第七話「ユニバーサル・ベーシックインカム」※後編に続く

 そのあと、しばらく他愛ない雑談をしてから山尾さんとお店を出た。

 別れ際、お店の前で言葉を交わす。


「今日はありがとうございました」

 彼女は私に深々とお辞儀をしながら、お礼を口にした。


 私も彼女に感謝を伝える。

「いや。私のほうこそ、いろいろと助かったよ。面白い話も聞けたしね」


 私は山尾さんと別れてから帰路につくと、歩きながらいろいろなことを考えた。

 もし彼女の話を聞いていなければ、私は会社に裏切られて人生が終わっていたかもしれない。そのことを思うと、怒りがこみ上げてくる。

 自分が生きるためとはいえ、大勢の人々を不幸に陥れてきた私には、お似合いの結末だったのかもしれないが、それでも諸悪の根源である会社の罪を、すべて私に押し付けられるのは我慢ならない。


 結局、私も山尾さんの話を聞いて会社を辞める決心をしたわけだが、仕事がなくなっても生活は続くわけで、今後どういう道を選択するかという意味において、私は非常に頭を悩ませていた。


 幸い山尾さんは学生時代にやっていたバイトで、そこそこ貯めこんだ貯金があるらしい。この国の経済状況は当時から苦しかったが、彼女は運よく知り合いのお店で雇ってもらっていたそうだ。

 彼女は「贅沢さえしなければ、仕事が見つからなくても数年は凌げる」と言っていたが、どちらにしろ山尾さんほどのスキルがあれば、遅かれ早かれ良い仕事が見つかる可能性は高い。


 問題は私のほうだ。

 私には、未来の可能性──ビジョンが見えていない。私もこれまでの仕事でコツコツとお金を貯めてきた。だから少しの間くらいなら生き延びることはできる。しかしすでに自分の才能と価値が明確にわかっている山尾さんと違って、今の私にはスキルも何もなければ、自分の価値すらもわからない。

 お金が尽きるまでに、何か稼ぐ手段を見出みいだせなければ、私の生活は破綻してしまうだろう。


 もちろん内容にこだわらなければ、こんな時代でもそれなりに仕事の求人は存在している。ただし、そのほとんどが無価値な仕事だったり、邪悪な仕事ばかりだが──。


 自らの利益のためには、世界を壊すことすら厭わない人だらけの社会。

 他人の足を引っ張り合いながら、必死にお金を奪い合うだけの醜い社会。


 お金のことしか頭にないから、環境問題や食糧危機などにおいても、真の解決などそっちのけで、ビジネスに利用することしか考えていない人たち。

 そして人類の未来を無視した価値のない有害ビジネスを展開して、自らの私腹を肥やそうと企む無能企業が日増しに増えていく。


 もちろん価値あるプロジェクトを掲げて、未来を創造しようと奮闘している企業もたくさん存在しているも知っている。

 だがいっぽうで、儲けることしか頭にない企業も多く存在していることは確かだ。


 ついさっきまで、私もその一員だった。

 誰かに危害を加えることで、自分の収益を得ていた醜い人間のひとり。


 ただ、何者かによって都合よく作り上げられたルールが前提にある以上、仕方ない部分もあるのだろう。大勢多数にとっては生きるだけでも必死なのだ。


 不平等に支配されたこの世界で生きているかぎり、私たちの多くは本当の意味で自由を手にすることは永遠にできないのかもしれない。人類も、地球も、一部の強欲な権力によって食い散らかされ、破壊され、滅亡への道を突き進んでいるように思える。


 だから、そんな世界で私が生きていくためには、結局これまでと同じように存在価値のない仕事によって、社会に迷惑をかけ続けていくしかないのだろう。

 だがそれでも私は、もう二度とあのような邪悪なシステムに組み込まれたくはないと願っている。

 私はもう──

 人の心を捨てたくはないのだ。



 決して埋まることのない理想と現実の隔たりが、私の心を出口のない迷路の深淵へと引きずり込んでいく。



 私は今の立場に置かれるようになってから、以前よりも深く考えるようになったことがある。それは仕事をする目的がお金であることの違和感だ。


 仕事の本質は、社会貢献。お金はその報酬として与えられる対価のはず。なのに今の世界はお金、お金、お金。お金がすべて。

 多くの者にとって、お金を稼ぐことだけが仕事をする目的となってしまっているのではないだろうか。


 だからどんな卑劣な手段を使おうが、お金さえ稼げれば正義と称えられ、お金を稼げない人間は足手まといというレッテルを貼られる。

 だが本当の意味での足手まといは、世界を破壊し、人々を不幸に陥れてでも、それと引き換えに富を手に入れようと企む強欲な人間のほうではないのだろうか。


 稼ぎがないことが無能だというのなら、ボランティアは戦争屋よりも無価値だということになってしまうが、実際は逆だろう。

 戦争屋になど何の価値もない。無償でも環境や人を守ろうと行動するボランティアのほうが遥かに価値はあるはずなのだ。

 しかしそれでも、現実に莫大な富を手にしてるのは戦争屋のほうである。


 この矛盾が、私の中に根付いた違和感の正体だった。



 本来、人類はみんなで協力し合って、豊かな人間社会を構築していくことが可能なはずなのに、今の世界は行き過ぎた富の奪い合いによって、自分の利益だけのために独占的思考に陥ってしまっている人が多いように感じる。


 その原因は、やはり圧倒的なお金の支配にあるだろう。

 同時に仕事の価値、人の価値、そして報酬の正当性など、あらゆる面において一部の人間にだけ都合よく設定された不平等が、多くの人々から心の余裕を奪い、不安を煽り、他人を攻撃することも正当だと思い込むように仕向けられた結果なのだと私は思っている。



 いつから世界は、人は、こんなに醜くなってしまったのか。

 理不尽な社会に憤りを覚えて、いろいろインターネット検索などしているうちに、私はあるワードを知った。



 ユニバーサル・ベーシックインカム────



 すべての人々が平等に最低限の生活だけは保障されるという所得分配システムの名称である。

 その構造はさまざまで、いわゆるばら撒きに近いシンプルな給付案のほか、現状の社会保障をはじめ、不要な税金の流通を見直して現実的な財源で実行する方法。

 また、表向きは平等なお金の給付だが、結果的に富裕層から貧困層にお金がうまく分配されるように、個人に影響する増税減税の幅を調整したうえでの給付──という多くの財源を必要としない方法。さらには半減期仮想通貨を用いた方法など。


 仕事の意欲が減少する懸念や、財源問題など、デメリットについても指摘されていたが、少なくとも今の私にとって、それ以上にメリットに対する期待のほうが大きかった。



「……ベーシックインカム、か」



 もし本当に実現できれば、お金に囚われた醜い争いは限りなく減少するだろう。

 何より誰もが将来に不安を感じずに生きられるというのは画期的でもある。


 もしこの世界がそんな制度で成り立っていたならば、私は他人を傷つけたりなどせずとも、人類や世界に貢献できる仕事を探して、追及して、胸を張って生きていけたはずなのに──。


「仕事って何なんだろ……?」


 それはベーシックインカムを知ってからの私が、より強く感じるようになったひとつの疑問だった。

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パンドラの瞳 音村真 @otomurasin

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