。だから……処罰なら俺が受けます」

「ほぅ……。言ったな、西野? だったら代わりにおまえが減給だ! いいな?」

「はい、すいません。以後、気をつけます」


 影虎が罪をかぶって謝罪したことで、教授は満足して研究室を出ていった。

 それにしても、いったい何をしに来たんだ。あの教授は。

 いくらあたしが傍若無人と言えども、影虎には悪いことをしたという自覚はある。しかし素直に感謝も謝罪もできないのが、あたしという人間なのだ。


「礼なんて言わないわよ」

「先輩がお礼言えないのなんて、俺知ってますから」

 影虎は悟りを開いたかのような笑顔をあたしに向けてから、そう口にした。そして何事もなかったかのように、自分の持ち場へと戻っていく。


 あたしは冷ややかな視線を影虎へ向けて小さく呟いた。

「…………あの笑顔。なんかムカつく」

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